学位論文要旨



No 110765
著者(漢字) 秦,兆雄
著者(英字)
著者(カナ) シン,チョウユウ
標題(和) 中国湖北省の一農村の社会変化 : 1949年〜1993年
標題(洋)
報告番号 110765
報告番号 甲10765
学位授与日 1994.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第41号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 大貫,良夫
 東京大学 教授 末成,道男
 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 助教授 山下,晋司
内容要旨

 本論文は第一回が1989年2月から12月、第二回が1991年7月から10月、そして第三回が1993年6月から9月までの三回にわたり、中国湖北省の一農村・秦家寨で行なったフィールド調査から得たデータに基づいて書かれた現代中国の社会変化に関する文化人類学的な記述・分析である。研究の目的は主に1949年10月に中華人民共和国が成立して以来1993年9月現在に至るまでの期間に、村落の社会構造が社会主義近代化の過程でいかに変化し、または変化しなかったのかを究明する試みにある。

 本論文の特徴は以下のようである。(1)本論文は一人の中国人研究者が自分の出身農村地域の社会変化に関する民族誌を提供したものである。(2)湖北省の農村地域に関する文化人類学的調査研究が従来行なわれていなかったので、本論文はこの地域に関する初めての民族誌である。(3)本論文は一つの農民社会・文化に関する微視的研究の試みであるが、筆者は秦家寨の社会構造と文化変化を巨視的な視点からも考察した。(4)本論文では社会主義近代化の過程に秦家寨及びその周辺地域で起きた社会・文化変化の全体像を描き出すために、国家政策、村落形態、家族構造、宗族組織、婚姻形態、人生儀礼、経済関係、政治組織及びそれらの変化形態という諸側面から総合的に記述・考察している、

 本論文は主に三部から構成されている。即ち、

 第一部は二つの章から構成されている。第一章では主に中華人民共和国が成立して以来、共産党政府が農村部で実施してきた土地改革、農業合作化、人民公社化、文化大革命、農村経済改革など一連の社会主義的な近代化政策及びその歴史的な背景について基本的なものに限って概観した。第二章では主に秦家寨を囲む自然地理、行政区分、市場圏及び村落形態の概況について考察した。

 第二部は四つの章から構成されている。第一章では宗族組織及びその変化について、第二章では家族構造及びその変化について、第三章では婚姻形態及びその変化について、第四章では人生儀礼とその変化について考察した。

 このように、第二部では秦家寨を中心にして社会組織と儀礼を分析したが、第三部では秦家寨を越えた地域的な経済形態と政治組織を考察した。第三部は二つの章から構成されている。第一章では経済形態及びその変化について、第二章は政治組織及びその変化について考察した。

 論文全体を通して、以下の結論を導き出すことができる。

 まず、伝統的な村落の社会構造について以下のことが言える。

 (1)村落の特徴:秦家寨は一つの城壁によって囲まれ、その中に秦姓と張姓という二つの宗族集団が空間的に離れて居住している。但し、秦家寨周辺の全ての村落では一つの宗族のみが居住している。

 (2)村人の活動範囲:秦家寨は決して一つの自給自足的、閉鎖的な農村ではない。村人の社会的、経済的、政治的な活動は村落自体を越えており、スキナーの指摘するように、羅店街を中心とした標準市場圏にある。

 (3)宗族組織:調査地の事例から見れば、華中の農村では伝統的な宗族組織も発達しているが、その発達度は華南と華北の中間にある。東南中国で見られたように、外部に対して、宗族は一つの集団としてまとめられ、宗族間には社会的、政治的、経済的な利益のために械闘や争いが行なわれた。また、宗族内部では系譜的には陳其南が指摘するように、「房」の原理に基づいて機械的に分節していくが、機能的にはフリードマンが指摘するように「房」と「房」の間には社会的、政治的、経済的な面で非対称的な分化が見られる。

 (4)家族構造:フリードマンや中根が指摘するように、伝統的な家族形態は合同家族であり、その割合は比較的に少ないが、理想とされるものであった。また、家族はそれ自体社会的、経済的、心理的に解体分裂していく性質をもっている。「分家」のプロセスには均分相続の原則があるが、既婚の息子はもらう分が少なく、それ以外の未婚の息子がより多くもらう場合もあるなど、現実としてなかなかうまく行かない。

 (5)婚姻形態:婚姻は親の取り決めと出生日に基づいて男女の相性が決定されるという「八字」と呼ばれる宗教的な信仰によって成り立つ。通婚には「同姓不婚」の原則があり、しかも通婚可能な「親戚」の中で異なる世代間の通婚が禁止されている。婚姻によって結ばれた「親戚」はキンドレッドと類似する社会関係である。

 (6)人生儀礼:人生儀礼、特に出産儀礼と葬式儀礼は盛大に行なわれ、「伝宗接代」という家系を継承する父系出自の観念と密接に関わっている。土葬は理想であり、祖先崇拝はその観念を強化する儀礼活動である。

 (7)経済関係:土地所有による貧富の差が存在していたが、それは必ずしも裕福な人々が貧しい人々を搾取した結果であるとは限らない。勤勉さ、知恵、病気や旱魃或いは洪水などの自然災害及び「均分相続」制度自体も貧富の差をもたらした。

 (8)政治組織:「保甲制度」はいくつかの村落を政治的に組織、管理した。

 ところが、このような伝統的な村落社会構造・伝統文化は革命以後、この四十数年の間に大きく変化してきた。その変化について以下のことが言える。

 (1)村落形態:伝統的な村落形態は次第に消滅しつつある。

 (2)村人の活動範囲:人民公社時期までには、村人の活動範囲は羅店街を中心とした標準市場圏に留まっていたが、人民公社解体後経済的にはその範囲を越えている。

 (3)宗族組織:土地改革や文化大革命によって伝統的な宗族組織は一時的に大きな打撃を受けた。

 (4)家族構造:伝統的な合同家族は既に消滅し、家族内で父権が低下し、女性の地位が向上し、個人主義が台頭するなど、人間関係が大きく変わった。

 (5)婚姻形態:親の取り決めから自由恋愛による結婚へ、早婚から晩婚へ変化し、将来の嫁として幼い時期に結婚相手の家に送られるという「童養」、妾の風習はなくなり、結婚は政府の許可が必要とされるようになった。婚姻には政治的な要素も付け加えられ、「戸口制度」の実施によって「農村人口」は「都市人口」との通婚が殆ど不可能になった。

 (6)人生儀礼:人生儀礼での宗教的な要素は全体として簡素化される傾向が見られる。計画出産と火葬化政策は農民の伝統的な出産観念、土葬習慣及び経済的な利益と対立・矛盾する面もあるが、その受け止め方は階層や年令や性別などによって色々なバリエーションが見られる。

 (7)経済関係:土地改革によって農民の間に土地所有による貧富の差は少なくなった。人民公社化によって土地私有制度は廃止されたが、農民の生産意欲が低下し、農業生産を急速に発展させるという目的を達成することができなかった。人民公社解体後、農民は土地の使用権を得たことによって生産意欲が高まり、収入も多くなり、生活水準も高くなってきた。但し、農民内部での貧富の差が再び大きくなってきた。また、農民は革命以前と違って常に「戸口制度」による様々な制限を受け、色々な面で農村と都市の格差はさらに拡大した。

 (8)政治組織:「保甲制度」が廃止された代わりに村落レベルで共産党の基層組織としての党支部と、党支部の指導下に置かれる貧農協会・村民委員会が作られた。村幹部は共産党政府から与えられた政治権力をもって政治的、経済的、社会的な諸側面から村人を厳しく組織、管理し、村人の生産活動と社会生活全体に深く関与するようになった。村幹部はその権力を村人全体のために行使する場合もあれば、自分のために便宜を計る場合もある。

 これらの変化は主に国家から推進された一連の社会主義近代化政策の実施による結果であるが、村落自体の内部要因もある。また、国家政策が一貫していないので、伝統的な農民文化は革命以後一直線に変容してきたのではない。

 さらに注目すべき点は革命以後農民文化にはあまり変化しなかった部分もあることである。この点について以下のことが言える。

 (1)宗族内の「字輩」による世代の区別・上下の規範は一貫して変化しておらず、以前と同様に社会秩序を維持する機能を果たしている。また、対外的には村人は以前と同様に宗族意識を持ち、宗族間の争いが見られる。また、宗族内部には社会的、経済的、政治的な利益を巡って血縁の親疎によって争う面もあれば、団結する面もある。

 (2)「分家」のプロセスにおいての兄弟間の均分相続の原則は全く変化しておらず、また、以前と同様に現実としてはなかなかうまく行かない。

 (3)革命以前からの儒教思想と儀礼を堅持するという伝統的な家風は殆ど変化しなかった。

 (4)「同姓不婚」の原則は今でも守られ、通婚可能な「親戚」の中で異なる世代間の結婚が禁止されているという原則も守られている。

 このように、革命以後、秦家寨の社会構造は変化した部分もあれば、変化しなかった部分もある。今後伝統文化は国家の社会主義近代化政策に適応しながら変容していくと思われる。

審査要旨

 中国の漢族を対象とした文化人類学的研究は、1980年代に始まった開放政策の結果、それまで閉ざされていた中国社会における現地調査が可能になったため、近年、質、量ともに飛躍的に発展をしている。その中でも、日本や欧米の研究者とともに若手の中国人研究者が日本や欧米で学び、本国に戻って調査を行うという例が目立ってきている。本提出論文もその内の一つである。彼らは近代中国のおかれた歴史状況を反省的に捉えながら、現在の彼らの社会の変動の活力を、過剰人口、経済の停滞、都市と地方の格差などの諸問題を解決する力として導き入れる回路を模索している。そのような学問の現実への応用を強く意識しているという点でも彼らには共通するところがあり、これは世界の人類学の学界内部での応用人類学への志向性とも、軌を一にしている。

 本論文はその中でも、対象を1949年から1993年という進行する現在に限ったことに加え、調査地を自身の出身村に選んだということで、分析する対象とその結果を応用する現実とが限りなく近いという特徴を持つ。この特徴が、たとえばアマゾン流域の親族関係の分析から日本のイエ制度をとらえなおすといったたぐいの研究と異なり、分析の客観性と応用の実効性の二つが、当初より問われることとなっている。それに良く応えているか否か。本論文の審査では、通常の学問としての適切性と信用性に加え、そのことが判定されることとなった。

 論文の全体は序から始まり、続く八章が三部に分かたれ、最後に終章が考察と結論に当てられている。そのほかに資料と図表が四点、そして文献表が付されている。

 序において著者は、中国社会研究の学史的回顧とフィールドワークの状況の解説を行なう。次いで、第一部「調査地を囲む自然・文化背景」は調査地である湖北省の中央、江漢平野の北端に位置する村落、秦家寨の背景の叙述に当てられ、二章からなる。第一章「社会変化の歴史的背景』は、1949年の中華人民共和国成立以降の同政府の農村部に対する社会主義的政策の移り変わりの概説に当てられている。その政策の変化は四十年間の中国共産党内部の政争史と密接に重ね合わされるものである。それゆえにしばしば急転回を見せるその時々の農業政策の改変と、農業を支える社会単位の創設と廃止とを、著者は本論文の対象地域の小社会に与えた影響について適宜言及しながらその叙述を進めている。第一章が国家的枠組みの中の背景説明であるのに対し、第二章「調査地を囲む自然地理・行政・市場・村落の概況」は調査地の秦家寨の持つ背景を、それを取りまく自然、村落形態、行政組織、市場ネットワークの諸点に関して述べている。ここで著者は、スキナーの提出した市場モデルへの当該地域の適合性を報告するとともに、その村落形態は従来華中に関して考えられていたような散村ではなく、ある場合は城壁まで持つ境界の明確なものであることを指摘して、通説に再考を促している。また、第二部以降に強く関連する事実として、この地域では複数ではなく、単数宗族村落が優勢であることを事例を挙げて述べている。

 第二部「社会組織と儀礼」は四章からなる。第一章「宗族組織」は秦家寨の秦・宗族の歴史を、その神話的部分である秦の始皇帝よりの出自から説き始め、現在の地に至った時期から詳細に記述し、その分裂と各セグメントの成立の経緯を明らかにした。その叙述の中で著者は宗族に通常見られる「房」だけではなく、房の下位集団である小リニージとしての「自己屋的」、さらにその下位集団である兄弟達やイトコ達からなる「弟兄夥的」と呼ばれる機能集団の存在を見いだし、日常生活の場面では、そのような集団単位で宗族の理念が表現され、宗族としての集団活動が行われることを示した。また、そのような宗族組織が、人民共和国成立後四十年の社会主義化の中で、解体を余儀なくされながらも、「弟兄夥的」の単位においては宗族否定の政策からの影響をほとんど受けなかったという注目すべき事実を報告する。第二章「家族構造」では、かっての理想であった合同家族は姿を消し、直系家族と核家族のみになった事実を報告する。そして、土地私有制度の廃止と祖先祭祀活動が公に禁止された結果、分家のプロセスが短縮されて一括的に行なわれるようになった変化について述べる。また、その社会変化の中で「孝」の観念も揺らぎ、老人の扶養の体制が再確立されないまま、自殺する老人が出るに至る状況が示される。第三章「婚姻関係」では、伝統的な婚姻様式とその儀礼の記述を行なう。その上で、1949年以降の新たな階級区分、地主であったものが政治的最下層におかれ、土地を持たなかったものが上位につくという逆転した区分が、従来の経済的な差異に基づく縁組みのネットワークを社会主義体制下の政治的権力の有る無しを規準とした関係に変換してしまう様子を明らかにした。第四章「人生儀礼」では出産と死に焦点をおき、計画出産と火葬化政策のもたらしたものについて論じている。計画出産は避妊法の強制と二人以上の子を産んだものに対する罰金を伴うものであったが、この地域では抵抗も大きく、政策は目的通りには実行されなかった。火葬もまた人々の激しい反対に会い、たとえ火葬された場合でも、遺骨を棺にいれて埋葬するという方法が取られるほどで、政策が成功を収めなかったことが多数の事例によって述べられる。

 第三部「経済と政治」は二章よりなる。第一章「経済形態」は、生業形態の詳細な記述を行なったのち、1949年以前と以降の経済関係を対比的に示す。社会主義政策下の土地所有の平準化が当初農業生産を上げるが、毛沢東の進めた土地私有の廃止と人民公社化は農民の生産意欲を減退させ、生産責任制度が導入されることによって再び生産制が向上したという、中国全土にみられた過去四十年の一連の過程が、一般的にではなく秦家寨に関する厚い記述によって語られる。また都市と農村の格差が固定化されるという新たな差別が社会主義政策によって生まれたことを著者は指摘し強く批判する。第二章「政治組織」では秦家寨の政治組織の変遷が、宗族組織との関連で述べられる。宗族組織は新たな階級区分による村落内ヒエラルキーの成立と、人民公社をその最も強い形態とする社会主義的集団化の下で機能を失ったかに見えたが、最小集団である「弟兄夥的」集団の協同制は保持され、また、有力な村幹部を中心とする宗族関係に基づくグループも生まれた。

 終章の「考察と結論」で著者は、これまでの論述をまとめている。まず、伝統的な社会構成の八つの主要なポイントを取り上げ、その特質を要約し、それらを中国社会一般の中に位置づける。次いでそれらの点が、過去四十年の間にいかなる変化を受けたのかまたは受けなかったのかについて論じている。その結果についてはおおよそすでに各章の要約の中で述べたが、著者がこの時期の社会変化のうち、政治的な国家管理、家族形態の変容、の二つは中華民国期にすでに秦家寨において開始されていたとする指摘はそれが決して特殊な例ではないであろうことを含めて貴重である。

 本論文の中国社会研究、および文化人類学に対する貢献は二つ挙げられる。一つは文化人類学に対するものであり、合計1年4カ月の調査により、過去四十年にわたる小村落の、政治、経済、文化、の諸側面にわたる変化を、63の詳細なケースで克明に描写したことである。著者が自分の出身村落を調査したことは、この点においては有効に働いた。もう一つの貢献は中国社会研究に対してであり、従来その文化、社会に関して報告の少なかった湖北省の資料が提供されて、親族関係の「自己屋的」、「弟兄夥的」集団、また成人に達せずに子供を持たなかった死者が再びこの世に戻ってくるといった信仰などの興味深い事例が報告され、そして現在進行しつつある「現代化」の小村落における成功とそのゆがみが生き生きと描写されていることである。本論文が何らかの形で当該社会に貢献をすることも可能であると思われた。

 論文の構成はやや単調であり、スキナーを始めとする他の研究者の論考についての理解には異論もあった。また、ここ数年の最新の研究成果への目配りが足りない、といった指摘もなされた。しかし、全体として本論文の価値を損なうものではなく、今後の発展が期待された。

 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。従って、審査員一同は、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与されるに充分な資格があるものと認める。

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