学位論文要旨



No 110764
著者(漢字) 森山,工
著者(英字)
著者(カナ) モリヤマ,タクミ
標題(和) マダガスカル・シハナカにおける墓と社会関係の諸相 : 情緒・ことば・実践
標題(洋)
報告番号 110764
報告番号 甲10764
学位授与日 1994.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第40号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 蓮實,重彦
 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 助教授 山下,晋司
内容要旨

 本論文は、中央マダガスカル北東部のシハナカ(Sihanaka)と呼ばれる人々について、その民族誌の呈示を目的とするものである。シハナカの人々が居住する地はアラウチャ(Alaotra)という湖を中心とした地域である。現在のこの地には、在来のシハナカのほかに、国内の他地域から移入し、自らもシハナカを名乗るに至った外来のシハナカが存在するが、本論文が主たる対象とするのは在来のシハナカである。論述の主題は、彼らの社会生活に占める墓の意義と、墓を媒介として彼らが有する祖先とのかかわり、および彼ら相互のあいだでの社会関係のあり方にある。

 社会関係を語るうえで、従来の社会=文化人類学は親族集団の記述にその焦点を当て、そこにおいてとりわけ出自の概念に重要性を賦与してきた。このことはマダガスカル諸社会の研究においても例外ではない。シハナカの社会関係を論ずるうえで、わたしも出自という概念を導入するが、この出自の概念は個人と親族集団とのかかわりを規定するものとしてのそれではない。シハナカについては、集団論の枠組みを自明の前提とすることはできないのだ。出自の概念によってわたしが問題とするのは、個人と墓とのつながりである。つまり、個人は出自によって結びついた墓に、死後葬られる権利(被埋葬権)を得るということである。

 このように出自という概念の用い方を規定したうえで述べるならば、シハナカの出自の特徴は、一人の個人が父からも母からも等しく出自をたどるということに存する。これによって、個人は父母の双方を介して複数の墓への被埋葬権を獲得することになる。実際、こうした複数の墓のうちから特定のただ一つを選別し、そこに葬られねばならないとか、葬られることが好ましい、とする規範は存在しない。むしろ強調されることは、個人はそのどれに葬られても構わないということなのである。

 シハナカの墓は個人墓ではなく集合墓であり、それぞれに固有名を有している。元来は土を掘ったなかに次々と遺体を埋め入れる土墓の形式をとっていたが、近年これは石造りの墓にとってかわられつつある。墓は村落ごとに存在し、一つの村落には複数の墓があることが普通である。

 ある一つの墓に被埋葬権をもちあう人々は祖先をともにすると認識されているが、だからといって特定の墓に被埋葬権をもつすべての人々が一個の集団を構成するわけではない。一つの墓に被埋葬権をもちあう人々は複数の村落に分散しており、また彼らが協同して活動する機会も日常的には存在しない。一つの墓とのつながりを共有する人々という範疇は存在するとはいえ、その彼らが集団を構成するわけではないのである。

 それにもかかわらず興味深いことは、シハナカの墓が村落において特定の村落内区画と対応していることである。たとえば、村落に五つの墓があれば、そのそれぞれに対応するものとして村落空間が五つの領域(「祖先の敷地」)に区分されている。一つの祖先の敷地に居住する人々(婚入者は除く)は、少なくとも対応する墓へは被埋葬権を有しており、さらに対応する墓の祖先に由来する特定の禁忌(「祖先の禁忌」)を日常的に遵守している。一つの墓に被埋葬権をもちあう人々が全体としては複数の村落に分散しているとはいえ、その墓に対応した祖先の敷地に現に居住するこの人々は一個の集団を形成するのではないだろうか。

 だが、個人の生死を超えて永続し、外部に対しては単一の集合的な主体として振舞う社会的な実体として集団を解する限り、この人々は集団を構成するものではない。個々人が帰属する場所として意義をもつのはこの意味での集団ではなく、それぞれに消長の過程にある個別の世帯である。彼らの社会生活は、永続的な集団の凝集力よりも個別の世帯の自律性に依拠しているといえる。また、現にシハナカにおいて集団が組織されることはあるにしても、それは特定の機会に当たって、特定の機能を果たすべくアド・ホックに動員される集団(action group)なのである。

 個人の社会生活の視点からみれば、その個人は誕生において世帯の一つに生まれ落ち、そこにおいて成長する。そして、その世帯が存在する祖先の敷地の禁忌を遵守する。いうまでもなく、個人がどの村落の、どの祖先の敷地の世帯に生まれるかを決定するものは、その個人の両親が結婚したときの居住のあり方である。つまり個人の居住は、上位の各世代における婚姻のなされ方の通世代的な累積の結果として一つに定まるものである。シハナカでは、夫方から妻方へ贈られる婚資の多寡に応じて四つの型の婚姻が制度化されているが、三つは夫方居住婚であり、一つが妻方居住婚である。このため、妻方居住婚によって誕生した個人が母方の世帯で育ち、母方の祖先の禁忌にしたがう場合もまれではないとはいえ、あくまでも選好される婚姻の形態は夫方居住婚である。したがって、父方の世帯に個人が育ち、父方の禁忌を受け継ぐことが好ましいとされる。彼らの言い回しによれば、「父方が母方よりも強い」のであるが、注目すべきことは、世帯の形成と運営を語る彼らのイディオムにおいて、父方と母方とのあいだに非対称性が設定されていることである。

 これに対して、個人と墓とのつながりに関しては、母方に対する父方の優位というような非対称性を云々する余地はない。出自の論理は個人と墓とのつながりの外枠を規定し、出自によって個人が埋葬されうる墓とそうでない墓との境界を明確にするものの、この外枠の範囲内においては、出自の論理は唯一の何ものをも特定しないのだ。

 このため、この出自の論理は現実の適用において困難に出会わざるをえない。まずこの論理は、個人を起点として双方的に世代を無限に遡ることで、原理上無数の墓に個人を結びつける。それゆえ、この論理からは「個人はこれらのすべての墓に被埋葬権をもつ」と単純にいいうるような「すべての墓」の外延が決定されない。さらに個人の現実の死に当たって、この論理はその死者を埋葬すべきただ一つの墓を選別しない。

 ところが、実際には彼らはある限られた数の墓が自分の埋葬されうる墓の「すべて」であるとみなしている。また、死者を現に埋葬する墓は一つでしかない。それゆえ問題は、潜在野からある限られた領域が切り取られる仕組みにこそあり、また限られたこの領域から最終的なただ一つが選択される仕組みにこそあるのである。この仕組みが出自の論理それ自体からでてこないとすれば、それはどこからでてくるのだろうか。

 シハナカの人々によれば、個人がつながりをもつ墓は原理上無数であるのだが、記憶の限界によって忘却される墓が生じ、そこに限定が課されるという。だが、出自の論理からは、記憶にとどめるべき墓と忘失してもよい墓との弁別さえもがなされえないはずなのだ。

 墓に関する彼らの記憶は、彼らが自己を起点として父方・母方の双方の上位世代について有する系譜的な知識の濃淡と関連する。そして、この系譜的な知識の偏りを生む要因は、個人の居住の場所である。つまり個人は、自分と同じ祖先の敷地や同じ村落に居住してきた祖先について相対的に詳しい知識を有しており、それらの祖先を介して自身がつながりを有する墓についても詳しい。個人が墓とのつながりを認識するうえで所与となるものは、父親が被埋葬権を有する墓と、母親が被埋葬権を有する墓の、それ自体限られた数の墓のストックであるのだが、個人は父母それぞれのこの墓のストックから、自己を起点とした関係のあり方の濃淡に応じて、それらの一部を単に受け継ぐことなく、自身の墓のストックを構成するのである。原理上無数の墓へと個人を結びつける出自の論理は、個人の現実的な関係の実践において制約を課されるのだ。

 しかし、こうしてある限定された数の墓が特定されたとしても、出自の論理によってそのそれぞれは個人にとって重みが等しいとされる。だが、個人の死に際しては、死者を葬るただ一つの墓を選ばなければならない。では、死者を埋葬する唯一の墓はいかに特定されるのだろうか。

 それは、特定の親族に対する、あるいは特定の居住の場所に対する、当人の情緒的な価値づけのあり方にかんがみてである。彼らはそう語る。たとえば、「わたしは親族の誰々ととりわけ親しかったから、誰々が埋葬されている墓に入りたい」とか、「この祖先の敷地が長年住み慣れてきた場所だから、この祖先の敷地の墓に入りたい」といった具合である。

 しかし、個人を埋葬すべき墓の選択について彼らが言及するこうした情緒的な価値づけが、純粋に情緒的でしかないものに基礎づけられていると考えねばならないわけではない。情緒に言及する語りで示唆されていることは、当人がその個別の生活史において特定の親族とのあいだに独特の社会関係を培ってきたということであり、あるいは特定の居住の場所を定点として社会関係を実践してきたということである。したがって、すべての墓との同等のつながりを規定する出自の論理は、個人の特個的な関係の実践において再び制約を課されることになるわけなのだ。

 このように出自の論理は、個人の関係の実践からの制約を二重に課されることで、潜在から顕在へ、無限から唯一へ、「開かれたもの」から「閉じられたもの」へと、その具体性を高めつつ現象する。だが、死者の埋葬の直前になされる「入らざる墓への禁忌祓い」の儀式は、個人を埋葬すべき唯一の墓が事実として選択されたとしても、この選択が複数の出自の系からある単一の系を選択するものではないことを示している。そこで目指されていることは、唯一を指示しえない出自の論理と、唯一を指示せざるをえない実践とのあいだの溝を解消し、実践からの制約にもかかわらず、出自の論理をすくい上げることにほかならないのである。

審査要旨

 本論文は、マダガスカル島中央部の北東に居住するシハナカと呼ばれる人々についての民族誌である。シハナカ社会は墓を媒介とした人間関係、集団によって構成されている。本論文の主題は、その墓が彼らの生活に占める意義と、それを通じての祖先との関係、そして特定の墓と祖先が人々の間に作る関係を明らかにすることである。その主題の下に展開される議論の中心は、出自の論理によって自分の入る墓として複数の墓の権利が与えられるのに対し、実際はその内の一つの墓が選ばれる過程をつまびらかにし、規範と実践の間の「情緒」をふくむ人間的行為の発現の様相を明らかにするところにある。

 論文全体は、序論から始まり、八章に分かれ、終章で締めくくられる。巻末に、シハナカ方言の言語学的多様性に関する補遺、文献表、写真が加えられている。

 序論「わたしは誰について語るのか」では、「シハナカ」という人々を研究の対象として設定する際の、仮構性と客観性についての考察が行なわれる。ここの議論は、近年の人類学内部のエスニシテイ論、そして民族誌的記述の「妥当性」をめぐるややこしい論議などの延長にある。しかしそれ以上に、著者がのちに展開する、「シハナカであること」が客観的条件によって決定されるのでなく、自分の墓をこの土地に持とうとするプロセスの中で作られていく、という主張に関連することで重要な始まりとなっている。

 第一章「シハナカの地、シハナカの民」では、この地の自然環境とこの人々の生業が読者に伝えられる。ついで、人々が自らをシハナカと名乗り、またそう名指される根拠を彼らの語りの内に探る中で、丘と沼辺の対立、そして墓をこの地に持つことの意味が浮き彫りにされる。第二章「集団と範疇、そして墓」では、人類学内部に特殊化されて蓄積された親族論から出発する。しかし著者は、その上で、これまでシハナカの出自を論じたものが陥った、既知の分類体系のどこかにシハナカの例をあてはめようとする試みの不毛さを指摘し、まずは規範によってその性格が明確にされている出自としてではなく、墓と個人のつながりを語るものとして出自という概念を要請する、という自らの立場を明示する。

 第三章「歴史のただなかの墓」は、シハナカの葬制に関する民族誌の歴史的復元と、現在の形態の記述である。前者は他の民族誌の資料と現在の彼らの記憶をもとにして行なわれ、後者は自身の調査の資料を基礎としている。これらの資料から、シハナカのある個人には、遠い「大祖先」を共にする人々という潜在的な大カテゴリーと、近い「祖先」を共にする人々という顕在的なカテゴリーの二つがあることが示される。第四章「禁忌・居住・婚姻」では、人々が生活の中に持つ食事や労働の禁忌という義務が、どこに居住するか、どの人々とどのような婚姻関係を持っているかという複数の要素によって決まるメカニズムの骨組みが明らかにされる。そしてそのメカニズムの内実として、「どのような」婚姻関係であるかが婚資の支払の形態によって異なってくることの、詳細な記述を行っている。第五章「個による祖先との対峙」はさらにそれを受けて、ある個人を例にとり、誕生によってある世帯に生まれ落ちることで祖先から伝わる義務としての禁忌が規範的に決定されることと、それにもかかわらず個人がある特定の祖先につながる墓を選好する権利を持つこと、の二つのあいだの溝が、本論文の論ずべき最大の対象であることが示される。

 第六章「墓・出自・系譜」では記憶の問題が取り上げられる。個人の水準を離れた社会的規範として機能する出自が、個人の記憶の中である場合は忘れられ、ある場合は偏った形で保たれる。その忘却と保持の違いを作るものは、彼らが自己を基点として父方、母方にさかのぼるときの系譜的知識の濃淡である。その濃淡は第七章「死霊と祖先のあいだ」の、「III、祖先の過程論」で示されるように、死霊から祖先への没個性化という過程による、特定の死者の一般的な祖先への解消としての忘却によっても作られる。しかしより決定的で、このマダガスカルのシハナカにおいて特徴的なことは、墓に入る当人がある特定の親族と特定の居住の場所に対して持つ情緒的な価値付けが、ある墓を選びとらせ、そのことがもはや没個性化したはずの祖先との間に新たな特定の出自関係を生み出すことである。

 第八章「情緒・ことば・実践」と終章「祖先の肖像」では以上のことを受けて、出自の論理と情緒的実践のあいだに特定の墓が選ばれる事情について論じられる。ここでは情緒は気まぐれとは違い、個人の生活史の中でさまざまな親族とのあいだに培ってきた関係の束によって強化されたものである。出自の論理は、他の多くの社会におけるがごとく人を生得的に一律に制約するものではなく、むしろこのような個人の関係の実践から逆に制限されるのである。しかしながら、ここで結論として示されたのは、複数の選択肢のあいだに何事かを決定する行為の仕組みではなく、「唯一を指示しえない出自の論理と、唯一を指示せざるをえない実践とのあいだの溝を解消し、実践からの制約にもかかわらず、出自の論理をすくい上げること」と著者が言うように、シハナカを持続させる社会の構造と、彼らの実践を保証するような生活の場との双方を保つための、シハナカ社会の構成原理なのである。

 本論文の文化人類学に対する貢献は次の二点に集約できる。第一点は、すでに述べたように、著者が、シハナカ個別の事例により、社会的個人の行為が規範の中でいかに決定されるかという問題を、従来の出自決定論や相互行為論とは一線を画す手法で解明したことである。ことに、情緒という、学問的な論理に乗りにくい、または議論をあやふやなものにしかねない危険な要素を、その社会的な価値付けの重要性に鑑み、避けること無く対象とし、一般的な理論を提出するのではなく、そのメカニズムを描いて提示して見せたことは貴重である。第二の貢献は民族誌の作成である。本論文は一年と八ヶ月におよぶ長期のフィールドワークによって収集された資料に基づいている。その資料はフランス語はもとより、著者の卓抜した語学能力と努力によるマダガスカル語とシハナカ語の練達によって、現地の人々の生の語りを多くふくんだ特徴的なものである。それを生かすべく著者は、第一人称の語りを巧みに取り入れ、発話者すなわちシハナカ社会の行為者の視点を得ることに成功した。この点でマダガスカル研究と、人類学の民族誌の蓄積に重要な仕事となった。また、人類学者の間では、「自分の民族誌は読めるが、他人のを読み切るのには大変な忍耐力がいる」ということは秘かな常識となっているが、本論文はそれに反して、苦痛なく民族誌的「細部」をも読み通すことが出来たという発言が審査の席上であったように、文章に稀な美質がそなわっている。

 一方その記述の手法によって、この社会の日常をとりまく近代的状況の細部についての理解が犠牲にされた点、他の社会との比較が充分とはいえない点などが指摘されたが、本論文の価値を大きく損なうものではなかった。

 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。従って、審査員一同は、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与されるに充分な資格があるものと認める。

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