学位論文要旨



No 110761
著者(漢字) 高城,啓一
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,ケイイチ
標題(和) 新生ラット視床下部および視索前野培養細胞に対する性ステロイドの影響
標題(洋) Effects of Sex Steroids on Cultured Neonatal Rat Hypothalamus and Preoptic Area Cells
報告番号 110761
報告番号 甲10761
学位授与日 1994.06.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2820号
研究科 理学系研究科
専攻 動物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,誠一郎
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 木村,武二
 東京大学 助教授 竹井,祥郎
 順天堂大学 助教授 松本,明
内容要旨

 哺乳類の中枢神経系には、ゴナドトロピン分泌調節パターン、性行動、情動行動などに機能的性差が存在する。このような中枢神経系の性差に関して、おもにラット、マウスなど囓歯類を用いて研究がなされてきた。これら中枢神経系における性差は、生殖腺から分泌されるアンドロゲンによって生じる。中枢神経系は、哺乳類においては基本的には雌型に分化するが、性ステロイドに反応して分化するための臨界期が存在し、この臨界期に雄では精巣から分泌されるアンドロゲンの作用により、雄型の機能が分化することが明らかになっている。ラットではこの臨界期は周生期と呼ばれる出生前後の時期にあたり、ホルモン添加や去勢などによって臨界期の性ステロイド環境を操作することが容易である。したがって、中枢神経系の性的二型に関する多くの研究はラットを用いてなされてきた。ラットにおいて、現在までに機能的性差を制御する部位にシナプスパターン、神経核容積、構成ニューロンなど、さまざまな形態的性差が発見されている。しかし、機能的・形態的性差の形成がいかなるメカニズムによってもたらされるかについては現在まであまり研究が進展していない。それは、視索前野、視床下部、扁桃体など、ゴナドトロピン分泌調節や性行動の発現に関係する部位では、大脳新皮質や小脳皮質のように秩序だった構造をもたないため個々の細胞や細胞集団の動態を追跡することが困難なこと、その部位の発生が直接性ステロイドの影響を受けるだけでなく、神経回路網を介してほかの部位の、あるいは同一部位内での他ニューロンの性ステロイドによる影響を二次的に受ける可能性を排除することが困難であること、が個体レベルでの性分化機構の研究を困難にしているからである。神経回路網を介した他部位の影響を排除することは、細胞培養系を用いるならある程度可能であり、これまでにもToran-Allerandら(1976,1980)や、UchiboriとKawashima(1985,1985)などのグループが培養系を用いた、視床下部-視索前野ニューロンの神経突起伸展に対する性ステロイドの影響を報告している。本研究の目的は、培養系を用いて視床下部-視索前野ニューロンに対する性ステロイドの直接作用を血清の影響を除いた状態で見ることである。

第1部新生ラット視床下部-視索前野由来ニューロンの無血清培地における生残を改善する試み

 新生ラット視床下部-視索前野細胞に対する無血清培養系の確立を試みた。神経系細胞の培養には通常高濃度の牛胎児血清が培地添加物として用いられてきた。しかし、この血清を添加した培地中では非神経細胞の増殖が非常に盛んであり、しばしば非増殖性の細胞であるニューロンの生残を著しく阻害することが知られている。本研究でも15%の牛胎児血清を含む培地では非神経細胞の増殖にともなって視床下部-視索前野ニューロン数は顕著に低下するのに対して、細胞分裂阻害剤であるcytosine arabinoside(AraC)を添加して非神経細胞の増殖を抑制した場合は、ニューロン数は長期間にわたり培養3日目のレベルを維持することが確認された。神経細胞に対して用いられる無血清培地中では非神経性細胞の増殖が抑制されることが知られている。また、血清中には様々なホルモンや成長因子が含まれており、これらの含有量が血清種やロットによって一定していない。そこで、非神経性細胞の増殖を抑制すること、血清中の微量成分の影響を排除すること、の2つの目的で無血清培地での培養を試みた。無血清培地には、BottensteinとSato(1979)が確立したN2と呼ばれる添加物から、性ステロイド成分であるプロゲステロンを除いたものを用いた。初期生着細胞数が非常に少なくなるために培養系を完全に無血清化することは不可能であった。ウシ血清アルブミンの添加や培養基質への血清のコーティングによって初期細胞定着はいくらか改善されたことから、培養初期における細胞を蛋白質分解酵素から保護する因子や細胞の基質への接着性を高める因子の必要性が示唆された。培養期間の最初の2日間を血清含有培地で培養した場合、視床下部-視索前野細胞では無血清培地で長期間培養が可能であり、神経細胞数もかなり高い値で維持されることがわかった。大脳新皮質細胞は同様の系で最初の1週間は良好に培養できたが、その後かなり速い速度で神経細胞死が起こることが観察された。神経細胞の接着を促進するためによく用いられているポリリジン・コーティングは、視床下部-視索前野細胞に対してはあまり適当ではなかった。最後に、牛胎児血清中の微量成分であり、シナプス形成の促進、グリア細胞の増殖抑制・分化促進効果が知られているハイドロコルチゾンの視床下部-視索前野細胞への影響を調べた。ハイドロコルチゾンは1010Mではニューロンの生残数を有意に増加させたが、10-7,10-8Mでは有意に減少させた。また、ハイドロコルチゾンは非神経性の基底細胞に対して著しい形態変化をもたらすこともわかった。ニューロンの生残に対しては促進作用が見られたが、非神経細胞に対して大きな変化をもたらすため、培地へのハイドロコルチゾンの添加は以後の実験では行わないことにした。

第2部ラット視索前野ニューロンの培養:性ステロイドの影響

 視索前野ニューロンの生残、突起生長に対する性ステロイドの影響を調べた。ラットの視索前野では、2種類の容積において性的二型を示す神経核の存在が知られている。視索前野性的二型核(SDN-POA)は、雄が雌の数倍の核容積をもつ(Gorskiら,1978)。また、前腹側脳室周囲核(AVPvN)は、SDN-POAとは逆に、雌が雄の約2倍の核容積を有することが知られている(Bleierら,1982)。これらの容積差は神経核を構成するニューロン数の差や、ニューロンの突起展開の差が、臨界期におけるアンドロゲンの影響によって生じることに起因するものと考えられている。1nMテストステロン(T)の培地への添加はニューロンの生残数をおよそ1.5倍に増加させた。しかし、エストラジオール-17(E2)や5-ジヒドロテストステロン(DHT)の添加はニューロンの生残に対して有意な変化をもたらさなかった。また、同濃度のTはニューロンの総突起長の分布パターンを有意に変化させた。総突起長が250m以上のニューロン数と、50m以下のニューロン数の増加が見られた。1nMのTは神経突起の分枝数も有意に増加させた。突起分枝数の増加は0.1nMDHTでもみられた。これらの結果は、視索前野に見られる神経核容積の差がTの直接作用によるニューロン生残数の増加、神経突起生長の促進によって生じることを示唆している。一般にTは臨界期のラット脳内では芳香化酵素によってE2に転換された後に作用するのではないかと考えられている。しかし、本研究ではE2による生残促進効果や、突起伸長促進効果は見られなかった。このことは、Tの効果が単にE2への転換のみによって生じているのではないことを示唆している。

第3部新生ラット由来の視床下部および視索前野培養細胞におけるドーパミンニューロンに対する性ステロイドの影響

 視索前野、視床下部培養系において培地中や細胞中に含まれるドーパミン量に対する、培養2日目から5日目までの3日間一過性に添加したTおよびE2の影響を調べた。視索前野ではドーパミンニューロン数に、視床下部ではドーパミンの回転率にそれぞれ性差が存在し、視索前野のAVPvNでは雌が雄の2-3倍のドーパミンニューロンを有することが(Simerlyら,1985)、視床下部の正中隆起ではドーパミンの回転率が雄よりも雌の方が高いことが報告されている(Demarestら,1981)。これらの性的二型性は、他の性的二型と同様に、臨界期にアンドロゲンの影響下で生じることが確認されている。一過性の投与は測定時における性ステロイドの作用を除外する目的と、臨界期におけるアンドロゲンレベルの上昇を培養系で再現する目的で行った。一遇性に添加したT,E2ともに、視索前野培養系の培地中および細胞中のドーパミン量に対して有意な差をもたらさなかった。一方、視床下部培養系では、Tよって培養細胞中のドーパミン量が培養14日目において2倍以上に増加し、T,E2によって培地中のドーパミン量は著しく増加していた。Tによる細胞中ドーパミン量の有意な増加は培養30日後にも観察された。これらの結果は、視索前野ドーパミンニューロンは性ステロイドの直接的影響を受けないのに対して、視床下部ドーパミンニューロンではTないしはE2の影響下で持続性の活性上昇が生じることを示している。視床下部ドーパミンニューロンが、培養系においては少なくとも性ステロイドの直接作用下で持続性の変化を生じることが明らかにされた。この培養系を用いて得た結果が、成体でのドーパミンニューロンの性差を反映するものであるかについてはさらなる研究が必要である。

 以上本研究の結果、Tが培養系における新生ラット視索前野ニューロンの生残および突起生長に対して促進的な作用をもち、TおよびE2が、視床下部ドーパミンニューロンの活性に持続性の促進作用をもつことを示すことができた。これらのいずれにおいてもTがE2よりも有効に作用していることから、Tの効果が単にE2への転換によってのみもたらされているのではないことを示唆している。これらの性ステロイドの直接作用は視索前野や視床下部の性分化への関与を明瞭に示している。

審査要旨

 本論文は3部からなり、第1部は新生ラット視床下部-視索前野細胞に対する無血清初代培養系の確立、第2部は第1部において確立された培養系を用いて培養した視索前野ニューロンの生残数、神経突起生長に対する性ステロイドの影響、第3部は視床下部および視索前野培養細胞における、細胞と培地中のドーパミン含有量に対する性ステロイドの影響を調べている。哺乳類中枢神経系には様々な機能的・形態的性差の存在が報告されており、その形成に際して臨界期での性ステロイド環境が重要な役割を果たしていることが明らかになっている。しかし、その形成機構についてはあまり研究が進んでいない。本論文において論文提出者は、新生ラットの視床下部・視索前野を培養し、培養系におけるニューロンに対する性ステロイドの影響を、すでにラットにおいて性的二型が報告されているパラメータ,ニューロンの生残数,神経突起生長,ドーパミンニューロン活性を指標にして調べることを目的としている。

<第1部>新生ラット視床下部-視索前野由来ニューロンの無血清培地における生残を改善する試み

 第1部で論文提出者は新生ラット視床下部-視索前野初代培養の無血清化を試みている。その結果、全培養期間を無血清化することは不可能であったが、培養はじめの2日間を従来の血清含有培地で前培養することで、視床下部-視索前野細胞を高いニューロン生残数を保ったまま長期にわたって培養できることを明らかにした。また、このとき用いられた無血清培地はステロイド成分を含まないので、これらの部位のニューロンに対する性ステロイドの影響を調べる際の基礎培地に適している。

<第2部>ラット視索前野ニューロンの培養:性ステロイドの影響

 新生ラット視索前野ニューロンの生残、神経突起生長に対する性ステロイドの影響が調べられた。その結果、1nMのテストステロンがニューロンの生残数を有意に上昇させることがわかった。また、同濃度のテストステロンによって長突起長(250m)および短突起長(<50m)のニューロンの割合が増し、神経突起の分枝数も有意に増加した。エストラジオール-17はこれらパラメータに対して有意な変化は起こさなかった。5-ジヒドロテストステロンは0.1nMで神経突起の分枝数を有意に増加させた。これらの結果は視索前野に見られる神経核容積の性差が、アンドロゲンの直接作用によるニューロン数の増加と神経突起生長の増加に起因するものであることを示唆している。

<第3部>新生ラット由来の視床下部および視索前野培養細胞におけるドーパミンユーロンに対する性ステロイドの影響

 第3部では、視床下部,視索前野のドーパミンニューロンに対するテストステロン,エストラジオール-17の影響が調べられた。培養初期の3日間だけ添加されたテストステロンは視床下部培養系において、培養14日目の細胞中のドーパミン量を有意に増加させ、培地中のドーパミン量を著しく増加させた。また、エストラジオール-17も培地中のドーパミン量を著しく増加させた。これらの結果は、テストステロンやエストラジオール-17が視床下部のドーパミンニューロンに対して長期にわたる影響を与えたことを示している。視索前野培養系においてはいずれのステロイドも有意な変化をもたらさなかった。これら二領域のドーパミンニューロンはラットではいずれも性的二型を示すことが知られているが、第3部の結果は視床下部ドーパミンニューロンの性的二型は性ステロイドの直接作用であるのに対して、模索前野ドーパミンニューロンの性的二型は性ステロイドの直接作用で生じるのではないことを示唆している。

 以上のように、本研究は、培養系において生体内での性的二型を反映すると考えられるパラメータに対して性ステロイド、ことにテストステロンが強い影響を示すことを明らかにした。また,生体内で性ステロイドの影響下で生じるとされている性差の中には、性ステロイドの直接的影響を受けないものもあることが示唆された。これらの成果は中枢神経系の性分化機構を解明していく上での重要な知見であり、生物科学、特に神経内分泌学の進歩に貢献するものと評価される。

 なお、これら3部の研究はいずれも川島誠一郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、本論文提出者は、博士(理学)の学位を授与できると審査委員全員一致して認めるものである。

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