現代の都市空間設計の重要なキーワードとして、「アメニティー」という言葉が挙げられる。これは、近年、徐々に国民生活の物質的豊かさと共に、生活できるだけの環境では満足できなくなり、より高次の心理的な満足感を環境に対して求めるようになってきたためであると考えられる。 このような時代背景にあって、居住環境の質的向上という課題は、環境要素の一つである音の分野ついても例外なく要求されつつあり、音の大きさを量的に減少させることを目標としてきた従来の騒音規制だけでは、十分に対応し切れ無くなった現状がある。 そこで、本研究では、こうした状況を顧みて、従来の量的評価に加え、新たに音の内容を質的に把握・評価するための手法として、人間の認知形式に照らした環境音の分類・類型化の手法を開発すると同時に、この手法を用いた分析を行うことにより、快適な都市の音環境設計に向けて、都市生活者の認識をベースにした音環境の実態の把握を行い、望ましい音環境のあるべき姿のクライテリアを提示している。 第1章の序論では、この論文の中核となる音環境調査を行うに至る筆者の問題意識と研究の背景等について述べている。そして、研究背景では、特にサウンドスケープ研究を取り上げ、その基本概念について筆者独自の見解を示すと共に、これまで定義的に不明確とされていた"サウンドスケープ"という言葉について、本論文における定義を明かにした上で、サウンドスケープ概念の音環境計画上の位置付けを行った後、本研究の基本概念についての説明を行い、本論文の目的と位置付け等について述べている。 第2章では、環境音の分類・類型化の手法を提案するに至るプロセスについて、騒音抑制対策としての分類やサウンドスケープの視座からの分類、そして生物分類学における分類の考え方を整理した。それらを踏まえた上で、結論的に環境音をI自然音、II人間音、IIIサイン音、IVメディア音、V機械・器具音、VI交通音、VII不特定音の7つの類型に分類するための分類基準を提示すると同時に、これらの類型音の音環境計画に適用する際の有効性に関しても、著者の分類意図を交えて論及している。 また、この分類基準に関して、被験者実験を通して環境音の分別性の検討を行うことでその有効性を調べた結果、被験者20人中19人が当分類基準によりおおむね音の分別がスムースに行えたと回答し、総合的には、当分類基準による著者の分類に対して84%という大変高い整合率を得てその有効性を検証した。 さらに、7つの類型音の類型間の関連性について数量化理論III類を適用し、統計的解析を行った結果、固有値の高い3つの軸に関して、第1軸に自然性、第2軸に目的性、第3軸に複合性という軸を導出した。これら3つの軸は、当分類基準における分岐基準の上位項目において既に採用されていることから、統計的分析に基づいた検討を加えた結果としても当分類基準の客観性が検証された。 各類型音の類型間相互の結び付きの傾向性に関しては、IIIサイン音とIVメディア音そしてII人間音とV機械・器具音とVII不特定音がそれぞれ近いグループ関係にあり、I自然音とVI交通音については、それぞれが独立して存在していることが判った。 第3章では、環境音のレベルと音源認知に関する被験者実験を行い、環境音の提示法の違いによる音源の認知差を調べた。 その結果、交通音が少なく、自然音が豊富で比較的環境音のレベルが低い場合(実験時:45dBA)には、現場における認知に対し録音再生音のモニター時には、自然音の認知度が10%〜20%程度低下する傾向が認められた。また、録音再生音のモニター実験時には音源を特定できない割合が全体的に高くなることが確認された。 この章で得られた知見は、次章の音環境調査に対して、具体的な調査手法を提供している。 第4章は、都市の音環境のサーベイに関して述べている。 サーベイ1は、都市生活者を対象とした環境音の認識に関するインタビュー調査で、都市生活者が日常的に接している環境音に対する記憶や印象といった領域での音の抽出や、都市の音環境の改善に対する希望等の広範な意識について、一年間の調査を行った。 その結果、各質問事項別に見た「無し」回答者の占める割合の内訳で、「良い音」が58%と最も高いことなどから、一般的な傾向としては、日常的に生じている音に対して、ポジティブな形で印象に残る可能性は少ないことが確認された。この点に関してさらに詳細な把握を行うために、環境音を7つの類型別に分けて構成比を求めたところ、一日の認識音の中で最多が交通音(ネガティブ)で36%、最少が自然音(ポジティブ)で4%であることが判った。 また、記憶領域において、"一日の音"から"季節毎の音"、さらに"昔聞いたが今は聞かない音"というように経過時間が長期に及ぶにつれて、それぞれの類型別構成比で次のような変化が見られた。 (1)交通音が大きく減少する。 (2)自然音が大きく増加する。 特に"季節毎の音"については、自然音の指摘率が平均して74%と大多数を占めている。また、"昔聞いたが今は聞かない音"は"季節毎の音"ほどは自然音の指摘がなく、その分、サイン音、人間音、メディア音など幅広く分布することなどが判明した。 サーベイ2は、都市生活者の1日の行程履歴に基づいた音環境調査で、環境音の認知・記憶による音源の抽出とその主観評価、そして同調査時間内に録音した環境音の物理データに基づいた分析を行った。 結果は、類型別構成比において、人間音が38%でトップ、2位交通音の26%とで過半数を占め、自然音とメディア音はそれぞれ4%と2%で両方を合わせても10%に満たない大変低い指摘率であった。 環境音の類型別構成と音源に対する評価別に求めた評価音の類型別構成と騒音レベルについて、定量的に相関を調べた結果、自然音がポジティブ評価で特に相関が高い(0.88)ことと、交通音、人間音、機械・器具音が騒音レベルよりもネガティブ評価で相関が高い(順に相関係数差:0.73,0.69,0.34)ことが判明し、全体的には、評価音の類型別構成の方が騒音レベルよりも環境音の類型別構成との関連性が高いことを示す結果となった。このことから、環境音の評価内容を測る尺度としては、騒音レベルよりも環境音の7類型による記述の方がよく説明できることが示された。 また、往路・復路の行程比較による環境音の評価性に関する定量的分析として、2行程の別で求めた環境音の類型別構成と各音環境に対する主観評価との相関係数を比較した結果、機械・器具音に関して、復路の過程で特に、"静か-うるさい""閑散とした-賑やかな""活気のない-ある"などの音環境計画上、重要と考えられる評価語について、高い相関(順に0.73,0.77,0.72)が認められた。 第5章では、都市生活者による環境音の分類として、前章の行程履歴データ(音源名)に基づいた環境音の分類実験を行った。そして、分類基準を示さないで任意に行われた被験者分類を著者考案の7分類との比較において、整合率という観点で分析した結果、全類型で63%の整合率を得た。 このことは、筆者の意図する分類が、被験者分類による結果とも近い関係にあることを示し、特に類型別の整合率において交通音で83%、自然音で70%、人間音で68%という高い値を得ていることから、先の環境音の7分類に対する客観的分別性の検証結果とも矛盾しないことが、分類実験による被験者分類結果からも客観的に検証された。 第6章では、環境音7分類・類型化手法による音環境評価の説明性を検証するために、第4章の調査データを用いて行った主観評価実験について、7つの類型音の構成比を説明変数とし、SD法の10形容詞対の主観評定値を目的変数とする重回帰分析を行った。 特に、"暖かい-冷たい"を除いた音環境計画上重要と思われる四つの評価語については、"活気のない-活気のある"が重相関係数で0.88、"閑散とした-賑やかな"が重相関係数で0.88、"響きのない-響きのある"が重相関係数で0.73、"潤いのある-潤いのない"が重相関係数で0.69と、予測値としても高い結果を得ていることから、分類による記述の方が、騒音レベルよりもこれら四つの評価語について、音環境の評価性を良く説明するという結果を得た。 第7章は結論で、全体の総括である。 |