本研究は、戦後日本の政策決定過程の特徴と変化を、国家と企業間の関係に焦点をあてて明らかにすることをテーマとしている。具体的な例として繊維産業、自動車産業、コンピューター産業をとりあげ、戦後から現在まで時系列的に比較分析を行った。 本研究の主張は、国家中心もしくは市場中心の考え方ではなく、政治家、官僚、企業などの間の政治的な相互作用によって産業ごとに形成された「調整構造」が、戦後日本の国家と企業間の関係に決定的な役割を果たしてきたということである。従来から国家・企業間の「コンセンサス」に着目する研究はあるが、本研究では「調整構造」の分析を通じて、合意はむしろ紛争の結果とみなす必要があること、一度合意が形成された後も、市場構造や政策手段及び外圧の変化にともなって、紛争が繰り返されること、その結果「調整構造」も時期ごとに変化しうることを説明した。産業ごとに、また時期によって国家と企業間の関係が異なるということは、日本の産業政策に「エリート主義」と「多元主義」のパターンが同時に現れることが決して矛盾するものではないことを示唆する。 本研究の焦点は、官僚の産業戦略のみならず、企業の戦略・競争、企業と官僚の同盟や紛争、政治家の介入などが作り出した産業ごとの「調整構造」の分析と、「調整構造」がどのような要因によって変化するのかに向けられた。 本論文では「調整構造」論を展開するにあたって、第1章では既存の研究で見逃された「調整構造」の多様性を明らかにするために、国家と企業間の関係のパターンを6つに分類した。それは、「調整構造」が形成されない「官僚指導型」と「多元主義的市場主導型」の2つの類型と、4つの「調整構造」-(1)企業の合意があるという前提の下で政府が業界全体の調整を行う「一括直接調整構造」、(2)政府と個々の政策関連企業との交渉・妥協で調整を行う「個別直接調整構造」、(3)審議会の媒介により調整を行う「審議会媒介調整構造」、(4)政治家の介入により調整を行う「議員媒介調整構造」-である。 「調整構造」は強い国家を想定する「官僚指導型」と、完全に開放的な水平的競争モデルである「多元主義的市場主導型」の中間的形態として位置づけられる。「調整構造」の共通的な特徴としてあげられるのは、(1)政策アクター間の関係は各アクターの独自の影響力を前提にしている、(2)国家と企業間の結び付きは流動的でなく、一定期間安定した制度的特徴を示すが、産業部門ごとにその内容は異なる、(3)紛争処理は産業ごとの政策アクターにより行われる傾向があるという意味で、「調整構造」は一定の閉鎖性を持つということである。さらに「調整構造」においては、疑似公共組織、審議会、業界団体などの中間組織が潤滑油の働きをすることが多い。 「調整構造」の変化に影響を与える要因としては、(1)各産業の市場構造の変化、(2)政策手段の変化、(3)国際的な圧力(外圧)の変化が重要なものである。 以上の理論的枠組を念頭において、第2章では、諸種の中間組織の内容と機能を分析し、中間組織が国家と企業間の合意形成を円滑にする機能を果たすことで、「調整構造」による政策の実行を容易にした点を明らかにした。疑似公共組織、特に認可法人は、国家の意思に従って動く手先機関であったというよりも、日本の産業政策の実施に関わる連絡機構として大きな役割を演じた。審議会は合意形成と政策決定の場としての機能を次第に強めてきた。業界団体は、企業と国家の間で情報を相互に交換し、産業政策を遂行する上で重要な働きをしてきた。ただし業界団体は、それぞれの産業の市場構造等を反映して、(1)圧力団体機能、(2)政策受け皿・遂行機能、(3)カルテル機能のいずれかを特に強く示してきた。いずれにせよ、各産業の問題は、国家ないし企業によって一方的に処理されるのではなく、このような中間組織に助けられながら、企業と国家との相互調整を通じて解決されてきたのである。 第3章では、ドッジ・ラインを契機に「官僚指導型」パターンが解体される中で、官僚・業界などを中心とする政策アクターが産業政策の主導権を握っていくに伴い、「調整構造」の枠組も形成されていったことを示した。繊維産業では官僚が産業への積極的な介入を強めていったが、競争的な市場構造の故に官僚の政策は成功せず、政治家の介入をもたらして「議員媒介調整構造」が形成された。自動車産業では「自動車産業不要論」に対抗するための官僚と企業間の協調関係が「個別直接調整構造」形成へとつながった。すなわち、政府首脳部のしめつけで、一般議員の支援も望めなくなった自動車業界は、官僚を支援することによって自動車産業の発展をはかろうとした。ただし、トラック生産と小型乗用車生産とが分離されていたが故に現れた企業間の利害不一致は、通産省が業界をひとまとめにした振興策をとることを難しくした。コンピューター産業では、外国のメーカー(IBM)に対する全般的な危機感があったために、業界がまとまっていた上に、通産省と政治家双方の積極的な応援をとりつけることができて、「一括直接調整構造」が形成された。このように、1948年以後吉田首脳部と官僚との間で鋭い相克関係が生じる中で、各産業における政策アクター間の相互作用により、3つの異なる「調整構造」のパターンが形成されたのである。 第4章、5章、6意では、1950年代から1980年代半ばまでの自動車産業、繊維産業、及びコンピューター産業の事例を通じて、市場構造の変化、政策手段の変化、外圧の変化に伴い、各「調整構造」がどのように変化し、その変化が日本の国家と企業間の関係にどのような影響を与えたのかを分析した。貿易・資本自由化、石油ショック、日米貿易摩擦の時期について各産業の「調整構造」を比較検討してみると、以下の通りである。 貿易・資本自由化期の自動車産業は、消費革命の中で上位メーカーと下位メーカーの競争が激しくなり、三菱の反乱をきっかけに「個別直接調整構造」は破綻した。対照的に、コンピューター産業と繊維産業においては「調整構造」が直ちに破綻するということはなかった。コンピューター産業と繊維産業は経済の国際化によって不利益を被ることが多かったから、可能な限り官僚と政治家の保護・育成策を得ようと努力した。その中でコンピューター産業の「一括直接調整構造」は通産省の3系列化政策を成功させる重要な要因となった。それに比べて、繊維産業の競争的な市場構造は、自由化の問題で天然繊維と化学繊維間の競争を巻き起こした。その結果、「調整構造」は「議員媒介調整構造」と「審議会媒介調整構造」に分離せざるをえなくなったが、「調整構造」そのものが弱体化することはなかった。以上のような「調整構造」の多様性と変化は、日本でエリート主義と多元主義の政策過程が同時に現れるのが決して矛盾する現象ではないことを示唆している。 石油危機を契機に、自動車産業とコンピューター産業の発展は「調整構造」を破壊する方向に働いた。自動車産業においては、急速に成長する企業間の激しい競争が、排気ガス規制という業界全体の問題についてすら業界が一致することを不可能にし、「多元主義的市場主導型」パターンが強くなった。他方コンピューター産業の「一括直接調整構造」も、共同研究事業に対する外国からの反発(外圧)と企業間の競争の激化(市場構造の変化)によって、次第に崩れていった。自動車産業とコンピューター産業に比べて、繊維業界は構造的な不況の中で「議員媒介調整構造」を一層強化することで、政府の補助をもぎ取ろうとするが、繊維業界に対する国家議員の媒介機能の弱化により、以前より政府の補助に依存することが難しくなった。その結果、繊維産業内の葛藤の解決を通産省の介入(例えば不況カルテル)によって収めようとする「一括直接調整構造」が現れた。この事実は、日本型多元主義論の「ある時点から政党が全般的に優位にたつようになった」とする議論に疑問を投げかけるものである。 貿易摩擦期において自動車産業では、通産省が外圧を利用して、自動車企業の反発を個別に抑える形で事態を収拾する「個別直接調整構造」が再現した。それと比べて、コンピューター産業における省庁間の争いは、自民党の介入をもたらし、以後政策形成は「議員媒介調整構造」の特徴を一部示すようになった。繊維産業では業界の国家介入に対する要請と、権力を保持したいという官僚の欲求が一致した結果、「一括直接調整構造」はますます強くなった。 しかし、頻繁な貿易摩擦は「調整構造」の解体という新しい段階をもたらしつつある。まず、日本の政策過程に外国が強い関心をもち、頻繁に働きかけを行うようになったため、国際問題を無視して問題解決をはかることが難しくなった。第2に、コンピューター産業で見られたように、他の政策アクターとの争いに際し、国内の一部のアクターがアメリカを同盟者として利用し始めた。第3に、外国企業の登場により、アクターの数とともに多様さが増し、限定された政策アクター間の相互調整ではすまなくなってきた。 以上、各産業の「調整構造」とその変化を通してみる日本の国家と企業間の関係の説明は、既存の理論の限界を浮き彫りにするものである。まず、官僚指導論は政策領域にいくらでもある多元的な競争の例と調和させることは難しい。一方で行政指導に直面した場合に生じる民間部門の無数の反抗や、他方で官僚の権力が減らされたり、強化されたりする理由について説明できない。市場主導論も、官僚、企業、政治家の3者のネットワークを通じる政策立案、国家と企業間の曖昧な境界線、合意形成過程における中間組織の重要性、産業ごとに異なる政策形成パターンなどについて説明できない。コーポラティズムは族議員の役割や、繊維産業では政治家が官僚と競争的な立場にあるのに、コンピューター産業では官僚と一体化したりする多様性について説明できない。ネットワーク論は上の三つの理論よりも、現状について説得力ある議論をしているが、各産業で異なった特徴をもつネットワークが形成され、かつ変化する要因は何かという問題について説明が不足している。 「調整構造」論は、「ネットワーク」論では不十分な点、すなわち、分野による違いやダイナミズムを説明する枠組を提供することによって、「ネットワーク」論を継承発展させた。その結果、はるかに明確かつ具体的に日本の国家と企業の関係を説明することができる。 |