本研究は、環境温度がSalt appetiteに及ぼす影響について明らかにするため、蒸留水と食塩水を自由に選択摂取できる条件下でマウスを寒冷に曝露し、Salt appetiteの増強を実験的に解明し、それに伴って起きる食塩摂取量の自発的増加が体温調節機構に有利か否かを結腸温度の測定から検討している。さらに、寒冷曝露と食塩摂取行動および結腸温度の変化に関与する生理学的メカニズムを、カテコールアミンおよびレニンに焦点をあてて検討している。方法および結果は以下の通りである。 1. 9週齢のICR系雄マウスを、明期を8:00〜20:00とする明暗周期のもとで1匹ずつポリカーボネート製ケージで飼育した。各ケージには給水チューブを2本ずつとりつけ、一方に食塩水(0.9%)、他方に蒸留水を入れて自由に選択摂取できるようにした。実験は8日間で、前半4日間(常温期)は24時間常温(20〜22℃)で飼育し、後半4日間(寒冷曝露期)は1日6時間(11:00〜17:00)、5〜9℃の寒冷曝露をくり返し(17:00-11:00は常温)、摂食量、飲水量および、体重を毎日測定したところ、1日1匹あたりの食塩水摂取量および摂食量が寒冷曝露期において常温期と比較して有意に多くなり、寒冷曝露がマウスのSalt appetiteを増強すること、さらに、このことに伴い、餌・飲料水からのナトリウム摂取量が自発的に増加することが示された。 2.マウスの結腸温度を毎日、10:00〜11:00(常温期・寒冷曝露期ともに常温下で測定)と16:00〜17:00(常温期は常温下、寒冷曝露期は寒冷下で測定)に測定したところ、10:00〜11:00の結腸温度は実験期間を通じて有意な変動はなく、食塩水と蒸留水を選択させた群(食塩水選択群)と、食塩水を与えず蒸留水のみで飼育した対照群(蒸留水群)の間に有意差は認められなかった。一方、16:00〜17:00の結腸温度は常温期では群間差がなかったが、寒冷曝露期では食塩水選択群が蒸留水群より有意に高値であることが認められ、ナトリウム摂取量の増加が寒冷下の結腸温度維持に有効であることが示された。 3. 1日を、11:00〜17:00、17:00〜2:00、2:00〜11:00の3つの時間帯に分け、それぞれの時間帯に餌・飲料水を与えないグループを作って上記の実験を行ったところ、寒冷曝露期の16:00〜17:00における結腸温度は、11:00〜17:00に餌・飲料水を与えられなかったマウスが、この時間帯に餌・飲料水を与えられたマウスより低い値となり、寒冷曝露時間中のFeedingが結腸温度の変化に関与している可能性が示された。また、17:00〜2:00に餌・飲料水を与えられなかったマウスは、この時間帯に餌・飲料水を与えられたマウスと比較して、寒冷曝露による食塩水摂取量および摂食量の増加が少なく、結腸温度も低い値となり、寒冷曝露直後のFeedingが、寒冷曝露によるナトリウム摂取量増加に重要であることが示された。 4.常温期最終日の16:30〜17:00(Phase NT)、寒冷曝露期最終日の寒冷曝露終了直前(Phase C)、および、寒冷曝露期最終日の寒冷曝露終了後15〜30分(Phase PC)にマウスを断頭屠殺し、ノルアドレナリン(NE)、アドレナリン(E)、ドーパミン(DA)濃度を血漿、副腎、腎臓、褐色脂肪細胞(BAT)、脳について高速液体クロマトグラフィーを用いて分析した。なお、脳は大脳、小脳、中脳、視床下部、および延髄に分け、部位ごとに分析した。さらに、PRAを、125Iを用いたRadioimmunoassayで測定したところ、以下の結果が得られた。(1)食塩水選択群のPRAは、Phase CにおいてPhase NTより有意に高く、Phase PCではPhase Cと同レベルの高値を示した。一方、蒸留水群のPRAはPhase NTとPhase Cの間に有意差が認められず、Phase PCでPhase NTおよびPhase Cより有意に高い値となり、寒冷曝露による腎臓の交感神経末端からのNE放出がPRAを高めた結果、食塩摂取行動が増強された可能性が示された。PRAの変化が延髄のNE濃度の変化とも一致していることから、PRA増強に延髄が関与している可能性が示され、この部位のカテコールアミン代謝および、放出を分析する必要があることを明らかにした。(2)非ふるえ熱産生(NST)の主要な調節部位である視床下部のNEおよびDA濃度は、Phase Cにおいて他のPhaseと比べ有意に高いことが蒸留水群で観察された。一方、食塩水選択群では、NEとDA濃度の高値がPhase Cだけでなく他のPhaseにおいても認められ、3Phases間に有意な変動はなかった。また、NST発生の主要な場であるBATのNEおよびDA濃度は、食塩水選択群のPhase Cにおいてのみ、他のPhaseおよび蒸留水群と比べ有意に高値を示した。以上の結果から、寒冷下のNSTが多量食塩摂取によって増強されたこと、さらに、視床下部のNEおよびDAがこの機構に関与している可能性が示され、視床下部のカテコールアミンがどのように放出・代謝されているかについて今後検討する必要があることが明らかにされた。(3)PRAおよびNSTの増強に関する上記の変化は、血漿中カテコールアミン濃度の変化と対応していないため、血漿中カテコールアミンの役割は明らかにできなかった。しかし、Phase CとPCにおいて食塩水選択群の血漿中カテコールアミン濃度が蒸留水群と比較して有意に高いのに対し、副腎中カテコールアミン濃度には両群間に有意差が認められなかったことは、副腎以外から血漿中にカテコールアミンが放出された可能性を示している。このことは、PRAの増強による血漿中ANG IIの増加が末梢血管壁の交感神経系を刺激してNEを放出させ、その結果引き起こされた血管収縮が熱放散を抑制して体温を保持したという仮説を支持していると考えられる。この他、血漿中E濃度の増加はPRAの増強に、またDA濃度の増加はアルドステロンの抑制を引き起こし、ナトリウム排泄に関与している可能性が考えられる。(4)大脳、小脳のカテコールアミン濃度は、群間、Phase間ともに有意な変動が認められなかった。中脳のカテコールアミン濃度は、Phase CおよびPhase PCにおいて、Phase NTと比べて有意に高い濃度を示したが、群間に有意差はなかった。これらの結果から、食塩摂取量の違いによる体温調節機能の修飾に中脳が関与している可能性は低いことが示された。 以上、本論文は寒冷曝露がマウスのSalt appetiteを引き起こすこと、さらに、寒冷下の体温保持に多量食塩摂取が有利に働いていることを明らかにした。さらに、PRAおよびカテコールアミン分析により、これらの現象に生理学的メカニズムが関与している可能性が高いことが明らかにされ、環境温度と食塩摂取行動に関する生理学的解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |