学位論文要旨



No 110832
著者(漢字) 陳,昌洙
著者(英字)
著者(カナ) ジン,チャンス
標題(和) 戦後日本の政治経済体制の特質と変動 : 繊維、自動車、コンピュータ産業に関する政策決定過程の比較分析
標題(洋)
報告番号 110832
報告番号 甲10832
学位授与日 1994.10.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第45号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 教授 岩田,一政
 東京大学 教授 山本,吉宣
 東京大学 助教授 加藤,淳子
 東京大学 助教授 樋渡,展洋
内容要旨

 本研究は、戦後日本の政策決定過程の特徴と変化を、国家と企業間の関係に焦点をあてて明らかにすることをテーマとしている。具体的な例として繊維産業、自動車産業、コンピューター産業をとりあげ、戦後から現在まで時系列的に比較分析を行った。

 本研究の主張は、国家中心もしくは市場中心の考え方ではなく、政治家、官僚、企業などの間の政治的な相互作用によって産業ごとに形成された「調整構造」が、戦後日本の国家と企業間の関係に決定的な役割を果たしてきたということである。従来から国家・企業間の「コンセンサス」に着目する研究はあるが、本研究では「調整構造」の分析を通じて、合意はむしろ紛争の結果とみなす必要があること、一度合意が形成された後も、市場構造や政策手段及び外圧の変化にともなって、紛争が繰り返されること、その結果「調整構造」も時期ごとに変化しうることを説明した。産業ごとに、また時期によって国家と企業間の関係が異なるということは、日本の産業政策に「エリート主義」と「多元主義」のパターンが同時に現れることが決して矛盾するものではないことを示唆する。

 本研究の焦点は、官僚の産業戦略のみならず、企業の戦略・競争、企業と官僚の同盟や紛争、政治家の介入などが作り出した産業ごとの「調整構造」の分析と、「調整構造」がどのような要因によって変化するのかに向けられた。

 本論文では「調整構造」論を展開するにあたって、第1章では既存の研究で見逃された「調整構造」の多様性を明らかにするために、国家と企業間の関係のパターンを6つに分類した。それは、「調整構造」が形成されない「官僚指導型」と「多元主義的市場主導型」の2つの類型と、4つの「調整構造」-(1)企業の合意があるという前提の下で政府が業界全体の調整を行う「一括直接調整構造」、(2)政府と個々の政策関連企業との交渉・妥協で調整を行う「個別直接調整構造」、(3)審議会の媒介により調整を行う「審議会媒介調整構造」、(4)政治家の介入により調整を行う「議員媒介調整構造」-である。

 「調整構造」は強い国家を想定する「官僚指導型」と、完全に開放的な水平的競争モデルである「多元主義的市場主導型」の中間的形態として位置づけられる。「調整構造」の共通的な特徴としてあげられるのは、(1)政策アクター間の関係は各アクターの独自の影響力を前提にしている、(2)国家と企業間の結び付きは流動的でなく、一定期間安定した制度的特徴を示すが、産業部門ごとにその内容は異なる、(3)紛争処理は産業ごとの政策アクターにより行われる傾向があるという意味で、「調整構造」は一定の閉鎖性を持つということである。さらに「調整構造」においては、疑似公共組織、審議会、業界団体などの中間組織が潤滑油の働きをすることが多い。

 「調整構造」の変化に影響を与える要因としては、(1)各産業の市場構造の変化、(2)政策手段の変化、(3)国際的な圧力(外圧)の変化が重要なものである。

 以上の理論的枠組を念頭において、第2章では、諸種の中間組織の内容と機能を分析し、中間組織が国家と企業間の合意形成を円滑にする機能を果たすことで、「調整構造」による政策の実行を容易にした点を明らかにした。疑似公共組織、特に認可法人は、国家の意思に従って動く手先機関であったというよりも、日本の産業政策の実施に関わる連絡機構として大きな役割を演じた。審議会は合意形成と政策決定の場としての機能を次第に強めてきた。業界団体は、企業と国家の間で情報を相互に交換し、産業政策を遂行する上で重要な働きをしてきた。ただし業界団体は、それぞれの産業の市場構造等を反映して、(1)圧力団体機能、(2)政策受け皿・遂行機能、(3)カルテル機能のいずれかを特に強く示してきた。いずれにせよ、各産業の問題は、国家ないし企業によって一方的に処理されるのではなく、このような中間組織に助けられながら、企業と国家との相互調整を通じて解決されてきたのである。

 第3章では、ドッジ・ラインを契機に「官僚指導型」パターンが解体される中で、官僚・業界などを中心とする政策アクターが産業政策の主導権を握っていくに伴い、「調整構造」の枠組も形成されていったことを示した。繊維産業では官僚が産業への積極的な介入を強めていったが、競争的な市場構造の故に官僚の政策は成功せず、政治家の介入をもたらして「議員媒介調整構造」が形成された。自動車産業では「自動車産業不要論」に対抗するための官僚と企業間の協調関係が「個別直接調整構造」形成へとつながった。すなわち、政府首脳部のしめつけで、一般議員の支援も望めなくなった自動車業界は、官僚を支援することによって自動車産業の発展をはかろうとした。ただし、トラック生産と小型乗用車生産とが分離されていたが故に現れた企業間の利害不一致は、通産省が業界をひとまとめにした振興策をとることを難しくした。コンピューター産業では、外国のメーカー(IBM)に対する全般的な危機感があったために、業界がまとまっていた上に、通産省と政治家双方の積極的な応援をとりつけることができて、「一括直接調整構造」が形成された。このように、1948年以後吉田首脳部と官僚との間で鋭い相克関係が生じる中で、各産業における政策アクター間の相互作用により、3つの異なる「調整構造」のパターンが形成されたのである。

 第4章、5章、6意では、1950年代から1980年代半ばまでの自動車産業、繊維産業、及びコンピューター産業の事例を通じて、市場構造の変化、政策手段の変化、外圧の変化に伴い、各「調整構造」がどのように変化し、その変化が日本の国家と企業間の関係にどのような影響を与えたのかを分析した。貿易・資本自由化、石油ショック、日米貿易摩擦の時期について各産業の「調整構造」を比較検討してみると、以下の通りである。

 貿易・資本自由化期の自動車産業は、消費革命の中で上位メーカーと下位メーカーの競争が激しくなり、三菱の反乱をきっかけに「個別直接調整構造」は破綻した。対照的に、コンピューター産業と繊維産業においては「調整構造」が直ちに破綻するということはなかった。コンピューター産業と繊維産業は経済の国際化によって不利益を被ることが多かったから、可能な限り官僚と政治家の保護・育成策を得ようと努力した。その中でコンピューター産業の「一括直接調整構造」は通産省の3系列化政策を成功させる重要な要因となった。それに比べて、繊維産業の競争的な市場構造は、自由化の問題で天然繊維と化学繊維間の競争を巻き起こした。その結果、「調整構造」は「議員媒介調整構造」と「審議会媒介調整構造」に分離せざるをえなくなったが、「調整構造」そのものが弱体化することはなかった。以上のような「調整構造」の多様性と変化は、日本でエリート主義と多元主義の政策過程が同時に現れるのが決して矛盾する現象ではないことを示唆している。

 石油危機を契機に、自動車産業とコンピューター産業の発展は「調整構造」を破壊する方向に働いた。自動車産業においては、急速に成長する企業間の激しい競争が、排気ガス規制という業界全体の問題についてすら業界が一致することを不可能にし、「多元主義的市場主導型」パターンが強くなった。他方コンピューター産業の「一括直接調整構造」も、共同研究事業に対する外国からの反発(外圧)と企業間の競争の激化(市場構造の変化)によって、次第に崩れていった。自動車産業とコンピューター産業に比べて、繊維業界は構造的な不況の中で「議員媒介調整構造」を一層強化することで、政府の補助をもぎ取ろうとするが、繊維業界に対する国家議員の媒介機能の弱化により、以前より政府の補助に依存することが難しくなった。その結果、繊維産業内の葛藤の解決を通産省の介入(例えば不況カルテル)によって収めようとする「一括直接調整構造」が現れた。この事実は、日本型多元主義論の「ある時点から政党が全般的に優位にたつようになった」とする議論に疑問を投げかけるものである。

 貿易摩擦期において自動車産業では、通産省が外圧を利用して、自動車企業の反発を個別に抑える形で事態を収拾する「個別直接調整構造」が再現した。それと比べて、コンピューター産業における省庁間の争いは、自民党の介入をもたらし、以後政策形成は「議員媒介調整構造」の特徴を一部示すようになった。繊維産業では業界の国家介入に対する要請と、権力を保持したいという官僚の欲求が一致した結果、「一括直接調整構造」はますます強くなった。

 しかし、頻繁な貿易摩擦は「調整構造」の解体という新しい段階をもたらしつつある。まず、日本の政策過程に外国が強い関心をもち、頻繁に働きかけを行うようになったため、国際問題を無視して問題解決をはかることが難しくなった。第2に、コンピューター産業で見られたように、他の政策アクターとの争いに際し、国内の一部のアクターがアメリカを同盟者として利用し始めた。第3に、外国企業の登場により、アクターの数とともに多様さが増し、限定された政策アクター間の相互調整ではすまなくなってきた。

 以上、各産業の「調整構造」とその変化を通してみる日本の国家と企業間の関係の説明は、既存の理論の限界を浮き彫りにするものである。まず、官僚指導論は政策領域にいくらでもある多元的な競争の例と調和させることは難しい。一方で行政指導に直面した場合に生じる民間部門の無数の反抗や、他方で官僚の権力が減らされたり、強化されたりする理由について説明できない。市場主導論も、官僚、企業、政治家の3者のネットワークを通じる政策立案、国家と企業間の曖昧な境界線、合意形成過程における中間組織の重要性、産業ごとに異なる政策形成パターンなどについて説明できない。コーポラティズムは族議員の役割や、繊維産業では政治家が官僚と競争的な立場にあるのに、コンピューター産業では官僚と一体化したりする多様性について説明できない。ネットワーク論は上の三つの理論よりも、現状について説得力ある議論をしているが、各産業で異なった特徴をもつネットワークが形成され、かつ変化する要因は何かという問題について説明が不足している。

 「調整構造」論は、「ネットワーク」論では不十分な点、すなわち、分野による違いやダイナミズムを説明する枠組を提供することによって、「ネットワーク」論を継承発展させた。その結果、はるかに明確かつ具体的に日本の国家と企業の関係を説明することができる。

審査要旨

 『戦後日本の政治経済体制の特質と変動--繊雑、自動車、コンピューター産業に関する政策決定過程の比較分析』と題する本論文は、戦後日本の政治経済体制(Political Economy)の特徴を、国家と企業の関係、特に産業政策形成過程における国家と企業のかかわり合いに焦点をあてることで明らかにしようとしたものである。このテーマについては、戦後日本の経済政策の形成にあたっては、主に官僚が指導したとする日本株式会社論(または官僚指導論)、民間企業の活力を重視する市場主導論、国家レベルで主な利益集団が協調するとするコーポラティズム論、国家と社会相互に浸透する人的ネットワークの機能を重視するネットワーク論などの見方がある。本論文は、ネットワーク論を受け入れながらも、それがあまりにも一般的かつ静的にすぎて、日本の政治経済体制の特質を真にとらえてはいないと考える。すなわち官僚・政治家・企業が、しばしば審議会、認可法人、業界団体等の中間団体を仲立ちにして、相互に比較的長期にわたる関係を取り結んでいると見る点ではネットワーク論と共通するが、その関係のあり方は産業によって一様ではなく、かつ時間の経過とともに変化している点に着目している。本論文は戦後から80年代に至る時期における産業政策を、繊維産業、自動車産業、コンピューター産業の3つについて詳細に分析することを通して、国家と企業の関係に4種類のパターンを識別するとともに、それらが「市場構造」、「官僚の政策手段」、「国際的圧力」という3つの要因の変化にともなって1つのパターンから別のパターンに変わりうることを明らかにした。つまり政策ネットワークの中身と変化を具体的に示したという点で、きわめて意義のある学問上の貢献をなしたと言える。

 本論文は7章からなっている。第1章と第2章が研究史と自己の分析枠組みの提起に関わる章であるのに対して、3章以下6章までは、個々の産業における政策ネットワークの形成と変化を具体的に分析する。第7章は結論部であり、論文の全体を総括すると同時に、日本の政治経済体制の将来について考察を加えている。以上のほかに参考文献目録が付加されている。

 第1章では戦後日本の政治経済体制に関する既存の議論を批判的に検討することを通して、戦後日本の産業政策形成過程の特徴は、国家が一方的に指導するということでも、企業のイニシアティブが先行するということでもなく、両者が産業別のネットワークを形成して、交渉と妥協を通じて利益を調整しあうところにあると主張し、こういった産業別のネットワークを「調整構造」と名付ける。「調整構造」はドッジラインを契機として、戦中・戦後の官僚指導体制が崩れる中で、産業ごとの利益調整・政策形成メカニズムとして現れたもので、官僚が業界全体との間で調整を進める「一括直接調整構造」、官僚が個別企業との交渉で調整を進める「個別直接調整構造」、官僚と業界が審議会等の第3者機関を舞台に調整を行う「審議会媒介調整構造」、官僚と企業の間に国会議員が介入して利益調整をおこなう「議員媒介調整構造」の4つのパターンを区別することができるとされる。しかも「調整構造」は永続的なものではなく、当該産業における企業間の競争の程度、官僚機構がもつ政策手段、市場開放等を求める外圧の大きさが変わるにつれて、別のパターンに変化していくとされる。

 第2章は、国家と企業を結ぶ「調整構造」においては、その中間組織としての審議会・業界団体等が重要な役割を果たしたとの認識から、主な中間組織の実態と役割を分析する。特に業界団体については、「調整構造」のタイプと業界団体の特定の機能が対応すると主張する。すなわち、「一括直接調整構造」下における業界団体は政策遂行機能が特に強いのに対して、「個別直接調整構造」においては圧力団体機能がめだつ。さらに「審議会媒介調整構造」においてはカルテル機能と圧力団体機能が、「議員媒介調整構造」においてはカルテル機能がことに強いとされる。

 第3章では、戦後しばらくの間「傾斜生産方式」に代表される官僚指導型の政策形成が優勢であったのが、ドッジラインを契機として直接的経済介入が理念的にも政策的にも困難になる中で、官僚と企業の相互交渉と妥協を軸とする「調整構造」に変わっていったこと、その結果繊維産業では「議員媒介調整構造」、自動車産業では「個別直接調整構造」、コンピューター産業では「一括直接調整構造」が形成されたことが明らかにされる。50年代に異なったタイプの「調整構造」が出現した主な原因として、本論文は2つの主要な要因をあげる。一つは当該産業に関わる政策上の権限が特定の官庁(主に通産省)に集中したか、複数の官庁や政治家に共有されたかということであり、いま一つが当該産業における企業間の関係が競争的だったか協調的だったかということである。繊維産業は選挙との関係で最初から政治家の関与があった上に、市場構造がきわめて競争的で、一部の企業が政治家を動員することで自己の利益を実現しようとしたために、「議員媒介」型の政策形成パターンが支配的になった。それに対して自動車産業では、当時は政治家の関心が薄かったこともあり、通産省が内部不一致でまとまることのできない個別自動車企業を相手に育成をはかる「個別直接調整構造」が形成された。最後にコンピューター産業においては、IBMという強大な外国企業の脅威を前にして、政治家が通産省による育成策を全面的に支援し、同時に業界も共通の敵を前に協調性を強めたために、通産省と業界が相互協議によって育成策の決定と実行をおこなう「一括直接調整構造」が形成された。

 第4章から6章までは、それぞれ繊維、自動車、コンピューター産業に関する産業政策の展開の分析にあてられ、1950年代なかばから80年代に至る時期に、それぞれの産業において、市場構造、政策手段、「外圧」の変化にともなって、いかに「調整構造」が変化したかが詳細な分析の対象になる。例えば繊維産業においては、産業内で特に合繊企業の競争力が高まったために、繊維産業全体の利益を「議員媒介調整構造」によって調整することがむずかしくなった。そこで業界内の結束が比較的固かった化繊業界は「議員媒介調整構造」を離れ、政治家の介入を排除するために審議会の場を利用しようとする通産省と協力して、「審議会媒介調整構造」を形成した。しかるに70年代になって合成繊維産業すら「構造不況産業」に数え上げられるようになると、繊維産業全体に構造改革が必要だという共通の認識が広がり、特定不況産業安定臨時措置法(1978年制定)によって政策手段を増やした通産省が、業界との直接協議の下で政策形成をはかる「一括直接調整構造」の特徴が現れるようになった。

 結論の章である第7章は、以上の議論を簡潔にまとめた上で、一般的なネットワーク論と比べて、「調整構造」論はネットワークの多様性と変化を分析するのに優れていると主張する。本論文の筆者にとって、戦後日本の政治経済体制は、官僚指導型であるとか、企業主導型、ネットワーク型であるというように、一つの概念で理解することは不可能であり、むしろ官僚指導型に近い「一括直接調整構造」から企業主導型に近い「議員媒介調整構造」まで、多様な形態が経済の様々な分野に同時に現れ、またそれが変化するところに、真の特徴が見いだせるとする。最後に、日本の政治経済体制の将来について、本論文は、自民党長期政権の崩壊は、政治家の恒常的な政策介入を難しくすることで、官僚が直接関与する「調整構造」の存続を助ける可能性はあるが、市場構造がより競争的になる一方で官僚の政策手段は減少し、同時に市場開放・規制緩和を求める外圧が日常的になっていることを考えると、国家・企業間の「調整構造」の維持は困難であり、日本の政治経済体制は、政策形成のパターン化の度合いの低い「多元主義的市場主導」の傾向を強めるだろうと予想する。

 以上の内容をもつ本論文の最大のメリットは、戦後日本における政策ネットワークの内容を、衰退産業、成熟産業、先端産業を代表する3つの産業の分析を通して、具体的に4つに分類して明らかにしたことである。同様の試みはダニエル・オキモトによってもなされているが、オキモトの場合は自民党の介入の度合いと形態という一つの尺度で分類したにすぎないのに対して、本論文の場合は、企業側・国家側双方の内部分裂の程度や中間組織の役割の違いなどを考慮した、より緻密な分類になっている。

 さらに、著者は政策形成のパターンは常に一定であるわけではないことを具体的な例をもって示し、変化をもたらす要因として、市場構造、政策手段、「外圧」の3つを抽出してみせた。オキモトの仕事ではプロダクト・サイクルのみによって説明されていた政策形成パターンの変化を、より緻密に説明することに成功しているといえる。

 以上のようなスケールの大きな分析を通して、本論文は、戦後日本の政治経済体制に関する従来の論争--国家中心的か、市場中心的か、コーポラティズム的かなど--に、国家中心型に近いパターンから市場中心型に近いパターンまで、様々な形態が同時に観察され得るという全く新しい視点を導入することを可能にしたのであり、この意味で本論文は、日本政治研究の分野で学界に大きな貢献をなすものである。

 ただスケールが大きいが故に、細部に詰めの甘い部分が残っている。第一に政策形成パターンの多様性と変化を説明する際、著者は市場構造、政策手段、「外圧」の3つを主要な要因として使っているが、この3つの変数と比べて、産業の種類(先端産業か衰退産業か、古い産業か新しい産業かなど)や政策課題(カルテル形成か産業再編成かなど)はそれほど重要でないということについて、体系的な検討がなされていない。第二に、「調整構造」が崩れて市場中心的なパターンに移る場合については、国家と企業間の相互信頼関係がなくなるからという以上の理論的な説明がなされていない。第三に、市場の競争度や特定官庁への権限の集中度を計る基準にあいまいさが残っている。第四に、日本では国家と企業が相互に協力するパターンが支配的になったのはなぜかという点について、他国との比較を前提にした議論が十分でない。しかし、これらの諸点、特に最後の点はむしろ著者が今後取り組んで発展させていくべき課題として期待される。

 以上不十分な点が残されているとはいえ、本論文の学界への貢献はそれを大きく補って余りあるものである。以上のことから、審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位にふさわしいものと判定する。

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