学位論文要旨



No 110819
著者(漢字) 花方,信孝
著者(英字)
著者(カナ) ハナガタ,ノブタカ
標題(和) ベニバナ培養細胞によるキノベオンA生産システムの開発
標題(洋) Development of kinobeon A production system using cultured carthamus tinctorius cells
報告番号 110819
報告番号 甲10819
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3274号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 藤正,巌
 東京大学 教授 二木,鋭雄
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 助教授 満渕,邦彦
 東京大学 講師 山下,俊
内容要旨

 本論文は、ベニバナ培養細胞から工業的に利用価値の高い紅色色素であるキノベオンAを効率的に生産するためのシステムに関するものであり全7章から成る。

 高等植物が生成・蓄積する様々な二次代謝産物は、古くから漢方薬、香料、色素、スパイスなどとして利用されてきた。これらの有用二次代謝産物の多くは、栽培植物からの抽出により生産されているため生産性・品質が、天候などの自然条件により大きく異なっている。植物細胞培養は、植物細胞の代謝機能を利用し、化学合成が困難な二次代謝物質等を、自然条件に左右されることなく安定に生産する技術である。しかしながら、植物細胞培養により有用二次代謝物質を興行的に生産した例は少ない。これは、二次代謝物質が、一般に植物の分化したある特定期間の細胞により生産・蓄積されるのに対し、培養細胞は脱分化した細胞であり、このような脱分化細胞が分化した細胞と同じ代謝機能を発現することが困難であるためである。

 現在、食品及び化粧品工業では、安定性あるいは高付加価値化の面から天然赤色色素の安価で安定した供給に対する要望が強い。ベニバナ花弁はカルタミンと呼ばれる紅色色素を生成蓄積し、染料、食品用着色剤、化粧品原料、婦人薬として用いられてきた。そこで、ベニバナ培養細胞によるカルタミンの生産を試みたが、培養細胞により生産された紅色色素はカルタミンとは異なる化合物であった。この化合物は、小林らにより構造が決定されキノベオンAと命名された。キノベオンAは、ベニバナ母植物中からは見いだされず培養細胞のみが生産する新規化合物であり、天然繊維やタンパク質に対する吸着性がカルタミンより優れていることから新しい染料、着色剤としての応用が期待されている。そこで、キノベオンAを培養細胞により大量に生産するための培養システムを確立することを目的とし本研究を行った。

 第1章は緒論であり、植物細胞培養による有用物質生産の現状、利点および問題点について概説し、本研究の目的および意義を述べた。

 第2章では、ベニバナ幼苗から培養細胞を誘導し、キノベオンA生産のための基礎的システムについて述べた。まず、ベニバナ子葉および胚軸から10-5Mナフタレン酢酸(NAA)と10-6Mカイネチンを含むMuashige-Skoog(MS)寒天培地上で2種の培養細胞を得た。これらの培養細胞は性質が異なっていたため、それぞれについてキノベオンA生産システムを開発した。

 ベニバナ子葉から誘導した培養細胞を10-6M NAAおよび10-5Mカイネチンを含むWhite寒天培地上に置床するとキノベオンAが生産された。しかしながら、キノベオンAを効率的に生産するために同組成の液体培地で培養したところ生産は認められなかった。これは、寒天培地と液体培地では同一組成であっても拡散速度の違いから細胞に実際に作用している培地成分の濃度が異なると考え、液体培地におけるWhite培地組成を再検討した。その結果、液体培地では、マグネシウムイオンがキノベオンA生産を阻害していることがわかった。さらに、White培地中の各成分濃度を検討し、キノベオンA生産培地を開発した。この生産培地中では細胞は全く増殖しなかったため、あらかじめ細胞を増殖用培地で前培養し、増殖した細胞を生産培地で培養することによりキノベオンAを生産する二段培養システムを採用した。また、本章において培養細胞が生産した色素を同定し、キノベオンAであることを確認した。

 第3章ではキノベオンA生産性を向上させる培養システムについて検討した。生産培地中での本培養細胞を観察すると、キノベオンAを生産している細胞集塊としていない細胞集塊が混合していた。もし、キノベオンAを生産する細胞集塊のみをあらかじめ選抜することができれば、生産性を向上することができると考えた。そこで、細胞集塊のサイズに着目し、様々なサイズの細胞集塊形成過程とキノベオンA生産能の関係について検討した。その結果、1mm以下の小さな集塊が成長し大きな細胞集塊となったものはキノベオンAの生産能が高く、逆に1mm異常の大きな集塊が分割し小さな細胞集塊になったものは生産能が低いことが明らかとなった。このような成長し大きな集塊となった細胞のみを生産培地で培養すると、キノベオンAの生産量は、約1.5倍に向上した。さらに、細胞集塊の形成過程が異なると細胞の生化学的状態も異なるという基礎的知見を得た。

 第4章では、細胞増殖のための培養がキノベオンA生産のための培養におよぼす影響について検討し、生産性の向上を試みた。キノベオンA生産培養中では本培養細胞は全く増殖しないため、あらかじめ細胞を増殖培地で前培養する必要がある。増殖のための前培養でキノベオンA生産能の高い細胞を得ることができないかを考えた。そこで、増殖培地としてMS培地を用い、その各成分について検討を行った。その結果、MS培地中のリン酸濃度を8倍、マグネシウム濃度を3倍、カルシウム濃度を2倍に増強した培地で増殖させた細胞は、MS培地で増殖させた細胞に比べキノベオンAの生産能が約4倍に向上することがわかった。さらに、二段階培養における細胞増殖のステージは、細胞の二次代謝活性を向上させるための重要なステージであるという基礎的知見を得た。

 第5章では、胚軸から誘導した培養細胞を用いたキノベオンA生産システムについて検討した。第2章において胚軸から誘導した培養細胞は、上記のシステムではキノベオンAをほとんど生産しなかった。このような場合、一般に器官分化による生産が試みられることが多い。しかしながら、キノベオンAはベニバナ植物体からは検出されていないため器官分化による生産を行うことはできない。そこで、キノベオンA生産を刺激するような物質を市販の多糖類、糸状菌調整物、藻類調整物からスクリーニングした。その結果、空中から単離した糸状菌SE-801株の細胞外多糖および藍藻類であるNostoc linckiaのオートクレープ処理物を生産培地に添加することにより、無添加時の約10倍のキノベオンAが生産された。これらの物質の添加によるキノベオンA生産量の向上は、植物細胞の外敵に対する防御機構と考えられた。そこで、キノベオンAの抗菌活性を調べたところ植物病原菌であるFusarium oxysporumの増殖を阻害した。従って、キノベオンAはファイトアレキシンであることが示唆された。

 第6章では、ベニバナ細胞を大量培養するためのバイオリアクターの開発と生産性の最適化について検討している。ベニバナ培養細胞は、細胞集塊サイズが比較的大きく、撹拌やバブリングなどのせん断ストレスに弱いため、従来の撹拌型リアクターやエアーリフト型リアクターを用いて大規模培養をすることができなかった。そこで、せん断ストレスを与えることなく、細胞に酸素を供給することができるシーソー型バイオリアクターを開発した。このリアクターは、横型リアクターであり、リアクターの中心を支点として上下にシーソー運動することにより培養液の混合を行うとともに、気液界面から培養液中に酸素を供給する新しいリアクターである。本バイオリアクターにおいて、酸素移動速度係数(kLa)が8h-1になるような運転条件で細胞増殖およびキノベオンA生産を行うと生産性が最大となることを示した。また、キノベオンAの生産においては生成物阻害があることを見いだし、生産したキノベオンAをリアクター外に取り出しセルロースに吸着させ培地のみをリサイクルさせるシステムを構築した。

 第7章は総括であり、本研究を要約し得られた結果をまとめた。本研究では、ベニバナ培養細胞によるキノベオンAの生産を二段培養法にて行い細胞増殖のための条件と生産条件を明らかにし、キノベオンAの工業的生産システムを確立した。二段培養法において、細胞増殖条件の検討は従来あまり行われていなかったが、この培養における細胞集塊サイズを検討すること、あるいは培地組成を改良することで二次代謝産物生産に広く利用することができると思われる。さらに、シーソー型バイオリアクターを開発したことにより、せん断ストレスに弱い植物細胞でも大規模培養が可能となった。これらの知見は植物細胞培養による有用物質生産に広く応用することができる。また、キノベオンAが植物病原菌に対する抗菌活性を有することから、色素としての利用のみではなくバイオ農薬としての利用も考えられる。

審査要旨

 本研究は、ベニバナ培養細胞から工業的に利用価値の高いキノベオンAという紅色色素を効率的に生産することを目的とし、性質の異なる2種の培養細胞を用いて生産システムを構築している。

 子葉から誘導した培養細胞についてはキノベオンAの生産を行うための培地組成を開発している。この生産培地での培養では細胞が増殖しないことから、あらかじめ増殖培地で細胞を十分に増殖させ、得られた細胞を生産培地に接種しキノベオンAの生産を行う二段培養システムが有効であることを明らかにした。さらに、この二段培養システムにおいてキノベオンAの生産量を向上させるため細胞集塊サイズに着目し、細胞集塊の形成過程により細胞の生化学的状態が異なることを見いだし、1mm以下の集塊のみを細胞増殖のための一段目の培養に供することによりキノベオンA生産能の高い細胞を得ることができることを明らかにした。また、二段培養システムにおいて従来あまり検討されていなかった一段目の培養に着目し、増殖培地の組成を最適化することによりキノベオンA生産能の高い細胞を得ることができることを示した。

 胚軸から誘導した培養細胞は上記のシステムではキノベオンA生産が認められなかった。そこでこのような培養細胞を用いてキノベオンA生産を行うために生産刺激物質を探索し、植物病原菌の細胞外多糖に強い活性があることを見いだし、この多糖がキノベオンA生産を刺激するためには多糖の結合様式および重合度が重要であることを明らかにした。さらに藍藻類の細胞壁にもキノベオンA生産を刺激する効果があることを見いだし、これらの刺激物質によりキノベオンA生産量を向上させることができることを示した。

 さらに、ベニバナ培養細胞を大量培養するためのバイオリアクターとしてシーソー型リアクターを開発し、細胞増殖およびキノベオンA生産のための最適な酸素移動速度係数を明らかにした。このリアクターは従来のジャーファメンターやエアーリフト型リアクターに比べ植物細胞にかかる機械的ストレスが小さくかつ大きな酸素供給速度を得ることができ、これまで大量培養が困難であった植物細胞にも適用できることを示した。

 以上の結果から、ベニバナ培養細胞からキノベオンAを効率的に生産するためのシステムを構築するとともに、本研究で開発した各手法が植物培養細胞からの有用物質生産に広く応用できることを示した。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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