学位論文要旨



No 110834
著者(漢字) 中尾,幹彦
著者(英字)
著者(カナ) ナカオ,ミキヒコ
標題(和) HERAにおける陽子構造関数F2の測定
標題(洋) Measurement of the Proton Structure Function F2 at HERA
報告番号 110834
報告番号 甲10834
学位授与日 1994.10.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2835号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,健蔵
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 本間,三郎
 東京大学 助教授 木舟,正
 東京大学 助教授 西川,公一郎
内容要旨

 HERAにおける電子・陽子衝突実験により、陽子構造関数F2の新しい測定を行った。これまでに、陽子の構造はレプトン・陽子の固定標的型の中性流深非弾性散乱(NC-DIS)実験によってF2を測定することにより、陽子内のパートンとしてのクォークの存在の確証、および陽子内でのクォークとグルーオンの相互作用を量子色力学(QCD)で記述することが可能になってきた。構造関数は運動量移行の2乗Q2と散乱に寄与したパートンの運動量比xの2変数の関数であり、構造関数のxおよびQ2依存性が陽子の構造についての情報をもたらす。特に、F2のQ2依存性はQCDのGLAP発展方程式で精密に記述することができる。また逆に、構造関数の測定結果によるQCDの検証も行なれてきた。固定標的実験では、構造関数をxで10-2程度まで、Q2で102GeV2程度まで測定されてきたが、HERAではこのリミットを大幅に更新することができる。Q2では104GeV2までの構造関数を調べることにより、陽子にこれまで知られていない構造があることを調べることができる。また、xでは10-4の小さい領域にまで構造関数を調べることができる。特に、小さいxの領域ではグルーオンが支配的になるが、この領域での構造関数のふるまいの予想は理論的には確立しておらず、実験での測定結果が待たれていた。

 構造関数F2の測定は、HERAにおけるZEUS実験により、1993年の運転期間中に得られた543nb-1のルミノシティのデータに基き行った。1992年の初年度に得られた25nb-1のデータに基くF2の結果はすでに公表されている。HERAは26.7GeVの電子と820GeVの陽子の衝突型加速器であり、重心系エネルギーで296GeVの高いエネルギーを得ることにより、x、Q2のリミットを拡げることができる。ZEUS検出器はあらゆる電子・陽子衝突事象を捕えるための多目的検出器であり、カロリメータ、トラッキング検出器、ミューオン検出器などからなる。特に主カロリメータにウラン・シンチレータカロリメータを採用することによりハドロンと電子に対するエネルギーレスポンス比を1にすることが可能になり、35%/(GeV)の良いハドロンエネルギー分解能を得ている。また、前方で99.8%、後方で99.5%とビームパイプを除く全立体角を覆っている。位置分解能、時間分解能も優れている。

 NC-DIS事象は、カロリメータ中に散乱電子を識別することにより選別する。トリガにおける最大のバックグラウンドは陽子ビーム・ガス反応によるものであるが、カロリメータの優れた時間分解能により最終的には取り除くことができる。事象選別における最大のバックグラウンドはフォトプロダクションによるものであるが、その高い生成断面積のために、完全に取り除くことができず、その寄与を求めて差し引くことを行う。最終的に、データからNC-DIS事象を45062事象を得た。各NC-DIS事象について、カロリメータを使用してNC-DIS事象の終状態の散乱電子のエネルギーおよび角度、ハドロン終状態のエネルギーおよび角度を測定することができる。これら4つの測定量のうち、x、Q2の2変数を求めるのに電子およびハドロンの角度を使用した。特に電子の角度は、カロリメータ上で電子の位置を1cm程度の精度で決めることにより、最も角度の小さい、すなわち最も角度精度の良くない散乱電子に対しても6%の精度で求めることができる。これはQ2にして12%の精度で求められることに相当する。選別された全事象はQ2について7GeV2から10000GeV2までを13個、xについて0.00015から0.32までの12個に分けた計62個のビンに分けた。ビン分けは、再構成されたx、Q2の精度がビンサイズ程度になるように、あるいは事象の計数が小さくなりすぎないように決定した。このようにして得られた各ビンについて計数した事象数から、モンテカルロ事象を使ってアクセプタンス、データ点の移動、輻射補正の影響をアンフォールドしてF2の結果を求めた。

 最終結果として得られたF2の結果のx依存性は図1に示す通りである。各データ点の誤差は、内側が統計誤差、外側が系統誤差を含む総誤差である。初年度の結果とコンシステントであり、データ点を増やし誤差をより小さくすることができた。4本の曲線は、F2の理論的予想であり、xが0.01より大きな領域では既存の実験データに合わせてあるが、xがそれ以下の領域ではモデルによって非常に異なるふるまいを示していることがわかる。xが小さくなるにつれ最も上昇が小さな曲線(MRSD0’)はグルーオン密度が増えないという仮定に基き、最も上昇が大きな曲線(MRSD_’)はグルーオン密度がxg(x)〜x-0.5で増えていくという仮定に基く。測定結果は、Q2が30GeV2以下ではこの両者の中間的な上昇を示すが、それ以上では、最も大きく上昇する曲線とコンシステントである。このことは、F2のQ2発展がこれらの予想より若干速いということも意味する。Q2が200GeV以上では測定結果はどの予想とも矛盾しない。

図1:F2の測定結果(x依存性)。
審査要旨

 本論文は、ドイツの電子・陽子衝突型加速器、HERAにおいてZEUS検出器を用い、陽子構造関数F2の測定を行った結果について報告したものである。

 陽子の構造は、従来レプトンと陽子の深非弾性散乱によって解明されてきた。陽子内の部分子(パートン)としてのクォークの存在の確証は初期の大きな成果であり、その後量子色力学(QCD)で記述されるクォークとグルーオンの系としての陽子の構造が詳細に調べられてきた。陽子構造関数にはF1、F2、F3があり、それぞれ運動量移行Q2と、散乱に寄与した部分子の運動量の陽子運動量に対する比、xの2変数関数であるが、電子・陽子深非弾性散乱ではF2の測定が主たる目的となる。構造関数F2は、Q2依存性がQCDにより精密に記述される。このことから、逆ここF2の測定によりQCDの検証が行える。一方、xの小さい領域での構造関数の振る舞いの予想は理論的に確立しておらず、このため実験的測定が待ち望まれている。

 従来の固定陽子標的実験では、Q2が102GeV2程度以下、xが10-2程度以上の領域で陽子構造関数の測定が行われてきた。HERAでは26.7 GeVの電子と820 GeVの陽子の衝突で、Q2とxの側定領域を格段に広げることができる。本論文は1993年に得られた543 nb-1のルミノシティーのデータに基づくもので、Q2で7 GeV2〜104 GeV2、xで1.5×10-4〜0.32の領域でF2を求めている。これは、ZEUS検出器で1992年に得られた25 nb-1のルミノシティーのデータに基づくF2の測定の領域を、Q2においてもxにおいても凌駕しており、特にQ2の大きい領域とxの小さい領域で初めて測定結果を得たことは高く評価される。

 ZEUS検出器はあらゆる電子・陽子衝突事象を捕らえるための多目的検出器であり、カロリメータ、粒子飛跡検出器、ミューオン検出器等から成り、陽子進行方向で99.8%、電子進行方向で99.5%と、ビームパイプを除く全立体角を覆っている。トリガーシステムは、圧倒的多数の不要な衝突事象の中から、複数の研究テーマに必要な事象を同時に高い効率で選別して記録するため工夫がこらされている。

 記録された事象から深非弾性散乱事象を選別するため、論文提出者はカロリメータ中に散乱電子を識別する方法を用いて多くのバックグラウンドを除去しているが、光発生によるバックグラウンドは完全には取り除けず、その寄与を統計的に差し引く方法をとり、最終的に45,062の深非弾性散乱事象を得た。各事象に対してカロリメータのデータを用いて散乱電子の角度とハドロン終状態の角度を定め、これからQ2とxの値を求めた。得られた全事象は、Q2について中央値で8.5 GeV2〜6280 GeV2の13個、xについて中央値で2.3×10-4〜0.24の12個、全部で62涸のビンに分類され、各ビンの事象数からアクセプタンス、Q2とxの測定値の真の値からのずれ、輻射補正の影響、をアンフォールドしてF2を得た。

 結果は、ZEUSの1992年の結果と重なる測定領域(Q2で240 GeV2以下、xて4.2×10-4以上)では良い一致を示すと共に統計精度がはるかに改善され、それ以外の測定領域では初めて得られたものである。論文提出者は、この結果から陽子構造関数F2について以下の知見を得た。

 F2のx依存性については、データはxが小さくなると共にF2が増加することを示している。xか0.01より大きい領域で既存のデータにフィットした幾つかの理論的予想があるか、得られたデータのx依存性に最も近い振る舞いを示すのは、CTEQ Collaborationと呼ばれる理論グループの予想である。しかし、Q2=34 GeV2,48 GeV2,68 GeV2ではCTEQよりもむしろxの減少と共にF2が最も大きく増加する理論的予想がデータに一致する。全ての理論的予想で、F2のQ2発展はQCDに基づいているが、データはF2のQ2発展がこれらの予想より若干速いことを示唆している。

 以上、本研究は全く新しい測定領域において陽子構造関数F2を測定し、F2のx依存性とQ2発展について新しい知見を得たものであり、博士(理学)の学位にふさわしいと認められる。よって審査員全員一致で合格と判定した。

 なお、本研究はZEUSグループとの共同研究であるが、陽子構造関数F2の解祈は論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると認められる。さらに、論文提出者はZEUS検出器のトリガーシステム構築にも寄与している。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53834