学位論文要旨



No 110776
著者(漢字) 出嶋,靖志
著者(英字)
著者(カナ) デジマ,ヤスシ
標題(和) 寒冷曝露マウスの自発的食塩摂取量と結腸温度の変化と、カテコールアミンおよびレニンの動態
標題(洋) Changes of Spontaneous Salt Intake and Colonic Temperature in Mice Exposed to Cold with Special Reference to the Mechanisms of Catecholamine and Renin.
報告番号 110776
報告番号 甲10776
学位授与日 1994.09.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第975号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 豊岡,照彦
 東京大学 教授 和田,攻
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨 はじめに

 食塩に対する欲求(salt appetite)について、ホメオスタシス・コントロールという観点から様々な研究が行われてきたが、環境要因を考慮に入れた場合のSalt appetiteについては明らかにされていない。食塩の多量投与が寒冷下の動物の耐寒性を高めることが報告されているが、Salt appetiteが寒冷下で引き起こされるか否かについても明らかではない。これらのことから、本研究では蒸留水と食塩水を自由に選択摂取できる条件下でマウスを寒冷に曝露し、Salt appetiteの増強を実験的に解明し、それに伴って起きる食塩摂取量の自発的増加が体温調節機構に有利か否かを結腸温度の測定から検討した(第1章)。次に、寒冷曝露と食塩摂取行動および結腸温度の変化に関与する生理学的メカニズムを、カテコールアミンおよびレニンに焦点をあてて検討した(第2章)。

第1章

 食塩摂取行動と寒冷下の結腸温度変化との関係の解明には、筋活動のレベルが低く、体温調節がNST(非ふるえ熱産生)および血管収縮に支配される昼間に寒冷曝露を行う必要があるため、11:00〜17:00に寒冷曝露した。しかし、この時間帯は摂食量、飲水量が少ないため、群ごとに餌および飲料水を与える時間帯を変えて実験を行なった。

 【方法】9週齢のICR系雄マウスを使用した。マウスはハドリングの影響を避けるため、1匹ずつポリカーボネート製ケージで飼育した。飼育室の明暗周期は12時間:12時間(明:8:00〜20:00)とした。実験は8日間で、図1に示す実験計画のように、前半の4日間をPeriod 1とし、24時間常温(20-22℃)で飼育した。後半の4日間をPeriod 2とし、1日6時間(11:00〜17:00)、5〜9℃の寒冷曝露を4日間繰り返した(17:00〜11:00は常温)。Feeding patternとして、「11:00〜17:00を除いて餌、飲料水を与える (Pattern FNF)」、「11:00〜2:00を除いて餌、飲料水を与える(Pattern FNN)」、「2:00〜17:00を除いて餌、飲料水を与える(Pattern NNF)」、「24時間を通じて餌、飲料水を与える(Pattern FFF)」の4つを設定した。

 各ケージには給水チューブを2本ずつとりつけた。各Feeding patternの半数のマウスを食塩水選択群(Group Na)とし、2本の給水チューブの一方に食塩水(0.9%)、他方に蒸留水を入れて自由に選択摂取できるようにした。他の半数のマウスは蒸留水群(Group W)とし、2本の給水チューブともに蒸留水を入れた。両群とも同じ飼料で飼育し、各時間帯の摂食量、飲水量および、体重を毎日測定した。結腸温度は毎日、10:00〜11:00と16:00〜17:00に測定した。

【結果および考察】

 (1)体重には両群とも実験期間を通じて有意な変動はなく、両群間の差も認められなかった。

 (2)摂食量は、両群ともPattern FNNを除いて、Period 2においてPeriod 1より有意に多かった(表1)。

 (3)食塩水飲水量は、いずれのFeeding patternでも、Period 2において、Period 1より有意に多かった(表1)。

 (4)ナトリウム摂取量は、Group WではPattern FNNを除いて、Period 2においてPeriod 1より有意に多く、これは、摂食量の増加によると考えられる。Group Naでは、いずれのFeeding patternでも、Period 2において、Period 1より有意に多かった(表1)。

 (5)Pattern FNNのPeriod 2におけるナトリウム摂取量は、他の3patternsと比べて有意に少なく、これら3patternsの間には有意差が認められなかった。これらのことは、寒冷曝露後9時間(17:00〜2:00)のFeedingが、寒冷曝露によるナトリウム摂取量増加に重要であることを示唆している(図2)。

 (6)10:00-11:00の結腸温度には両群とも実験期間を通じて有意な変動はなく、両群間の差も認められなかった。

 (7)16:00-17:00の結腸温度はPeriod 1では群間差がなかったが、Period 2において、いずれのFeeding patternでもGroup WがGroup Naより有意に低値を示した(図3)。このことは、ナトリウム摂取量の増加が寒冷下の結腸温度維持に有効であることを示唆している。

 (8)Period 2における結腸温度は両群ともPattern FFFが、他の3patternsと比べて有意に高かった。このことは、寒冷曝露時間中の摂食と食塩水摂取が結腸温度の変化に関与していることを示唆している。

Table 1.Comparison between different feeding patterns on food,fluid,and sodium intake over 24 hr.図表図1 Experimental design in Chapter I. / 図2 Sodium intake in each observation time.
第2章

 前章で観察された、寒冷曝露と食塩摂取および結腸温度変化に関与する生理学的メカニズムは次の様に推測できる。(1)寒冷曝露によるカテコールアミン代謝の増強がレニン・アンジオテンシン(RA)系を賦活した。(2)活性化したRA系がSalt appetiteを引き起こした。(3)ナトリウム摂取量の増加がナトリウムポンプの活動を介してNSTおよび血管収縮を強め、結腸温度の低下を防いだ。

 以上のメカニズムが関与しているか否かを検討するために、血漿中レニン活性(PRA)、血漿中カテコールアミン濃度、レニンの分泌臓器である腎臓中カテコールアミン濃度をGroup WとGroup Naについて比較した。さらに、温度感受性ニューロンが分布する視床下部、中脳、延髄中のカテコールアミン濃度および、NST発現部位である褐色脂肪細胞(BAT)中のカテコールアミン濃度を、常温時、寒冷時、寒冷曝露直後において、Group WとGroup Na間で比較した。

 【方法】実験は8日間で、餌、飲料水を24時間与える条件で行った(図4)。Period 1の最終日の16:30〜17:00(Phase NT、常温)、Period 2の最終日の16:30〜17:00(Phase C、寒冷)、および寒冷曝露後15〜30分(Phase PC、寒冷後の常温)に、各群8匹ずつのマウスを断頭屠殺し、ノルアドレナリン(NE)、アドレナリン(E)、ドーパミン(DA)濃度を血漿、副腎、腎臓、BAT、脳について高速液体クロマトグラフィーを用いて分析した。なお、脳は大脳、小脳、中脳、視床下部、および延髄に分け、部位ごとに分析した。さらに、PRAを、125Iを用いたRadioimmunoassayで測定した。ただし、寒冷曝露と自発的食塩摂取量増加に伴う結腸温度変化については第1章で観察していることから、結腸温度測定に伴うアナルサーミスタプローブの挿入およびハンドリングが一時的にカテコールアミンレベルに変動を引き起こす危険を避けるため、結腸温度測定は行わなかった。

図表図3 Colonic temperature at 16:00-17:00. / 図4 Experimental design in Chapter II.【結果および考察】

 (1)体重、摂食量、飲水量、食塩摂取量の結果は、第1章の結果と一致していた。

 (2)Group NaのPRA(図5A)は、Phase CにおいてPhase NTより有意に高く、Phase PCではPhase Cと同レベルの高値を示した。一方、Group WのPRAはPhase NTとPhase Cの間に有意差が認められず、Phase PCでPhase NTおよびPhase Cより有意に高値を示した。以上の結果は、寒冷曝露による腎臓の交感神経末端からのNE放出がPRAを高めた結果、食塩摂取行動が増強された可能性を示唆している。また、PRAの変化が延髄のNE濃度の変化(図5HIJ)とも一致していることから、PRA増強に延髄が関与している可能性が高いと考えられるが、この部位のカテコールアミン代謝および、放出を分析する必要がある。

 (3)NSTの主要な調節部位である視床下部のNEおよびDA濃度は、Phase Cにおいて他のPhaseと比べ有意に高いことがGroup Wで観察された。一方、Group Naでは、NEとDA濃度の高値がPhase Cだけでなく他のPhaseにおいても認められ、3Phases間に有意な変動はなかった(図6ABC)。また、NST発生の主要な場であるBATのNEおよびDA濃度は、Group NaのPhase Cにおいてのみ、他のPhaseおよびGroup Wと比べ有意に高値を示した(図6DEF)。以上の結果は、寒冷下のNSTが多量食塩摂取によって増強されたこと、さらに、視床下部のNEおよびDAがこの機構に関与している可能性を示唆している。視床下部のカテコールアミンがどのように放出・代謝されているかについて今後検討する必要がある。

 (4)PRAおよびNSTの増強に関する上記の変化は、血漿中カテコールアミン濃度の変化(図5EFG)と対応していないため、血漿中カテコールアミンの役割は断定できなかった。

 しかし、Phase CとPCにおいてGroup Naの血漿中カテコールアミン濃度がGroup Wと比較して有意に高いのに対し、副腎中カテコールアミン濃度(図5KLM)は両群間に有意差が認められなかったことは、副腎以外から血漿中にカテコールアミンが放出された可能性を示唆している。このことは、PRAの増強による血漿中ANGIIの増加が末梢血管壁の交感神経系を刺激してNEを放出させ、その結果引き起こされた血管収縮が熱放散を抑制して体温を保持したという仮説を支持していると考えられる。この他、血漿中E濃度の増加はPRAの増強に、またDA濃度の増加はアルドステロンの抑制を引き起こし、ナトリウム排泄に関与している可能性が考えられる。

図5 Plasma renin activity(PRA)and catecholamine concentrations in kidney,plasma,medulla oblongata and adrenal gland at each phase of sacrifice.図6 Catecholamine concentrations in hypothalamus and brown adipose tissue(BAT)at each phase of sacrifice.

 (4)大脳、小脳のカテコールアミン濃度は、群間、Phase間ともに有意な変動が認められなかった。中脳のカテコールアミン濃度は、Phase CおよびPhase PCにおいて、Phase NTと比べて有意に高い濃度を示したが、群間に有意差はなかった。これらの結果から、食塩摂取量の違いによる体温調節機能の修飾に中脳が関与している可能性は低いと考えられる。

 以上の実験より、寒冷曝露が自発的食塩摂取量増加を引き起こすこと、さらに、寒冷下の体温保持に多量食塩摂取が有利に働いていることがわかった。また、PRAおよびカテコールアミン分析の結果はこれらの現象に生理学的メカニズムが関与している可能性が高いことを示している。本論文では体温保持機構に関するメカニズムを中心に考察したが、この他にストレスに対する反応が関与している可能性も考えられ、脳内カテコールアミン代謝を含め、今後検討する必要がある。

審査要旨

 本研究は、環境温度がSalt appetiteに及ぼす影響について明らかにするため、蒸留水と食塩水を自由に選択摂取できる条件下でマウスを寒冷に曝露し、Salt appetiteの増強を実験的に解明し、それに伴って起きる食塩摂取量の自発的増加が体温調節機構に有利か否かを結腸温度の測定から検討している。さらに、寒冷曝露と食塩摂取行動および結腸温度の変化に関与する生理学的メカニズムを、カテコールアミンおよびレニンに焦点をあてて検討している。方法および結果は以下の通りである。

 1. 9週齢のICR系雄マウスを、明期を8:00〜20:00とする明暗周期のもとで1匹ずつポリカーボネート製ケージで飼育した。各ケージには給水チューブを2本ずつとりつけ、一方に食塩水(0.9%)、他方に蒸留水を入れて自由に選択摂取できるようにした。実験は8日間で、前半4日間(常温期)は24時間常温(20〜22℃)で飼育し、後半4日間(寒冷曝露期)は1日6時間(11:00〜17:00)、5〜9℃の寒冷曝露をくり返し(17:00-11:00は常温)、摂食量、飲水量および、体重を毎日測定したところ、1日1匹あたりの食塩水摂取量および摂食量が寒冷曝露期において常温期と比較して有意に多くなり、寒冷曝露がマウスのSalt appetiteを増強すること、さらに、このことに伴い、餌・飲料水からのナトリウム摂取量が自発的に増加することが示された。

 2.マウスの結腸温度を毎日、10:00〜11:00(常温期・寒冷曝露期ともに常温下で測定)と16:00〜17:00(常温期は常温下、寒冷曝露期は寒冷下で測定)に測定したところ、10:00〜11:00の結腸温度は実験期間を通じて有意な変動はなく、食塩水と蒸留水を選択させた群(食塩水選択群)と、食塩水を与えず蒸留水のみで飼育した対照群(蒸留水群)の間に有意差は認められなかった。一方、16:00〜17:00の結腸温度は常温期では群間差がなかったが、寒冷曝露期では食塩水選択群が蒸留水群より有意に高値であることが認められ、ナトリウム摂取量の増加が寒冷下の結腸温度維持に有効であることが示された。

 3. 1日を、11:00〜17:00、17:00〜2:00、2:00〜11:00の3つの時間帯に分け、それぞれの時間帯に餌・飲料水を与えないグループを作って上記の実験を行ったところ、寒冷曝露期の16:00〜17:00における結腸温度は、11:00〜17:00に餌・飲料水を与えられなかったマウスが、この時間帯に餌・飲料水を与えられたマウスより低い値となり、寒冷曝露時間中のFeedingが結腸温度の変化に関与している可能性が示された。また、17:00〜2:00に餌・飲料水を与えられなかったマウスは、この時間帯に餌・飲料水を与えられたマウスと比較して、寒冷曝露による食塩水摂取量および摂食量の増加が少なく、結腸温度も低い値となり、寒冷曝露直後のFeedingが、寒冷曝露によるナトリウム摂取量増加に重要であることが示された。

 4.常温期最終日の16:30〜17:00(Phase NT)、寒冷曝露期最終日の寒冷曝露終了直前(Phase C)、および、寒冷曝露期最終日の寒冷曝露終了後15〜30分(Phase PC)にマウスを断頭屠殺し、ノルアドレナリン(NE)、アドレナリン(E)、ドーパミン(DA)濃度を血漿、副腎、腎臓、褐色脂肪細胞(BAT)、脳について高速液体クロマトグラフィーを用いて分析した。なお、脳は大脳、小脳、中脳、視床下部、および延髄に分け、部位ごとに分析した。さらに、PRAを、125Iを用いたRadioimmunoassayで測定したところ、以下の結果が得られた。(1)食塩水選択群のPRAは、Phase CにおいてPhase NTより有意に高く、Phase PCではPhase Cと同レベルの高値を示した。一方、蒸留水群のPRAはPhase NTとPhase Cの間に有意差が認められず、Phase PCでPhase NTおよびPhase Cより有意に高い値となり、寒冷曝露による腎臓の交感神経末端からのNE放出がPRAを高めた結果、食塩摂取行動が増強された可能性が示された。PRAの変化が延髄のNE濃度の変化とも一致していることから、PRA増強に延髄が関与している可能性が示され、この部位のカテコールアミン代謝および、放出を分析する必要があることを明らかにした。(2)非ふるえ熱産生(NST)の主要な調節部位である視床下部のNEおよびDA濃度は、Phase Cにおいて他のPhaseと比べ有意に高いことが蒸留水群で観察された。一方、食塩水選択群では、NEとDA濃度の高値がPhase Cだけでなく他のPhaseにおいても認められ、3Phases間に有意な変動はなかった。また、NST発生の主要な場であるBATのNEおよびDA濃度は、食塩水選択群のPhase Cにおいてのみ、他のPhaseおよび蒸留水群と比べ有意に高値を示した。以上の結果から、寒冷下のNSTが多量食塩摂取によって増強されたこと、さらに、視床下部のNEおよびDAがこの機構に関与している可能性が示され、視床下部のカテコールアミンがどのように放出・代謝されているかについて今後検討する必要があることが明らかにされた。(3)PRAおよびNSTの増強に関する上記の変化は、血漿中カテコールアミン濃度の変化と対応していないため、血漿中カテコールアミンの役割は明らかにできなかった。しかし、Phase CとPCにおいて食塩水選択群の血漿中カテコールアミン濃度が蒸留水群と比較して有意に高いのに対し、副腎中カテコールアミン濃度には両群間に有意差が認められなかったことは、副腎以外から血漿中にカテコールアミンが放出された可能性を示している。このことは、PRAの増強による血漿中ANG IIの増加が末梢血管壁の交感神経系を刺激してNEを放出させ、その結果引き起こされた血管収縮が熱放散を抑制して体温を保持したという仮説を支持していると考えられる。この他、血漿中E濃度の増加はPRAの増強に、またDA濃度の増加はアルドステロンの抑制を引き起こし、ナトリウム排泄に関与している可能性が考えられる。(4)大脳、小脳のカテコールアミン濃度は、群間、Phase間ともに有意な変動が認められなかった。中脳のカテコールアミン濃度は、Phase CおよびPhase PCにおいて、Phase NTと比べて有意に高い濃度を示したが、群間に有意差はなかった。これらの結果から、食塩摂取量の違いによる体温調節機能の修飾に中脳が関与している可能性は低いことが示された。

 以上、本論文は寒冷曝露がマウスのSalt appetiteを引き起こすこと、さらに、寒冷下の体温保持に多量食塩摂取が有利に働いていることを明らかにした。さらに、PRAおよびカテコールアミン分析により、これらの現象に生理学的メカニズムが関与している可能性が高いことが明らかにされ、環境温度と食塩摂取行動に関する生理学的解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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