大気境界層内部の熱力学的性質の変質過程は、地表面から大気への熱輸送過程で重要であるのみならず、その内部で独特の気象現象を生み出す点でも興味深い。日本付近では、その例を冬季でも夏季でも見ることができる。冬季においては、北西季節風の吹きだし時に、日本海、東シナ海上で、寒気層が海面から熱を供給されて気団変質が生じるが、その際に寒気層内部で組織な対流運動(中規模細胞状対流、MCCと略す)が発生する。また、夏季には、オホーツク海高気圧下の海洋上で寒気層が形成され、その一部が東北地方の太平洋側に南下して、初夏の低温と曇天をもたらす。この現象は「やませ」と呼ばれ、農作物に対する自然災害を生む。 このように、海洋上の寒気層の気団変質過程は、独特の気象現象を生むわけであるが、そのメカニズムは複雑で、まだ十分に解明されていない。本研究の目的は、海洋上の寒気団が海面から顕熱・潜熱を供給されて気団変質が行われる際に発生する対流のメカニズムを数値実験で調べることである。 数値モデルは、非弾性近似ブシネスク方程式を用いた2次元のモデルで、幅100km(第1部)または13km(第2部)、高度4kmまたは2kmまでの大気層を扱い、海面からの顕熱・潜熱フラックス、対流層内での雲の形成、雲頂からの放射冷却及び乾燥空気のエントレインメントを考慮する。また、定常状態の対流運動の構造を調べるため、場合によって200時間以上の長時間積分を行った. 論文は、第1部で冬季のシベリア気団の変質過程に関係した問題、第2部で夏季の「やませ」気流の気団変質過程に関係した問題を扱う。それぞれの結果は、以下のようにまとめられる. 第1部 中規模細胞状対流の維持機構 冬のシベリア高気圧の張り出し時に海洋上でよく現われるMCCにおいての大きな偏平度の細胞状対流が形成される過程を数値実験で調べた。衛星画像及びAMTEXの観測結果を見ると、寒気が南方向に進んでからはclosed cell typeの雲が見られ始め、気温が海面水温よりやや高くなることが分かる。この時期の対流層はほぼ中立あるいは弱い安定な成層を成しており、顕熱フラックスは下向きになっているにもかかわらずMCCが長時間持続する。特にこの段階のMCCの維持メカニズムに着目した。 幅100km、高さ4kmの計算領域を設定して高さ2kmに強い逆転層を設定して、すべての物理過程をいれた数値実験を行い、偏平度6程度のMCCが再現されることを確認した。次に、偏平度の大きな細胞状対流を成すメカニズムをもっと詳しく調べるために対流を駆動させる物理過程を分離して実験を行なった。その結果対流の類型は上昇域と下降域の成層状態に基づいて以下に示す4つのtypeに分類されることがわかった。 (ア)Type I:不安定な成層状態で現われる対流。本研究では顕熱フラックスのみによって駆動されている対流に当たる。偏平度が最も小さく現われる対流の類型である。 (イ)Type II:積雲対流のように上昇域は雲に覆われているが下降域には雲が覆っていない湿潤対流。大きな偏平度が最も得られやすいtypeである。 (ウ)Type III:雲頂での冷却効果が無視でき、かつ対流層全体が雲に覆われている湿潤対流。成層状態は上昇域も下降域もやや安定である。偏平度はType IとType IIとの中間位である。 (エ)Type IV:雲頂での冷却効果が対流の駆動力として重要な役割をしている湿潤対流にあたる。偏平度はType IIIに比べてやや小さい。 大陸から乾燥した寒気が海面上に吹き出すと、初めてはType Iに近い対流(顕熱フラックスが優勢な役割をしている対流)が発達するので偏平度の小さい細胞状対流が現われるが、時間の経過に伴い、Type II-IVに近い偏平度の大きな湿潤細胞状対流(潜熱が重要な役割をする対流)に発達して行くことが分かった。 つづいて、closed cell typeのMCCが現われ始めると海面温度が気温より低く、気層はやや安定な状態を保つようになる。このような状況でもMCCは長時間持続する。この段階での対流を駆動させる力はAgee(1973)等が主張したように雲頂での長波放射冷却である。しかし、湿潤対流では雲頂での冷却効果を無視された場合でも、上昇域で解放される凝結エネルギーが海洋上の細胞状湿潤対流を長時間持続させる駆動力になるメカニズムがあることが分かった。下層の空気が不飽和で、海面からの潜熱の補給がある限りその対流はいつまでも維持する。 PART II やませは夏季に北日本の太平洋側に吹く冷湿な偏東風と定義されている。やませ時の対流混合層内の対流の発達は、冬のシベリア高気圧の張り出し時に海洋上で発達する細胞状湿潤対流に比べて著しく弱い。時には対流が発達しない。観測値を用いた過去の研究論文によっても、霧あるいは下層雲を伴うやませだけでなく、いわゆる晴れやませも出現する(力石国男(1990)等)。霧を伴うやませ気流には晴れやませになる場合に比べてより低温になるメカニズムが存在する。海面水温は同じ年の同じ季節に大きく変化することは少ないはずである。では、何が原因でこのような違った姿のやませになるのだろうか。PART IIでは、この原因及び活発な対流混合層が起こり下層雲あるいは霧を伴うやませの発現に関与するエントレインメント、雲頂からの長波放射冷却及び海面からの熱フラックス(主に、潜熱フラックス)の相互作用を調べ、やませ時の低温形成のメカニズムについて考察する。 オホーツク海で十分に冷やされた湿潤な寒気が最短距離を走り東北地方まで至るtrajectoryを仮定し、初期条件および境界条件は観測値に基づいて与えた。数値実験の結果は次のようにまとめられる。 1)下層雲を伴う対流混合層が活発になるやませ出現のための条件は次のように示される。海面水温分布及び総観場の条件が似ている場合(平年平均値を考慮すると)、やませ時の対流混合層の発達はオホーツク海での下層の変質度に大きく依存している。下層雲あるいは霧を伴う活発な対流混合層が発達するためにはオホーツク海の気団が長時間停滞し下層が変質を受け、ある程度以上の湿度(相対湿度50パーセント以上)及び静力学的安定度も弱まっていること(2K/km以上)が必要である。 2)下層雲を伴う湿潤対流混合層の発達における、海面からの熱flux(主に、潜熱flux)、entrainment及び雪頂からの長波放射冷却の各々及び相互作用の振る舞いは次のように示される。 (1)下層から対流が発達するに従い、海面から補給された水蒸気は上部に運ばれながら凝結し、潜熱を発生し、対流の上向き浮力を強める。 (2)下降領域にエントレインメントによって侵入した安定層からの暖かく乾燥した空気は、雲が全領域に広がる前までは対流の運動エネルギーを弱める役割をするが、雲が対流層上部全体に広がるようになるとCIFKU(Conditional instability of the first kind upside-down)という状態になって、却って対流の運動エネルギーを増加させるように働く。 (3)雲頂からの長波放射冷却効果は対流層を不安定化させ対流層の成長を助けるだけでなく、雲粒の生成を助長している。 3)下層雲を伴う湿潤対流混合層の発達に不可欠に関与している海面からの潜熱フラックス、エントレインメントそして雲頂からの長波放射冷却の相互作用をまとめると、対流が発達している時は、潜熱フラックスが大きくなるほど雲頂からの長波放射冷却の量も大きくなって、雲粒の量も速く多く生成され、対流層上部を雲が全部覆うようになると、下降域へのエントレインメントの作用が対流運動エネルギーを強め、対流混合層は急に成長していく。 4)やませ時の低温発現の最も大きな原因は冷たいオホーツク海での気団変質の過程である。それに加わってオホーツク海から東北地方に至る途中で湿潤対流混合層が発達し、下層雲が生成されると、雲頂からの長波放射冷却効果によって海からの加熱効果が失われて冷たいやませ気流になる。 |