学位論文要旨



No 110823
著者(漢字) 戴,小燕
著者(英字)
著者(カナ) タイ,シャオイエン
標題(和) 孤発性アルツハイマー病とAPOLIPOPROTEIN Eとの関連
標題(洋) ASSOCIATION OF APOLIPOPROTEIN E WITH SPORADIC ALZHEIMER’S DISEASE
報告番号 110823
報告番号 甲10823
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第977号
研究科 医学系研究科
専攻 保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松下,正明
 東京大学 教授 中込,彌夫
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 講師 天野,直二
内容要旨 はじめに

 アルツハイマー病(Alzheimer’s disease以下ADと略)は、初老期から老年期に発症する痴呆性疾患のひとつである。症状は記憶、記銘力低下からはじまり、経過とともに失語、失認、知的低下、性格変化へ進み、末期には高度の痴呆となる。神経病理学的特徴としては脳の神経細胞の広範囲の脱落および老人斑(senile plaque)、脳血管アミロイド(vascular amyloid)、アルツハイマー神経原繊維変化(neurofibrillary tangle)といった異常構造の出現があげられる。日本では、痴呆性疾患の約3割がADと診断されており、ADの原因究明は重要な課題となってきている。

 このADの発病機序はほとんど知られていないが、遺伝因子の関与が推定されている。その根拠として、ダウン症候群の脳における病理学的変化の特徴とADが同じであること、一つの家系に多数のAD患者が発症する家族性アルツハイマー病(Familial Alzheimer’s disease以下FADと略)が存在することなど臨床遺伝学上の証拠があげられる。近年、分子遺伝学の発展とともに、この分野におけるADの遺伝学的解明が、FADを中心に行われるようになった。すなわち、St George-Hyslopら(1987)をはじめとする一連の報告で早期発症のFADにおいて21番染色体上のマーカーと連鎖が示された。また、老人斑を作るアミロイドタンパク質の前駆体タンパク(APP)遺伝子のいくつかの点突然変異(コドン717のVal→Ile,Val→Gly,Val→Phe,コドン670と671)が、早期発症の一部のFADと共分離することが報告された。さらに早期発症のFADの大部分は、第14番染色体長腕のマーカーと、また晩期発症のFADでは第19番染色体長腕上のマーカーと連鎖することがみいだされた。

 さて、昨年Strittmatterらは、晩期発症のFADとApolipoprotein(アポE)遺伝子型との関連を報告した。アポEにはアポE-234の3種類のアリルが知られているが、晩期発症FAD患者にはアポE-4を持つものが多い、すなわちアポE-4が危険因子であることを示した。その後、孤発性アルツハイマー病(sporadic AD以下SADと略)また晩期発症のSADにおいても同じようにアポE-4との関連が知られた。FADが稀にしか観察されないものであるのにたいしてSADは通常みられるものであり、これらの所見のもたらす意義は大きい。また興味深いことには早期発症のFAD、とりわけ14番染色体長腕のマーカーと連鎖する型については、アポE-4との関連はみられないか、APP717のmutationのある型については、同様の関連を示すことが知られた。

 以上のようにSAD,あるいは晩期発症のSAD,早期および晩期発症のFADとアポEとの関連は検討されているが、早期発症のSADについては、Lannfelt et al.(1994)が、わずか5例において検討しているのみである。そこで我々は早期および晩期発症のSADを対象にし、アポE遺伝子多型との関連を検討したので報告する。

対象と方法対象

 対象はNINCDS-ADRDAの診断基準によって、probable Alzheimer’s diseaseと診断されたSAD患者88例(男性29名、女性59名、平均年齢=74.9±9.3歳)及び一般集団の対照群93例(平均年齢=33.9±17.1歳)である。NINCDS-ADRDAの診断基準に従って、患者群をさらに発症年齢が65歳以上の晩期発症と65歳以下の早期発症にわけたところ、早期発症患者群が29名、晩期発症患者群が59例であった。対照群のうち83名が帝京大学の職員・学生で、その他10名は65歳以上の健常老人であった。なお本研究は、帝京大学倫理委員会の承認を得た上で行われた。

 対象群(患者88例)は家族歴のないSADであるが、アポE-4の頻度に影響を与えるAPP-717の点突然変異をあらかじめ除外するため、これを検索した。

方法

 これらの対象について末梢血より採血し、フェノール法でゲノムDNAを抽出した。

1.Direct sequence

 5例の患者についてはAPP遺伝子のエクソン17について特異的プライマー(APP-717-Val primer FおよびAPP-717-Val primer R)を用いてPCR法で増幅し、319bpの断片を得たのちDNA scquencer(Applied Biosystem373A)で直接塩基配列を決定した。

2.APP-717-Val→Ile(TC→TC)点突然変異のスクリーニング

 Goateらの方法を用いた。上記と同様の方法で319bpの断片を得、制限酵素Bc/I切断した。つぎに5%polyacrylamide gelで電気泳動後、エチジ ウムブ ロマイドで染色した。PCR産物中にBc/Iの認識部位(T/GATCA)が存在すれば、l99bpと120bpの断片が得られる。これを利用して点突然変異の有無を検索した。

3.APP-717-Val→Gly(GC→GC)点突然変異のスクリーニング

 Mismatch-PCR-RFLPの方法を用いた。プライマーの設計は図1で示すように変異が予測される部位の5’側すぐとなりの塩基をプライマーフォワード(APP-717-Gly primer P)の3’末端とし、そこから5’側へ4番目の塩基をかえた(T→A);プライマーリバースはAPP-717-Val primer Rを使った。これらのプライマーで増幅したPCR産物(140bp)を制限酵素MaeIIで切断した。点突然変異がない場合、PCR産物にはMaeIIの認識部位であるA/CGTが存在し、MaeIIで切断され122bpの断片が観察される。突然変異がある場合は、A/CG(点突然変異G)となり切断されない。これを利用して変異の有無を検討した。

4.APP-717Val→Phe(TC→TC)点突然変異のスクリーニング

 PASAの方法を用いた。図2で示したようにプライマーフォワードはAPP-717-Val primer Fを使ったが、プライマーリバース(APP-717-Phe primer M)は変異が検出できるように設計した。この二つのプライマー(APP-717-Val primer F、APP-717-Phe primer M)を用いてPCR法で増幅し、5%polyacrylamide gelで増幅の有無を確認した。増幅が確認されたものは点突然変異あり、と判定した。PCRの条件を決定するため、野生型アリルプライマー(APP-717-Phe primer N)(図2)でのPCRをあらかじめ試みた。プライマーセットI(APP-717-Phe primer N,APP-717-Val primer F)を用いて野生型アリルの増幅を確認し,プライマーセットII(717-Val primerF,717-Phe-primer M)で点突然変異の有無を検討した。

図表Fig.1 Scheme of mismatch PCR RFLP testing method. / Fig.2 Primers’ sequences for PASA
5.アポE遺伝子型の分析

 Wenham et al.(1991)の方法で遺伝子型を検討した。特異的プライマーを用いてアポEの遺伝子をPCR法で増幅し、5%のpolyacrylamide gelで電気泳動したのち、制限酵素CfoIで切断処理し、20%polyacrylamide gelで100v、1h泳動しさらに250vで2.5h泳動した。その後、ゲルをエチジウム ブロマイドで染色しバンドの同定を行った。

結果

 今回、すべての患者について報告されているAPP-717遺伝子の点突然変異(APP-717 Val→Ile,APP-717Val→Gly,APP-717Val→Phe)をスクリーニングしたが、APP-717の点突然変異はいずれも認められなかった。

 患者群と対照群のアポEのアリルの頻度は表1に示す。今回、対照群の年齢をマッチさせなかったが、アポE遺伝子頻度は他の日本人についての報告:Uekiら(1993)2=6%,3=88%,4=6%;Noguchiら(1993)の2=4%,3=86%,4=9%(1993)とほぼ同じであった。4のアリルの頻度については、対照群の10%に対し、患者群は31%であり、これまでの研究結果と同じく、患者群の頻度は有意に高かった(P<0.001,X2=26.1,df=1)。特に発症年齢別では発症年齢65歳以下である早期発症群が4アリルの頻度で45%で、晩期発症群の25%より高かった。表2は遺伝子の各サブタイプの出現頻度を示した。対照群の4の遺伝子型の分布はハーディワインベルグの法則に一致していた。4アリルをヘテロ接合体或はホモ接合体でもつ者のADの相対危険は5.9倍で有意に高かった(95%信頼区間(CI)3.1-11.3)。この相対危険率は早期発症群で11.7倍(95%CI,4.9-28.3)で、晩期発症群の4.3倍(95%CI,2.1-8.8)より高く、特に4をホモ接合体で持つ患者の早期発症ADの相対危険率は14.7倍であり、有意に高い(95%CI,2.5-85.1)。また患者の早期発症群では4アリルを持つものが14%(4/29)で、晩期発症群の2%(1/59)より有意に高い(P=0.039,Fisherの直接確率法)。また、患者群で4ホモ接合体の平均発症年齢は58.6±11.5歳であり、その他の型の平均年齢(68.4±9.8歳)より有意に低かった(P<0.05,t=2.1 d.f.=48)。

図表Table 1 Apolipoprotein E allele frequencies in patients and controls / Table 2 Apolipoprotein E genotype distributions in patients and controls
考察

 孤発性アルツハイマー病とアポE遺伝子多型との関連、とりわけ早期発症型と晩期発症型について比較検討した。患者群のアポE-4頻度は、対照群に比べ有意に高かった。この関連は早期発症型で顕著であった。4をホモ接合体で持つ患者の早期発症ADの相対危険率は14.7倍ときわめて高く、重要な危険因子と考えられた。

 すでに述べたように、SAD、あるいは晩期発症のSAD、早期および晩期発症のFADとアポEとの関連は検討されているが、早期発症のSADについては、Lannfelt et al.(1994)がわずか5例において検討しているのみである。かれらは早期発症のSADのみならず晩期発症のSADにおいても、アポE-4との関連を認めなかったと報告している。これ以外にも早期発症と晩期発症について検討している2つの研究があるが、対象がFADであるかSADであるかは明確でない。いずれにせよアポE-4の頻度に影響を与えるAPP717の変異を対象から除外していない。

 難波らはAD脳の老人斑や神経繊維にアポEが存在することを免疫組織化学的にみいだし、本疾患とアポEとの関連を初めて指摘した。しかしアポEがADの発症にどのように関わっているかはまだ明かでない。わずかにStrittmatterら(1993)がアポEにタンパクが結合しやすいために、アポEが不可溶性アミロイドの形成に作用し、不可熔性アミロイドが沈着すると推定しているのみである。したがって発症機序の解明はこれからの課題である。

 また今回の研究によってアポE-4は孤発性ADとりわけ早期発症の重要な危険因子であることがわかった。したがってアポE-4はADの診断の遺伝的標識となることが期待される。

審査要旨

 本研究は早期および晩期発症のSADを対象にし、アポE遺伝子多型との関連を検討したものである。対象はNINCDS-ADRDAの診断標準によって、probable Alzheimer’s diseaseと診断されたSAD患者88例(男性29名、女性59名、平均年齢74.9±9.3才)及び一般集団の対照群93例(平均年齢33.9±17.1才)である。NINCDS-ADRDAの診断基準に従って、患者群をさらに発症年齢が65歳以上の晩期発症と以下の早期発症にわけた:早期発症患者群が29名、晩期発症患者群が59例であった。対照群のうち10名は65歳以上の健常老人であった。患者群(88例)は家族歴のないSADであるが、アポE-4の頻度に影響を与えるAPP-717の点突然変異をあらかじめ除外するため、これを検索した。今回、下記の結果を得ている。

 1.Wenham et al.(1991)の方法でアポE遺伝子型の分析を検討したところアポE多型4とアルツハイマー病との関連性がみられた。特異的プライマーを用いてアポEの遺伝子をPCR法で増幅し、5%のpolyacrylamide gelで電気泳動したのち、制限酵素CfoIで切断処理し、20%polyacrylamide gelで100v、1h泳動しさらに250vで2.5h泳動した。その後、ゲルをエチジ ウムブ ロマイドで染色しバンドの同定を行った。その結果患者群と対照群のアポEのアリルの頻度次の通りである:対照群は2=4%,3=87%,4=10%;患者群は2=2%,3=67%,4=31%であった。4のアリルの頻度については、対照群の10%に対し、患者群は31%であり、これまでの研究結果と同じく、患者群は有意に高い頻度を示した(P<0.001,X2=26.1,d.f.=1)。特に発症年齢別では発症年齢65歳以下である早期発症群が4alleleの頻度が45%で、晩期発症群の25%よりきわめて高かった。対照群の4の遺伝子型の分布はハーディワインベルグの法則に一致していた。4アリルをヘテロ接合体或はホモ接合体でもつ者のADの相対危険率は5.9倍で有意に高かった(95%信頼区間CI,3.1-11.3)。この相対危険率は早期発症群で11.7倍(95%CI,4.9-28.3)で、晩期発症群の4.3倍(95%CI,2.1-8.8)より高く、特に4をホモ接合体で持つ患者の早期発症ADの相対危険率は14.7倍で高かった(95%CI,2.5-85.1)。また患者の早期発症群では4アリルを持つものが14%(4/29)で、晩期発症群の2%(1/59)より有意に高い(P=0.039,Fisherの直接確率法)。患者群で4ホモ接合体の平均発症年齢は58.6±11.5歳であり、その他のタイプの平均年齢(68.4±9.8歳)より有意に低かった(P<0.05,t=2.1 d.f.=48)。

 2.今回アポE-4の頻度に影響を与えるAPP-717の点突然変異をあらかじめ除外した。そのうち5例の患者についてはAPP遺伝子のエクソン17について特異的なプライマーを用いてPCR法で増幅し、319bpの断片を得たのちDNAsequencer(Applied Biosystem 373A)で直接塩基配列を決定した。すべての患者についてAPP-717遺伝子の点突然変異(APP-717 Val→Ile,APP-717 Val→Gly,APP-717 Val→Phe)をRFLP PCR,Mismatch RFLP PCR,PASA PCR法でスクリーニングしたが、全サンプルには、APP-717遺伝子の点突然変異は認められなかった。

 以上、今回の研究によってアポE-4は孤発性ADとりわけ早期発症の重要な危険因子であることがしられた。したがってアポE-4を持ちながら発症しなかった健常者の環境要因の分析によって、ハイリスクにある若年者にたいする予防因子を解明できることが期待される。

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