本論文は3部からなり、第1部は新生ラット視床下部-視索前野細胞に対する無血清初代培養系の確立、第2部は第1部において確立された培養系を用いて培養した視索前野ニューロンの生残数、神経突起生長に対する性ステロイドの影響、第3部は視床下部および視索前野培養細胞における、細胞と培地中のドーパミン含有量に対する性ステロイドの影響を調べている。哺乳類中枢神経系には様々な機能的・形態的性差の存在が報告されており、その形成に際して臨界期での性ステロイド環境が重要な役割を果たしていることが明らかになっている。しかし、その形成機構についてはあまり研究が進んでいない。本論文において論文提出者は、新生ラットの視床下部・視索前野を培養し、培養系におけるニューロンに対する性ステロイドの影響を、すでにラットにおいて性的二型が報告されているパラメータ,ニューロンの生残数,神経突起生長,ドーパミンニューロン活性を指標にして調べることを目的としている。 <第1部>新生ラット視床下部-視索前野由来ニューロンの無血清培地における生残を改善する試み 第1部で論文提出者は新生ラット視床下部-視索前野初代培養の無血清化を試みている。その結果、全培養期間を無血清化することは不可能であったが、培養はじめの2日間を従来の血清含有培地で前培養することで、視床下部-視索前野細胞を高いニューロン生残数を保ったまま長期にわたって培養できることを明らかにした。また、このとき用いられた無血清培地はステロイド成分を含まないので、これらの部位のニューロンに対する性ステロイドの影響を調べる際の基礎培地に適している。 <第2部>ラット視索前野ニューロンの培養:性ステロイドの影響 新生ラット視索前野ニューロンの生残、神経突起生長に対する性ステロイドの影響が調べられた。その結果、1nMのテストステロンがニューロンの生残数を有意に上昇させることがわかった。また、同濃度のテストステロンによって長突起長(250m)および短突起長(<50m)のニューロンの割合が増し、神経突起の分枝数も有意に増加した。エストラジオール-17はこれらパラメータに対して有意な変化は起こさなかった。5-ジヒドロテストステロンは0.1nMで神経突起の分枝数を有意に増加させた。これらの結果は視索前野に見られる神経核容積の性差が、アンドロゲンの直接作用によるニューロン数の増加と神経突起生長の増加に起因するものであることを示唆している。 <第3部>新生ラット由来の視床下部および視索前野培養細胞におけるドーパミンユーロンに対する性ステロイドの影響 第3部では、視床下部,視索前野のドーパミンニューロンに対するテストステロン,エストラジオール-17の影響が調べられた。培養初期の3日間だけ添加されたテストステロンは視床下部培養系において、培養14日目の細胞中のドーパミン量を有意に増加させ、培地中のドーパミン量を著しく増加させた。また、エストラジオール-17も培地中のドーパミン量を著しく増加させた。これらの結果は、テストステロンやエストラジオール-17が視床下部のドーパミンニューロンに対して長期にわたる影響を与えたことを示している。視索前野培養系においてはいずれのステロイドも有意な変化をもたらさなかった。これら二領域のドーパミンニューロンはラットではいずれも性的二型を示すことが知られているが、第3部の結果は視床下部ドーパミンニューロンの性的二型は性ステロイドの直接作用であるのに対して、模索前野ドーパミンニューロンの性的二型は性ステロイドの直接作用で生じるのではないことを示唆している。 以上のように、本研究は、培養系において生体内での性的二型を反映すると考えられるパラメータに対して性ステロイド、ことにテストステロンが強い影響を示すことを明らかにした。また,生体内で性ステロイドの影響下で生じるとされている性差の中には、性ステロイドの直接的影響を受けないものもあることが示唆された。これらの成果は中枢神経系の性分化機構を解明していく上での重要な知見であり、生物科学、特に神経内分泌学の進歩に貢献するものと評価される。 なお、これら3部の研究はいずれも川島誠一郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、本論文提出者は、博士(理学)の学位を授与できると審査委員全員一致して認めるものである。 |