学位論文要旨



No 110836
著者(漢字) 呉,建洲
著者(英字)
著者(カナ) ゴ,ケンシュウ
標題(和) テトラゾールの熱的挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 110836
報告番号 甲10836
学位授与日 1994.11.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3279号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 助教授 斎藤,猛男
 東京大学 助教授 辰巳,敬
 東京大学 助教授 新井,充
内容要旨 1.はじめに

 テトラゾール(Tetrazole)はFig.1.1に示すように,4つの窒素と1つの炭素からなる芳香族性を持った五員環を基本構造に持つ化合物である。したがって,その構造上,熱分解時に多量の窒素ガスを放出するとともに,多量のエネルギーを放出することで知られており,典型的なエネルギー物質と言える。特に,最近では自動車用エアバッグシステムのガス発生剤として毒性や爆発性等種々の問題を持つアジ化ナトリウム系ガス発生剤代替の可能性が期待されている。

Fig.1.1 Chemical structure of tetrazole

 本研究はテトラゾールの熱的挙動を明らかにし,テトラゾールの化学構造と熱的挙動との関係を検討することにより必要な熱的挙動を示すテトラゾールの分子設計を行うための基礎的な知見を得るとともに,テトラゾールの応用分野としてテトラゾール-酸化剤組成物のエアバッグ用ガス発生剤への適用の可能性を調べることを目的としている。

2.テトラゾールの熱分解時およびテトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の発熱挙動

 テトラゾールの熱分解挙動に関する基礎的知見を得るため,テトラゾールの化学構造と熱分解挙動との関係を系統的に把握することを目的として,異なった置換基を持つ1H-テトラゾールおよびテトラゾール金属塩についてSC-DSC測定を行い,それらの化学構造と熱分解挙動の関係について考察した。また,種々のテトラゾールおよび酸化剤の組み合わせによるテトラゾール-酸化剤組成物の熱反応挙動についても考察した。

 テトラゾールのSC-DSC結果により,テトラゾールの融点は,1位,5位ともに置換基が脂肪族系であるテトラゾールは,比較的低い融点を示す。テトラゾールのTDSCでは,分子構造(置換基)との間に一定の傾向が見いだされた。5位が無置換であるテトラゾールと5位にメチル基またはエチル基等脂肪族系の置換基を有するテトラゾールを1位に同じ置換基を持つものと比較すると,5位が無置換のもののTDSCは,それらの置換基を持つものと比較して50〜100℃程度低くなっていることが確認された。この傾向は1位の置換基が異なっても同様で,5位がメチル基またはエチル基に置換されたもののTDSCは全て245℃以上であるのに対して5位が無置換のもののTDSCは全て225℃以下であった。これに対し,5位にSH基を有するテトラゾールでは,TDSCが全て200℃以下であった。これは,メチル基,エチル基等脂肪族系の置換基は誘起的電子供与性を持つため1位および5位への置換により環部分の電子密度を向上させ,環を構成する結合をより強くするために分解開始温度を上昇させ,SH基ではその誘起的電子吸引性により分解開始温度を低下させるのではないかと考えられる。テトラゾールのモル当りの分解熱については,1位に同じ置換基を持つテトラゾールを比較すると,5位に置換を持つテトラゾールではそのモル当りの分解熱は,5位が無置換のものよりも例外無く小さい値となった。また,5位に同じ置換基を持つテトラゾールと比較すると,1位に芳香族系の置換基を持つテトラゾールではそのモル当りの分解熱は,1位が無置換のものより大きな値となるのに対し,1位に脂肪族系の置換基を持つものでは,1位が無置換のものより小さい値となるものが多いものの,大きな値をもつものもいくつかみられた。DSCにおけるような比較的穏やかな分解反応においては,置換基であるメチル基,エチル基あるいはフェニル基等が完全に分解することは考えにくく,また,これらのDSC曲線がダブルピークを示していないことから,分解熱に寄与するような置換基部分の分解はほとんど起こっておらず,テトラゾール環の開裂が支配的な反応であると考えられる。したがって,分解熱を低下させる要因としては,誘起的電子供与性置換基によるテトラゾール環の安定化効果が考えられる。一方,テトラゾールの金属塩は対応のテトラゾールより熱分解開始温度が高く,熱分解時の発熱量が小さいことが確認された。

 テトラゾール-酸化剤組成物の熱反応については,組成比が吸熱温度,発熱開始温度及びSC-DSC曲線の形状にほとんど影響を及ぼさないが,発熱量に及ぼす影響は大きく,酸素バランスがゼロ前後で最大発熱量が得られた。また,テトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の発熱開始温度,発熱量はテトラゾールの種類と酸化剤の種類に依存する。組成物の最初の熱反応はテトラゾールや酸化剤の独立での熱分解反応によるものではなく,テトラゾールと酸化剤が熱反応を行っていると考えられる。

3.テトラゾール熱分解時およびテトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の圧力発生挙動

 テトラゾールの化学構造とガス発生能との関係を系統的に把握することを目的として,種々の置換基を持つ1H-テトラゾールおよびその金属塩について熱分解時の発生圧力測定を行い,それらの発生圧力,圧力上昇速度と化学構造の関係について考察した。また,実用上重要と考えられるテトラゾール-酸化剤組成物についても,熱反応による圧力発生挙動について考察した。

 テトラゾール,テトラゾール金属塩およびアジ化ナトリウムの熱分解時の最大発生圧力は,試料量50〜200mgの範囲内ではサンプル重量と良好な比例関係を持つことがわかる。BHT,テトラゾール金属塩類およびDSC測定において2段階の熱分解を示す5MT,1NPT,MCLTを除くテトラゾールでは,分子量の逆数と最大発生圧力との間に良好な比例関係が成立することが確認された。BHTおよびテトラゾール金属塩に関してはその構造中に2つのテトラゾール環を有することから,テトラゾール環1つあたりの分子量として,分子量の1/2の値を用いると,前述の比例関係が得られる。このことから,1段階の発熱分解を示すテトラゾールの熱分解時のガス発生量はその分子の置換基の種類より,テトラゾール環の数に直接関係していると言える。

 テトラゾール,テトラゾール金属塩類およびアジ化ナトリウムの熱分解時の最大圧力発生速度は,サンプル重量と良好な比例関係を持つことがわかる。テトラゾールおよびテトラゾール金属塩類の熱分解反応において,サンプル量の増加に伴う圧力上昇が,熱分解反応を加速している可能性が考えられる。

 テトラゾール-酸化剤組成物については,酸素バランスがゼロである組成物が最大発生圧力,最大圧力発生速度ともに最大値を示すことが確認された。また,重量あたりの最大発生圧力,最大圧力発生速度ともにアジ化ナトリウム系ガス発生発生剤を上まわる組成物が確認された。このことは,少なくともガス発生能の点からは,テトラゾール-酸化剤組成物にアジ化ナトリウム系ガス発生発生剤代替の可能性があることを示している。

4.テトラゾールの熱分解反応機構

 テトラゾールのエネルギー発生機構に関する基礎的知見およびガス発生剤への応用時の生成物に関する基礎的知見を得るために,キューリーポイントパイロライザによるテトラゾールの高速熱分解実験を行って,生成物を分析し,テトラゾールの熱分解機構について検討した。

 テトラゾールの低温での熱分解における生成物には置換基R1,R5とテトラゾール環の一部を含む化学種が検出されたのに対し,置換基の脱離によると考えられる化学種およびテトラゾール環を含む化学種が検出されないことから,テトラゾールの熱分解は置換基のテトラゾール環の脱離ではなく,テトラゾール環の開裂が主として起こっていると考えられる。また,テトラゾールの低温での熱分解の生成物はN3-N4結合とC5-N1結合の開裂による生成物あるいはその生成物がさらに分解した生成物である。このことから,テトラゾールの熱分解はN3-N4結合あるいはC5-N1結合の開裂から始まるものと推察される。一方,1HTの量子化学計算より,C5-N1結合エネルギー(80.4kcal/mol)はN3-N4結合(42.4kcal/mol)より2倍大きいことが確認されている。1PHTの分解生成物にはベンゾイミダゾールの生成が確認された。1PHTはフェニル基がN1と結合しているので,N3-N4結合開裂した中間体がベンゾイメダゾルを形成するものと思われる。これらのことから,テトラゾールの熱分解はN3-N4結合の開裂から開始されると考えられる。

5.テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性

 エアバッグ用ガス発生剤は着火剤により着火し,その爆燃反応によりガスを生成する。したがって,ガス発生剤として用いる場合にはその爆燃性が重要な特性であると言える。現在,エアバッグ用ガス発生剤の爆燃性を評価する方法はいずれも数10g単位の試料量を必要とし,新規ガス発生剤の開発研究のためのスクリーニング試験としては,適当ではない。

 そこで,本研究においては,まず,少量の試料でガス発生剤の爆燃性を評価できる小型爆燃性試験装置を試作した。この小型爆燃性試験装置は,0.5gの試料量でガス発生剤の爆燃時の最大発生圧力と最大圧力発生速度等の爆燃性を測定できるものである。次いで,この装置を用いたテトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性に及ぼす組成物の酸素バランス,試料量,試料の粒径,密度等の影響について考察した。さらに,この小型爆燃性試験装置による試験が,ガス発生剤の爆燃性を評価するためのスクリーニング試験として有効であるかどうかを明らかにするため,この小型爆燃性試験装置で測定した爆燃性の結果とガス発生剤の爆燃性評価に有効であることが知られている1Lタンクテストによる結果との相関性を調べた。そこで,この小型爆燃性試験はテトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性評価のための有効なスクリーニング試験であることが確かめられたので,この小型爆燃性試験を用いて各種テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性を評価し,既にガス発生剤として用いられているアジ化ナトリウム系ガス発生剤の爆燃性を比較した。その結果,テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性はアジ化ナトリウム系ガス発生剤のそれと類似している。したがって,爆燃性からはテトラゾール-酸化剤組成物にアジかナトリウム系ガス発生剤代替の可能性があると考えられる。

審査要旨

 本論文は、「テトラゾールの熱的挙動に関する研究」と題し、テトラゾールの化学構造と熱的挙動との関係を検討することにより、必要なエネルギー発生特性を持つテトラゾールの分子設計を行うための基礎的な知見を得るとともに、テトラゾールの応用分野として期待されている、テトラゾール-酸化剤組成物のエアバッグ用ガス発生剤への適用性を評価することを目的としたもので、6章からなっている。

 第1章は「序論」で、本研究の背景となっている社会的要請、技術的問題について概説するとともに、テトラゾールの特徴およびテトラゾールに関する従来の研究の概要を述べ、本論文の位置づけと研究方針を示している。

 第2章では、密封セル示差走査熱量計(SC-DSC)を用いてテトラゾールおよびテトラゾール金属塩の熱分解時およびテトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の吸発熱挙動を調べ、テトラゾールの化学構造およびテトラゾール-酸化剤組成物の組成との関係について論じている。

 テトラゾールの化学構造と熱分解挙動との関係については、SC-DSCによる分解開始温度および分解熱が置換基の影響を受けることを示した。これは、置換基によりテトラゾール環の電子の非局在化の程度が変わるためにテトラゾール環の安定度が変化するためと考えている。テトラゾール金属塩は、その分解開始温度が対応するテトラゾールの場合より高く、分解熱も対応するテトラゾールに比べて小さくなる傾向にあるが、これも同様の説明ができるとしている。また、テトラゾールの分解熱は、主としてテトラゾール環の開裂反応によるものであること、および置換基の位置がテトラゾールの熱分解挙動におよぼす影響は、5位の置換基の方が1位の置換基よりも大きいことを示している。

 テトラゾール-酸化剤組成物の熱反応挙動については、その組成物の酸素バランスがゼロ付近で発熱量が最大となり、その値は理論計算値とよく一致していることを示している。このことから組成物のDSCセル中での熱反応はほぼ理想的に進んでいると推定している。

 第3章では、テトラゾールおよびテトラゾール金属塩の熱分解時およびテトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の圧力発生挙動について述べている。

 テトラゾールおよびテトラゾール金属塩の熱分解時の最大発生圧力は、テトラゾールの置換基による影響より、むしろ単位重量あたりのテトラゾール環の数(分子量の逆数)と良い相関を持ち、また、テトラゾールおよびテトラゾール金属塩の熱分解反応は、圧力依存性を持ち、高圧であるほど速度が増大することを示した。テトラゾールおよびテトラゾール金属塩の熱分解時の圧力発生挙動は、アジ化ナトリウムのそれとよく似ており、ガス発生剤としての圧力発生特性を有していることを見いだした。

 テトラゾール-酸化剤組成物の熱反応時の圧力発生挙動については、組成物の酸素バランスがゼロ付近で最大発生圧力と最大圧力発生速度が得られることを示した。

 第4章では、代表的テトラゾールの高速熱分解および密閉セル中での熱分解を行い、テトラゾールの熱分解機構について考察している。

 テトラゾールの熱分解はテトラゾール環からの置換基の脱離ではなく、テトラゾール環の開裂が主として起こっており、テトラゾール環の開裂は、N3-N4結合から始まり、次いでN1-C5結合の開裂が起こることを示した。ただし、1位がフェニル基であるテトラゾールでは、N3-N4結合の開裂後N1-C5結合とN1-N2結合が競争的に起こることを見いだした。

 第5章では、試作した小型爆燃性試験装置を用いて、テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃の際の最大発生圧力と最大圧力発生速度を測定し、テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性とそれに影響をおよぼす諸因子について考察している。

 試作した小型爆燃性試験装置は、少試料量(0.5g程度)で爆燃時の発生圧力と圧力発生速度を再現性良く得ることが可能であり、この試験装置による最大発生圧力および最大圧力発生速度が、エアバッグシステム用ガス発生剤の評価に用いられている1Lタンク試験の結果と良い相関を持つことから、小型爆燃性試験装置が新規ガス発生剤探索のためのスクリーニング試験として有用であることを示している。

 テトラゾール-酸化剤組成物は、酸素バランスがゼロの組成で爆燃時の最大発生圧力と最大圧力発生速度が最大となることを示した。テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性に影響を与える因子としては、テトラゾールおよび酸化剤の粒子径、ペレットの表面積、サンプルの装填密度が挙げられるとしている。また、着火剤の量は、テトラゾール-酸化剤組成物の爆燃性にはほとんど影響を与えないことを確認した。

 いくつかのテトラゾール-酸化剤組成物が、アジ化ナトリウム系ガス発生剤と比較してガス発生量およびガス発生速度に優れているものが見いだしている。このことから、テトラゾール-酸化剤組成物は爆燃性の点からはアジ化ナトリウム系ガス発生剤代替の可能性があると考えられるとしている。

 第6章では、本研究の成果を総括している。

 以上を要するに、本論文は、テトラゾールの化学構造と熱的挙動との関係を検討することにより、必要なエネルギー発生特性を持つテトラゾールの分子設計を行うための基礎的な知見を得るとともに、テトラゾールの応用分野としてテトラゾール-酸化剤組成物のエアバッグ用ガス発生剤への適用可能性を示しており、エネルギー物質化学の発展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク