学位論文要旨



No 110755
著者(漢字) 張,保平
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,ホヘイ
標題(和) 半導体量子井戸における励起子振動子強度の反射法による研究
標題(洋) Reflectance Study on the Oscillator Strength of Excitons in Semiconductor Quantum Wells
報告番号 110755
報告番号 甲10755
学位授与日 1994.06.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3241号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 三浦,登
 東京大学 助教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 講師 長田,俊人
内容要旨

 量子井戸(QW)構造を有する高性能半導体デバイスの開発、研究が盛んに行なわれている。QW半導体レーザは従来のダブルヘテロ構造半導体レーザに比べて、低しきい値電流密度、高信頼性などが得られ、性能が格段と向上することが証明された。また、QW構造を利用した高移動度電子デバイスの研究も盛んに行なわれている。

 本研究ではこれらのデバイスの設計のために重要なパラメータである励起子の振動子強度および励起子-フォノン相互作用について研究を行ない、いくつかの新しい知見が得られた。

 励起子の振動子強度は励起子遷移の確率に直接比例する。また、振動子強度の研究から二次元励起子の特性を探ることができる。振動子強度の井戸幅依存性は次の式で表される。

 

 ここでaBは励起子の井戸面内の半径である。は電子ホールのoverlapを表す。Zは結晶成長の方向を表す。傾向としては井戸輻が小さくなるにつれ、振動子強度が大きくなる。しかし、井戸幅が非常に小さい場合は波動関数のbarrierへのしみだしが大きくなりoverlapが小さくなることで振動子強度が減少する。この井戸幅依存性は現在までまだ証明されていない。

 振動子強度の強さは励起子の有効質量、量子閉じ込め効果、誘電率閉じ込め効果、バンドのnonparabolicity、バンドのmixingに依存する。理論的な計算の報告は数件あったが,これらの効果を全部考慮した計算はAndreaniらによって行われ、1990年に報告された。従来の実験研究においては、振動子強度は主に励起子の吸収面積から評価されてきた。しかし、いくつかの原因でこのような方法によって得られた結果は誤差が大きく、理論とは一致しなかった。

 QW構造においてもう一つ理論的にも実験的にも大変注目されているのは励起子-フォノン相互作用である。QW構造によって3次元結晶ではみられなかったフォノンモードが現われるので、物理的に非常に興味深い系となっている。また、異なるフォノンモード毎に異なる形で励起子(又は電子)と相互作用をするので、QW構造においてどのフォノンモードが相互作用を左右しているのかを確認することは非常に重要である。なぜなら、フォノンとの相互作用は高温でのキャリアの移動度を、さらに高速電子デバイスの性能を決めるものだからである。従来の研究では種々のフォノンモードを仮定してQWにおける励起子(又は電子)-フォノン相互作用の検討がなされてきたが、どのフォノンモードが主に寄与していることについてはまだ実験的に解明されていなかった。

実験

 使われた試料はすべて単一量子井戸(SQW)である。AlGaAs/GaAsおよびInGaAs/GaAs QWsはMBE法によってGaAs基板上に作製したもの、GaAs/GaAsP QWはMOVPE法でGaAsP基板上に作製したものである。AlGaAs/GaAs系は格子整合しているのに対し、InGaAs/GaAsおよびGaAs/GaAsP系は井戸層に歪みが加えられている。

 用いた方法はフーリエ分光法をベースにした反射法である。この方法は非破壊、簡単、しかも感度が良いと言う特徴がある。この方法はGaAs/GaAsPヘテロ界面でのバンド不連続量を決める際に重要な情報をもたらした。本研究では、測定によって得られたSQWにおける励起子の反射スペクトルを直接フィットすることによって励起子の遷移エネルギー、半値輻および振動子強度を求めた。従来の吸収法では(1)吸収面積の取り方によって結果は誤差が異なる;(2)吸収スペクトルは透過スペクトルから求めたが、実際、反射スペクトルによる修正をしないと真の吸収が得られない;(3)通常のgrating型の分光器は感度が悪いので、吸収量を増やすために多重量子井戸構造を用いるが、井戸間の不均一性のためスペクトルが変形を受ける。一一等の理由により実験結果の信頼性に問題がある。我々の方法では、これらの誤差を与える要因は全部除去することができる。また、この方法では単一量子井戸に対し室温でも励起子の遷移を観測できるので、正確に振動子強度の温度依存性を調べる事が可能となる。

 測定にあたって使われたフーリエ分光装置はBOMEM社製DA3.0システムである。分解能は2.0cm-1であり、ほぼ垂直入射の光学configurationであった。参考試料としてGaAsのスペクトルを取ることによって装置の不安定性によるスペクトルのバックグラウンドの修正を行なった。測定は4.2Kから室温まで行なった。反射スペクトルの計算は多層膜構造に対する行列法を利用し、誘電率の温度依存性を考慮した。井戸層の中の励起子の吸収による誘電率の変化は

 

 で与える。ここでEexは励起子の遷移エネルギーであり、は半値幅である。Aは吸収の強さを表し、単位面積あたりの振動子強度と次の関係を持つ。

 

 ここでm0は電子の質量で、Lは井戸幅である。

結果

 図1から図3までに得られた反射スペクトルの温度依存性を示す。すべての温度領域で計算は実験を精度よく再現することがわかる。また、高温での遷移エネルギーの減少はバンドギャップの温度依存性を反映している。

 振動子強度の井戸幅依存性を図4から図6までに示した。InGaAs/GaAs及びGaAs/GaAsPQWにおける励起子の振動子強度は本研究によって初めて求められたものである。ここで研究されている各種のQWについて、励起子の振動子強度は同じオーダーであることがわかった。AlGaAs/GaAsQWについては種々の効果を考慮した計算結果と他の実験により得られた結果もあわせて図4に示した。明らかに、他の実験より本研究で得られた結果は理論と一致していることが分かる。このことから励起子の振動子強度が我々の実験方法でより正確に求められることがわかった。

図表図1.Al0.28Ga0.72As/GaAs SQWにおける励起子の反射スペクトル。実線:計算。 / 図2.In0.1Ga0.9As/GaAs SQWにおけるe1-hh1励起子の反射スペクトル。実線:計算。 / 図3.GaAs/GaAs0.8P0.2SQWにおけるe1-hh1励起子の反射スペクトル。実線:計算 / 図4.AlGaAs/GaAsQWにおけるe1-hh1励起子の振動子強度の井戸幅依存性。

 図5と図6から分かるようにInGaAs/GaAs及びGaAs/GaAsPQWにおいて励起子の振動子強度が井戸幅の変化に対して最大値を持つ事が本研究によって初めて実証された。しかしながら、このような井戸幅依存性はAlGaAs/GaAsQWにおいては見られなかった。これはAlGaAs/GaAsQWではバンドの不連続量が大きく、かつ励起子の有効質量が大きいので、実験した井戸輻よりかなり狭い井戸幅にして初めて波動関数のbarrierへのしみたしが顕著になるからである。InGaAs/GaAs及びGaAs/GaAsPQWにおける振動子強度の温度依存性は励起子の有効質量や量子閉じ込め効果によって説明できる。

 ゼロフォノン線の振動子強度の温度依存性を図7と図8に示す。温度の上昇に伴う振動子強度の減少は本研究において初めて観測された。これはQWにおける励起子遷移に伴うフォノンsidebandの強度がフォノンの増加を反映して高温でつよくなるので、ゼロフォノン線の強度が減少したためであると考えられる。図のなかの実線は次の平均フォノンモードを利用したDebye-Waller因子の温度依存性を表す。

 

図表図5.InGaAs/GaAsQWにおけるe1-hh1励起子の振動子強度の井戸幅依存性。 / 図6.GaAs/GaAsP QWにおけるe1-hh1励起子の振動子強度の井戸幅依存性。 / 図7.Al0.28Ga0.72As/GaAsQWにおけるe1-hh1励起子のゼロフォノン線の振動子強度および半値幅の温度依存性。 / 図8.In0.1Ga0.9As/GaAsQWにおけるe1-hh1励起子のゼロフォノン線の振動子強度および半値幅の温度依存性。

 ここでf0はトータル振動子強度で、<h>は平均フォノンエネルギーである。<S>はHuang-Rhys因子と呼ばれ、励起子-フォノン相互作用の強さを表す。図からわかるようにゼロフォノン線の強度の減少は励起子とフォノンとの相互作用によるものと考えられる。従ってゼロフォノン線の振動子強度の温度依存性から励起子-フォノン相互作用を調べることができる。

 励起子-フォノン相互作用の井戸幅依存性を図9に示した。AlGaAs/GaAs系とInGaAs/GaAs系では全く異なる井戸幅依存性を示すことを初めて見出した。これは両者において異なるフォノンモードが相互作用を支配しているためであると考えられる。AlGaAs/GaAs系について図中の点線は井戸のなかに閉じ込められている、いわゆるconfinedフォノンモードとの相互作用の井戸幅依存性を表す。一方、InGaAs/GaAs系について図中の実線は格子振動が全空間に拡がったいわゆる準3次元フォノンモードとの相互作用の井戸幅依存性を表す。実線が実験結果と良く一致していることは、これらのフォノンモードがそれぞれの量子井戸において支配的な励起子-フォノン相互作用になっている事を強く示唆する。この結果はこれらのQWにおける歪みの有無および界面の急峻性の違いによるものと思われる。以上から、Al(Ga)As/GaAs系において、高移動度を得るためには、フォノンを狭い井戸に閉じ込めればよい事が結論される。

図9.励起子-フォノン相互作用強度の井戸幅依存性。
結論

 1)QWにおける励起子の振動子強度を評価する新しい手法を開発した。

 2)種々のQWにおける励起子の振動子強度は同じオーダーである事を明らかにした。

 3)未解決であった振動子強度の井戸幅依存性を本研究によって初めて実証した。

 4)振動子強度の組性依存性について研究を行なった。

 5)ゼロフォノン線の振動子強度の温度依存性を本研究によって初めて観測された。

 6)励起子フォノン相互作用について研究を行った。AlGaAs/GaAsQWではconfinedフォノン、InGaAs/GaAsQWでは準3次元フォノンがそれぞれ相互作用を支配していることを初めて明らかにした。

 7)本研究で得られた結果は光デバイスおよび高速電子デバイスの設計に非常に有用な情報を与えるものと考えられる。

審査要旨

 本論文[Reflectance Study on the Oscillator Strength of Excitons in Semiconductor Quantum Wells](和訳:半導体量子井戸における励起子振動子強度の反射法による研究)は、半導体量子井戸における励起子の振動子強度の井戸幅依存性および温度依存性を、光反射法で初めて実験的に明らかにしたものである。励起子の振動子強度は、励起子遷移の確立に直接比例するので、量子井戸構造を有する光半導体デバイスの性能を左右する重要な因子である。振動子強度の井戸幅依存性は、電子とホールの波動関数の重なりおよび井戸面内の励起子の半径によって決められるため、ある井戸幅において最大値を持つことが考えられる。また、励起子とフォノンの相互作用のため、温度上昇にともない、ゼロフォノン線の振動子強度は減少すると予測されている。しかし、このような井戸幅依存性および温度依存性は、現在までまだ証明されていなかった。

 そこで、本研究では、新たに開発したフーリエ分光法を利用した光反射法を用い、いろいろな材料系の量子井戸について、励起子の振動子強度の井戸幅依存性および温度依存性を明らかにすることを目的としている。そして、温度依存性から、励起子とフォノンとの相互作用について、新しい知見を得ている。

 本論文は以下に示すように全8章から構成されている。

 第1章は、[Introduction]であり、本研究の背景、目的および本論文の構成が述べられている。

 第2章[Optical properties of excitons in QWs]では、半導体量子井戸における、励起子振動子強度の井戸幅依存性および温度依存性について、現在までの理論および実験報告を述べている。特に、従来の振動子強度の吸収評価法の欠点を指摘している。また、振動子強度の温度依存性から、励起子-フォノン相互作用を調べることができることを述べている。

 第3章[Exciton-phonon interaction in QWs]では、半導体量子井戸における、励起子-フォノン相互作用の理論および実験報告について述べている。特に、3次元に比べて、量子井戸又は超格子構造では、格子の振動が局在されることと、3次元フォノンの場合と局在フォノンの場合では、励起子-フォノン相互作用は異なる井戸幅依存性を示すことについて記述を行っている。さらに、具体的な例を挙げ、励起子の光学遷移の半値幅の温度依存性から、励起子-フォノン相互作用を評価する従来の方法が適当ではないことを指摘している。

 第4章から第6章までは、本研究の実験および結果について述べており、本論文の主要部分となっている。

 第4章[Experimental]では、本研究で使う量子井戸試料の構造およびその結晶成長について述べている。また、本研究で用いる光反射法の特徴を総括的に述べている。

 第5章[Reflectance spectra of excitons in QWs taken by Fourier transform spectroscopy(FTS)]では、本研究で用いるフーリエ分光法を利用した光反射法の原理および特長に関する記述を行っている。そして、得られた反射スペクトルの解析に使われる多層膜モデルを述べ、このモデルで、種々の形状を持つスペクトルを良く解析できることを示し、データ解析に適したスペクトル形状を得るための数学表現を導出している。

 第6章[Exciton properties studied by reflectance analyses]では、振動子強度に関する実験結果を述べている。まず、AlGaAs/GaAs系について、本研究で得た振動子強度が、現在最も信頼度の高い理論計算の結果と一致しているを示している。InGaAs/GaAs及びGaAs/GaAsP系では、励起子の振動子強度が、井戸幅の変化に対して最大値を持つ事が、本研究によって初めて実証された。次に、InおよびPの組成を変化させることにより、InGaAs/GaAs及びGaAs/GaAsP量子井戸における、振動子強度の井戸幅依存性は、異なる組成依存性を示すことを見だした。これは、バンドの非放物線性と電子およびホールの波動関数の重なりが,井戸幅によって変化することで説明できることを示している。次に、フーリエ分光法が高感度の測定法である特長を生かし、温度の上昇に伴うゼロフォノン線の振動子強度の減少を、本研究によって初めて観測している。ゼロフォノン線の振動子強度の減少は、フォノンとの相互作用を伴う光学遷移が、温度の上昇と共に強くなるためであると考えられる。この温度依存性は、平均フォノンモードを考慮したDebye-Waller因子の温度依存性で記述することができることを示している。このような解析をさらに進め、励起子-フォノン相互作用の井戸幅依存性について、AlGaAs/GaAs系とInGaAs/GaAs系では、全く異なる井戸幅依存性を示すことを初めて見出している。これは、AlGaAs/GaAs系については、井戸のなかに閉じ込められている局在フォノンモードが、InGaAs/GaAs系では、格子振動が全空間に広がった準3次元フォノンモードが、主に寄与しているとして理解できることが述べられている。

 第7章[Device applicaitons]では、本研究で得られた結論は、光デバイスだけではなく、電子デバイスの設計にとっても有用な情報をもたらすことについて述べている。

 第8章[Conclusions]では、本研究の総括を行っている。

 以上、本論文は、従来検討が不十分であった量子井戸における励起子の振動子強度を、光反射法によって明らかにしたものである。その結果、励起子とフォノンとの相互作用をはじめ、半導体量子井戸に特有の種々の現象を新たに見出している。本研究で得られた知見は、低次元系光電子デバイスの研究、開発への指針として、工学的に極めて意義深いものである。

 よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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