学位論文要旨



No 110782
著者(漢字) 後藤田,洋伸
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウダ,ヒロノブ
標題(和) 折れ曲がりを持つ可展面を利用した紙および布の変形の半経験的シミュレーション
標題(洋) Creased Developable Surfaces for the Semiempirical Simulation of Paper and Cloth
報告番号 110782
報告番号 甲10782
学位授与日 1994.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2826号
研究科 理学系研究科
専攻 情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米澤,明憲
 東京大学 教授 小柳,義夫
 東京大学 助教授 平木,敬
 東京大学 助教授 今井,浩
 東京大学 教授 川合,慧
内容要旨

 コンピュータ・グラフィクスにおける最も困難な課題の一つとして、柔軟な構造を持つシートの変形のモデル化という問題が指摘されている。この問題のうち、ゴム膜などのように比較的大きな伸縮性を持つ物体の変形に関しては、近年開発された力学的モデルを用いることによって、首尾よく解くことができるようになってきた。しかし、紙や布などといった、伸縮性をあまり持たない物体の変形に関しては、依然として効率的を計算を行なうことができないというのが現状である。これは主として、あまり伸び縮みしないという性質が、非線形性の取り扱いを本質的に要請しているということに起因している。例えば、紙の変形においては、伸び縮みが許されていないために「折れ曲がり」という現象が典型的に生じるが、こうした折れ曲がりの部分においては、材質の非線形性だけでなく、幾何的な非線形性も大きく関与してくるので、その変形過程をモデル化することは極めて難しい。

 本論文では、紙や布などといった、伸縮性に乏しい物質からできたシートの変形を解くための、新しい幾何的アプローチを提案する。その基本的なアイディアは、伸縮性の全くない物質からできた仮想的なシートの変形を幾何的手法を駆使して解き、そうして得られた解に対して、緩和法(relaxation)を適用し修正を加えてやることにより、現実のシートの変形に近付けようとういうものである。伸縮性の全くない仮想的なシートを、滑らかに変形して得られる曲面は、可展面(developable surface)と呼ばれる特別な幾何的性質を持つ曲面になることが、理論的に知られている。この事実に注目した上で、本論文では、まず可展面の概念を、有限個の折れ曲がりを許すように拡張し、次に拡張された可展面(creased developable surface)の曲げおよび折り曲げ変形を、効率的に解くためのモデルを提案する。提案された変形のモデルは現実のシートの変形を近似するのに利用することができる(近似ステップ)。近似の結果得られる曲面は、現実のシートとは異なり、ある特定の曲がり方のパターンに従っている。これを現実のシートの形状に近付けるには、こうした曲がり方に対する制約を取り除いて、シートの持つエネルギーが最小になるように曲面を修正してやる必要がある。この役割を担うのが緩和法である(緩和ステップ)。シートの持つエネルギーは、シートの形状に依存する関数となっているが、その依存の仕方はシートの材質ごとに異なる。こうしたエネルギー関数を、材質のもつ分子レベルのミクロな構造から厳密に導出していくには、非常に大きな困難が伴うため、本論文では、材質のマクロな物理的性質を測定することにより、エネルギー関数を半経験的に決定するというアプローチを採る。

 以上が本論文で提案するモデルの概要であるが、本論文ではさらに、モデルの妥当性を検証するために、現実のシートの振舞いとモデルの振舞いとを、いくつかの実験を通じて比較検討する。その結果、近似・緩和に基づく本モデルが、シミュレーションに要する計算時間という点において、従来のモデルを大幅に改善するものになっているということを確認するだけでなく、変形の質的特徴を捉えるという点において、特に有効であるということを見る。

 本論文は全8章から構成されている。以下に各章の内容を要約する。

 第1章は序論である。関連研究の問題点を吟味することによって、本研究の位置付けを行なう。

 第2章では、ここで提案するアプローチの基本的な枠組、即ち拡張された可展面による近似と、エネルギーを最小化するための緩和の両ステップについて概観する。可展面を用いることの有効性について議論し、また近似および緩和の2ステップ方式を用いることの限界についても言及する。

 第3章では、可展面の幾何的性質について考察する。まず微分幾何学で知られている基本的な幾何的性質を概観し、つぎに可展面の表現に関する新たな定理を証明する。ここで示されるのは以下のことである。一般に境界を持つ曲面が与えられているとき、曲面全体の形状が分かっていれば、特にその曲面の境界線の形状も分かるということは、自明なことである。逆に、曲面の境界線の形状だけが分かっているときに、その知識から曲面全体の形状が得られるのかというと、一般の曲面の場合、必ずしもそうではない。ところが、対象とする曲面のクラスを可展面に限ってみると、滑らかさに関するある適当な制約条件の下で、この逆が成立するということを示す。

 第4章では、可展面の曲げ変形について考察する。第3章で得られた結果から、可展面の曲げ変形を解くということは、可展面の境界線の変形を解くということに帰着されることがわかる。この事実を利用した可展面の曲げ変形のモデルを提案する。有限要素法などの従来の変形モデルでは、曲面の変形を計算するのに、面上に多数の点を配置したメッシュ構造を利用している。ここで提案するモデルは、こうしたメッシュに基づくものよりも、遥かに少ないパラメータを含み、従ってより効率的な実行が可能であるということを、いくつかの変形例を通じて検証する。

 第5章では、可展面の折り曲げ変形について考察する。折り曲げ変形においては、曲げ変形の場合とは異なり、新たな折れ曲がり曲線が曲面上に生じる。折れ曲がりを持つ可展面は、もはや境界線の形状だけでは表現することができず、境界線と折れ曲がり曲線とのペアで表現しなければならない。従って「折れ曲がり」という現象は、こうした異なるタイプの表現の間に生じる遷移として捉えることができる。ここでは、ある特定の変形の過程で、遷移が生じるのか、あるいは生じないのかを判定するための、位相幾何学的および微分幾何学的条件を提示する。折れ曲がり現象自体には非常に多くのタイプのものがあり、これらの判定条件はその全てに対応できるわけではない。しかし、典型的な折れ曲がり現象に対しては、ここで提示した判定条件を適用することができる。第4章で述べた曲げ変形のモデルに、こうした判定条件に基づく遷移のモデルを付け加えることにより、折り曲げ変形のモデルを構築する。

 第6章では、折れ曲がりを持つ可展面を緩和する方法について考察する。緩和ステップは、曲面の集合に対して定義されたエネルギー関数を、最小化する過程として定式化される。ここで取り扱う曲面は、可展面のような単純な幾何的構造を持つものばかりではなく、一般のより複雑な構造をもつ曲面も含まれており、その表現にはメッシュ構造を利用する。可展面を境界線を用いて表現する場合には、表現の一意性、即ち異なる境界線は異なる可展面を表現している、ということが保証されている。一方、一般の曲面をメッシュで表現する場合には、メッシュの頂点を曲面上の任意の場所に置くことが許されている限り、そうした表現の一意性はもはや存在し得ない。メッシュの取り方は緩和の結果に大きな影響を及ぼす。ここでは、そうした影響がなぜ生じ得るのかについて、幾何的観点から解析を加える。さらに、最適なメッシュを得るための方法についても考察し、緩和ステップの実装に応用する。

 第7章では、本論文で提案したアプローチの妥当性を、様々な実験を通じて検証する。まず、伸びおよび曲げの力に対する材質の抵抗を、マクロなレベルで測定する方法を考案し、それをいくつかの材質に対して実際に適用し測定した結果から、エネルギー関数を導出する過程について述べる。次に、導出されたエネルギー関数に基づくシミュレーションを種々の条件の下で行ない、得られた曲面の形状と、同じ条件の下で変形された現実のシートの形状とを比較する。比較は様々な方法を用いて行なわれる。最も大雑把な比較は、折れ目あるいはシワの数を数えることである。より詳細な比較は、位相幾何学的ないしは微分幾何学的手法を用いて、曲面上の特徴的な曲線を抽出することにより行なわれる。こうした比較を通じて、現実のシートの変形に存在している質的特徴が、本論文で提案したモデルによるシミュレーション結果においても、再現されているということを確認する。

 第8章では、本論文で提案したアプローチの特徴をまとめる。さらに将来課題として残されているものを検討し、それらを解決するためのモデルの可能な拡張についても言及する。

審査要旨

 コンピュータ・グラフィクスにおける最も困難な課題の一つとして、柔軟な構造を持つシートの変形のモデル化という問題がある。ゴム膜などのような比較的大きな伸縮性を持つ物体の変形に関しては、力学的モデルが有効であることが近年示されるようになったが、紙や布などの伸縮性の少ない物体の変形に関しては、適切なモデル化が提案されていない。これは主として、伸び縮みが少ないという性質が、非線形性の取り扱いを本質的に要請しているためである。実際、折れ曲がり現象は、材質の非線形性だけでなく、幾何的な非線形性も大きく関与するので、その変形過程をモデル化することは極めて難しい。

 本論文では、伸縮性に乏しい物質からできたシートの変形を解くための、新しい幾何的アプローチを提案する。基本的なアイディアは、伸縮性の全くない物質からできた仮想的なシートの変形を幾何的手法を駆使して解き、得られた解に対して、緩和法(relaxation)を適用し修正を加えてやることにより、現実のシートの変形に近付けようというものである。伸縮性の全くない仮想的なシートを、滑らかに変形して得られる曲面は、可展面(developable surface)と呼ばれる特別な幾何的性質を持つ曲面になることが、理論的に知られている。

 この事実に注目した上で、本論文では、まず可展面の概念を、有限個の折れ曲がりを許すように拡張する。次に拡張された可展面(creased developable surface)の曲げおよび折り曲げ変形を、効率的に解くためのモデルを提案する。提案された変形のモデルは現実のシートの変形を近似するのに利用することができる(近似ステップ)。近似の結果得られる曲面は、現実のシートとは異なり、ある特定の曲がり方のパターンに従っているので、シートの持つエネルギーが最小になるように曲面を修正してやる必要がある。これが緩和法である(緩和ステップ)。

 シートの持つエネルギーは、シートの形状に依存する関数となっているが、その依存の仕方はシートの材質ごとに異なる。こうしたエネルギー関数を、材質のもつ分子レベルのミクロな構造から厳密に導出するのは大きな困難が伴うため、本論文では、材質のマクロな物理的性質を測定することにより、エネルギー関数を半経験的に決定するというアプローチを採っている。

 本論文ではさらに、モデルの妥当性を検証するために、現実のシートの振舞いとモデルの振舞いとを、いくつかの物理的実験を通じて比較検討している。その結果、近似・緩和に基づく本モデルが、シミュレーションに要する計算時間という点において、従来のモデルを大幅に改善するものになっているということを確認するだけでなく、変形の質的特徴を捉えるという点において、特に有効であるという知見を得ている。

 本論文は全8章からなる。

 第1章は序論であり。関連研究から、本研究の位置付けを行なう。

 第2章では、ここで提案するアプローチの基本的な枠組、即ち拡張された可展面による近似と、エネルギーを最小化するための緩和の両ステップについて概観する。また可展面を用いることの有効性について議論し、近似および緩和の2ステップ方式を用いることの限界についても言及する。

 第3章では、可展面の幾何的性質について考察する。まず微分幾何学で知られている基本的な幾何的性質を概観し、つぎに可展面の表現に関する新たな定理を証明する。この定理は、対象とする曲面のクラスを可展面に限ってみると、滑らかさに関するある適当な制約条件の下で、曲面の境界線の形状だけが分かっているときに、その知識から曲面全体の形状が得られることを保証するのである。

 第4章では、可展面の曲げ変形について考察する。第3章で得られた結果から、可展面の曲げ変形を解くということは、可展面の境界線の変形を解くということに帰着されので、この事実を利用した可展面の曲げ変形のモデルを提案している。有限要素法などの従来の変形モデルでは、曲面の変形を計算するのに、面上に多数の点を配置したメッシュ構造を利用している。ここで提案するモデルは、こうしたメッシュに基づくものよりも、遥かに少ないパラメータによってより効率的な実行が可能であることが、いくつかの変形例によって検証される。

 第5章では、可展面の折り曲げ変形について考察する。折り曲げ変形は、曲げ変形の場合とは異なり、新たな折れ曲がり曲線が曲面上に生じる。折れ曲がりを持つ可展面は、もはや境界線の形状だけでは表現することができず、境界線と折れ曲がり曲線とのペアで表現しなければならない。従って「折れ曲がり」という現象は、こうした異なるタイプの表現の間に生じる遷移として捉えられる。ここでは、遷移が生じるか、生じないかを判定するための、位相幾何学的および微分幾何学的条件を提示する。この判定条件は全ての折れ曲がり現象に対応できるわけではが、典型的なものに対しては、有効である。第4章で述べた曲げ変形のモデルに、こうした判定条件に基づく遷移のモデルを付け加えることにより、折り曲げ変形のモデルが構築される。

 第6章では、折れ曲がりを持つ可展面を緩和する方法について考察する。緩和ステップは、曲面の集合に対して定義されたエネルギー関数を、最小化する過程として定式化される。取り扱う曲面は、可展面のような単純な幾何的構造ばかりではなく、より複雑な構造をもつ曲面も含まれており、その表現にはメッシュ構造を用いる。一般の曲面をメッシュで表現する場合には、メッシュの頂点を曲面上の任意の場所に置くことが許される限り、表現の一意性が保証されないのでメッシュの取り方は緩和の結果に大きな影響を及ぼす。ここでは、そうした影響がなぜ生じ得るのかについて、幾何的観点から解析を加える。さらに、最適なメッシュを得るための方法についても考察し、緩和ステップの実装に応用する。

 第7章では、本論文で提案したアプローチの妥当性を、様々な実験を通じて検証する。まず、伸びおよび曲げの力に対する材質の抵抗を、マクロなレベルで測定する方法を考案し、それをいくつかの材質に対して実際に適用し測定した結果から、エネルギー関数を導出する。次に、導出されたエネルギー関数に基づくシミュレーションを種々の条件の下で行ない、得られた曲面の形状と、同じ条件の下で変形された現実のシートの形状とを比較する。様々な比較を通じて、現実のシートの変形に存在している質的特徴が、本論文で提案したモデルによるシミュレーション結果においても、再現されていることを確認している。

 第8章では、本論文で提案したアプローチの特徴をまとめる。さらに将来課題として残されているものを検討し、それらを解決するためのモデルの可能な拡張についても言及している。

 以上要するに、本論文は、伸縮性に乏しい物質からできたシートの変形を解くための、新しい幾何的アプローチを提案し、現実のシートの振舞いとモデルの振舞いをくつかの物理的実験を通じて比較検討し、このアプローチの有効性を確認している。また、このアプローチに基づく計算に要する時間が、従来のモデルのそれを大幅に改善するものになっているばかりでなく、このアプローチが、変形の質的特徴を捉えるという点において、特に有効であるという知見を得ている。よって、審査員一同、本論文の提出者後藤田洋伸は博士(理学)の学位を受ける資格があると判定した。なほ、本論文の内容の一部は共著論文として印刷公表ずみであるが、研究成果の大きな部分は同氏の寄与によるものであり、共著者から、学位論文としてその内容を使用することの承諾を得ていることを確認した。

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