学位論文要旨



No 110822
著者(漢字) 呉,芳鴦
著者(英字)
著者(カナ) ウー,ファンヤン
標題(和) 哺乳類の細胞遺伝学的検討 : I.ネコT-細胞リンパ腫の細胞遺伝学的所見 II.染色体標識法によるヒト及び哺乳類染色体の相同性の検討
標題(洋) Cytogenetic stydy in mammals : I.Cytogenetic findings in feline T-cell lymphomas II.Homologies in human and mammalian chromosomes revealed by in situ suppression hybridization with human chromosome specific DNA
報告番号 110822
報告番号 甲10822
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第976号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中込,弥男
 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 柳沢,正義
 東京大学 教授 藤原,道夫
 東京大学 講師 平井,久丸
内容要旨 I.ネコT-細胞リンパ腫の細胞遺伝学的所見1.はじめに

 発がんウイルスの研究、とくにレトロウイルスとその発がん遺伝子の研究の進展により、ウイルスが広く哺乳類のがんや白血病の原因となっていることは周知の事実である。ネコにおいても、ネコ白血病の50%以上にネコ白血病ウイルス(Feline leukemis virus:FeLV)、ネコ免疫不全ウイルス(Feline immunodificiency virus:FIV)、その他のウイルス感染が認められている。FeLVはレトロウイルスであり、主として唾液及び排泄物を経由して伝播される(水平感染)。FeLV持続感染ネコの約10〜15%には、リンパ種、白血病、骨髄増殖性疾患などの発症がみられる。

 一方、ヒトの白血病の多くは、病因ウイルスが明らかにされておらず、ウイルスが病因になっているとはいえない。しかし、ヒト白血病では、1960年に慢性骨髄性白血病細胞にフイラデルフイア(Pb1)染色体が発見されて以来、染色体検査技術の進展とあいまって白血病の病型に特異的な染色体異常が発見されてきた。さらに、こうした白血病にみられる転座や切断部位の近傍に、いくつかのがん原遺伝子が座位することが明らかにされてきた。

 ところで、ネコ白血病の染色体に関する研究は少なく、わずかに異数性、マーカー染色体などが指摘されているのみである。そこで、本研究では、発がん機構解明の一序とすべく、ネコ白血病における染色体異常を検討することとした。

2.対象及び方法

 用いた細胞は、T細胞リンパ種に感染した二匹のネコより樹立された細胞株(FT-1及びFT-G)であり、いずれもFeLV陽性である。なお、両方とも、T細胞受容体(TCR)の再配列が起こっている。

 各々の細胞を培地(RPMI 1640:含12%牛胎仔血清)中に約1×106個となるようにまき、37℃インキュベーターにて培養を行った。培養終了15分前にコルセミド(0.25ug/ml)を添加した。培養終了後、低張処理、固定を行い、染色体標本を作成した。

 作成した標本は、5〜10日後に5%トリプシン処理(20〜70秒)を施し、3%ギムザにて染色した。顕微鏡下で観察し、鮮明な分染像の得られたもののみ写真撮影をし、分析を行った。なお、分析はWurster-Hill & Grayの命名法に従った。

3.結果及び考察

 FT-1については分析細胞16、FT-Gが12細胞であったが、いずれも全て染色体数は38を示し、正常ネコの染色体数(2n=38)と変わらなかった。しかし、FT-1ではA2染色体の短腕の部分欠失が認められ、欠失部分がD3染色体の短腕部に転座していた-t(A2;D3)(p-;p+)(図1)。

 また、FT-Gにおいても同様に、A2の短腕の部分欠失が認められたが、欠失部分はB2染色体の短腕部に転座していた-t(A2;B2)(p-;p+)(図2)。

 これまでのネコ白血病と染色体異常に関する研究をみると、異数体、或いは異数性の異常が報告されている。しかし、これらはいずれも、通常のギムザ染色により検討されたものである。Gulinoは、本研究と同様、3種の細胞株を用いて分染法により検討している。その結果、染色体数にも多少の変化がみられているが、由来不明のマーカー染色体が認められている。今回検討した細胞株はいずれも染色体数は38と正常であったが、ヒト白血病にみられるごとく染色体転座を示しており、転座近傍部に何らかのがん遺伝子の存在することが示唆される。

 ところで、ヒト7番染色体に座位するmet oncogeneは、劣性遺伝病である嚢胞性織維症との関連性がいわれているが、ネコではA2染色体短腕部に座位する。従って、FT-Gの示したA2;B2転座にmet oncogeneの関与する可能性も考えられる。また、ヒトではmet遺伝子のごく近傍にTCRが座位しており、ヒト急性リンパ性白血病の一部にTCRが関与していることを考えると、TCRの関与の可能性もある。

II.染色体標識法によるヒト及び哺乳類染色体の相同性の検討1.はじめに

 近年、標識した遺伝子、或いはDNAマーカーをプローブとして、直接染色体標本上に分子雑種を形成させ、その遺伝子の存在部分を検出するin situ hybridization法の開発が試みられてきた。ことに、蛍光色素による染色を取り入れた蛍光in situ hybridization法が開発されて以来、ヒト・ゲノムDNAの染色体地図作成に大きく貢献している。

 一方、ヒト全DNA、或いは染色体特異的DNAライブラリーをプローブとし、蛍光in situ hybridization法を施し、ヒト染色体のすべて、または特定の染色体全体を染色することを染色体全ペンテイング(chromosome whole painting)と呼んでいる。この方法は染色体転座などの異常を調べることにも用いられているが、その際、ヒトの全染色体に共通な反復配列を予め抑えておく必要があり、この方法を特にchromosome in situ suppression(CISS)hybridizationと呼んでいる。

 ところで、染色体を通してヒトの進化をみた場合、ことにサルからヒトへの核型進化の研究は、染色体分染法の発展に伴い著しい進展をみており、ヒトの核型を構成する個々の染色体の由来は原猿類まで段階的にさかのぼることができるといわれている。しかし、分染パタンから比較した場合、比較の難しい部分は、本当に相同性がないのかは不明である。

 そこで、本研究では、CISS hybridizationを用いて、ヒト染色体との相同性が他の哺乳類でどの程度保たれているかを検討することとした。

2.対象及び方法

 プローブとして用いたヒト染色体は、4番、及び6番染色体(いずれもOncor社のwhole painting用DNA)である。なお、これらはあらかじめ、ニックトランスレーショシ法によりデオキシゲニン標識されている。さらに、変性後ヒト全ゲノムをcompetiterとして加え、反復配列を抑えてある。

 チンパンジー、シロテナガザル、アカゲザル、フサオマキザル、ワオキツネザル、ネコの血液を採取し(ヘパリン採血)、培養を行った。培養液はRPMI 1640(含12%牛胎仔血清)を用い、Phytohemagulutinine(3%)、或いはCon A(5ug/ml)をmitogenとした。培養終了1〜2時間前にコルセミド(0.25ug/ml)を添加した。培養終了後、低張処理、固定を行い、染色体標本を作成した。

 G-バンドを観察すべく、作成した標本は、4〜5日後に5%トリプシン処理(20〜70秒)を施し、3%ギムザにて染色した。顕微鏡下で観察し、鮮明な分染像の得られたもののみ写真撮影を行った。同一の染色体標本を脱色し、70℃の70%ホルムアミド/2×SSC(2分間)にて変性させた。変性後、37℃インキュベーター中でプローブとハイブリダイズさせた(16〜18時間)。その後、洗浄し、プローブはFITC-rabblt anti-sheep lgGで標識し、染色体はProplum lodode(PI)で染色を行った。染色後蛍光顕微鏡にて観察し、写真撮影を行った。

3.結果及び考察

 70年代にはいり、染色体の各種分染法が確立され、分染パタンを比較することによって、個々のヒト染色体の由来を原猿類にまで段階的にさかのぼることができる。即ち、ヒト染色体パタンと相同性を比較すると、類人猿であるチンパンジーと旧世界ザルであるアカゲザル染色体においては、ヒト染色体とは80%以上と非常に高いレベルの相同性がみられている。一方、シロテナガザルも類人猿ではあるが、ヒト染色体との相同性は非常に低い。なお、原猿類と新世界ザルについての報告は少なく、それらの結果ではノドジロオマキザルとネズミキツネザルでは、いずれも7本の染色体がヒトの1、2、6、9、11、12番及び染色体と相同であるといわれている。

 ところで、近年CISSハイブリダイゼーション法が開発され、この方法により分染パタンの相同性をDNAレベルの相同性により、分析を行うことができるようになった。

 Ohno(1969年)によると、遺伝子連鎖の相同性から、哺乳類の進化の課程においてX染色体は最も高度に保存されているという。ところが、Wienbergらは、9種類の類人猿から原猿類までの霊長類とネコ、及びマウスにCISSハイブリダイゼーションを用いてX染色体のペインテイングを試みている。9種類の霊長類ではX染色体が保存されていることが確認されたが、霊長類以外のネコ、マウスではヒトX染色体はペインテイングされなかった。

 本研究は、ヒト4番と6番DNAライブラリーを用い、CISSハイブリダイゼーション法によって、5種類の霊長類及びネコ染色体について検討した。表1にその結果を示す。ヒト4番と6番染色体は、シロテナガザル染色体においてはいずれも再配列されている。チンパンジーとアカゲザルの4番と6番染色体及びフサオマキザルの4番染色体においては完全に保存されている。なお、ニホンザルにおいては全ての染色体について、ヒト染色体との相同性をWienbergらが検討しており、今回の結果と同様である。一方、ヒトの6番染色体は由来を新世界ザル(フサオマキザル)までさかのぼることができたが、ヒト4番染色体では旧世界ザル(アカゲザル)までであった。ただし原猿類(ワオキツネザル)とネコの染色体においては、ヒト4番或いは6番染色体との相同性は検出できなかった。

Table 1.Homologies in human and mammalian chromosomes detected by in situ suppression hybridization using human chromosome 4 and 6 DNA libraries as probes

 分染パタンからシロテナガザル染色体はヒト染色体との相同性が低いと推測されていたが、今回の結果では、4番、6番はいずれも保存されていることがわかった。なお、Wienbergらも7番についてシロテナガザルについて検討しており、ヒトの7番に再配列があることが報告されている。これらのことからCISSハイブリダイゼーション法は種間染色体進化より詳細な情報を提供することが可能であると考えられる。

審査要旨

 本研究はまず二種類のネコT細胞リンパ腫のcell linesについて、G-バンド法による染色体分析を行い、それぞれのcell lineに特徴的な相互転座を検出した。また、染色体転座に関係した染色体の進化における保存性を検討する目的で、最近開発された技術であるCISS(chromosomal in situ suppression)ハイブリダイゼーション法を用い、下記の結果を得た。

 1、二種類のネコT-細胞リンパ膓のcell lines中において、一種類のcell line(FT-1)ではt(A2;D3)(p-;p+)、ほかの一種のcell line(FT-G)ではt(A2;B2)(p-;p+)の相互転座があることを証明した。

 2、二種類のネコT-細胞リンパ腫のcell linesにおいてA2染色体短腕の切断が共通にみられた。関係する3種の染色体の内、B2はヒトの6番とかなりの程度に共通の遺伝子座位を含むことが判っている。D3については知見が少ない。A2については7番と2-3の座位が共通とされているが、対応関係が明確ではない。

 3、そこで6番DNAライブラリーを用い、CISSハイブリダイゼーション法によって、霊長類及びネコ染色体について検討することとした。霊長類としてはチンパンジーおよびシロテナガザル(何れもオランウータン科)、アカゲザル(旧世界ザル)、フサオマキザル(新世界ザル)、ワオキツネザル(原猿類)という猿の全体をほぼ代表する5種類を選んだ。比較のため4番DNAライブラリーもプローブとして用いた。

 4、ヒト4番と6番染色体はチシパンジーとアカゲザルでは良く保存されていた。フサオマキザルでは4番染色体のみが良く保存されていた。シロテナガザル染色体においては2本とも再配列が生じていた。ヒト4番染色体とシロテナガザルの2q、4p及び18q染色体とは相同であり、そしてヒト6番染色体とシロテナガザルの2p、20染色体とは相同であることが明らかになった。

 5、ただしワオキツネザル(原猿類)とネコの染色体においては、ヒト4番或いは6番染色体との相同性は検出できなかった。この事実は両者が、残る4種の霊長類に比べ進化的にヒトから大きく離れていることを物語っている。

 以上、本論文はネコT細胞リンパ腫において初めて染色体転座を記載した点で意義があると考えられる。ヒト白血病の中には、染色体転座により遺伝子の再配列がおこり、遺伝子発現の異常により発症してくるものがかなり知られている。他方ネコの白血病ではウイルスにより発症してくるものが比較的多く、染色体異常に関しての知見は少ない。特に両者に共通の切断点を含め、3箇所の染色体切断点を同定したことは意義が大きい。

 また前記3箇所の切断点を含む染色体について進化レベルの比較により、2種の転座の発がんにおける意義を明らかにできる可能性を考慮した。3種の染色体とヒト染色体との比較マッピング所見などに基づき、内1本に対応するヒト6番のプローブを用い、対照の4番プローブと共にCISSハイブリダイゼーション法により、チンパンジーから原猿類にわたる5種の猿における染色体の保存性を解析した。その結果、チンパンジーとアカゲザルでは両染色体共形態、相同性が保存されているのに対し、シロテナガザルではアカゲザルよりヒトに近いと考えられているのに両染色体ともに構造異常を生じていること、またヒトの6番染色体は由来を新世界ザル(フサオマキザル)までさかのぼることができたが、4番では旧世界ザル(アカゲザル)止まりであった。これら染色体の相同性と起源の解明に重要な貢献をなすと考えられる。以上の結果を総合すると、学位の授与に値するものと考えられる。

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