学位論文要旨



No 110766
著者(漢字) 金,良柱
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヤンジュ
標題(和) 儀礼の動態と現代日本社会 : 四万十川流域社会における「マツリ」とその変化過程からのアプローチ
標題(洋)
報告番号 110766
報告番号 甲10766
学位授与日 1994.07.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第42号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 大貫,良夫
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 末成,道男
 東京大学 助教授 山下,晋司
内容要旨

 この論文は、1985年の5月から1988年11月まで、高知県の四万十川下流に位置している中村市下田地区水戸を中心として行われたフィールドワークに基づいた民族誌である。この民族誌の主な焦点は、日本社会の中で「マツリ」と呼ばれるものに置かれている。その中でも、特に「地域集団の儀礼としてのマツリ」を通して、現代日本の地域社会にアプローチしようと試みたものである。

 そのような試みの重要かつ大きな理由は、まず日本社会が地域集団の生存と維持にその社会組織・構成原理の優先順位をおく社会であり、その地域集団が行なう儀礼としてのマツリは、地域社会にとってとりわけ重要な意味をもつものであると認識したからである。マツリは、日本の地域社会におけるアイデンティティー確認の最大の象徴であると同時に、実際にその成員の統合機能とアイデンティティー確認の機能を果たしてきたのである。日本の地域社会への人類学的アプローチにおいて、マツリに注目したのは、まさにこのような地域社会に占めるマツリの比重と重要性のためである

 このような認識から出発し、マツリの動態を通じて地域社会の力動性をみようとする視角とその目的を達成するために、1)この民族誌における空間的な範囲、すなわち共時的枠組の設定、2)時間的な範囲=通時的枠組の設定問題、3)重点をおくべき観点の設定問題、に特に注意を払った。

 第一、地域社会における文化の動態を捉えるためには、小規模の地域社会と、フィールドワークを通じて取り扱いできる中規模の地域社会との相互作用をみる必要がある。したがって、この民族誌は、従来の人類学的地域研究における「ムラ」という小規模単位の枠組から、四万十川「流域社会」という中規模単位の枠組みまでを、その共時的枠組として設定する。それによって、日本の地域社会の現状をよりマクロな観点から、またより動態的に捉え、記述する。

 第二、地域社会における文化の動態を捉えるためには、民族誌が扱う通時間的範囲を調査時点に限定するのではなく、時間の幅をある程度もたせる必要がある。したがって、この民族誌においては、流域社会が外部の影響を受けて、前例のない急激な変化を経験し始めた第二次世界大戦後の1940年代後半から、フィールドワークが行われた1980年代後半までの、約40年間を扱う。

 第三、地域社会における文化動態の様子をみるために、四万十川流域社会の「マツリ」に焦点を当てる。特に、ここで取り上げる流域社会のマツリは、次のような側面に強調と重点をおいて考察する。1)マツリを一つの宗教儀礼として捉えるのではなく、地域社会という空間の中で展開される、地域社会の集団表象として捉えていく、2)地域空間との関係に注意を払いながら、マツリの全体的分節と統合の側面をみるのに重点をおく、3)変化の様子をみるために、まず参与観察時点で行われていたマツリの姿を充実に記述し、過去の記録と比較してみる、4)地域社会の住民多数が参加し、長年にわたって演じられてきた古いマツリ=「伝統的マツリ」だけではなく、ここ数十年来に創り出されてきた新しいマツリ=「現代的マツリ」をも取り上げる、ということである。つまり、この民族誌は四万十川「流域社会」という枠組のなかで、「伝統的マツリ」と「現代的マツリ」という二種類のマツリの動態を把握することで、日本における河川流域研究としての位置付けを試みたものである。

 以上のような問題意識と視角、そして方法論の選択を通じたアプローチの結果、次のようなことを指摘することができると思われる。

 第一に、日本の地域社会・住民にとってのマツリは、地域社会の共同意識、すなわちコミュニティーへのアイデンティティーの確認の核であり、最大の手段となっている。したがって、マツリを創り出し、断絶なくそれを維持していくこと、即ちマツリの創出と持続というものは、地域社会の持続と生存のためにとりうる最大の戦略の一つである、ということである。

 このような地域社会の生存戦略としてのマツリの創出という視角は、特に「現代的マツリ」の創出を理解するのに有効である。つまり、1980年代を通して行われた「現代的マツリ」の大量創出は、地域社会の維持と存続における危機状況と不可分の関係にあるといえる。いいかえれば、地域社会はその存続と維持のためにあらゆる戦略を駆使してきたが、その一つに「現代的マツリ」の創出がある、ということである。もともと、ある社会における新しい文化の創出というのは、その社会が直面した危機に対する文化的対応である、と把握することができる。ということは、日本社会における新しい文化の一つの様式としての「現代的マツリ」は、アイデンティティー確立を通した「地域社会の生存危機に対する文化的対応方式」という言葉で置き換えることができるのである。

 第二に、流域に生きる人々がもつ「川=自然に対する解釈の変化」をあげることができる。これは、「流域社会」という枠組をもって、日本の地域社会の把握を試みたこの民族誌が至る自然な成り行きであるといえる。流域住民にとって四万十川は、その時代時代によって変わってきた。例えば、古代以来長い間流域住民が四万十川に対してもってきた認識として、「母なる川」と「暴れ川」という言説がある。これは、自然に従う生存の時代における意味付与であったといえる。それが、自然に向かう開発の時代である産業化過程においては、その意味付与が変わってくる。つまり、開発の対象としての四万十川がそれである。しかし、外部社会から利用価値がないものとして評価された四万十川は、住民からも疎外されるようになる。ところが、1980年代に入ってから再び外部社会の評価によって、それに対する認識が変わった。「日本最後の清流」というのがそれであるが、それによって流域社会は新しい活路を見出す意味付与を始めたのである。

 「川が変わる」ということは、その時代状況の下で、人々がそれに対する考え方、すなわち自分を取り巻く自然に対する認識をかえる、ということである。つまり、川に対する認識と概念を新しく定義することによって、川は人々の中で変わっていくのである。いいかえれば、自然はその場にあるだけであるが、人々がその自然に対するシンボルを再規定していくという意味である。

 さらに、川は開発より保全の対象であり、人工より自然に近いものが価値あるものであるという認識は、20世紀末において人間が感じる生態界への危機意識と関っている問題でもある。これは、未来を指向し展望しようとする際、一番最初に現れるテーマとしてのエネルギーの問題に帰着する。つまり、川というものが、今までとは違った方式で新しく迫ってくる時代にさしかかっていること、また流域社会にとってそれに付随する意味あるいは象徴付与作用が新しく必要であるということ、なのである。四万十川に対する流域住民の認識の変化は、地域社会が新しい生存の危機に直面した時、それをどのような方式で克服するのか、この課題のために人々がどのようなシンボルを創りだしているのか、といった問いに対する一つの例を見せているといえる。

 流域社会を始めとする日本の地域社会は、自然に対する再解釈と同時に、人に対する再解釈をも試みている。川に対する認識は、社会の変化によって絶間なく変わっているのである。同時に、社会の変化によって引き起こされた川に対する認識の変更過程は-自然に対する流域住民のシンボリング過程-は、再び社会を変えていくのである。

 第三に、社会・文化というのは、静態あるいは断絶の状態にあるのではなく、動態と連続、そして相互作用と相互規定をしている、ということを指摘することができる。例えば、空時的側面からみた場合、最少枠組(水戸)と中範囲枠組(流域社会)、また中範囲枠組と最大枠組(日本社会)は、お互いに相互作用をしながら同時に相手を再規定しあっている。つまり、マクロな枠組である日本社会(国)の政治経済的構造が変わることによって、ミクロな枠組である流域社会のような地域社会の再組織は避けられないものになる。同時に、地域社会の変化は、日本社会全体の構造と方向の転換を促しているのである。

 通時的側面からみた場合の伝統(例えば、「伝統的マツリ」)と現代=(例えば、「現代的マツリ」)の関係も同じである。地域社会が変わると、マツリもその姿を変える。と同時に、マツリの変化は地域社会を再び規定するようになる。例えば、高度経済成長期におきた社会変化は、地域社会における「伝統的マツリ」の姿を変えてきた。しかし、時間の経過にともなって、地域社会はまた「伝統的マツリ」に対する再規定も行っているのである。

 以上指摘した三つに共通しているのは、「領域」(バウンダリー)の概念である、とまとめることができる。つまり、地域社会・文化の動態的側面を捉えるために、この民族誌は、「領域」をいくつかの側面から規定してみたのである。いいかえれば、伝統と現代の断絶、50年代と60年代の断絶、川(自然)と人の断絶といったものではなく、お互いは連続しているものであり、相互作用しているものとして把握することができるのである。文化・社会・人々は、一つ一つそれ自体としては規定することはできなく、その三つが互いに互いを規定し合うしかない、三すくみの状態にあるのである。

審査要旨

 本研究は、日本の地域社会の変動を祭りという儀礼の変化をとおして明らかにすることを目的として行われ、高知県の中村市周辺の事例について実施された現地調査に基づいている。本論文は、序章から終章まで8章で構成されている。

 序章では、人類学による日本社会研究における観察・記述の対象としての地域社会研究の有効性と、その共時的枠組みとしての地域の設定の在り方を検討した結果、従来の村落研究に代わるものとして、より広域の地域社会を設定する必要を指摘している。そのための現地調査としては、四万十川河口に位置する水戸という地に本拠を置いて、その背後の下田地区を中継して、この地方の中心である中村市を視野に収めた、四万十川の流域社会全体を対象とする戦略を採用している。また地域社会の変動と関連する儀礼としては、いわゆる「伝統的祭り」ばかりでなく近年創出されたものも含めた「祭り」全体を採り上げる必要性を指摘している

 第1章では、四万十川に関わる流域社会の生態学的特質と、共時的・通時的な枠組みの記述に充てられており、またこの地域における今日の中村市の中心性と、その近郊に組み込まれた下田地区、さらにその中でももっとも周縁部に位置する水戸のおかれた社会経済的状況が記述されている。

 第2章では、流域社会の主として60年代以後の社会経済史的な変化の記述と分析に充てられている。まず、調査の本拠地である水戸における社会変化について、上流及び中流地方での製炭業とその積出しと船運業などを主とした生業の変化を明らかにし、またこれらの生業と結びついた微視的な人間関係としての、船運業における「船主と船乗り」、炭焼き業における「親方と焼き子」、地引き網における「網元と曳き子」などのパトロン-クライアント関係の解体と、船主・網主・山主たちの新たな企業活動への転身の実態を明らかにしている。ついで、地域社会としての水戸の諸組織の活動に見られる住民の主体的な側面と、流域社会においてますます中心性を高めている中村への依存との、二つの相反する動向を指摘している。

 第3章では、水戸と下田における「伝統的」な神社の祭りとして、住吉神社の祭り、秋葉神社の祭り、貴船神社の祭り、水戸柱神社の祭りのそれぞれについて、「伝統的」とみなされている様式を記述したうえで、古老の記憶や文書の記録、あるいは著者自身の観察との間に差が見られること、およびその社会的な背景を明らかにしており、とりわけ「船主と船乗り関係」の消滅および青年団の衰退が指摘されている。

 第4章では、流域社会の中央を占める中村の「ハチマンサン」と呼ばれる伝統的祭りの様式とその変化を論じている。はじめにこの祭りにおける祭神の結婚モチーフの儀礼過程を詳細に記述したのち、その運営上の特質として、流域社会に広範囲におよぶ、部落を単位とした役割分担の複雑な循環体系と、費用と備品の調達にみられる交換の体系、および祭りの準備を含む諸作業における特定部落によるサービス提供の慣行を明らかにしている。主要な役割の分担は、カミノトモツキとシモノトモツキとスイシという三つの地域的集団によっており、さらにカミノトモツキは六つの地域グループの、シモノトモツキは五つの地域グループの、スイシは四つの地域グループのそれぞれ輪番によって担われており、さらにこれら地域グループの中でも2〜3の地区間で交代制がみられる。また経費と備品としては、大量の米・杭・縄・竹が四万十川およびその支流沿いの十地区の五十以上の部落に割り当てられている。著者は記録文書類と著者自身の観察との比較をとおして、流域諸部落のこうした役割分担関係に生じた変化と地域の社会経済的な変動との関連を明らかにしている。

 第五章では、この流域社会における現代的祭りとして、地域振興や観光開発とも結びついたさまざまな祭りの企画を採り上げ、そこに見られる二つの異なるベクトルを指摘している。一つは、国土開発政策と結びついた中央から地方へ向かうベクトルで、もう一つは逆に、地域再生運動に顕著な地方からのベクトルである。その上で、中村市を中心とするこの流域地域におけるこれら新しい祭りが、国土開発としての事業からしだいに後者のベクトルに転じてきた過程と、その主要な契機として清流四万十川のイメージの成立を指摘している。

 第六章では、この流域社会における「伝統的祭り」および「現代的祭り」と地域社会の変動との関連を総括している。高度経済成長の過程での「伝統的祭り」の衰退と、祭りの文化財・芸能としての保存の動きと平行して、一方では新たな「伝統」と「現代的祭り」の創出が進んでいることを指摘し、転換期の地域社会における祭りの展望を考察している。その結果、過疎化、高齢化、地域産業の空洞化、大分県モデルによる「地域づくり運動」の行き詰まり、リゾート開発の行き詰まり、地域間所得格差の拡大、という厳しい状況のもとで、観光開発と自然環境保全とが相互に矛盾しながらも共存する不透明な状況がもたらされているとし、こうした状況がむしろ住民の歴史・文化認識の面に新たな可能性を開いているとする。

 終章では結論として、伝統的なものにせよ現代的なものにせよ、祭りは地域社会の一体性と共同意識を反映するばかりでなくこれを創出するものでもあると見做し、この流域社会で「伝統的祭り」とされるものも、一条氏による支配以後に再構成されたもので、それ以前の野蛮な「遠流の地」と見做された流域社会の秩序に代わっていわゆる「京文化」に正統性を求めた新体制のもとで創出されたものであり、その意味で地域社会における歴史認識を強く反映したものであると分析している。また近年の様々な新しい祭りの創出も「地域社会の生存危機に対する文化的対応」であると見做し、その中で四万十川が新たな文化的シンボルとして再び地域の中心的な位置を占めようとしていると結論づけている。

 以上のように本研究は、社会変動と儀礼の相互作用という人類学における古典的な課題を扱いながら、現代日本の地方社会のおかれた複雑な状況を記述・分析した点で類例の少ない意欲的な試みである。本研究はまた、従来の民族誌において触れられることが少なかった、自身のフィールド・ワークの実態を示し、自身の問題意識と状況認識の展開過程を提示することによって内省的な民族誌を実践した点でも評価される。著者がフィールド・ワークで採用した、本拠地の部落から地区を経て流域社会全体を重層的に視野に収める戦略と、文書資料や伝承と自身の観察とを併用しした手法は、現代の地方社会の複雑な状況に対応する上での、共時的かつ通時的な展望に拠るものであり、この流域社会の実態を記述・分析するうえで妥当でありかつ功を奏したと評価できる。また、儀礼として「伝統的」なものばかりでなく新たに創出される多彩な祭りをも対象に据えることにより、かつ一条家や四万十川などをめぐる象徴化の過程を手掛かりとして、単なる社会変動の分析に留まらずに住民による主体的な歴史・文化認識との関連を分析した点においても、人類学における日本の地方社会研究の成果として国際的な水準に十分に達していると評価できる。一方、こうした方法論的な展望に比べて、論旨の基礎となる資料のうち「伝統的な祭り」の民族誌的記述に一部説明が不十分な箇所が見出されるのは惜しまれる。また「現代的な祭り」については現段階ではまだ民族誌的な記述が試みられていない点に不満がないでもない。しかしながら、これらが本論文全体の評価にとって致命的なものとは思われない。

 以上の評価により、審査委員会は本研究の成果が博士(学術)の学位に相応しいものと判断する。

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