学位論文要旨



No 110752
著者(漢字) 西山,佳孝
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,ヨシタカ
標題(和) 光合成の高温耐性の分子機構
標題(洋) Molecular mechanism of heat tolerance of photosynthesis
報告番号 110752
報告番号 甲10752
学位授与日 1994.05.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3238号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 助教授 熊谷,泉
内容要旨

 本論文は、植物が高温環境に適応することにより獲得する光合成の高温耐性について、生化学的および分子生物学的手法を用いて解析した際に得られた知見をもとに、高温耐性獲得の分子機構を論じたものである。以下に各章の内容について述べる。

 第1章は序論であり、本研究の領域ならびに目的について述べている。光合成は、植物が太陽光のエネルギーを利用して無機炭素を固定し有機物に変換する反応であり、植物の生存を支える生命活動である。従来数多くの研究から、光合成反応をつかさどる分子構築や各諸反応について詳細に明らかにされてきている。しかしこれらの研究は、最適条件下における静的な光合成反応の解析を基盤としたものであり、現実には、自然界で成育している植物は不断に変化する環境にさらされている。したがって、光合成の研究は、環境に対する光合成の応答機構という動的な側面を研究する新たな展開が必要とされている。本論文では、光合成に影響を与えるさまざまな環境因子(光、温度、湿度、無機栄養など)の中で、高温を取り上げ、光合成の高温への応答を主題とした。

 植物が高温にさらされると、最初に損傷を受けるのが光合成である。しかし、高温環境に適応した植物は高温に対しより安定な光合成を示す。この光合成の高温耐性の獲得は、植物が高温環境で生存するために必要不可欠な適応手段であると考えられる。光合成器官の中でも光化学系II酸素発生複合体はもっとも熱に弱く、酸素発生反応を担うMnクラスターの崩壊により不可逆的な失活を受ける。したがって、光合成の高温耐性は、酸素発生複合体の熱失活に対する防御機構に依存していると考えられる。本研究では酸素発生複合体に的をしぼり、この複合体における高温耐性獲得の分子機構を明らかにすることを目的とした。

 光合成の高温耐性に関する従来の知見については、光合成膜における脂質の変化を高温耐性の要因とした従来の支配的な仮説に対し、それを実験的に否定した近年の研究成果を取り上げて論じ、光合成の高温耐性を支配する要因について推察した。研究材料については、遺伝子レベルでの研究への展開を想定し、形質転換型ラン藻Synechococcus PCC7002を用いる利点を述べた。

 第2章はSynechococcus PCC7002における光合成の高温適応の解析について述べている。低温(25℃)および高温(40℃)で培養したSynechococcus PCC7002の細胞について酸素発生能を指標にして光合成の熱安定性を比較し、この生物における光合成の高温耐性獲得を調べた。最も熱に弱い光化学系II酸素発生複合体における電子伝達反応に同様の高温耐性獲得を確認し、光合成の高温耐性化がこの複合体に起因していることを明らかにした。さらに、光合成の高温耐性が培養温度の上昇に伴い徐々に獲得されることを見出し、その結果から推察される高温耐性獲得の機構について述べた。

 光合成の初期反応をつかさどる器官は細胞内に発達した膜系であるチラコイド膜に存在する。従来、細胞レベルでのみ議論されてきた光合成の高温耐性を、生化学的手法を用いた分子レベルでの研究に展開するために、細胞からチラコイド膜を単離し、それを材料にして解析を行った。まず、高温(40℃)に適応した細胞から単離したチラコイド膜は、低温(25℃)培養の細胞から単離した膜に比べ熱により安定な酸素発生能を有していることを見出し、高温耐性が単離チラコイド膜に保持されることを始めて明らかにした。光化学系II複合体における電子伝達の部分反応を解析し、酸素発生系が高温耐性化されることを示した。これらの結果から、酸素発生の高温耐性を担う因子が単離チラコイド膜に存在することが示唆された。

 第3章はSynechococcus PCC7002のチラコイド膜における光合成の高温耐性の生化学的解析について述べている。酸素発生部位は小胞体を形成しているチラコイド膜の内腔に位置している。酸素発生を熱から防御する因子は膜の内腔にあると推定し、チラコイド膜を低濃度の界面活性剤Triton X-100で破砕した。0.1%のTriton処理によりチラコイド膜の酸素発生の高温耐性は著しく低下したが、その際に遊離した成分をTriton処理した膜に再構成させると、その高温耐性は回復した。さらにTritonにより遊離する成分は低温培養の細胞から単離した高温耐性のないチラコイド膜の熱安定性を増大させた。またこの機能成分はタンパク質としての性質を有していた。以上の結果をもとに、チラコイド膜内腔に局在するタンパク質成分が酸素発生の高温耐性を担っていることを論じた。

 第4章はSynechococcus PCC7002光合成の高温耐性に寄与する因子の同定について述べている。高温耐性を有するチラコイド膜からTriton処理により遊離する成分を、DEAE-Toyopearl650Cを用いたイオン交換クロマトグラフィーおよびMono-P HR5/5を用いたクロマトフォーカシングに供して、チラコイド膜の高温耐性を再活性化する成分の精製を行った。その結果、16kDaのタンパク質が単離され、分光学的性質からシトクロムc-550と推定された。N末端アミノ酸配列をもとに、Synechococcus PCC7002からこのシトクロムをコードする遺伝子をクローニングした。推定されるアミノ酸配列から、その遺伝子産物は35残基のtransit peptideと136残基のmature proteinからなり、mature proteinは他のラン藻で見られるシトクロムc-550と類似することが判明した。シトクロムc-550について従来の知見を整理し、本研究で得られた結果をもとに、酸素発生の高温耐性におけるシトクロムc-550の役割を考察した。

 第5章は本論文全体の総括であり、光合成の高温耐性の分子機構について本研究で得られた結論をまとめ、今後の研究の展望と期待について述べている。

審査要旨

 本論文は、植物が高温環境下で獲得する光合成の高温耐性について、生化学・分子生物学的手法を用いた解析により分子機構の一端を解明したもので、全五章よりなる。

 第1章は序論で、研究の背景と目的を述べている。光合成は、植物が太陽光エネルギーを利用して無機炭素を有機物に変換する反応であり、地球上の全生命を支える。光合成の分子構築や素反応に関する従来の研究は、多くが最適条件下における反応の解析にもとづくものであるが、自然界の植物は不断に変化する環境にさらされており、環境に対する応答という動的な側面へも注目が集まっている。本研究は、光合成に影響する環境因子のうち高温を取り上げ、高温への応答を主題としている。

 高温下の植物体内ではまず光合成が損傷を受けるが、高温に適応した植物はより安定な光合成を行う。高温耐性の獲得は、植物が高温下で生存するための戦略と考えられる。光合成器官の中で光化学系II酸素発生複合体が最も熱に弱く、Mnクラスターが崩壊して不可逆的な失活を受ける。したがって光合成の高温耐性は、酸素発生複合体の熱失活に対する防御機能と考えられる。従来その分子機構について提案されてきた仮説を検討し、いずれも不満足であると結論している。また研究材料に形質転換型ラン藻Synechococcus PCC7002を選んだ背景も説明している。

 第2章ではSynechococcus PCC7002における光合成高温適応の解析手法と結果を述べている。低温(25℃)および高温(40℃)で培養した細胞につき、酸素発生能を指標にして光合成の熱安定性を比べ、高温耐性獲得の度合いを定量化した。光化学系II酸素発生複合体の電子伝達反応に同様の高温耐性獲得が起こることを確認し、高温耐性化がこの複合体レベルの事象であると結論している。

 光合成の初期反応は細胞内に発達したチラコイド膜上で進む。従来は細胞レベルで議論されてきた高温耐性を分子レベルの研究に展開するため、細胞から単離したチラコイド膜を材料にして解析を行った。高温(40℃)に適応した細胞のチラコイド膜は、低温(25℃)培養の細胞から単離した膜よりも熱に安定な酸素発生能をもつことを見出し、高温耐性が単離チラコイド膜に保持されることを初めて明らかにした。さらに、光化学系II複合体における電子伝達の部分反応を解析し、酸素発生系が高温耐性化することも示した。以上の結果より、酸素発生の高温耐性を担う因子は単離チラコイド膜に存在すると推測している。

 第3章はSynechococcus PCC7002のチラコイド膜における光合成の高温耐性を生化学的に解析したものである。酸素発生はチラコイドの内腔で起こるため、酸素発生能を保護する因子が膜の内腔に存在すると考え、チラコイド膜を低濃度の界面活性剤Triton X-100で破砕した。Triton処理で酸素発生の高温耐性は著しく低下したが、その際に遊離した成分をTriton処理膜に再構成させたところ耐性が回復した。Triton処理で遊離する成分は、低温培養細胞から単離したチラコイド膜の熱安定性を向上させた。またこの成分はタンパク質様の性質を示した。以上より、チラコイド膜内腔に局在するタンパク質成分が酸素発生の高温耐性を担うと推定している。

 第4章では、上で得た知見をふまえ、Synechococcus PCC7002の光合成の高温耐性をもたらす因子の同定を試みている。高温耐性をもつチラコイド膜からTriton処理で遊離する成分を、イオン交換クロマトグラフィーおよびクロマトフィーカシングに供し、チラコイド膜の高温耐性を再活性化する成分を精製した。その結果、分子量16kDaのタンパク質が単離でき、可視スペクトルからシトクロムc-550と推定した。N末端のアミノ酸配列をもとに、Synechococcus PCC7002からこのシトクロムをコードする遺伝子をクローニングした。推定されるアミノ酸配列から、遺伝子産物は35残基のtransit peptideと136残基のmature proteinからなること、mature proteinは他のラン藻のシトクロムc-550と類似していることがわかった。シトクロムc-550に関する従来の知見を整理し、本研究の結果をもとに、酸素発生の高温耐性獲得におけるシトクロムc-550の役割を考察している。

 第5章は総括であり、光合成の高温耐性の分子機構について本研究で得た結論をまとめ、今後の展望について述べている。

 以上要するに本論文は、光合成の高温耐性獲得という実用面でも重要な現象の分子レベル解析に新たな端緒を開いたものであり、生体機能化学ならびに植物生理学の分野に寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53831