学位論文要旨



No 110826
著者(漢字) ファルーク,レザ
著者(英字) FAROOQ,REZA
著者(カナ) ファルーク,レザ
標題(和) 免疫化学的手法によるリン脂質-タンパク質間の特異的相互作用の解析 : プロテインキナーゼC上のリン脂質認識部位の同定
標題(洋) Immunochemical approach to study specific lipid-protein interaction : Identification of two distinct phospholipid binding sites on protein kinase C.
報告番号 110826
報告番号 甲10826
学位授与日 1994.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第689号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨 <1>序:リン脂質-蛋白質間の相互作用を解析する際の問題点

 リン脂質分子は生体膜のバリアーの主体としての機能のほか、様々な蛋白質と相互作用することによりその活性を制御するいわゆるバイオモジュレーターとしての機能を有することが示されつつある。例えば、ホスファチジルセリン(PS)は、プロテインキナーゼCの活性化、血液凝固反応の進行、肥満細胞の脱顆粒などの必須の因子として働くことが知られている。これらの反応が進行するに当たっては、PS分子の極性頭部の立体構造をも含めその分子構造がきわめて厳密に要求され、おそらくPSが標的蛋白質と特異的に相互作用することによりその生理活性を発揮していると考えられる。しかし、リン脂質分子は常に分子集合体を形成しており、また蛋白質に非特異的に結合するために、リン脂質-蛋白質間の特異的な相互作用を分子レペルで解析することが現在のところきわめて困難である。プロテインキナーゼC(PKC)は細胞の情報伝達の中心的役割を担う酵素であり、PKCとホスファチジルセリン分子との間の相互作用について様々な検討がなされている。しかし、これまでのところPKC分子上にホスファチジルセリンと特異的に相互作用する部位が存在するのか否か、あるいはどの部位でリン脂質と相互作用しているのかについては未だ明らかにされてはいない。一方、抗リン脂質抗体をリン脂質と相互作用する一連の分子群としてとらえると、モノクローナル抗体分子は蛋白質-リン脂質間の相互作用を分子レベルで解析するにあたっての非常に多様なモデルシステムを提供しえる。本研究では、ホスファチジルセリンに対するモノクローナル抗体の抗原認識部位に対する抗体(抗イディオタイプ抗体)を用いることにより、PKC上のリン脂質認識にかかわる構造の解析を行なった。その結果、以下の点が明かとなった。

 1)PKC上に抗体分子と相同のホスファチジルセリンを特異的に認識する構造が存在する。

 2)上記のホスファチジルセリン特異的認識部位のほかに、酸性リン脂質を非特異的に認識する別個のリン脂質結合部位が存在する。

 3)抗イディオタイプ抗体を用いたエピトープマッピングによりPKC上のホスファチジルセリン特異的認識部位が推定された。

<2>抗イディオタイプ抗体のPKCへの結合性

 衛生裁判教室におけるこれまでの解析により、以下の点が明らかにされている。1)ホスファチジルセリンをマウス脾臓に直接免疫することにより、ホスファチジルセリンを極めて特異的に認識するモノクローナル抗体と、様々な酸性リン脂質に広く交叉性を示すモノクローナル抗体が得られた。2)抗体分子の可変部アミノ酸配列からの抗原結合部の高次構造予測から、ホスファチジルセリン特異的モノクローナル抗体(PS4A7)の抗原結合部位は深いポケット様(cavity)の構造であるのに対し、多結合性のモノクローナル抗体(PSG3)のそれは浅い溝様(groove)の構造を取ると推定された。3)上記の抗ホスファチジルセリンモノクローナル抗体の抗原結合部位に対するモノクローナル抗体(抗イディオタイプ抗体)のうちのあるものが血液凝固第V因子上のリン脂質結合部位を認識する。私は、上記のホスファチジルセリン特異的抗体(PS4A7:caviy型)および多結合性坑リン脂質抗体(PSG3:Groove型)のリン脂質結合部位に対するモノクローナル抗体(以下、それぞれanti-cavity mAbおよびanti-groove mAbと呼ぶ)をもちいて、生体内リン脂質結合蛋白質の検索を開始した。その過程で、ラット脳の可溶性蛋白質がanti-cavity mAb(Id8F7)と強く交叉することを見い出した。そこで、精製を進めたところ、その交叉性蛋白質はPKCであることが明かとなった。さらに上記の部分精製PKCはanti-groove mAb(Id4H4)とも強く交叉することが明かとなった。以後、典型的なanti-cavity mAb(Id8F7)およびanti-groove mAb(Id4H4)を用いてのPKCへの反応性の解析を行なった。その結果、1)ラット脳より精製したPKCを固相上に固定し、抗イディオタイプ抗体の結合性をELISAにより検討すると、anti-cavity mAbおよびanti-groove mAbの両者が3種のPKCに強く結合する。2)anti-caviaty mAbのPKCへの結合はPSによってのみ競合的に阻害されるのに対し、anti-groove mAbの結合はPSおよびPIにより阻害を受ける、3)anti-cavity mAbのPKCへの結合は、PSの合成アナログであるphosphatiydyl-D-serineあるいはphosphatidyl-homoserineにより競合されない、4)anti-cavityおよびanti-groove mAbのPKCへの結合は互いに競合しない、ことが明かとなった。これらの結果は、PKC上にanti-cavity mAbにより認識されるPS特異的結合部位とanti-groove mAbにより認識されるPSおよびPI等の酸性リン脂質に結合する、少なくとも二つのリン脂質結合部位が存在することを示唆している。

<3>PKC上のリン脂質結合部位の解析

 anti-cavityおよびanti-groove mAbをプローブとしてPKC上でのリン脂質結合部位の検索をリコンビナントPKCフラグメントを用いて行った。まずPKC()の制御ドメイン中のC1およびC2領域よりなるペプチドフラグメントへの結合をELISAにより検討したところ、anci-cavity mAbはC2フラグメントのみに、またanti-groove mAbはC1およびC2の両フラグメントヘ強い結合性を示した。さらにC2フラグメントを各種プロテアーゼにより限定分解し、逆相HPLCで分画した後、各フラグメントへの結合性を解析したところ、anti-cavity mAbとanti-groove mAbは各々異なったフラグメントに対して結合性を有することが示された。anti-cavity mAbについて、さらに結合性を有するフラグメントを精製し、各々のアミノ酸配列を決定したところ、エンドプロテイナーゼLys-CおよびエンドプロテイナーゼASP-N処理により得られたフラグメントはいずれもPKC-C2領域内のカルシウム依存性リン脂質結合ドメイン(CaLBドメイン:calcium-depenent phospholipid bindingドメイン)のC末端部分あるいはC末端側に隣接するペプチドであることが明かとなった。anti-cavity mAbのPKCへの結合はカルシウムの存在の有無には関わり無いことから、おそらくCaLBドメインとは異なる隣接する部位がPSの特異的認識に関わると考えられる。また、arti-cavity mAbのPKCへの結合はジアシルグリセロール存在下で顕著に促進されることが示された。以上の解析により、PKC上に抗体分子と相同の構造を有するcavity型およびgroove型の二つの独立なPS結合部位が存在することが明かとなった。cavity型部位は酵素活性のアロステリックな制御に、groove型部位は膜への結合に関与していると想定される。

<4>考察

 PKCのほか、血液凝固反応の進行にもPSが必須の因子であることは古くから知られている。上記のanti-cavicy mAb(Id8F7)およびanti-groove mAb(Id4H4)はいずれも血液凝固因第V、VIII因子に対して強く交叉し、またカルシウム存在下においてのみ血液凝固第X因子およびプロトロンビンに結合することが当研究室の最近の研究により明らかにされている。これらの知見は、PS認識に関わる構造モチーフが生体内蛋白質に広く共有されていることを示している。また抗イディオタイプ抗体が蛋白質のコンフォメーション変化に伴うリン脂質結合部位の動態を解析する上で、さらに新たなリン脂質結合蛋白質を検索する上で有用な手段を提供し得ると考えられた。

審査要旨

 リン脂質のうち、PAF、PA(ホスファテジン酸)、PS(ホスファチジルセリン)などは様々なタンパク質と相互作用することによって直接あるいは間接的に細胞活動を制御するバイオモジュレーター、メディエーターとしての機能をはたす。PSはプロテインキナーゼC(PKC)の活性化、血液凝固反応の進行、肥満細胞の脱顆粒、マクロファージよりのNO産生の抑制などに関る。これらの作用はPSと特定タンパク質の相互作用の結果もたらされると考えられるが、リン脂質とタンパク質間の"特異的"相互作用を分子レベルで解析することは、1)リン脂質が常に水溶液中で分子集合体を形成していること、2)リン脂質がタンパク質と非特異的、疎水的に結合しやすいこと、などの理由で困難であった。

 PKCがPSによって活性化されることはよく知られていたが、PKC分子上にPSと特異的に結合するサイトがあるのか、又、あるとするとPS結合ドメインは分子上どこにあるのか、不明であった。

 そこで本研究においては抗-PS抗体をPS-結合性タンパク質のモデルとしてとらえ、抗-PS抗体に対する抗イディオタイプ抗体を用いてPKC上のリン脂質認識にかかわる部位の解明をめざした。

1.抗イディオタイプ抗体のPKC分子への結合

 抗-PS特異抗体(PS4A7)に対する抗イディオタイプ抗体(Id8F7)および抗-酸性リン脂質抗体(PSG3)に対する抗イディオタイプ抗体(Id4H4)を調製し、ラット脳より精製した,,PKCとの反応性をELISAによって検討したところ、両イディオタイプ抗体ともに,,-PKC分子と結合した。それぞれの結合は競合的ではなく、又前者はPSにより特異的に阻害され、後者はPS,PIなど酸性リン脂質の存在によって阻害された。PKC分子上にPS特異的結合サイト、酸性リン脂質結合サイトが独立に存在する事が明らかとなった。

2.PKC上のリン脂質結合部位の解析

 Id8F7、Id4H4抗体結合部位の検索をリコンビナントPKC断片を用いて行った。-PKCのC1、C2ドメインよりなるペプチド断片への両抗体の結合性を検討したところ、Id8F7はC2にのみ、Id4H4はC1、C2断片ともに結合した。PS特異的結合部位はC2ドメインに、酸性リン脂質結合部位はC1、C2ドメイン両方に存在すると思われる。C2断片について、さらにプロテアーゼによる限定分解をおこない、逆相HPLCによる分画について検討したところ、図に示す部位をそれぞれ同定することが出来た。Id8F7のこの部位への結合はジアシルグリセロールによって調節されている事も判明し、この部位が活性制御に深く関ることが明らかとなった。

PKC分子上の抗-イディオ抗体結合部位の同定

 以上、本研究はこれまで解明への糸口の見つからなかったPKCのリン脂質による活性制御機構について抗-リン脂質抗体とその抗イディオタイプ抗体を利用する事によって解明へのきざしを示したもので、細胞生物学、薬学への貢献があり博士(薬学)の学位に価すると判定された。

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