J.Piagetが発達研究に導入し、現在でも我々の子ども観に大きな影響を及ぼしている概念として自己中心性がある。本研究は、その中でも、他者の視点から世界がどのように見えるかを幼児が理解できないことを意味する空間的自己中心性を批判的に検討して、それにかわる新たな考え方を提案することを目的とする。 空間的自己中心性について調べる課題として、テーブル上に置かれた複数の対象を自己以外の視点から見るとどのような配置に見えるかを予測させる「3つ山問題」が著名である。Piagetによれば、8歳以前の子どもは、自分に見えている配置をイメージ上で変換操作できないために、自分からの見えをそのまま答えてしまうことが多いという(自己中心的誤答)。この考え方を本稿では自己視点固執説と呼ぶ。これによると、幼児の空間認知は自己視点に中心化することとして特徴づけられ、発達とはイメージ変換能力が向上し自己視点を相対化できるようになることとして捉えられる。 本研究の第1章では、自己視点固執説の実証的根拠を、Piaget自身が報告したデータをたどり、そこに近年の研究成果を補足しながら検討した。その結果、(1)自己中心的誤答は必ずしも典型的な誤答とは言えない、(2)他視点の最も近くに何があるかという個別の近接関係なら3歳児でも理解できる、(3)自己中心的誤答が見られる場合でも、自己視点に中心化した結果というより、布置の各要素が周囲の空間的文脈に関係づけられたためだと解釈できる--これらが明らかになった。したがって自己視点固執説は確かな経験的根拠をもたず、子どもの空間認知を特徴づける見方として不適切である。 ではどのように考えればよいだろうか。自己視点固執説では、問題解決の際に子どもが利用する空間的情報は、子ども自身の視点に結び付いたものだけに限定して仮定されたが、近年の知見によれば、布置の外側まで含めた文脈情報を子どもは暗黙のうちに利用しており、それが自己中心的誤答等の誤答をもたらしている。したがって多様な空間的情報の中から子どもがどのような情報を選択しまとめるのか(これを本稿では「再組織化」と呼ぶ)に注目すべきである。空間認知の発達とは、その際に子どもが考慮する制約条件、即ち再組織化原理が変化することである。3つ山問題に即して言えば、他視点との個別の近接関係は3歳から理解できるのだから(上述の(2))空間的文脈の影響を遮断して特定の視点のみとの関係づけを布置全体に一貫させられるかどうかが発達上のポイントとなる。この考えによれば、3つ山問題が問題にしている他視点どころか、自己視点との関係づけを一貫させることすらも、子どもにとって必ずしも容易ではないことになる。これは自己視点固執説とは反対の考え方である。本稿では、布置を選択的に自己視点とだけ関係づけて再組織化することを「切り取り」と呼ぶ。「切り取り」は、現象としては自己視点に「固執」することだが、一定の状況の下で子どもが選択的に採用する再組織化原理に基づくものであり、通常条件下では必ずしも優勢な反応でないと仮定する点で自己視点固執説と異なる。 「切り取り」について2つの理論的問題を提起する。第1は「切り取り」という心的操作が確かに存在し明確な発達的変化を伴うか、である。次の3点を実験で調べる。(a)通常の条件において幼児は「切り取り」でない再組織化--自己視点以外の文脈情報に基づく再組織化をする。(b)課題の条件を工夫すると幼児も「切り取り」ができる。(c)通常の条件で発達的変化を調べると、(a)のような再組織化から「切り取り」へという変化が見られる。第2の問題は「切り取り」を生じさせる認知機構についてである。主体の意図的な再組織化としての「切り取り」の前過程として、刺激の側からボトムアップに生じる機械的な「切り取り」の過程があると仮定した。選択的な「切り取り」は、ある状況の下で主体が機械的な「切り取り」過程を再組織化原理として採用し表象することで生じると考えた。 第2章では第1の問題を検討した。実験1・2では、テーブル上に立てられたスケッチブックの表の面に描かれた左右2つの図形と「そっくりな絵」を、その裏側に行って描くよう5〜6歳児に教示した。特別の実験操作を加えない場合(実験1)は、スケッチブック越しに対応する位置に再生する左右逆転(鏡映像)反応が多かった。この反応はひとりの子どもの中で安定しており、左右の混乱というよりも、各図形の位置をそれぞれスケッチブックの外側に関係づけた結果だと解釈される((a)の検証)。実験2では、そのような外側への関係づけを遮断する実験操作を加えたところ(例えば呈示時にスケッチブックを一回転させる)、左右関係を保持する再生が増加した。これは2つの図形を自己視点からの見えとして「切り取る」再組織化が行なわれたことを示す((b)の検証)。実験3以降は、3つの対象をテーブル上に配置したもの(被験者から見て左手前にA・中央奥にB・右手前にC)を、後ろを向いて背後の別のテーブル上に再生させる課題を用いた。実験3・4では、被験者に呈示対象と同じものを与え、背後に「いま見えているとおりに」位置関係を再生するよう求めた。結果は、(後ろを向いた被験者から見て)左手前にC・中央奥にB・右手前にAという鏡映像が再生されることが多かった((a)の検証)。実験5では、周囲との関係づけを遮断することを示唆する実験操作を加え(例えば呈示布置を予め蝿帳で覆っておく)、自己視点からの見えを正確に再現する反応が増加することを示した((b)の検証)。実験6・7では、幼児から小学校6年生までの発達的変化を調べた。幼児と小学校1年生では鏡映像による布置の再生が多く見られたが、2年生以降は布置を自己視点からの見えとして「切り取る」反応が優勢になった((c)の検証)。第2章の討論では、平面上への再組織化としての描画についての先行研究を(a)〜(c)の観点からレビューし、再組織化の発達に共通の点として(1)年少段階での再組織化原理の複数性と、(2)発達につれてそれらがひとつの「正解」に収斂することを指摘した。(2)の原因としては、文化的所産としての様々な空間モデル(描画や幾何学)を子どもが学習する過程で、その背後にある再組織化原埋を取り入れ、規準として参照するようになるからではないかと考察した。 第3章では、前述の第2の問題に関して、特別な条件下では主体の意図から独立して「切り取り」が生じることを実験で示した。即ち子どもの正面にある小布置については、背後に鏡映像生として再生するよう指示しても、自己視点からの見えとして再生されやすいことを示した。実験8〜10では、小布置が大布置の一部である場合を調べた。小布置が被験者の正面にある場合、左手前A・中央奥(左b1・右b2)・右手前Cという配置に対して、全体を鏡映像で背後に再生するよう指示したところ、左手前C・中央奥(左b1・右b2)・右手前Aのように、正面の小布置だけ「切り取り」がおこって左右関係が保持されることが多かった。小布置が左側か右側にある場合は、指示通りすべての位置関係を鏡映像で再生することが容易であった。実験11〜13では小布置か大布置だけを呈示し、鏡映像か「切り取り」による再生をさせた。小布置を鏡映像で再生させることが特に困難で、他の3つの場合は容易であった。この結果は実験8〜10と整合的である。これらから、正面の小空間は、主体の意図から独立に、自己視点からの見えの「切り取り」が生じることが示された。第3章の討論では、関連研究領域との対比から、「切り取り」の過程が視覚に由来するものではなく、外界に対する主体の身体的働きかけの反映である可能性を指摘した。以上の結果をまとめて、様々な場合の「切り取り」の認知機構を次のようにモデル化した。身体の正面の小空間は「切り取り」がボトムアップに生じる領域(「切り取り」の核)であり、そこにある対象を自動的に自己視点へ関係づける。核の外側の空間的広がりの中にあるものは周囲に関係づけられやすい。主体は状況に応じて核の部分を拡大操作できる。周囲に拡大されれば、広い範囲が自己視点からの見えとして再組織化される。Piagetは、幼児の空間認知を自己視点への中心化の傾向として特徴づけた。しかし実際に子どもが見ている世界の見えは、中心部分だけにはその傾向があるが、その外側は周囲の空間的広がりに開かれており、主体が状況に応じて中心部分を拡大操作することによって様々な再組織化がなされるのである。 第4章(全体的討論)では、まずPiaget理論における自己視点固執説の起源を考察した。Piagetは、乳児期の感覚運動次元の発達が幼児期に表象次元で繰り返されるという仮定に基づいて、自己中心的認識を発達の出発点とする自己視点固執説を唱えた。現在の乳児研究ではそのような見方は捉え直されており、本研究はその流れの中に位置づく。最後に、幼児が発達につれて3つ山問題に完全に正解できるようになるためには「切り取り」に加えて何が必要かを考察した。それは「切り取り」過程の背後にあると考えられる身体的働きかけの側面を捨象することである。そのような抽象化によって、自己視点(身体)とは別の場所から世界がどのように見えるかを予測する際に「切り取り」が適用され、視点の相対化が達成される。 本研究は次の3点を明らかにした。(1)自己中心性の従来解釈である自己視点固執説は実証的根拠の弱い考え方である。(2)「再組織化」及びその一形態である「切り取り」の概念は空間認知の発達を考える際の有効な観点になる。(3)「切り取り」は単なる表象操作ではなくボトムアップ的処理との関連を示唆する動的な認知機構に基づく。 |