学位論文要旨



No 110791
著者(漢字) アイソン フェリックス グリエバン
著者(英字) FELIX G. AYSON
著者(カナ) アイソン フェリックス グリエバン
標題(和) ティラピアの発生初期における浸透圧調節機構
標題(洋) Osmoregulation in Embryos and Larvae of Tilapia : Mitochondrion-Rich Cells and Their Hormonal Regulation
報告番号 110791
報告番号 甲10791
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2833号
研究科 理学系研究科
専攻 動物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,哲也
 東京大学 教授 川島,誠一郎
 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 木村,武二
 東京大学 助教授 竹井,祥郎
内容要旨

 魚類の体液の浸透圧および塩濃度は、淡水産、海産を問わず海水の約1/3に保たれている。その調節には主に鰓、腸、腎臓等の浸透圧調節器官が与っており、脳下垂体、副腎等の内分泌系が、それらの機能を調節している。しかし、鰓や腎臓など、成魚において重要な浸透圧調節器官が十分に発達していない、発生初期における浸透圧調節機構に関しては、浸透圧調節部位を含め、ほとんど知られていない。本研究においては、淡水、海水のどちらでも繁殖可能な広塩性魚であるティラピア(Oreochromis mossambicus)を材料として、魚類の発生初期における浸透圧調節機構を生理学的、内分泌学的に解明することを目的として、以下の実験を行った。

第I章:卵黄嚢上皮の塩類細胞

 発生初期(発眼期胚および孵化仔魚)のティラピアは淡水から海水、あるいは海水から淡水に直接移しても、十分に適応できる。成魚においては鰓の細葉の基部に存在する塩類細胞が、海水中におけるNaおよびClイオンの排出に与っていることが知られている。本実験においては、発生初期のティラピアの卵黄嚢に、この塩類細胞がよく発達していることに着目し、胚および仔魚期のティラピアが示す強い広塩性と塩類細胞との関連を、異なった浸透圧環境下における塩類細胞の活性の変化を指標として調べた。

 卵黄嚢上皮に分布する塩類細胞を電子顕微鏡により観察すると、成魚の鰓の塩類細胞と同様に、ミトコンドリアおよび微小管系がよく発達し、特に海水中で発生が進行している胚では、外界に向けた開口部(apical pit)を形成する。塩類細胞は、ミトコンドリアに特異的な蛍光色素であるDASPEIにより染色される。卵黄嚢上皮の塩類細胞は、受精2日後(あるいはふ化3日前)の胚にすでに認められ、淡水中で発生が進行した場合に比べ海水中で有意に大きく、その断面積は淡水中の2〜3倍に達した。また孵化仔魚を淡水から海水に移すと塩類細胞は大型化し、逆に海水から淡水に移すと小型になった。淡水、海水の双方において、上皮中の塩類細胞数はふ化の2日前からふ化後5日の間が最高で、その後卵黄吸収に伴い徐々に減少した。この間に鰓において塩類細胞が分化し、機能を開始するものと思われる。成魚の鰓の塩類細胞と同様に、卵黄嚢上皮の塩類細胞が発生初期における重要な浸透圧調節部位であると考えられる。

第II章:卵黄嚢上皮の塩類細胞の発達におけるコルチゾルの影響(In Vitro)

 成魚の鰓の塩類細胞の分化および機能発現には、種々のホルモンが関与している。中でも副腎皮質ホルモンのコルチゾルは、海水適応に重要なホルモンとして知られており、多くの魚種において塩類細胞を発達させることが報告されている。発生初期の魚の胚においては、下垂体、副腎などの内分泌腺は当然発達していないが、卵黄中には母体に由来するコルチゾル、甲状腺ホルモンのチロキシン(T4)、トリヨードチロニン(T3)等のホルモンが存在することが知られている。

 本実験においては、先ずコルチゾル、T4およびT3の卵黄中の含有量を受精直後から孵化10日目まで経時的に調べた。その結果、いずれのホルモンも卵黄の吸収に伴い徐々に減少するが、その減少率には淡水と海水の間で差は認められなかった。コルチゾルは、ふ化前後に最低値を示し、その後徐々に増加した。他方T4は、ふ化後6日目に、T3はふ化後10日目に最低値となり、その後上昇に転じた。ふ化後におけるホルモン濃度の上昇は仔魚自身の内分泌腺が分化し、それぞれのホルモンを合成、分泌を開始した結果と思われる。

 次いで、コルチゾルおよび甲状腺ホルモンが塩類細胞に及ぼす影響を、ふ化後4日目の胚の卵黄嚢を24時間培養することにより検討した。コルチゾルを0.1g/ml以上含む培養液中では、塩類細胞数が対照群よりも有意に増加しており、DASPEIの蛍光強度も増大していた。卵黄嚢をT4あるいはT3で培養した場合は、塩類細胞にはなんの変化も認められなかった。

第III章:卵黄嚢上皮の塩類細胞の発達におけるコルチゾルの影響(In Vivo)

 引続き、これらのホルモンの影響を、淡水中の胚および仔魚をホルモンを含む環境水中で10日間、飼うことにより検討した。コルチゾル処理により塩類細胞の大きさは、用量依存的に増大し、0.1g/mlで処理した場合は3日後に、0.01g/mlでは6日後、0.001g/mlでは9日後に、有為な差が認められた。9日後には、塩類細胞の密度もまた有意に増大した。T4およびT3で処理したところ、卵黄嚢の場合と同様、顕著な変化は認められなかった。胚および仔魚の卵黄嚢上皮の塩類細胞も、成魚の鰓のそれと同様に、コルチゾルの影響を強く受けているものと思われる。一方、卵黄中に比較的多量に含まれている甲状腺ホルモンは、塩類細胞の発達には特に重要な関与はしていないようである。

第IV章:下垂体のプロラクチンおよび成長ホルモン細胞の発達

 プロラクチンは、多くの広塩性の魚類において、淡水適応に重要なホルモンとして知られている。一方、プロラクチンと同族のホルモンである成長ホルモンは、特にサケ科魚類において、海水適応時の水・電解質代謝に重要な働きをするとされている。本実験では、淡水あるいは海水中でふ化したティラピア仔魚ののプロラクチン、成長ホルモン細胞の発達とホルモン遺伝子の発現を免疫組織化学ならびにin situ hybridization法で比較した。

 ティラピアには分子量の異なる2種のプロラクチンが存在するが、アミノ酸177個からなるプロラクチン(PRL177)遺伝子の発現は、ふ化2日前に認められたが、188個のアミノ酸からなる通常のプロラクチン(PRL188)の発現は、ふ化直後に初めて認められた。PRL177およびPRL188の双方とも、海水中の仔魚よりも淡水中の仔魚の方が発現が強く、またプロラクチン細胞の下垂体に占める割合も大きい。このことは、2種のプロラクチンが発生初期においても、成魚の場合と同様に、淡水適応に関与していることを示している。一方、成長ホルモン遺伝子の発現は、ふ化直後の仔魚に初めて認められたが、淡水と海水で差は認められなかった。

 免疫組織化学的な検討結果も同様で、免疫陽性のプロラクチン産生細胞の大きさ、下垂体中に占めるプロラクチン細胞の割合、および免疫反応の強さの全てが、淡水中の仔魚の方が海水中のものより大で、やはり淡水適応時におけるプロラクチンの重要生を示している。成長ホルモンに関しては、この様な変化は認められなかったので、成長ホルモンは少なくとも仔魚期の海水適応にはあまり重要な役割を演じていないように思われる。

第V章:プロラクチンと淡水適応

 ティラピアの下垂体が産生する2種のプロラクチンのどちらが淡水適応に重要であるかを調べるため、それぞれのプロラクチンおよび成長ホルモンに特異的な抗体を用いたラジオイムノアッセイ系を作成した。血中および下垂体中の含量には、2種のプロラクチンの間に、差は認められなかった。ティラピアを海水に適応させると、2種のプロラクチンとも含量が有意に低下した。しかし、成長ホルモンの含量には、変化がなかった。下垂体を免疫染色したところ、同一の細胞が、2種のプロラクチンを産生することが、明らかとなった。ティラピアの淡水適応には、双方のプロラクチンが重要であると思われる。

 以上に述べた一連の研究により、ティラピアの卵黄嚢上皮に存在する塩類細胞が、成魚の鰓の塩類細胞と同様に、発生初期における海水適応の際に重要な浸透圧調節部位であると考えられる。胚および仔魚を淡水から海水に移すとこの塩類細胞が顕著に発達し、かつ仔魚の環境水中にコルチゾルをいれる、あるいは卵黄嚢の培養液中にコルチゾルをいれると塩類細胞が発達することから、胚および仔魚の卵黄嚢上皮の塩類細胞も、成魚の鰓のそれと同様に、コルチゾルの影響を強く受けているものと思われる。一方、卵黄中に比較的多量に含まれている甲状腺ホルモンは、塩類細胞の発達には特に重要な関与はしていないようである。また、2種のプロラクチンが発生初期においても淡水移行時に活性化することから、成魚の場合と同様に、プロラクチンがやはり淡水適応に関与していると思われる。一方、成長ホルモンは少なくとも仔魚期の海水適応にはあまり重要な役割を演じていないように思われる。魚類の発生初期の浸透圧調節機構とホルモンの作用機序の解明は、内分泌学および生理学一般において新たに拓かれつつある分野である。

審査要旨

 魚類の体液の浸透圧調節には主に鰓、腸、腎臓等が与っている。しかし、鰓や腎臓などの浸透圧調節器官が発達していない、発生初期における浸透圧調節機構に関してはほとんど知られていない。本研究においては、淡水、海水のどちらでも繁殖可能な広塩性の魚であるティラピア(Oreochromis mossambicus)を材料として、発生初期における浸透圧調節機構を生理学的、内分泌学的に解明することを目的として、以下の実験を行った。

 本論文は5章からなり、第1章においては、発生初期のティラピアの卵黄嚢に、塩類細胞がよく発達していることに着目し、異なった浸透圧環境下における塩類細胞の活性の変化を調べている。卵黄嚢上皮の塩類細胞は、成魚の鰓の塩類細胞と同様に、ミトコンドリアおよび微小管系がよく発達し、ミトコンドリアに特異的な蛍光色素であるDASPEIにより染色される。この塩類細胞は、受精2日後(ふ化3日前)の胚にすでに認められ、淡水中で発生が進行した場合に比べ海水中で有意に大きい。また孵化仔魚を淡水から海水に移すと大型化し、逆に海水から淡水に移すと小型になる。上皮中の塩類細胞数はふ化後5日目が最高で、その後卵黄吸収に伴い徐々に減少する。この間に鰓において塩類細胞が分化し、機能を開始するものと思われる。

 第2章においては、卵黄嚢上皮の塩類細胞の発達におけるコルチゾルの影響をIn Vitroにおいて明らかにしている。成魚の鰓の塩類細胞の分化および機能発現には、副腎皮質ホルモンのコルチゾルが重要とされている。発生初期の魚の胚においては、下垂体、副腎などの内分泌腺は当然発達していないが、卵黄中には母体に由来するコルチゾルが存在することが知られている。ふ化後4日目の胚の卵黄嚢を24時間培養すると、コルチゾルを0.1g/ml以上含む培養液中では、塩類細胞数が対照群よりも有意に増加しており、DASPEIの蛍光強度も増大していた。

 第3章においては、コルチゾルの影響をIn Vivoにおいて検討を行っている。先ず、淡水中の胚および仔魚をコルチゾルを含む環境水中で10日間飼育したところ、塩類細胞の大きさは用量依存的に増大し、0.1g/mlで処理した場合は3日後に、0.01g/mlでは6日後、0.001g/mlでは9日後に、有為な差が認められた。一方、卵黄中に比較的多量に含まれている甲状腺ホルモンは、塩類細胞の発達には特に重要な関与はしていないようである。

 第4章においては、淡水あるいは海水中でふ化したティラピア仔魚のプロラクチン、成長ホルモン細胞の発達とホルモン遺伝子の発現を免疫組織化学ならびにin situ hybridization法で比較している。プロラクチンは、多くの広塩性の魚類において、淡水適応に重要なホルモンとして知られている。一方、プロラクチンと同族のホルモンである成長ホルモンは、特にサケ科魚類において、海水適応時に重要な働きをしている。テイラピアには分子量の異なる2種のプロラクチンが存在するが、双方とも、海水中の仔魚よりも淡水中の仔魚の方が発現が強く、またプロラクチン細胞の下垂体に占める割合も大きい。免疫組織化学的な検討結果も同様で、免疫陽性のプロラクチン産生細胞の大きさ、下垂体中に占めるプロラクチン細胞の割合、および免疫反応の強さの全てが、淡水中の仔魚の方が海水中のものより大で、やはり淡水適応時におけるプロラクチンの重要生を示している。成長ホルモンに関しては、この様な変化は認められなかった。

 第5章においては、ティラピアの下垂体が産生する2種のプロラクチンのどちらが淡水適応に重要であるかを調べるため、それぞれのプロラクチンに特異的な抗体を用いたラジオイムノアッセイ系を作成した。血中および下垂体中の含量には、2種のプロラクチンの間に、差は認められなかった。ティラピアを海水に適応させると、2種のプロラクチンとも含量が有意に低下した。成長ホルモンの含量には、変化がなかった。下垂体を免疫染色したところ、同一の細胞が、2種のプロラクチンを産生することが明らかとなった。ティラピアの淡水適応には、双方のプロラクチンが重要であると思われる。

 以上に述べた一連の研究により、ティラピアの卵黄嚢上皮に存在する塩類細胞が、発生初期における海水適応の際に重要な浸透圧調節部位であると考えられ、成魚の鰓のそれと同様に、コルチゾルの影響を強く受けているものと思われる。また、2種のプロラクチンが発生初期においても淡水移行時に活性化することから、成魚の場合と同様に、プロラクチンがやはり淡水適応に関与していると思われる。魚類の発生初期の浸透圧調節機構とホルモンの作用機序の解明は、内分泌学および生理学一般において新たに拓かれつつある分野であり、本論文提出者、フェリックスアイソンは博士(理学)の学位を受ける資格があるものと認める。なお印刷公表論文は共著であるが、いずれも論文提出者が主として研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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