学位論文要旨



No 110758
著者(漢字) 野原,進一
著者(英字)
著者(カナ) ノハラ,シンイチ
標題(和) 微小ギャップを持つ価数搖動物質CeNiSnおよび関連物質の電子構造の光電子分光による研究
標題(洋)
報告番号 110758
報告番号 甲10758
学位授与日 1994.06.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2817号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 柿崎,明人
 東京大学 教授 浅野,攝郎
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 辛,埴
 東京大学 教授 石井,武比古
内容要旨

 価数揺動や重い電子的挙動など特異な物性を示すセリウム化合物は,近年注目を集め,盛んに研究されている.これらCe化合物の大部分が低温で金属的であるのに対して,最近,CeNiSnが,セリウム化合物では初めてエネルギーギャップを持つ価数揺動化合物であることが見いだされた.熱活性型の電気抵抗から見積もられたCeNiSnのギャップの大きさは,約2〜8Kであり,これまでに知られている半導体的価数揺動化合物(SmB6,SmS,YbB12)の値よりも一桁小さく,斜方晶の結晶構造を反映して,伝導,磁性ともに異方性が大きい.NMRの実験結果からは,高温側から0.1Kまで磁気秩序は観測されず,またフェルミ準位で非常に狭い擬ギャップが開いているとされている.また,バンド計算によると,フェルミ準位近傍のバンド構造は半金属的で,ギャップは開いていない.この他,電気抵抗の圧力や磁場に対する依存性,中性子散乱などの実験が行われてきた.その結果から,CeNiSnでみられるエネルギーギャップは,狭いCe4fバンド内に形成されると考えられているが,まだこのギャップ形成の起源を説明する決定的な理論的解釈はない.

 Ce4f電子状態の不安定性に起因する近藤効果および価数揺動現象などの異常現象に対する理解が,近年の光電子分光,X線吸収などの高エネルギー分光実験とそのスペクトルのアンダーソン不純物モデルによる解釈により深められ,これらの実験および解析手法の有用性が示されてきた.しかし,CeNiSnおよびそれに関連する3元系Ce化合物に対しては,まだこのような手法による研究がなされていない.そこで本研究では,微小ギャップを持つ価数揺動化合物CeNiSnの電子構造を調べるために,CeNiSnおよびこれと同じ結晶構造を持つ高濃度近藤物質CePdSn,CePtSn,CePdGa,CePtGaおよびCeNiSnのNiを一部Coで置換したCeNi0.7Co0.3Snについて,内殻X線光電子(XPS)スペクトル,Ni3p-3d,Ce4d-4f共鳴光電子放出を含む価電子帯の紫外線光電子(UPS)スペクトル,X線逆光電子(XBIS)スペクトルの測定,および,これらのスペクトルのアンダーソン不純物モデルを用いた解析を系統的に行った.

 本論文は次のように構成される.第1章では,研究の背景と概要を述べる.第2章では,CeNiSnおよびその関連物質の物性の概要を紹介する.第3章では,光電子分光および逆光電子分光の原理を述べる.第4章では,実験およびその解析の目的を述べる.第5章では,実験に関する詳細を述べる.第6章では,実験結果を示し,その考察を行う.第7章では,実験結果のアンダーソン不純物モデルを用いた解析方法と解析結果を示す.最後に,第8章で結論を述べる.

 具体的な実験およびその解析の目的を次に示す.(1)各成分元素の内殻XPSスペクトルを解析することにより,伝導電子に起因するスペクトル線の非対称性,Ceの価数,Ce4f電子と価電子の混成の評価を行う.観測の対象とする内殻線は,Ce,Ni,Pd,Pt,Snの各内殻線である.(2)Ce4d-4f,Ni3p-3d共鳴光電子スペクトルおよび価電子帯光電子スペクトル形状の励起光のエネルギーhに対する依存性を測定・解析することによって,価電子帯に含まれるCe4f部分状態密度,Ni3d部分状態密度等の見積りをする.(3)フェルミ準位近傍の非占有状態の情報を得るため,XBISスペクトルを測定・解析する.ここからも,Ceの価数の評価,Ce4f電子と価電子の混成に関する情報を得る.(4)Ce4f電子によるスペクトルをアンダーソン模型にもとづいて数値計算を行い,実測されたスペクトルと比較して,4f電子と価電子の混成の度合や4f0成分と4f1成分の混成比などのパラメータを定める.特に,各元素の原子軌道とCe4f電子との混成強度を評価し,近藤効果やギャップ形成に関わる電子状態についての情報を得る.

 その結果から次のことがわかった.(1)いずれの化合物においても,Sn5pバンドまたはGa4pバンドはフェルミ準位EF近傍で高い状態密度を持っていおり,伝導帯を形成している.(2)CePdSn,CePtSn,CePdGaでは,Pd4dとPt5dバンドは結合エネルギーEB3.5eV付近の深い位置にあり,EFから十分に離れている.また,Pd4dバンド,Pt5dバンドのCe4f状態との混成は非常に弱い.このことから,CePdSn,CePtSn,CePdGaの低エネルギー物性はCe4fとSn5pまたはGa4pとの混成に支配的されていると考えられる.(3)CeNiSnにおいては,Ce4f-Sn5p混成の方が,Ce4f-Ni3d混成よりも強い.(4)CeNiSnでは,Ni3dバンドもEFの近くEB1.5eVにピークを持ち,完全には満たされていない.このことから,CeNiSnの低エネルギー物性では,Ce4fとNi3dとの混成も重要となってくることが期待される.したがって,CeNiSnにおける価数揺動状態は,主にCe4fとSn5pバンド状態間の混成により引き起こされてはいるが,Ce4f-Ni3d混成も重要であると考えられる.(5)Ce3dおよび4d内殻光電子スペクトルは,CeNiSnのCe4f状態が価数揺動状態にあるが,3価に非常に近いことを,CePdSn,CePtSn,CePtGaのCeはされに3価に近いことを示唆している.特に,CeNiSnは,低エネルギー物性からみると価数揺動状態にあるにもかかわらず,Ceは非常に3価に近い.(6)Ce4d-4f共鳴光電子スペクトルから,Ce4f状態と価電子帯状態との混成は,CePdGa<CePdSn,CePtSn<CeNiSn<CeNi0.7Co0.3Snの順に強くなっている.この傾向は,これらの物質のNeel温度あるいは近藤温度の傾向と一致する.

 以上のように,本研究では,CeNiSnおよび関連物質の,大きなエネルギースケール(10分の数eVから数eV)での,電子構造を明かにした.ギャップ形成の機構に関しては,直接的な情報を得ることはできなかったが,Sn5pのみでなくNi3dのEF付近への寄与があることがCeNiSnの特徴であることがわかった.混成強度からいうとCe4f-Sn5p混成が支配的であるが,ギャップの形成には,Ce4f-Ni3d間の混成も欠かせないものと思われる.現在未解決の問題として残されているギャップ形成機構の解明には,理論面では,以上のような結果を取り入れたモデルに基づいた研究が望まれる.

審査要旨

 本論文は、Ce4f電子状態に起因する価数揺動、近藤効果などの現象を理解するために、三元系Ce化合物であるCeNiSn及びその関連物質について種々の光電子分光実験をおこなって、これらの物質のCe4f電子状態を系統的に研究したものである。

 本論文は8章からなり、第1章では本論文の概要が、第2章ではCeNiSn及びその関連物質の物性について、第3章では光電子分光と逆光電子分光の原理について、第4章では実験と解析の目的について、第5章では実験の詳細について、第6章では実験結果とその考察について、第7章ではアンダーソン不純物モデルを用いた解析結果について述べられており、第8章では結論が述べられている。

 CeNiSnは、エネルギーギャップを持つ価数揺動物質であることが見い出された三元系Ce化合物で、ギャップの大きさ(2-8K)は、これまでに知られている半導体的な価数揺動物質(SmB6、SmS、YbB12)に比べて一桁小さく、フェルミ準位に非常に狭い擬ギャップが存在するとされている。また、電気抵抗の圧力、磁場依存性、中性子散乱実験などから、ギャップはCeの4fバンド内にあると考えられるが、バンド計算によるとギャップは存在せず、CeNiSnは半金属的であると言われている。

 本論文では、微小ギャップを持ち価数揺動を示すCeNiSnと、同じ結晶構造で高密度近藤効果を示すCePdSn、CePtSn、CePdGa、CePtGa、CeNi0.7Co0.3Snについて、各成分元素の内殻光電子分光スペクトル、Ce4d-4f共鳴光電子スペクトル、X線逆光電子分光スペクトルを測定し、その結果をアンダーソン不純物モデルに基づいて行った計算結果と比較することによって、Ceの価数、Ce4f電子と他の価電子との混成の強さを評価した。その結果、CeNiSnは低エネルギー物性から見ると価数揺動状態にあるにもかかわらず、Ceの価数は3価に非常に近いことを見い出した。さらに、Ce4d-4f、Ni3p-3d共鳴光電子スペクトルの測定から、Ce4f電子と他の価電子の混成は、CePtGa<CePdSn、CePtSn<CeNiSn<CeNi0.7Co0.3Snの順で強くなっており、CeNiSnとその関連物質の低エネルギー物性は、Ce4f電子とSn5pまたはGa4p電子との混成によって支配されていること、CeNiSnでは、Ce4f電子は、Ni3d電子、Sn5p電子状態と混成しているが、Sn5pとの混成の方が強く、この物質の価数揺動状態は、主にCe4f-Sn5p混成に起因していることを明らかにしている。

 また本論文では、光電子の光イオン化断面積の励起光エネルギー依存性を利用して価電子帯の軌道成分を求め、さらに、Ni3p-3d共鳴光電子スペクトルを測定し、CeNiSnではNi3dバンドは完全に満たされていないことを見い出している。このことは、CeNiSnの価数揺動状態は主にCe4f-Sn5p混成に起因しているものの、低エネルギー物性にはCe4fとNi3dの混成も重要で、ギャップの形成にはCe4fとNi3dの混成が欠かせないものであることを示している。

 近年、光電子分光、内殻吸収等の高エネルギー分光実験によって得られたスペクトルの解析結果から、Ce化合物のCeの価数、Ce4f電子と他の価電子の混成の大きさなどに関する知見が得られることが知られ、数多くの実験がなされている。しかし、三元系Ce化合物について応用された例は少ない。これは、成分元素が増加することによって解析が複雑になり系統的な研究が難しくなるためである。本論文ではCeNiSnとその関連物質の各成分元素について種々の光電子分光スペクトルを測定し、その結果を系統的に解析、比較することによってはじめてCeNiSnとその関連物質のCeの4f電子状態について詳細な情報を得ている。

 以上のように、本論文ではCeNiSnとその関連物質である多くの三元系Ce化合物のCe4f電子状態について、その価数、他の価電子との混成の強さを定量的に求め、その系統的な解析によって三元系Ce化合物の低エネルギー物性の原因について迫ったものとして高く評価され、審査委員全員の一致で論文提出者に対して博士(理学)の学位を授与するに十分であると認められた。

 なお、本論文の第6章は、藤森淳、小西健久、生天目博文、高畠敏郎の各氏と、第7章は藤森淳、小西健久、小川晋、生天目博文、高畠敏郎の各氏との共著であるが、論文提出者が主体となって研究計画の立案、実験、解析、考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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