学位論文要旨



No 110750
著者(漢字) 中島,治
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,オサム
標題(和) デオキシカルコンの生合成の遺伝子レベルでの研究
標題(洋)
報告番号 110750
報告番号 甲10750
学位授与日 1994.05.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第687号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三川,潮
 東京大学 教授 岩崎,成夫
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 助教授 海老塚,豊
内容要旨 【序】

 フラボノイドは植物中に広く存在する二次代謝産物であり、植物において多様な生理機能を有していることから、多方面からの研究が行われている。マメ科植物において低分子抗菌性物質であるファイトアレキシンとして生産されるフラボノイドの多くは、5-デオキシ型フラボノイドであり、5-デオキシ型フラボノイドの生合成は、骨格が形成されるカルコン合成酵素(CHS)の反応において、5-ハイドロキシ型フラボノイドの生合成と分岐している(Fig.1)。デオキシカルコンはNADPH存在下でカルコン合成酵素(CHS)と還元酵素(CHR)の2つの酵素が協同的にはたらくことにより生合成される。マメ科植物における5-デオキシ型フラボノイドの生合成が外界からの刺激に応答し、どのように制御されているのかは非常に興味深い問題である。当研究室では、クズ培養細胞を用いてフラボノイド生合成の研究を化合物レベル、酵素レベルで行ってきた。私は、ファイトアレキシンとしての5-デオキシ型フラボノイドの生合成を遺伝子レベルで検討することを目的として、クズ培養細胞よりデオキシカルコン合成酵素系を構成するCHSおよびCHRの遺伝子のクローニングを行った。

Fig.1 Blosynthetic Pathway of Flavonold in Pueraris lobata
【結果】1.CHSのcDNAクローニング

 植物の二次代謝産物の生合成を活性化させるものをエリシターと呼ぶ。イーストエキスをエリシターとして処理したクズ培養細胞からRNAを抽出し、インゲンマメCHS cDNAをプローブとしてノーザンブロット解析を行なったところ、イーストエキスエリシターによって1.5kbのmRNAが強く誘導されたことが明らかになった。このRNAを用いてcDNAライブラリーを構築し、インゲンマメCHS cDNAをプローブに用いてcDNAクローニングを行った。得られた4つの陽性クローンの中で、pPICHS1は完全な翻訳領域を含み、翻訳領域の中ではインゲンマメCHS cDNAとヌクレオチドレベルで90.8%の相同性を有していた。

2.CHRのcDNAクローニング

 クズとダイズのCHRの配列が相同性をもつことを期待して、PCR法によるcDNAクローニングを行った。プライマーにはダイズの培養細胞のCHR cDNAの翻訳領域の両端の配列を用いた。イーストエキスで処理した培養細胞から抽出したRNAを逆転写して、得られたcDNAを鋳型にPCRを行い、約1.0kbのcDNA pCHR27を得た。pCHR27はダイズのcDNAの翻訳領域とヌクレオチドレベルで94.7%の相同性を有していた。さらに、pCHR27を大腸菌での発現ベクターに組み込み、タンパクを発現させた。同様に大腸菌で発現させたCHSと共にNADPH存在下で反応を行い、デオキシカルコンの生成を確認し、pCHR27がCHRをコードしていることを確認した。

3.エリシターによる遺伝子の発現の経時変化

 イーストエキスまたは塩化銅をエリシターとしてクズの培養細胞に添加し、CHS,CHR,CHImRNAの発現の経時変化をノーザンブロット解析によって調べた(Fig.2)。滅菌水を用いた対照実験では、CHS,CHRはほとんど発現していないが、CHIでは弱い発現が見られた。イーストエキスエリシターによって、3遺伝子のmRNAは迅速かつ急激に誘導され、6時間付近でピークに達した。一方、塩化銅エリシターによっては、3遺伝子のmRNAは緩やかに誘導が始まり、20時間付近でピークに達し、40時間後にはほぼ対照実験のレベルに戻った。以上のように、3遺伝子のイーストエキスエリシターと塩化銅エリシターに対する応答は、転写レベルで異なっていることが明らになった。3遺伝子の発現誘導はよく同調した。

Fig.2 Time Courses of Eicitor-induced CHS,CHR,CHI mRNA in Pueraris lobata Cells
4.CHSのゲノム遺伝子のクローニング

 ゲノミックサザン分析から、クズの培養細胞のゲノムにおいてCHS遺伝子は6-7コピーの遺伝子から成る遺伝子ファミリーを構成していると推定された。次に、クズの培養細胞のゲノムDNAからゲノミックライブラリーを構築し、cDNAをプローブとしてスクリーニングを行った。19個の陽性クローンの中から特に強くハイブリダイズした2個のクローンgCHS1,14について塩基配列を決定した。2つのクローンの配列はイントロンも含めて一致し、同一のクローンであると推定した。gCHS14は上流域を含んでおり、その配列を検討した。gCHS14の第一エクソンと上流域の配列は上記のcDNAの配列と完全に一致し、gCHS14の上流域はエリシターに応答するインゲンマメのCHS15のプロモーターと相同性が見られた。さらに、当研究室において、gCHS14の上流域は、エリシターに応答するプロモーターであることがタバコ毛状根において明らかにされている。以上から、gCHS14は遺伝子ファミリーの中でイーストエキスエリシターによって発現が誘導されるCHS遺伝子であることが明らかになった。

5.CHRのゲノム遺伝子のクローニング

 ゲノミックサザン分析から、クズの培養細胞のゲノムにおいてCHR遺伝子は4コピーの遺伝子から成る遺伝子ファミリーを構成していると推定された。前記のゲノミックライブラリーをcDNAをプローブとしてスクリーニングを行い、gCHR1を得た。gCHR1は、翻訳領域の途中から5’側を含んでいた。残り3つのCHR遺伝子をクローニングするために、ミニライブラリーを構築して同様にスクリーニングを行い、gCHR18,40を得た。gCHR40については全塩基配列を決定したが、2つの短いイントロンを含んでいた。また、gCHR18と40の配列は開始コドンの上流133塩基において相違は1塩基のみであり非常に相同性が高く、3’側の非翻訳領域も相同的であった。一方、gCHR1と40の上流域は3つの相同的な領域を含んでいたが、全体的には相同性はなかった。したがって、CHRのゲノム遺伝子の上流域の配列はgCHR1のグループとgCHR18および40のグループに分けられる。

 gCHR1と40の上流域に存在する3つの相同的な領域を検討すると、1番下流のもはTATA boxと推定される配列を含み、中央のものは多くのフェニルプロパノイド代謝遺伝子のプロモーターに広く保存されていることが知られている3’部分のモチーフを含んでいた。1番上流のものはインゲンマメCHSプロモーターに存在しているbox IIIの3’部分と相同性が見られた。CHRのゲノム遺伝子の上流域はgCHS14のプロモーターと全体的な相同性を示さなかったが、gCHR1と40の上流域の相同的な領域の配列はgCHS14のプロモーターにも類似の配列が存在していた。

【考察】

 gCHS14の上流域はエリシターに応答するプロモーターとして機能することを実験的に示すことができた。ここでは塩基配列の決定に留まってしまった、3つのCHR遺伝子の上流域について検討する。

1.ミニマルプロモーターの領域について

 パセリやインゲンマメのCHS遺伝子のプロモーターにおいては、TATA boxの上流の100bpはミニマルプロモーターとして機能するものと考えられており、その中にはTATA boxと上記の3’部分のモチーフがシス配列として知られている。これらのシス配列は3つのCHR遺伝子のプロモーターのいずれにも存在しており、3つのCHR遺伝子はいずれも植物中で発現するものと推定する。

2.boxIII類似の配列について

 ミニマルプロモーターの上流は各遺伝子ごとに発現を調節する領域と考えられる。ここには2つのグループのCHR遺伝子とgCHS14の上流域の間の相同的な領域が1つ存在し、boxIIIの3’部分と類似性があった。boxIIIの3’部分はアクチベーターとして機能することが知られており、2つのグループのCHR遺伝子とgCHS14のプロモーターにおいても同様のアクチベーターとして機能すると推定する。この配列の5’側には、2つのグループのCHR遺伝子で相同的な配列が存在しており、シス配列として機能すると推定するが、その機能は今後検討するべき課題である。

 インゲンマメCHS15のプロモーターのboxIIIの5’部分はサイレンサーとして機能すると考えられており、gCHS14およびgCHR40の上流域には、トランス作用因子の結合配列と類似のGGTTAA(C/A)AAの配列が5’部分のモチーフの3’側に存在しており、この配列がサイレンサーとして機能するものと推定する。しかし、gCHR1においてはそのサイレンサーと推定される類似の配列は存在していなかった。

3.多くのフェニルプロパノイド代謝遺伝子のプロモーターに広く保存されていることが知られている5’部分のモチーフについて

 ミニマルプロモーターの上流において、一番大きな相違は上記の5’部分のモチーフの存在の有無である。gCHR40の上流域にはこれが存在するのに対して、gCHR1の上流域には存在していなかった。インゲンマメCHS15のプロモーターにおいては、このモチーフとその3’側の配列が組み合わさってH-boxを形成し、p-coumaric acidによる誘導を増強することが報告されている。gCHS14およびgCHR40の上流域ではH-boxに相当する配列は存在せず、上述のサイレンサーと考えられる配列が存在する。したがって、5’部分のモチーフの周辺の配列からも、gCHS14およびgCHR40はインゲンマメCHS15と異なる制御を受けると推定する。

 5’部分のモチーフを含まないgCHR1と、それを含むgCHR40の発現制御がどのように異なるのかは興味深い問題である。以上で言及した配列をFig.3にまとめた。

Fig.3 Structures of CHS and CHR promoters

 今後はエリシターによって強く発現が誘導されるCHR遺伝子を同定し、プロモーター解析を行うのが課題であろう。

 本研究で取り上げたCHRのゲノム遺伝子レベルでの解析は、ファイトアレキシンの生合成経路に特徴的な遺伝子では初めてのものであり、この遺伝子の制御機構の理解が植物の外界への応答機構を解明する上で大きな役割を果たすものと思われる。

審査要旨

 フラボノイドは植物中に広く存在し、多彩な生理機能を持つ二次代謝産物であることからさまざまなレベルでの研究が行われている。マメ科植物においてフラボノイドは外界からの刺激に応じて生産される抗菌性物質ファイトアレキシンとして機能するが、5-デオキシ型フラボノイドの構造を持ち、カルコン合成酵素(CHS)と還元酵素(CHR)の共同的働きによりその基本骨格が合成されている。本研究は5-デオキシ型フラボノイドの生合成について検討することを目的として、CHS,CHR両遺伝子クローニングを行い、両者のプロモーター領域についてそのDNA配列の比較を行ったものである。

 研究に必要なCHSおよびCHRのcDNAクローニングは比較的近縁の植物であるインゲンマメ、ダイズ由来のプローブあるいはシーケンスを用いイーストエキスをエリシターとして誘導したmRNAより調製した。それぞれ発現ベクターに組み込み、カルコン合成酵素(CHS)およびそれと共同して働く還元酵素(CHR)の活性を持つことを確認している。この段階でさらに詳しくエリシターによるmRNAの誘導をノーザンにより検討した結果、CHS,CHRともに対照実験ではほどんど発現していないが、エリシター(イーストエキス)処理により両者とも類似したパターンでの急激な誘導が見られ、得られたcDNAはともエリシターに対応して発現するmRNAに由来するものと考えられた。

 ゲノミックサザン分析から、クズの培養細胞のカルコン合成酵素(CHS)遺伝子は6-7コピーの遺伝子から成る遺伝子ファミリーを構成していると推定された。親植物のフラボノイドには一般のフラボンやアントシアンもあり、エリシターによる誘導とは関係がないものも存在している。ゲノムライブラリーより得られたクローンの一つは、さきに得られたcDNAと同一の配列を含み、さらに上流領域は機能が検討されているインゲンマメのプロモーター部分とある程度相同性が見られた。ここに得られたCHS上流領域500bpについては、タバコ毛状根培養による実験からエリシターに応答するプロモーターであることが確認されている。一方カルコン合成酵素と共同して働く還元酵素(CHR)遺伝子はクズ培養細胞において4コピーの遺伝子から成る遺伝子ファミリーを構成していると推定された。ゲノミックライブラリーより3つのクローンが得られたが、上流領域を比較すると2つのグループに分けられることが分かった。

 エリシターに応答するカルコン合成酵素(CHS)遺伝子上流領域500bpについては、ある程度機能が同定されているインゲンマメのものと比較しminimal promotor,conserved motif,BoxIII(activator,silencer)など共通した幾つかのシス配列を見いだすことができた。一方還元酵素(CHR)はエリシターにより誘導される5-デオキシ型フラボノイド合成に特有な酵素であり、プロモーター領域の機能はカルコン合成酵素のものとは異なると考えられたが、事実その配列は大きく異なっていた。しかしカルコン合成酵素(CHS)の配列と比較することによりシス配列と思われる配列を推定することができた。一つのグループには、CHSに存在するminimal promotor,activator,conserved motifに類似した配列が見られたが、他のグループにはconserved motifは欠けていた。この二つの酵素(CHS,CHR)のエリシターに対する応答は非常に似ているが、このエリシターに対する応答にどの配列が必要かは植物での実験が必要である。以上本論分はエリシターに応答して発現するカルコン合成酵素(CHS)と還元酵素(CHR)のcDNAクローニングと大腸菌での発現、それぞれのゲノム遺伝子のクローニングと配列決定、相同性配列の同定によるシス配列の機能推定などを行ったものである。本論文は生薬学、植物生化学の進展に寄与することが大きく博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

Structures of CHS and CHR promoters
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