学位論文要旨



No 110783
著者(漢字) 林,直美
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ナオミ
標題(和) 署名と固有名 : ルイジ・マレルバの小説の諸問題
標題(洋)
報告番号 110783
報告番号 甲10783
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人文第94号
研究科 人文科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 長神,悟
 東京大学 助教授 浦,一章
 東京大学 教授 田村,毅
 東京大学 助教授 中地,義和
 杏林大学 教授 西本,晃二
内容要旨

 イタリア現代の作家ルイジ・マレルバ(1927〜)の小説における諸問題を、「名前」の観点から考察する。ここでは、彼の初期作品、すなわち、『アルファベットの発見』『蛇』『とんぼがえり』『主人公』等を扱うが、なかでも『蛇』を中心に論ずる。序論において、マレルバという作家のおおよその傾向等を把握した後、本論においては、まず『蛇』を精神分析的見地から解読し、そこにみられる主人公のモノローグの内部性と、西欧的知の内部性について論じる。さらに、その内部性を記述の問題としてとらえ、分析哲学的見地から、記述、指示、固有名、についての考察を加え、マレルバの小説にみられる記述の可能性と不可能性の問題について論じる。こうして、『蛇』における「名前」と「記述」の問題を考察したのち、マレルバの他の作品において、それらがどのような様相を呈しているかを検討し、マレルバの唯名論と実在論に対するスタンスについての考察を結論とする。以上が論文のあらすじである。

 『蛇』は、その主人公<ぼく>のモノローグとして描かれている。<ぼく>の偏執的で分裂病的なモノローグが全体として意図するのは、自分をとりまく世界の秩序を見出し、メタレベルから世界を把握することである。<ぼく>の秩序への信念は、神=建築家という神のとらえかたにあらわれている。しかし、世界にそもそも秩序があるという保証は、実はない。<ぼく>は、世界の秩序への信念にもとづいてそれを見い出そうとするのだが、科学的仮定と結論の関係と同様、<ぼく>の秩序の追及もまた恣意的なものでしかない。しかも、<ぼく>の存在論的な不安は、判断はますます恣意的にする。そうして、妄想をいたずらに膨らませることとなり、自分をおびやかす国際的な犯罪組織の存在を導き出す結果となる。

 <ぼく>はまた、恋人のミリアムを殺して食べるのだが、それは、ミリアムが自分のモノローグ世界におさまりきらなくなったため、決定的に内部化するためであった。が、抹殺してしまったはずのミリアムの幻想になやまされる。その後警察において自白するのが、そこではじめて矛盾に陥る。<ぼく>は国際的犯罪組織の存在も、ミリアムに対する犯罪も、ミリアムの存在すらも証明することができない。いわば、コミュニケーションにおいて、はじめて、<ぼく>の私的言語における私的規則のありかたが明るみに出、その不可能性が問われるのである。

 ミリアムのみが、<ぼく>の自己完結的な世界の崩壊の契機となりえ、<ぼく>がミリアムを食べたのちもミリアムに悩まされたのは、まさしく、ミリアムが<ぼく>の命名による固有名であったからである。ミリアムは<ぼく>にとってまったく私的な固有名であった。それは、<ぼく>のモノローグの内部では完璧に内部的にとりあつかえる名前であったのだが、自分以外の者にその指示対象の存在を証明することは不可能となる。また、ミリアムというのはもともと名前しか存在しなかったにひとしい存在である。ミリアムを殺したところでミリアムという名は消えない。

 ラッセルは固有名は確定記述に還元できるとして記述理論を構築したが、それは個体を一般性として見る科学的視点からのみなされうるのであり、その科学的視点とは、実はモノローグ的視点である。固有名を一般性に対する特殊ととらえたとたん、固有名の単独性=交換不可能性は消去される。しかし、固有名はそれによって消えるわけではない。

 一般に社会的なアイデンティティーというのは、ある固有名(を持つ人物)と、一連の記述との一致として考えられる。しかし実は、固有名は、記述によってではなく「呼ばれる」ことによってその指示対象を一挙に指示するものであり、確定記述に置換することは不可能である。しかしその不可能性を可能であると前提しなければ、現代社会の内部的秩序は保ちえない。すなわち、固有名は確定記述に置換しうるという約束を象徴するものとして「署名」があり、「固有名」は、そのような約束の外部にある。あるいは、「署名」とは「固有名」のもつ本来的な外部性を内部にとりこもうとするものだと言える。共同体が固有名を記述におきかえようとするように、<ぼく>もまた「ミリアム」を記述に置き換えようとする。それは、<ぼく>の内部では可能であったのだが、外部においては、すなわち他者とのかかわりにおいては、不可能となる。それは、ミリアムという名を呼んでいたのは<ぼく>だけだったからである。

 マレルバにおいて、「記述」は一貫して不可能であるととらえられている。それは、彼が現実を可能性の観点からさまざまな方向に開かれたものとして、生成するものとしてとらえているからである。そして、その不可能性が、「名前」において顕著に示されている。

 マレルバは、名前の向こうには何もないという形で実在論を否定する。しかし、(狭義の)唯名論も否定する。個体(特殊)が先なのでも一般が先なのでもなく、固有名しかない、という立場である。それは、厳密な意味での唯名論なのかもしれない。

審査要旨

 論文「署名と固有名-ルイジ・マレルバの小説の諸問題」は,1927年生まれで現在も活躍中のイタリアの小説家ルイジ・マレルバの作品,とくに小説『蛇II serpente』(1966年)を中心に議論を展開し,マレルバの創作活動において「名前」が惹き起こす問題に光を当ている.すなわち,社会的な制度としての「署名」,記述に還元しえない「固有名」のありようを探りつつ,前衛的な「63年グループ」に属していたこの小説家が,「ことば」と「現実」の結びつきを如何に考えていたかを明らかにしようとしている.

 主人公が繰り広げる,筋の掴みにくい饒舌なモノローグの中から,筆者は瑞々しい感性をもって手掛かりを掴みだし,分裂病者と思われる主人公の精神構造を詳細かつ綿密に分析し,そのような精神構造を産みだした時代背景,母親との幼児期の関係,そこから生じてくる「メタ・コミュニケーション」の不可能性等を極めて説得的に論じている.また,「ぼく」の内的世界を,飛躍する情報の断片から断片への連なりと堆積を通じて,モンタージュ風に示すマレルバの手法が「ことば」と「現実」の関係を自明視していたネオレアリズモに対するアンチテーゼになっていることを,筆者は見事に指摘している.

 ただし,分裂病者に見られる「隠喩によるメッセージ」や,固有名を記述に還元してしまう「確定記述」などの概念を『蛇』の主人公「ぼく」に適用する際には一層の厳密さが要求される.しかし,「名前」の問題という視点は正鵠を得たものであり,レッテル貼りを巧みにすり抜けてしまうマレルバという作家の創作活動の本質的な一側面を鋭く捉えており,本論を起点として,筆者のマレルバ研究の今後の展開が大いに期待される.

 よって,審査委員会は本論が博士(文学)論文として,十分評価に値するとの結論に達した.

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