本論文は、水中の植物プランクトンの測定を目的とした光学的計測システムの開発に関する研究をまとめたもので、藍藻類と他の植物プランクトンの生体内(in vivo)蛍光スペクトルの比較、二波長蛍光法を用いる混合サンプル中の藍藻類の選択的な検出、そして植物プランクトンセンサーの構築とその応用、化学発光法を用いる赤潮の早期検知法の開発について報告するものであり、6章により構成される。 近年、湖沼や内湾の富栄養化によって植物プランクトンの異常増殖が多発している。陸水ではアオコなどが発生し、これが原因で水道水源の質を低下させたりすることが多い。内湾では赤潮が発生し、水産養殖に大きな被害をもたらす。従来のクロロフィルa抽出法による植物プランクトンの定量は操作が繁雑であるばかりでなく、特異性を欠くため、アオコのもとになる藍藻類や赤潮のもとになる微細藻類を選択的に検出することはできなかった。 本研究はアオコの早期検知として、藍藻と他の植物プランクトンの蛍光の違いを利用した二チャンネル法について検討した。また、赤潮の検出については日本沿海で大量発生する度に水産養殖に被害をもたらすChattonellaに注目し、ウミホタルウシフェリン誘導体を用いる化学発光法による検出を試みた。 第1章は緒論であり、植物プランクトンと水質環境の関係、従来の植物プランクトンの計測手段、プランクトンの蛍光測定法と化学発光法の原理について概説した。 第2章では、藍藻類と他の植物プランクトンの蛍光の違いを比較検討した。藍藻類はMicrocystis aeruginosa、Anabaena cylindrica、Phormidium tenueとSpirulina platensisについて実験を行った。フィコシアニンをもつ藍藻類とそれをもたない緑藻や珪藻の蛍光は大きな違いを示した。クロロフィルaは440nmの光で励起され680nmの蛍光を発するが、緑藻と珪藻はこの蛍光を特徴的に示す。しかし、藍藻類はこの蛍光を弱くしか示さないため、この蛍光によって藍藻類を定量するのは難しい。一方、藍藻類はフィコシアニンを多量に含んでおり、これに由来する550nm励起、645nm発光の蛍光を強く示す。緑藻と珪藻がこの蛍光を示さないことから、このフィコシアニンの蛍光は藍藻類の特異的かつ高感度の検出に適すると考えられる。 また、一般に蛍光強度は植物プランクトンの光合成活性に影響される。集光色素によって捕獲された光エネルギーはアンテナクロロフィルaに伝達され、最終的に光合成の反応中心に渡され、光化学反応に利用される。蛍光はエネルギーの損失として放出されるため、光化学反応とは拮抗関係になっており、蛍光強度は光合成活性に依存する。しかし、光合成の阻害剤であるジクロロフェニルジメチル尿素(DCMU)の添加実験を行ったところ、クロロフィルaの蛍光が光合成活性に影響されやすいのに対し、フィコシアニンの蛍光は、DCMUを光合成が完全に阻害される濃度(10M)まで添加しても蛍光強度がわずか3%しか増加しなかった。この事実から、フィコシアニンの蛍光を基にする藍藻類の測定は、湖沼やダム貯水池に流入した除草剤や細胞内の他の原因による光合成活性の変化に影響される可能性が低いことが示された。また、古くなった藍藻類は光合成活性が落ちているので、逆に若い細胞より強い蛍光を示すことがよく言われている。そこで、定常期以後まで培養したM.aeruginosaを用いた実験の結果、細胞中のフィコシアニンの含有量は指数増殖期のものより低くなったため、弱い蛍光しか観測されなかった。従って、古い細胞が逆に強い蛍光を発する可能性は低いということが示唆された。 第3章は、プランクトンの蛍光の違いを利用した藍藻類の選択的な定量法について述べた。まず、同一測定条件において藍藻類と他のプランクトンの蛍光強度を比較した。フィコシアニンの蛍光を、620nm励起、645nm発光の条件で測定した場合、藍藻類から検出された蛍光は緑藻や珪藻の50倍ほど高くなった。一方、クロロフィルaの蛍光を、440nm励起、680nm発光の条件で測定した場合では、緑藻や珪藻から検出された蛍光は藍藻の10倍ほど高いことがわかった。 そこで、フィコシアニンとクロロフィルaから発した蛍光をそれぞれF620/645とF440/680で表し、前者は藍藻類を定量するため、後者は藍藻類以外のプランクトンの影響を除くために用いた。この二波長の蛍光測定法を用いて室内培養した藍藻のM.aeruginosaと緑藻のChlororella vulgarisとの混合比が異なる試料(総クロロフィルa濃度=1g/ml)を測定した。まず、単一種のプランクトンを用いてF620/645とF440/680の値とプランクトンの濃度との関係を調べ、次に混合サンプルのF620/645とF440/680を測定し連立方程式を立ててサンプル中の各プランクトンの濃度を算出した。この算出したプランクトン濃度と既知のプランクトン濃度とを比較したところ、緑藻のC.vulgarisの濃度が藍藻のM.aeruginosaの9倍高い試料でも藍藻を選択的に検出することが可能であった。 第4章は、第2、3章の結果を踏まえ、二波長蛍光法の原理を利用してプランクトンセンサーを構築し、実試料の測定に応用したものである。すなわち、一方はクロロフィルaの蛍光を測定する条件で、もう一方はフィコシアニンの蛍光を測定する条件で二チャンネルを設定し、プランクトンセンサーを構築して5月と6月の霞ヶ浦の水の計測に応用した。光源の強度や検出器の光電子倍増管の機種を検討した結果、二波長蛍光検出型プランクトンセンサーの選択性が蛍光分光光度計より高くなったことがわかった。 富栄養化した霞ヶ浦の水に含まれたプランクトンの種類は豊富であり、藍藻、緑藻、珪藻や鞭毛藻など10種類以上のプランクトンが観察された。これらの水をプランクトンセンサーで分析した結果、クロロフィルaとフィコシアニン測定用のチャンネルの蛍光強度は、試料中のこれら二つの色素の濃度を反映していることがわかった。特に、フィコシアニン測定用のチャンネルでは、まだアオコが発生していない5月と6月の水中の低濃度の藍藻類を検出することが出来たので、このセンサーはダム貯水池や湖などのアオコの早期検知に応用できると考えられる。 第5章は、化学発光法により高感度の赤潮プランクトンChattonellaのセンシングシステムの開発について述べた。植物プランクトンの異常増殖による赤潮現象は時には養殖魚介類の大量へい死を引き起こす。鞭毛藻のChattonellaは瀬戸内海を中心に赤潮を頻繁に起こし、ブリなどの養殖に莫大な被害を与えている。Chattonellaの赤潮を防止するために、化学発光法を用いた検出法について検討した。 化学発光プローブはウミホタルルシフェリン誘導体の一種、MCLA(2-methyl-6-(p-methoxyphenyl)-3,7-dihydroimidazo[1,2-a]-pyrazin-3-one)を用いた。Chattonellaはスーパーオキシドを放出することが知られている。MCLAがスーパーオキシドによって酸化されて示す465nm付近の強い発光を利用してChattonellaの定量を試みた。 フロータイプの測定システムを構築し、MCLAの溶液とChattonella marinaの懸濁液を流して、混合すると化学発光が観測された。この発光はSODの添加により抑制されたが、アジ化ナトリウムやカタラーゼの添加による影響は少なかった。このことから、この発光は一重項酸素や過酸化水素ではなく主にスーパーオキシドに起因することが判明した。また、綿フィルターをプランクトン懸濁液側のチューブにつけ、大部分の細胞をろ過しても発光強度はほとんど変化しなかったことがら、この発光はC.marinaの細胞自身によるものではなく、細胞外に放出されたスーパーオキシドに起因することが示唆された。 発光強度に影響を及ぼす因子として、MCLAの濃度とpH、そしてC.marinaのスーパーオキシド放出能に影響を及ぼす因子として、C.marinaのインキュベーション温度などが考えられるが、これらについて検討した。その結果、C.marinaは200〜4800cells/mlの範囲において発光強度による細胞濃度の定量ができるようになった。1983年にC.marinaによって起こる赤潮が発生する前後の一ヶ月の間、C.marinaの細胞濃度は10から5400cells/ml変動したと報告されており、この発光法を用いればC.marinaのによって起こる赤潮を早期に検知できることが示唆された。同じ条件では他のプランクトンからこのMCLA依存化学発光がほとんど検出されなかったため、この方法はChattonellaに対して非常に特異性が高いことがわかった。 第6章は総括であり、本研究を要約し得られた研究結果をまとめた。 本研究では、まず藍藻類のin vivo蛍光の特性の検討を行いアオコのもとである藍藻類の選択的かつ高感度なモニタリング法を開発した。次に、化学発光法を用いる海水中のChattonellaが原因となる赤潮の早期検知法を開発した。今後、これらの光学的計測システムは植物プランクトンによる水質汚染の予防において重要な役割を果たすものと期待される。 |