学位論文要旨



No 110770
著者(漢字) 河原,純
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,ジュン
標題(和) 亀裂を含む媒質中の波動伝播の理論的研究
標題(洋)
報告番号 110770
報告番号 甲10770
学位授与日 1994.07.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2825号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浜野,洋三
 東北大学 助教授 佐藤,春夫
 東京大学 助教授 佃,為成
 東京大学 講師 笹井,洋一
 東京大学 助教授 山下,輝夫
内容要旨

 地球の地殼は極めて不均質性に富んでいることが知られており、地殼を伝播する地震波に散乱を生じさせ、結果的に地震波の減衰や速度分散などを引き起こすと考えられている。本論文では、そのような不均質性の実体の候補の一つとして亀裂の空間分布を取り上げ、それによる弾性波の散乱を理論的に考察する。地殼が実際に多数の亀裂を含むことは周知の事実であるので、このような問題設定には十分な現実性がある。

 亀裂を含む媒質中の波動伝播の問題は、これまで多数の研究者により理論的に扱われてきた。しかしながらそのほとんどは、数学的困難のゆえに何らかの意味で問題を簡単化しており、得られた結果の応用範囲は限られたものであった。例えば、著者はその修士論文において、2次元亀裂分布モデルに基づいて散乱現象を解明した。同論文は、従来の研究で多用されてきた長波近似に基づかず、有限波長の弾性波の散乱を扱っている点に特色があるが、簡単のため1次散乱のみを考慮し、かつ亀裂が開口変位を生じないという特殊な境界条件を仮定している。理想的には(i)3次元モデルに基づき、(ii)より一般的な境界条件を扱い、かつ(iii)多重散乱の効果を考慮することが望ましいが、これらをすべて満足する有限波長散乱理論はまだ存在しない。本論文では、上記の3つの要請を個別に検討する。将来的にはすべての要請を満足する理論の構築が望まれるが、本論文はそのための足がかりを与えるものである。

 本論文は3つの独立した部分から成る。そのいずれにおいても、一貫して亀裂の確率論的分布を仮定し、平均波の概念を導入することにより、亀裂分布領域を伝播する弾性波の減衰と位相速度を評価する。各亀裂の形状などはすべて同一であり、その空間分布はランダムかつ一様とする。分布密度は十分小さいと仮定し、高次の多重散乱の影響を無視する。

 本論文の第1部では、著者の修士論文を拡張し、より一般的な境界条件を導入する。同修士論文で仮定した非開口の仮定は、亀裂が非圧縮性の間隙流体を含む場合に相当する。これに対し本論文では、現実の地殼亀裂の間隙流体の圧縮性を考慮する必要性が示唆される。さらに、対極的な場合として亀裂が間隙流体を含まない場合の結果を修士論文のものと比較することにより、流体の圧縮性が散乱に及ぼす影響の重要性が示される。有限の圧縮性間隙流体の場合も検討され、散乱の圧縮性依存性が調べられる。また、入射角の大きい短波長SV波の散乱特性に特異な振る舞いが現れることが明らかにされた。

 第2部では、2次散乱の効果について検討する。今回、問題を2次元亀裂によるSH波散乱に限定した上で、有限波長領域において2次散乱の効果を評価することに初めて成功した。その結果は、長波近似に基づく過去の3次元散乱理論と定性的ながら調和的であることが示される。また、3次以上の高次散乱が無視できるための条件についても若干の考察を加える。そのような条件が満たされる範囲内では、2次散乱の効果は意外に小さく、従来の1次散乱理論が有効な近似であることが結果として明らかになった。

 第3部では、従来の著者らの手法を3次元円形亀裂の場合に拡張する。2次元の場合と同様、問題を解くための鍵は、弾性波の入射によって孤立円形亀裂に生じる相対変位をいかにして評価するかにあり、これまでさまざまな方法が提案されてきた。今回著者が新たに開発した数値計算法は、数学的な見通しのよさの点で従来の半解析的方法よりも優れており、超特異性の処理に関して有限部分の概念を導入した点に特色がある。その精度の高さは従来の方法との比較により確かめられる。さらに、この方法を亀裂群1次散乱理論に応用した例が示され、2次元亀裂に関する第1部の結果や、同じ円形亀裂を扱った過去の研究と比較される。2次元の場合との相違は専ら減衰係数の長波長領域での波長依存性に認められ、それを除けば高い類似性が成り立つことが示される。

審査要旨

 地球表層の地殼は極めて不均質な構造を持っている.地震によって発生する地震波の観測から得られるコーダ波,直達波の減衰,S波の偏光異方性等はこの不均質構造が原因となった地震波の散乱によるものであると考えられている.しかし,観測から地殼の不均質性を定量的に引き出すための理論と方法が確立していないため、観測情報が十分に活用されていないのが現状である。本論文は、その不均質性を表現する方法の一つとして亀裂を含む媒質を考え、その媒質中の波動伝播の問題を理論的に研究した。特に、従来の研究の多くが亀裂の大きさに比べて波の波長が十分に長い、いわゆる長波近似で行われていたのに対して、本研究では波長が亀裂の大きさと同じ程度の有限波長の波の散乱を扱い、かつ一次散乱だけではなく二次的な散乱を考慮し、また従来は数学的な困難さのために厳密な取り扱いは出来なかった三次元の円形亀裂を考えた点に特色がある。

 本論文は6章から構成される。第1章は導入部であり、本論文の主題に関連する、亀裂を含む媒質中の波動の、亀裂による散乱問題について、過去の成果をまとめ、本論文の位置づけを行っている。第2章では本論文で採用する亀裂分布モデル、波動場を決定する基礎方程式、及び座標系が定義されている。散乱問題に関する従来の研究の多くと同様に、場の定式化においては、確率論的な立場から平均場の概念が導入され、亀裂が分布した領域を伝播する弾性波動の減衰と位相速度を評価する表現が定義される。

 続く、3章から5章が本論文の主体となる部分である。第3章では二次元の亀裂分布を考え、特に亀裂の分布が希薄である場合を扱っている。この場合は一つの亀裂により散乱された波が別の亀裂によってさらに散乱されることを無視でき、一次散乱のみを考慮すればよい。この問題設定に対して、媒質中を伝わる弾性波(P波、SH波、SV波)の位相速度と波の減衰を表わすQ-1値の波数依存性が定式化され、それに基づいて計算される。従来の研究と比べて特筆すべき点は亀裂面上の境界条件を詳細に考慮したことである。実際の地殼内の亀裂は中に間隙流体が含まれていると考えられる。この間隙流体の粘性と圧縮性が亀裂面の変位に影響し、散乱波を変化させることから、このような物性を考慮した亀裂面の相対変位の表現を求め、散乱波を計算している。計算結果からは、亀裂面上のすべりに影響を与える粘性的性質よりは、流体の圧縮性の寄与が大きいことが示される。特に、媒質を伝わる波動が亀裂を開口させる変位を伴う場合は、この間隙流体の圧縮性が散乱波に重大な影響を与え、圧縮性が大きいほど減衰係数を増大させる。また、SV波の減衰係数について高波数領域では亀裂面上の共鳴による特異な振る舞いが起きることが分かった。

 第4章では同じ二次元亀裂モデルについて、二次散乱の効果を取り入れた散乱問題を取り扱っている。二次元SH波の場合に限られてはいるが、有限波長の場合について二次散乱を取り入れた散乱問題を定式化することに成功し、定量的な計算結果が得られたことは、従来になく初めてのことである。また、本章では三次以上の散乱を無視できる条件の考察も行っている。定式化に基づいた計算結果は、二次散乱が一次散乱だけを考えた場合に比べて、亀裂による散乱の効果を減少させ、散乱による減衰を抑制する事が分かったが、二次散乱までの近似が成り立つ亀裂密度の範囲内では、二次散乱の効果は極めて小さいことが明らかとなった。

 第5章では前章までの二次元問題を扱った方法を拡張して、三次元の円形亀裂の分布した媒質中の波動の伝播の問題を取り扱っている。この三次元散乱問題を解くために、亀裂面上の相対変位を計算する新しい半解析的な方法を考案して、散乱波の評価を行っている。この方法は従来の方法に比べて精度が高いことが示される。三次元亀裂による散乱波の減衰と位相速度の計算結果を二次散乱の場合と比較すると、低波数領域での波数依存性が異なるが、全般的には二次元の場合と類似していることが示される。

 以上述べてきたように、本論文は亀裂を含む媒質による弾性波の散乱の問題を理論的に研究し、有限波長の弾性波の散乱減衰と位相速度の遅れを計算している。この研究は観測される地震波から地殼内の亀裂の分布や亀裂に含まれる間隙流体の性質を調べるための基礎となるものであり、地殼の不均質構造の解明の進展に重要な寄与をなすと考えられる。従って、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として十分な価値があるものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54424