内容要旨 | | 理論に根差した分布型モデルは流域内の水分移動をシミュレーションすることによって、流域での水循環過程に対する深い理解をもたらしうる。流域に於ける自然並びに人為的な土地利用形態の変化が水循環に与える影響を見積り、予測するという現在増加しつつある要請に答えるべく、分布型モデルの開発と実流域への適用が急がれている。 コンピュータハードウエア技術や数値計算アルゴリズムのみならずリモート・センシング、GIS、水文データベースの最近の進展によって複雑な分布型モデルの実行や検証が可能となり始めたが、分布型モデルが以然として広く一般に使われていないのはモデルの複雑さ、データ利用の難しさ、計算負荷の重さのためである。 分布型モデルに対して現在行われている研究に貢献すべく、本研究では、次に述べるような目的を遂行する試みがなされた。 ・気象データを入力とした数値シミュレーションを通して、ある地点での本文過程の特性を検討するとともに、不飽和流シミュレーションの効率的な手法を提示する。 ・斜面での地中流のシミュレーションを通して、そのモデルに含まれるべき重要な側面を見い出す。 ・表面流、地中流、地下水に対する個個のモデルを結合することにより分布型流出モデルを構築する。 ・モデルパフォーマンスとその性能を検討するために、小流域で高空間分解能という条件に対して分布型モデルを適用する。 ・土地利用形態の変化を起因とする水循環の変化をシミュレートするために、大流域に対し、低空間分解能で分布型モデルを適用する。 千葉にある実験サイトが1次元数値シミュレーションとその比較として選ばれた。このサイトでは高時間分解能の降水と計測されたサクションのデータが利用できる。高時間分解能の降水データを基に2年間の様々な時間分解能の降水データを作成した。利用可能な観測気象データを基に一般的なペンマン法を用いて可能蒸発量が算定された。入力値としてこれらのデータを用いて、シミュレーションが行われた。土壌の水理学的パラメーターは屋外観測により決定された。 シミュレーション結果によるとゼロフラックス面は概ね地表面から2m以内であることが示された。下層での土壌水分移動の挙動は土壌層の調節機能により、変化が緩やかである。地下水面が高く毛管水縁の影響が無視できる場合、浸透、流出、蒸発の各過程は主に表層の土壌特性に支配されている。 不飽和帯を均一に離散化し、着目した層からの流出フラックスと、その層の平均貯留量から計算された透水係数との関係を各層毎に調べた。この結果、両者には線形関係があることが示された。不飽和帯での土壌水の流れをシミュレートする簡易モデルを、線形関係を用いて記述した。簡易モデルと詳細な数値モデルとから得られる結果は良い一致を見た。 25mの斜面長を持つ斜面での地中流のシミュレーションの結果から、降雨中の浸透は主に鉛直方向に生じて、斜面下方の流れは降雨終了後の現象であることが示された。この結論は既往の研究で示されている結果と一致している。斜面での地中流シミュレーション用の簡易モデルは斜面下方の流束成分と鉛直方向の流束成分の解析に基づいて、構築された。斜面下方並びに鉛直流束成分は、簡易モデル内で、流束と各ブロックの平均貯留量から計算される透水係数との間に線形な関係を置くことにより算定されている。この簡単化モデルは様々な初期条件下で上手く計算できた。 この研究で開発された分布型モデルは三つの要素から構成されている。則ち、表面流、地中流、地下水流である。各成分は個個に検討され、分布型流域モデルを構成するために結合された。 表面流に対しては、既往研究に基づき、完全Saint-Venant式を河道流れの方程式として採用する一方で、Kinematic Wave法を、地表流の流下を算定するために用いる。マニング式に基づいた流れを地表流、河道流の双方に仮定した。 通常、地中流要素は分布型モデル中で最も時間を要する部分であるが、それは支配方程式と土壌特性の高い非線形性によるものである。 この研究においては、地中流領域を更に二つの部分に分けた。1〜2mの厚さを持った表層に対しては、浸透、流出、蒸発を計算するためにRichardsの方程式を用いた。この表層に続いて、1次元と2次元のシミュレーション結果によって示された効率的な手法により土壌水流れがシミュレートされる2次元の層が置かれる。これより下層内の流れは主に鉛直方向と仮定して、上述した簡単化スキームを用いてシミュレーションを行なった。各層の厚さは地下水面の位置に応じて変化させた。 流出モデルにおいては地下水流れを多層2次元水平流れとして扱った。ここで各層は不均一な土壌も考慮することができ、更に不圧並びに被圧の条件を変えることができる。 地形的な効果は表面流と地中流の方向を決定する目的で、モデル内に取り込まれている。シミュレーションに際して、流域は等サイズの矩形に離散化された。DEMから、流下方向、斜面、河道綱、計算順序を決定するために用いられる標高、グリッドデータが作成される。土地利用図と土壌分類図が標高データに重ね合わされている。 樹冠遮断後の正味降水量が地中流成分に対する入力値となる。不浸透域への正味降水量は表面貯留量を満たした後、直接流出となる。各グリッドに対して異なる土地利用毎に変化する特定の不浸透率が決められている。地中流要素のうち表層内の土壌水移動は浸透域への正味降水量によってシミュレートされ、地下水位が上昇して地表面付近に達すると流出はDunneメカニズムによって生じる。表面流出の要素をシミュレーションすることにより、発生した流出が流下していく。フラックスの交換は表層と下層の間で行われる。流域シミュレーションは第一位の計算順序を与えられたグリッドから始められるが、この順序は流下方向のデータから決められたものである。異なった要素毎に異なった時間ステップを用いた。グリッド毎、時間ステップ毎に水循環のシミュレーションが実行された。 二つの流域を適用例として選んだ。一つは11haの小流域で25mグリッドの高空間分解能で行なわれ、もう一つは38km2の大流域で500mグリッドの低空間分解能で行なわれた。両適用例からは妥当な結果が得られた。土地利用の変化を受けた流域内の水の流れをシミュレートするモデル性能が明らかにされた。モデルシミュレーションにより多くの水文過程に関する則ち、河道流れの他にも土壌水分分布、地下水位変動等の情報が得られた。 |
審査要旨 | | 本論文は,都市化や森林伐採などの流域変化あるいは気候変動が水循環に及ぼす影響の効率的な予測を可能にする分布型水循環モデルの構築を試みたものであり,8章で構成されている. 第1章は序論で,研究の目的と論文の構成がまとめられている. 第2章では,従来欧米や中国で提案されている6つの分布型モデルを取り上げ,それぞれのモデルにおいて地形,表面流,地中流,地下水流がどのように取り扱われているかを整理している.これらの中で特に地中流は,厳密に物理方程式に則って計算すると極めて膨大な時間を要するため,各モデルにおいて1次元流としての簡単化あるいは概念モデル化が為されていることが指摘される.こうした取り扱いは,急峻な地形と地下水位が深いという流域条件をもつ造山帯地域に対しては適用性が低いことが示唆され,分布型モデルにおける側方地中流の導入とその取り扱いの簡便化が必要であるという本研究の方向性が明示される. 第3章は「地点本文過程と簡易モデルの開発」と題し,実績降雨を用いた浸透方程式の数値シミュレーションにより1次元での土壌水分挙動を吟味した上で,表層を除いた不飽和帯に対する1次元簡易モデルが提案される.具体的には,まず,地下水位と土壌水理特性とを変量とし,地表面からはペンマン式に基づく蒸発フラックスを与えることにより,異なる2年間の降雨パターンに対する数値実験が行なわれる.その結果から,実在する土壌透水係数の範囲では,表層2〜3m以深ではフラックスと吸引圧の変動が緩やかであることが明らかにされる.これは,その領域のフラックスの評価に対しては,何らかの簡易化が可能であることを示唆している.そこで,数値シミュレーション結果を用いて,各層厚1mの平均体積含水率に対する不飽和透水係数と各層下面からの浸透フラックスとの関係が調べられ,両者に明瞭な線形関係があることが見出だされる.この関係と各層に対する連続式とにより,簡易モデルが構成され,種々の条件下で浸透方程式による数値計算結果と簡易モデルによる計算結果を比較することにより,その妥当性が示されている. 第4章は「斜面における地中流と簡易モデルの開発」と題し,まず,2次元浸透方程式の有限要素法による数値解析に基づき斜面上の飽和-不飽和流の挙動が調べられる.その結果,降雨中は鉛直浸透が卓越し,降雨終了後には斜面側方流が生じることなどが明らかにされる.次いで,前章と同様な考え方,すなわちフラックスと各ブロックの平均体積含水率に対する透水係数とが線形関係にあるという仮定の下に,鉛直浸透流と側方浸透流の簡易モデルが提案される.そして初期条件の異なる斜面に対して有限要素法による流出ハイドログラフの計算結果と簡易モデルによるそれが良い一致を見せることにより,簡易モデルの妥当性が示される.ここに提案された簡易モデルにより,浸透方程式の数値解析に比べて計算時間を約500分の1(1日分の計算を1分程度)に短縮できたことは,従来の分布型モデルの重大な難点の1つを解消し,実用性を高めた点で意義が極めて大きい. 第5章は「分布型水循環モデルの開発」と題し,まず,個々の水循環成分-樹冠遮断,表面流と河道流,蒸発散過程を含む表層地中流,深層地中流,飽和地下水流-それぞれのモデル構成が詳述される.樹冠遮断,蒸発散過程および飽和地下水流については従来提案されているモデルが用いられているが,河道流については一般性を高めるためにサンヴナン式が適用されている.また,表層・深層地中流については4章と5章における簡易モデルを導入し計算の効率化を図っている,さらに,河岸と河床に透水係数の異なる層を配置することにより,河道流と地下水流との相互作用を現実に近い形で表現できるモデルとしている. 上述の各サブモデルを結合することによって全体の水循環モデルが構成されるが,これは単なるサブモデルの繋ぎ合わせではない.すなわち,地下水位が高くなると深層地中流が生起する領域は減少する,さらに上昇して地表付近に達するとDunne地表流が生じるなど,各サブモデル間のダイナミックな構造が組み込まれている. 第6章と第7章では,構築された分布型水循環モデルの実流域への適用性が検討されている.6章では東京都八王子市の小河川流域(流域面積11.2ha)を対象に25mグリッドの地形,地質,土壌および土地利用に関するGISを用いて流域のモデル化が行なわれ,流量の観測値と計算値との比較によりモデルの再現性が検証される.さらにこの地域で計画されている都市開発が行なわれた場合に流域内で生じる各水循環要素の変化について予測図が提示されている.7章では,比較的規模が大きい流域として東京都新河岸川支川黒目川流域(38km2)を対象に500mグリッドで整理された6章と同種のGISデータを用いてモデル化がなされ,1990年の流量の観測値と計算値との比較によりモデルの再現性が確認される.この流域は都市化が進行中の流域であり,1945年時点で都市化率10%が,1990年には30%に変化している.1945年の土地利用に対して1990年の降雨があった場合のシミュレーションが行なわれ,両年次の間で,河川流出ハイドログラフ,流域内の蒸発散空間分布,地下水位空間分布,土壌水分空間分布それぞれの相違が土地利用変化との関係で明示される.こうした情報の提供は分布型モデルならではのものであり,流域内の局部的変化が流域水循環系に及ぼす影響を判断する上で極めて有用である. 第8章には各章で得られた結論が要約されるとともに,感度分析の適用によるより効率的なモデル構築へ向けての課題が述べられている. 以上のように本研究は,物理的根拠に基づきかつ実用に供する計算時間と精度をもった分布型水循環モデルの開発に成功し,その有用性を明らかにした点で,水文・水資源工学の進展に大いに貢献している. よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる. |