内容要旨 | | 1981年11月14日,アスワン湖北部で発生したアスワン地震は,数回にわたる微小地震活動の繰り返しを伴ったことが,詳細な観測から明かにされている.また,この地域では1984年以降,測地測量が実施されている.本研究では,上記の観測データに基づいて次の2点についての解析を行なった. 1)サイスモテクトニクスの解明のための,観測網直下の3次元地殻構造及び地震活動の解析 2)潜在断層のモデリングと測地測量結果との比較 1.広域的なテクトニクス アスワン地域を含むエジプト周辺地域では,広域的なテクトニクスと調和的な震源分布が見られる.それらの震源分布と地質構造から,エジプト周辺域を5つの局地的な地殻ブロックに区分し主要な5構造区及び2境界地域は以下のようである. 1)西部ベーズン区,2)ベイスメント区,3)シナイ半島区,4)北部エジプト区,5)南部エジプト区の構造区,および1)西部紅海地域,2)ナイル谷地域 これらのテクトニック区分で,今回の研究対象となるアスワン地域は,ナイル谷地域に属し,3構造区が互いに接している点が注目される. 2.地震観測データの解析 アスワン地域の局地的な地殻構造(Kebeasy et.al.,1992)による観測点補正を用いて規模一定以上の500個のアスワン地域の地震の震源再決定をインバージョン法によって行なった.その結果,これらの震源は4つの断層セグメントにそって線上に分布していることが明かとなった.そのうち3つの例は,東西方向の走向を持つKarabsha断層にそい,他の一例は,南北走向のKurkur断層の南部のセグメントにそっている.これらの地震の震源は,2つの深さの領域に分かれており,その1つは深さ4〜10km,他は深さ14〜26kmに分布する. これらの地震の発震機構解は,右横ずれ型であり,この地域の地質構造,広域テクトニクスから推定される応力場とよく調和している. 3.震源分布と地震発生の時系列 第1章で述べた浅い地震群と深い地震群とでは,それぞれ異なった地震発生の時系列を示す.すなわち,浅い領域内の地震の発生様式は群発地震型であるのにたいし,深い領域の地震のそれは前震,本震,余震型であるということが判明した.さらに両者の活動のb値は,前者が0.77であるのに対し,後者は0.99であり明らかな相違がある.これは地震による歪みの解放様式の違いを示している(Mogi,1962).さらに1982年から1989年にかけての地震活動は,その前半期では深い領域で地震が集中したのに対し,後半期では主に浅い領域で地震が発生した.さらに浅い領域の地震の発生と,アスワン湖の水位変化には相関関係があるが,深い領域の地震には明らかな関係が認められない. 4.3次元インバージョン法による地殻構造の推定 P波の到着時刻を用い,爆破地震観測の結果を初期モデルとしてアスワン地域の局地的な3次元地殻構造を決定した.その結果,前述の2つの地震活動領域のP波の速度構造に大きな相違があることが判明した.すなわち,浅い領域の地震活動は低速度領域に対応し,深い領域の地震活動は高速度領域に対応する.浅い領域内での速度の大きなコントラストはKalabshaz断層をよぎる部分と一致し,低速度の部分はKalabshaz断層とSeyeil断層とに挾まれたグラーベン構造の部分と一致する.深い領域でのP波速度は7.11km/sに達し,その周辺部が6.5km/sであるのに対し有為に高い値を示す.この異常な高速度は地表付近での地質構造と共に,貫入岩体の存在を示唆する. 5.測地測量の結果と潜在断層の推定 アスワンの地震活動地域の西部に展開されているKalabsha測地網の測量による地殻変動データを解析した.その結果,南北走向,傾斜角70度(西下がり)の水平長4km,深さ方向の幅10kmの断層の存在が推定された.この潜在断層は前述のKalabsha断層に対応し,浅い領域内での地震活動は主としてこの潜在断層の間欠的で小規模な運動によるものと推定される. 結果 以上の解析結果から,アスワン地域の地震活動は従来考えられていたような一まとまりの活動ではなく,浅い領域(4〜10km)と深い領域(14〜22km)の2つの活動域から構成されていることが明かになった.これらの2つの領域の地震活動はP波速度構造,地震発生様式に関してその特性が全く異なっている.この相違は,この地域の広域応力場及び断層系から推定される地殻の不均質性とよく調和する. アスワン・ダムの水位変化と浅い領域の地震活動の変化の高い相関は,pore pressureの増加とそれによる地殻応力場の不安定性に起因するものと考えられる.アスワンの地震活動は極めて複雑な特性を示すが,ダム近傍の様々な規模,走向をもつ破砕帯および断層の動的な挙動は,地震活動の特性を定める重要な要因であることを示している. |
審査要旨 | | 本論文は、エジプト・アスワン地域の地震活動、地殻構造、地殻変動の特徴をテクトニクスとの関連に基づいて論じたものである。本論文の特徴は、これまで漠然とダム誘発地震と考えられていたアスワン地域の地震活動の発生原因を、ダムの貯水による地殻内の力学的・水理学的状態の変化だけではなく、当該地域の広域テクトニクスとの関連のもとに論じた点にある。 議論の根拠となったデータは、本研究によって、アスワン地域で初めて明らかにされた、震源の深さ分布、規模別発生頻度、地震発震機構、3次元の地殻構造、さらに地殻変動の解析に基づく潜在断層の形状などである。アスワン地域は、世界的にみて必ずしも地震活動度が高い地域ではないが、ダム貯水に誘発されたプレート内地震の発生機構を理解することは、当地域での地殻活動を理解する第一歩となる。さらに、アスワンダムとの関連で地震発生の時間・空間的特徴を理解することは、当地域での地震災害の軽減と言う見地からも重要である。本研究で用いられた手法は、アスワン地域の地震活動の研究としては初めて用いられたものであり、当地域でのこれからの研究の指針となるであろう。 第1章では、エジプトでのこれまでの地震活動についてのレヴューが行われた。エジプト・アスワン地域の地震活動は、アスワンダムの貯水によって増加したとする考え(誘発地震説)がある一方、典型的なダム誘発地震とは異なる性質を持つとも指摘されていた。 第2章では、アスワンの地震観測システムについて述べられている。アスワン地域では、1975年に最初の2つの地震観測所が設置されたが、1981年11月14日の地震までは安定した観測は行われていなかった。その後、1982年に臨時観測点が設置され、1982年6月からアスワン・テレメータ観測網(ATSN)が整備された。本研究では、主としてATSNの記録を解析した。 第3章では、アスワン・テレメータ観測網によって観測された地震データの解析を行った。1982年から1990年までに発生した地震のうち、規模の大きいものから約500個の地震を選びそれらの震源再決定を行った。地震分布が、深さ4〜10kmの浅い部分と14〜26kmの深い部分に分けられるということがわかった。これらの2つの地震群の性質は明瞭に異なる。すなわち、浅い地震群では、規模別頻度分布の定数(b値)が小さく(0.8)、群発型の地震発生であり、ダム水位の日変化量のばらつきが大きいときに地震が発生している。それに対し、深い地震群では、b値は普通(1.0)で、前震-本震-余震型の発生時系列を示し、ダムの水位とは相関が無い。 第4章では、ASTNで観測された地震のP波到着時をデータとして、Thurber(1981)の方法で3次元速度構造の推定を行った。到着時刻は、現記録から論文申請者が読み直し、信頼性の高いデータセットを得た。浅い部分では、Kalabsha断層を境にして、北側ではP波速度が遅く南側では速いことが分かった。一方、深い部分(14km)では、解析した領域の中央部で、P波速度が7km/sを超す高速度領域が見つかった。 浅い部分の地震活動域は、P波の遅い領域に対応し、ここは、Kalabsha断層とSeyeil断層に挟まれた地溝帯にあたる。論文申請者は、地表付近の地震活動が、地溝帯での地殻活動にともなって発生し、地殻の変形と破壊によって、P波速度も低下していると解釈した。一方、深い地震活動は、高速度領域に対応していることから、地下深部で貫入岩体の活動と関連があるとした。この解釈は、地表に露出している基盤岩の分布と調和的である。 第5章では、Kalabsha測地網による地殻変動データを断層運動による変動によって説明するモデルを提出した。この断層モデルの走向と滑りの方向は、地震の発震機構解と調和的である。断層の面積は、震源分布から推定したが、この断層モデルに対応する地震モーメントは、1987の群発地震の累積モーメントより大きい。このことは、地殻変動が地震性の変動の累積だけでなく、非地震性の変動にもよっていることを示している。 これらの解析により、本論文はアスワン地域の地震活動がたんにダムの貯水量の変化だけに支配されているのではなく、当地域のテクトニックな応力と地殻の不均質性によって支配されていることを示した。したがって、本論文は学位論文として価値あるものと認めた。なお、本論文第3章と4章は、溝上恵氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および論証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |