学位論文要旨



No 110785
著者(漢字) 張,志弘
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,シコウ
標題(和) Si(III)上の金属(Ag,Cu,An)のエピタクシャル成長と電子回折強度の振動現象
標題(洋) Epitaxial growth of metals(Ag,Cu,An)on Si(III)surface and intensity oscillation phenomena of electron diffraction
報告番号 110785
報告番号 甲10785
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2827号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 助教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 若林,健之
内容要旨 研究目的:

 反射高速電子回折(RHEED)は表面の原子配列構造やエピタクシャル成長の研究に有力である。エピタクシャル成長中おけるRHEED観察をすると、1原子層毎の成長に対応して、強度が振動的に変化する現象が知られている。表面に飛来した原子の平均自由行程がテラス(2本の原子ステップの間の部分)の幅より小さい場合には、テラス上に2次元的な結晶核が形成され、これらがRHEEDの強度の振動現象を生ずる。しかし、原子の平均自由行程がテラスの幅より大きいと、表面に飛来した原子はすべてステップまで移動してそこで成長する(ステップフロー型成長)ので、RHEEDの強度振動現象は現れない。本研究はこのようなRHEED強度振動の測定によって、Si(111)表面上のAg、Cu、Auなどのエピタクシャル成長のメカニズムを詳しく調べることを目的とした。エピタクシャル成長を支配する重要な因子は(1)下地表面の温度、(2)蒸着の速度及び(3)原子の供給方法などである。このように、これらの条件が変わると表面原子の拡散の平均自由行程や原子の動きの様子が変化し、エピタクシャル成長に大きな影響を与える。それ故これらの条件を系統的に変えて実験を行った。成長の様子は物質の組み合わせによっても異なるので、Ag、Cu、Auなどについても研究を行い比較した。また脱離過程の研究も行った。

研究結果:[1]Si(111)上のAg、Cu、Auのエピタクシャル成長とRHEED強度の振動現象

 (1-1)下地表面の温度の成長に及ぼす影響

 (a)室温から400℃の場合:清浄なSi(111)-7×7構造の表面にCu、Agの蒸着(蒸着速度は約4ML(原子層)/分)中におけるRHEEDの鏡面反射点の強度変化の測定を行った。Cuの場合には、室温では4つの強度振動ピークが観察されたが、100℃〜200℃では一つの振動ピークしか観察されず、250℃以上になると振動ピークは完全に消えた。Agの場合には、室温では2つの振動ピークが観察され、280℃では1つの振動ピークに変わって、400℃以上では振動ピークは消えた。

 (b)室温から低温160Kの場合:図1はSi(111)上のAgのエピタクシャル成長について、蒸着速度を60ML/分に固定し、温度を300K(RT)、260K、220K、160Kと変えた場合のRHEED強度振動の形の変化を示したものである。これを見ると、(1)温度が低くなるに従って、振動ピークの数が多くなり、またその形も明瞭になった。(2)温度が低くなるに従って、ピーク位置が右側(厚さが増す方向)にずれた。160Kの時にこのピークの形が最も明瞭になったので、このピーク位置を点線で示した。これをみると、(3)最初の6MLまでは周期が不規則な振動ピークが見られるが、その後周期的な振動ピークに変わった。このように6ML以上の厚さではいずれの温度でも振動周期はほぼ一定となるが、300Kではこの周期が1MLであったものが、160Kでは1.45MLに増加した。(4)2番目の振動ピークは小さいが、温度が下がるに従って大きくなり、その周期は0.5ML(RT)から1ML(160K)まで大きくなった。Cuの場合も表面温度が下がるとAgと同様な傾向を示したが、ほぼ46MLまでの振動ピークが確認された。

 (1-2)蒸着速度の成長に及ぼす影響

 図2はSi(111)上のAgのエピタクシャル成長について、160Kにおいて、蒸着速度を4、10、30、60ML/分と変えた場合のRHEED強度振動の変化の様子を示したものである。図1(d)と図2(d)は同じものである。これをみると、蒸着速度を速くすると、(1)振動ピークの数が多くなる。(2)ピーク位置が右側にずれた。(3)2番目の小さいピークも序々に大きくなり、その周期0.3ML(4ML/分)から1ML(60ML/分)まで大きくなった。

 以上のような実験結果から次のような結論がえられた。高温になる程表面原子の自由行程が大きくなり、これがテラスの幅より大きくなると、表面原子はすべてステップまで移動してそこで成長する(ステップフロー型成長)ので、RHEEDの強度振動が現れなくなることが分かった。しかし、下地の温度を低くすると、原子の平均自由行程が小さくなり、これがテラスの幅より小さくなるとテラス上に2次元的な結晶核が多数形成され、RHEEDの強度に多数の振動ピークが観察されるようになったものと見られる。また蒸着速度を大きくすることは表面原子同志の衝突が多く、2次元核が形成され易くなる。従って下地の温度を下げた場合と同様な効果となり、多数の振動ピーク観察がされたものと解釈された。

 次に図1及び2で見られたRHEED強度振動の周期、ピークの高さ、位相のずれなどの変化について、ミクロな成長のメカニズムを考察する。

 (1)図1、2における最初のピークの幅(周期)はほぼ1原子層であった。これはSi(111)-7×7構造の表面にはダングリンボンドがあり、表面に飛来してきた原子はダングリンボンドと強く結合し、拡散も小さく、1原子層で飽和したものと推定される。

 (2)2原子層目は、Ag原子層の上のAgの成長となるが、これは原子の平均自由行程が大きいので、部分的にステップフロー型成長となり、テラス上の中央にしか2次元核ができなくなり、2層目の振動のピークが小さいと推定された。しかし、蒸着速度を速くした低温表面の場合には、平均自由行程が小さくなり、テラス上には多数の2次元核が形成され、振動ピークが大きくなったと推定された。

 (3)3〜6層目までは周期が大きくなっているが、これは2次元核の上に更に次の原子層の2次元核が形成されてしまうような成長(これをラフネスの大きい表面成長と呼んでいる)となったと考えられる。このような場合には振動の周期が大きくなる。

 (4)6層目以上では、金属上の金属の成長となり、周期的な成長となったと推定される。

 (1-3)成長中における蒸着の中断の実験を行った。蒸着中にこのような実験を行うと、蒸着原子の動きや拡散の様子が分かる。図3はのAは中断しない場合である。Aの場合のように蒸着を開始して、強度が増加してピーク位置Pになった時点で蒸着を一度中断し、その後再開したものがBである。またPより少し低い位置で蒸着を中断し、再開したものがCである。Bでは中断した時間に相当する厚さだけ左にずらしてある。これをみると、BやCでは再開後の成長の周期は長くなっている(右側にずれる)ことが分かる。これは蒸着を中断すると、表面原子はより安定な所に移動して、より平坦な表面ができる。その結果、蒸着を再開したときに、それが新しい原子層の成長の開始点となり、成長の位相が遅れる効果をもたらしたものと推定される。

 (1-4)表面構造依存性

 ×-Agの構造上にAgを成長させた場合は室温と低温いずれの場合も振動ピークが観察されなかった。この結果から×-Ag表面上でのAg原子の拡散の平均自由行程が、160Kの低温でもテラス幅より大きいことが測定された。また160Kの表面にAgを蒸着した場合には、0.2MLでは××、0.5MLでは××と6×6の新しい共存表面相が形成されることを見出した。後者がは本研究で発見されたものである。

[2]Si(111)表面からCuの等温脱離過程の研究

 Si(111)表面に3MLのCuを蒸着し、この表面を高温に加熱した場合の脱離の実験を行った。この脱離過程をみると、最初は時間の経過と共にCuK線が直線的に減少したが、Cuの量が1.3MLになった時点でCuが再び1.5MLに増加する異常な現象を発見した。この現象は次のように解釈された。バルクの状態図によれば、CuはSiの中に少し溶解する。この溶解度は高温になる程大きい。Cuの脱離実験では一つの実験が終了した後に表面を再び清浄化するために、時々1300℃で加熱したが、この温度ではCuの溶解度が高いため、Cuは部分的にSi内部に溶解したと考えられる。この表面にさらに3MLのCuを蒸着して700℃で脱離実験を行った場合、1300℃より溶解度が低いため、内部に溶け込んだCuが再び表面に析出してきたために、途中でCuが増加するような異常な脱離曲線が観察されたと考えられた。

 そこで、700℃で1時間Si(111)表面を加熱し、溶解したCuを析出、脱離させた。このようにして清浄化したと考えられる表面に3MLのCuを蒸着し、脱離実験を行った。その結果、脱離過程に見られたCuの異常な増加現象は見られなくなった。このような溶解表面で詳しく実験を行った結果、脱離過程にはCuが直線的に減少する三つの脱離ステジーA、B、Cが観察された。そのB、Cの脱離エネルギーは57.2、21.2Kcal/molであった。RHEED観察によってAは微粒子、Bは(5×5+シリサイド)構造、Cは(5×5+7×7)構造からの脱離に対応することが明らかにされた。これはCu-Siシリサイドからの脱離プロセスを初めて詳しく観察し、それを解明した結果となった。

結論:[1]Si(111)上のAg、Cu、Auのエピタクシャル成長とRHEED強度の振動現象

 (1-1)下地表面の温度の成長に及ぼす影響

 表面温度が室温から上昇するに従ってRHEEDの強度振動の数が減少し、Cuでは、25℃以上で、Agでは、400℃以上で強度振動は消えた。Ag及びCuの成長においては図1に示すように、表面温度が室温より低くなると、多数の振動ピークが観察され、その形も明瞭になり、ピーク位置が右側にずれた。最初の約6MLまでは不規則な周期の振動ピークが見られた。しかし、約6ML以上では規則的な振動周期に変わり、この周期は室温では1.0MLであったものが、160Kでは1.45MLに増加した。

 (1-2)蒸着速度の成長に及ぼす影響

 図2に示すように、蒸着速度が速くなると、振動ピークの数が増え、ピーク位置が右側にずれた。この変化は表面温度を低下させた場合と同様な効果をもつことが明瞭に示された。

 (1-3)蒸着中の蒸着中断の実験により、Ag原子の拡散の様子を調べた。

 以上の結果は次のように説明される。表面温度が高温になると原子の自由行程が大きくなり、ステップフロー型成長となり、RHEEDの強度振動は消える。表面温度が低温になると、原子の平均自由行程が小さくなり、ステップ上に2次元核が形成され、多数の強度振動が現れる。また蒸着速度を速くすると表面原子同志の衝突の確率が増加し、2次元核が形成され、低温の表面と同様な効果が現れることを示した。ミクロな成長過程の考察により、低温表面や蒸着速度が大きいときに位相がずれること、第2原子層目のピークの変化などの振動の形の変化の観察事実の説明を与えることができた。

 (1-4)×-Ag上のAgの成長の場合は160Kの表面においてもRHEED強度振動が観察されず、原子の平均自由行程がステップ幅より充分大きいことが発見された。

図表Fig.(1) / Fig.(2) / Fig.(3)
[2]Si(111)表面からCuの等温脱離過程の研究

 (1)Si(111)上にCuを蒸着した後に1200℃に加熱すると、CuはSi中に溶解し、この表面におけるCuの脱離実験中にはCuが析出して増加する現象があることを見出した。

 (2)清浄表面でCuの脱離実験を行った結果、三つの脱離ステジーA、B、Cがあることを見出した。Aは微粒子より、Bは(5×5+シリサイド)構造より、Cは(5×5+7×7)構造からの脱離であることが分かった。B、Cの脱離過程の脱離エネルギーは57.2、21.2Kcal/molであった。

審査要旨

 結晶基板上に異種物質が結晶成長するヘテロエピタキシーは、以下のような3種類のモードに分類されている。一つは島状成長、二つめは層成長、三つめは一層の層成長後の島状成長(SK成長)である。このような成長モードは、基板や成長物の種類、基板温度、成長速度などに大きく依存していることが知られている。近年の表面研究技術の進歩により、このような結晶成長の研究が、原子サイズに表面が制御された表面上で、原子サイズの分解能をもつ観測手段により研究され始めてきた。特に、表面上の非周期的構造を実空間において高分解能で調べる研究が、走査型トンネル顕微鏡や高分解能超高真空電子顕微鏡を用いて行われ、ヘテロ結晶成長過程の詳細を議論することが可能となってきた。このような実空間の研究ばかりでなく、成長過程をその場で詳細に観察することができる反射電子回折法(RHEED)も向上し、その場観察の利点を生かした研究が行われている。

 本研究は、成長の温度依存性や成長速度依存性などを比較的容易に変化させて観測できるRHEEDを用いて、シリコン(111)面上の貴金属のヘテロエピタキシーを調べたものである。エピタキシャル成長中におけるRHEED観察では、1原子層ごとの成長で、鏡面反射強度が振動的に変化する場合があることが知られている。この現象は、一原子層の完成過程に於いて、最初は表面にランダムに2次元結晶核が発生し、次にそれを中心に2次元結晶の面積が広がり、ついに1原子層形成がなされるからであると通常理解されている。本研究では、このRHEED振動強度の温度、成長速度、貴金属や表面の種類依存性を詳しく調べることにより、ヘテロエピタキシーの機構を議論した。また、成長とは相補的なシリコン(111)面上の銅のヘテロエピタキシー面からの熱脱離も調べ、表面での金属原子の移動を議論した。これらの議論により、今まで知られていたような単純な分類には当てはまらない機構により、ヘテロエピタキシーや金属原子脱離がおこることを明らかにした。

 本論文は、五章からなる。第一章序論では、これまでの結晶成長や表面の研究経過、研究の目的が述べられている。第二章ではシリコン(111)面上に銀が成長した系および金が成長した系、第三章では同面上に銅が成長した系での結果がそれぞれ議論されている。また、第四章では、シリコン(111)面上に銅が成長した系からの銅の熱脱離が議論されている。第五章では、シリコン(111)面上に形成した×銀表面上の銀の成長が議論されている。以下に本論文により明らかにされた主な新しい知見を記述する。

1.シリコン(111)面上の銀と銅の結晶成長イ.RHEED強度振動の温度、成長速度依存性

 振動は400℃以上では観測されない。また、160Kまでは温度を下げるほど、また、成長速度を増すほど、振動振幅は広くなり、より多くの振動が観測される。これは、金属原子の拡散距離の温度および成長速度依存性により説明できる。

ロ.RHEED強度振動の詳細

 最初の6層程度の成長は不規則である。また、その後は、比較的周期的な振動が観測される。最初の不規則な成長は、銅の場合にはシリサイドの形成に起因している。その後の周期的振動周期から、金属は、表面全体に一様にエピタキシャル成長してはいないことが明らかとなった。

2.シリコン(111)-3×3銀面上の銀の成長

 銀結晶は室温と160Kの間の温度で形成されるが、RHEED振動は観測されない。このことは、低温でもこの表面での銀原子の拡散距離が表面ステップ間隔よりも長いことを示している。

3.シリコン(111)面上に銅結晶が成長した系からの銅の熱脱離

 熱脱離は、最初は銅結晶からおこる。銅結晶が表面からなくなると、銅シリサイド表面から脱離する。さらに表面の銅が少なくなると、銅シリサイド表面と純粋なシリコン表面が共存し、その境界から脱離する。

 以上、この論文では、RHEED振動強度の測定により、シリコン(111)面上の貴金属のヘテロエピタキシャル成長について議論した。また、銅結晶が成長した表面からの熱脱離測定により、表面での銅原子の運動について議論した。審査委員会は、これら超高真空中における困難な測定が十分注意深く行なわれ、その解析及び考察が適切な手法でなされ、おおむね妥当な結論に達していると判断した。

 今のところ、全ての実験結果を矛盾なく理解できる成長モデルや熱脱離モデルを決定することはできないが、温度、成長速度などのパラメターを広く変化させることにより、モデルのもつべき条件を明確にした点は高く評価できる。今後他の手法による研究と合せて、これらの現象を解明するための重要な実験事実を明らかにしたことの意義は大きい。このように、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に相当するものと認めた。

 なお、本研究は、井野正三教授(指導教官)および長谷川修司助教授(元井野研助手)との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から実験及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと認められた。

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