学位論文要旨



No 110838
著者(漢字) 北村,昌也
著者(英字)
著者(カナ) キタムラ,マサヤ
標題(和) 硫酸還元菌の酸化還元蛋白質の遺伝子工学的研究
標題(洋)
報告番号 110838
報告番号 甲10838
学位授与日 1994.11.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3281号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 干鯛,眞信
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 助教授 熊谷,泉
 学習院大学 教授 三浦,謹一郎
内容要旨

 生物の原形質には、0.4%から1%程度イオウが有機化合物の形で存在している。すなわち、例えば、メチオニンやシステインといった含硫アミノ酸やビオチンやパントテン酸といった補酵素であるが、このようにイオウが生物に利用されるためには、窒素の場合と同じく還元状態になければならない。今日の地球上では、緑色植物や酵母なども硫酸塩を還元して使う(同化型)こともできるが、少なくとも5億年前までは、酸化された形が支配的であり、さらに、地球上にまだ酸素が少なかった27億年前には、絶対嫌気性細菌である硫酸還元菌が硫酸塩を還元することにより(異化型)、イオウ循環の一端、すなわち硫酸イオンを硫化物イオンに変える反応のすべてを担っていたと考えられる。硫酸還元菌は、硫酸塩を最終電子受容体とし、乳酸やピルビン酸などの有機酸あるいは水素を酸化してエネルギーを獲得しているバクテリアの一種であり、その電子伝達鎖・呼吸鎖に関与すると考えられるc型シトクロム、非ヘムタンパク質、フラピンタンパク質の機能が明らかにされるに伴い、その生態が徐々に解明されつつある。すなわち、このバクテリアは、2分子の乳酸から酢酸まで酸化を行うに伴い、ATP(アデノシン三リン酸)を2分子合成する一方で、その合成されたATPを、1分子の硫酸イオンを硫化物イオンにまで還元するために消費する。生育に必要なエネルギーは、それらの反応に共役した電子伝達系により獲得している。その電子伝達系は、ヒドロゲナーゼとシトクロムc3を核とした系により構成されている。

 硫酸還元菌の一種Desulfovibrio vulgaris(Miyazaki F)株由来のシトクロムc3は、107アミノ酸残基からなる単量体電子伝達タンパク質であり、生体中では電子をヒドロゲナーゼから非ヘムタンパク質であるフェレドキシンやフラビンタンパク質であるフラボドキシンへと受け渡す役割を果たしている。また、1分子あたりc型ヘムを4個共有結合している多ヘム型シトクロムであって、そのヘムの軸方向の配位子は、すべて両方向ともヒスチジン残基である、硫酸還元菌に特有のタンパク質である。このタンパク質は、X線結晶構造解析やNMRによる構造研究が詳細に行われており、このタンパク質のもつ構造と機能の相関、すなわちヘム周辺の環境が、このタンパク質の酸化還元電位に及ぼす影響、分子内分子間の電子移動速度について解析する基盤となっている。また、シトクロムc553は、このバクテリアが有機酸を酸化する際の最初の反応である乳酸をピルビン酸へ酸化する反応を触媒する乳酸デヒドロゲナーゼの電子受容体となるアミノ酸79残基からなるc型シトクロムであり、このシトクロムに1個含まれるヘムの軸方向の配位子は、メチオニンとヒスチジンであるが、このタイプのc型シトクロムは、広くバクテリア類やミトコンドリアに存在している。さらに、フラビンタンパク質は、このバクテリアの特徴である硫酸塩の還元反応に関与しているという報告もあり、このバクテリアの生態を研究する上で、重要となっている。

 本研究では、硫酸還元菌D.vulgaris(Miyazaki F)株よりヘムタンパク質としてシトクロムc3およびシトクロムc553、フラビンタンパク質としてFMN結合タンパク質を取り上げ、アミノ酸置換による構造・機能相関研究を最終目標として、その遺伝子構造を明らかにするとともに、その発現系の構築、さらに発現タンパク質の遺伝子工学的・分子生物学的研究を行った。

 硫酸還元菌D.vulgaris(Miyazaki F)株より、ゲノムDNAを斎藤-三浦法により抽出した。サザンハイブリダイゼーション法を用いて、シトクロムc3の遺伝子を特定したところ、この遺伝子は、ゲノム中の873bpのArt II-Sph I断片中に存在していた。クローニングの後、その遺伝子構造を明らかにするとともに、この遺伝子の発現調節領域も推定した。この結果から、このタンパク質がシグナルペプチドをつけた前駆体として発現することを見い出した。このシグナル配列は、他のグラム陰性のバクテリアの膜透過型タンパク質のそれと相同的であったので(図1)、このタンパク質がペリプラズムに存在するということを示唆した。さらに、既発表のアミノ酸配列と1ヵ所一致しない点(42番のアスパラギンが、遺伝子配列からは、アスパラギン酸であった)を見い出した。そこで、この菌体からシトクロムc3を抽出し、その1次配列を確認し(表1)、確かに遺伝子配列の情報と一致していることを確かめた。また、遺伝子中のG+C含量は高く、コドン3文字目では、87%にまでなり、コドン使用頻度に偏りが見られた。さらに、このタンパク質遺伝子を大腸菌、酵母、放線菌、光合成細菌といった、ヘテロな系での発現系の構築を試みた。大腸菌において、発現は行われたものの、シグナルペプチドは切断されず、ヘムも結合していないようであったが、硫酸還元菌由来の調節領域が、大腸菌内でも働きうることを示した。このタンパク質遺伝子のクローニングは、[NiFe]ヒドロゲナーゼに続き、この株の遺伝子構造が明らかにされた2番目の例である。

図表図1 シグナルペプチドの比較 Miyazaki F株とHildenborough株由来のシトクロムc3、その他は、大腸菌の膜透過型タンパク質 / 表1 アミノ酸配列分析の結果

 同様に、シトクロムc553遺伝子のクローニングを行った。この遺伝子は、約3.6-kbpのXba I-Eco RI断片中に存在しており、このタンパク質もまたシグナルペプチドを含む形で発現することを明らかにした。しかし、クローニングした断片中には、-35領域、-10領域といった発現調節領域を含んでいないように思われた。また、この遺伝情報から推定されるアミノ酸配列は、既発表のアミノ酸配列と完全に一致していた。さらに、このクローン化した遺伝子中には、他に3つのORF(オープンリーディングフレーム)が存在した。そのうち、ORF-4の翻訳産物は、アミノ酸配列上シトクロムcオキシダーゼと相同性があった。このタンパク質が硫酸還元菌中で発現している根拠はないが、この翻訳産物はシトクロムc553と直接反応するのではないかと考えた。また、このタンパク質が、絶対嫌気性細菌中でどのような物質と反応するかわからないが、シトクロムc553もシトクロムcオキシダーゼもミトコンドリア型のタンパク質であり、分子進化という観点からも興味深い。

 FMN結合タンパク質は、これらの遺伝子をクローニングする過程で発見したタンパク質である。ゲノムDNA中の2053bpのSma I-Sma I断片中に、Kpn Iサイトがあり、この約1.4kbpのKpn I-Sma I断片をプラスミッドpUC18にサブクローニングしたところ、形質転換体が黄色を呈色していた。そこでまず、2053bpのSma I-Sma I断片の塩基配列を決定したところ、4つのORFが存在していた。また、発現調節領域と思われる領域も発見した。一方で、黄色を呈している物質の特定を行い、これが、発現したタンパク質とその分子に結合しているフラビン誘導体であることがわかった。そこで、フラビン誘導体の同定を行うため、まず、逆相系高速液体クロマトグラフィーを用いて、市販のFAD(フラビンアデニンジヌクレチド)およびFMN(フラビンモノヌクレオチド)とこのフラビン誘導体との溶出時間の比較を行ったところ、この補欠分子族がFMNであることがわかった(図2)。しかし、軽微な修飾の可能性を考え、LC/MS(液体クロマトグラフィー/質量分析)を用い、この補欠分子族が、未修飾のFMNであることがわかった。さらに、このクローンにより生成したタンパク質をイオン交換クロマトグラフィー、ゲルろ過クロマトグラフィーさらに、逆相系クロマトグラフィーを用いてそのペプチド部分を精製した。精製したペプチドは、そのアミノ酸組成分析(表2)を行うとともに、アミノ末端配列分析を行った。また、精製したペプチドをトリプシンを用いて完全消化した後、再び逆相系クロマトグラフィーを用いて精製し、いくつかのペプチド断片についてそのアミノ酸配列分析を行った。その結果、このペプチドは、この挿入断片中の3番目のORFにコードされていることが明らかになった。また、ゲルろ過クロマトグラフィーを用いて精製した標品の可視紫外吸収スペクトル分析の結果(図3)から、この補欠分子族とペプチドは、1:1に結合していることがわかった。また、ゲルろ過クロマトグラフィーによる分子量測定を行ったところ、17,500と計算された。SDS-ボリアクリルアミドゲル電気泳動による分子量の測定の結果11,500と計算されたが、この値は、遺伝子の情報をもとに翻訳したペプチドの分子量とも一致した。補欠分子族を含めた分子量は、計算上ほぼ12,000であるので、ゲルろ過クロマトグラフィーの結果と比較して、このタンパク質は、球形ではないことが示唆された。このタンパク質を大腸菌内で大量に生産させるため、3番目のORFの下流領域の遺伝子をディレーション反応により取り除き、上流領域の遺伝子は、部位特異的変異法を用いて削除した。このようにして得られた3番目のORFだけの断片を高発現ベクターに組み込むことにより、発現量をLB培地1l当たり65mgと、それ以前の3.4倍にまでふやすことができた。また、このタンパク質の電気化学的測定を行ったところ、酸化還元電位は、グラファイト電極上に吸着した状態で、フリーのFMNよりもさらに85mV卑である-324mVという値を示し、このタンパク質が、酸化還元反応に寄与しうることを示した。さらに、このタンパク質が、実際にこのバクテリア内で、生成していることを証明するため、大腸菌内で生産されたこのタンパク質を精製し、これを抗原としてウサギに抗体を生産させることにより抗血清を得、それを用いて免疫反応を検査した。その結果、このタンパク質は、その生育条件にかかわらず、定常的に発現していることが確かめられた。

図表図2 補欠分子族のHPLCパターン / 図3 FMN結合タンパク質の可視紫外吸収スペクトル表2 FMN結合タンパク質のアミノ酸組成分析
審査要旨

 絶対嫌気性細菌である硫酸還元菌は硫酸呼吸、すなわち硫酸イオンを硫化物イオンに変えることにより呼吸を行う細菌である。つまり、乳酸やピルビン酸などの有機酸あるいは水素を酸化する過程で生産したATP(アデノシン三リン酸)を2分子合成する一方で、その合成されたATPを、1分子の硫酸イオンを硫化物イオンにまで還元するために消費する。生育に必要なエネルギーは、それらの反応に共役した電子伝達系により獲得している。この電子伝達系は、ヒドロゲナーゼとシトクロムc3を核とした系により構成されているが、電子伝連鎖・呼吸鎖に関与すると考えられるc型シトクロム、非ヘムタンパク質、フラビンタンパク質の機能が明らかにされるに伴い、この細菌の生態が徐々に解明されつつある。

 本研究は、硫酸還元菌D.vulgaris(Miyazaki F)株よりヘムタンパク質としてシトクロムc3およびシトクロムc553、フラビンタンパク質としてFMN結合タンパク質を取り上げ、アミノ酸置換による構造・機能相関研究を最終目標として、その遺伝子構造を明らかにするとともに、その発現系の構築、さらに発現タンパク質の遺伝子工学的・分子生物学的研究を行ったものである。この研究の結果は、硫酸呼吸の分子生物学的知見を広げただけでなく、更にタンパク質工学的な研究を行うことにより、さまざまな酸化還元反応を触媒するタンパク質の開発、または有効なエネルギー変換素子の構築が行えると考える。

 硫酸還元菌D.vulgaris(Miyazaki F)株由来のシトクロムc3は、107アミノ酸残基からなる単量体電子伝達タンパク質であり、生体中では電子をヒドロゲナーゼから非ヘムタンパク質であるフェレドキシンやフラビンタンパク質であるフラボドキシンへと受け渡す電子伝達系の中心的な役割を果たしている。また、1分子あたりc型ヘムを4個共有結合している多ヘム型シトクロムであって、そのヘムの軸方向の配位子はすべて両方向ともヒスチジン残基である、硫酸還元菌に特有のタンパク質である。シトクロムc553は、この細菌が有機酸を酸化する際の最初の反応である乳酸をピルビン酸へ酸化する反応を触媒する乳酸デヒドロゲナーゼの電子受容体となるアミノ酸79残基からなるc型シトクロムであり、このシトクロムに1個含まれるヘムの軸方向の配位子は、メチオニンとヒスチジンであるが、このタイプのc型シトクロムは、広く細菌類やミトコンドリアに存在している。さらに、フラビンタンパク質は、この細菌の特徴である硫酸塩の還元反応に関与しているという報告もあり、この細菌の生態を研究する上で重要となっている。

 論文は、以下の8章から構成されている。

 第1章は、緒言であり、本研究の背景と目的、関連する既往の研究および本研究の概要とその意義について述べた。

 第2章では、シトクロムc3遺伝子のクローニング、塩基配列の決定、アミノ酸配列の確認、この遺伝子の発現について検討した結果について述べた。

 第3章では、シトクロムc553遺伝子のクローニングと塩基配列の決定、さらに下流領域のORF(オープンリーディングフレーム)の産物と他のタンパク質との相同性について検討し、硫酸呼吸系における新規な要素を示唆した。

 第4章では、FMN結合タンパク質について、遺伝子構造を明らかにするとともに、大腸菌内で発現したタンパク質の性格付けを行い、実際に菌体内に存在する事を確認した。

 第5章は実験条件、第6章は参考文献、第7章は結び、第8章は謝辞である。本研究では、次のような結果を得た。

 1)シトクロムc3遺伝子の構造を明かにし、このタンパク質がシグナルペプチドを持った前駆体の形で発現する。また、このタンパク質のアミノ酸配列は既発表のものと一箇所異なっている。

 2)シトクロムc553遺伝子の構造を明かにし、このタンパク質もシグナルペプチドを持った前駆体の形で発現する。その下流に存在するORF-4の翻訳産物は、シトクロムcオキシダーゼチェインIと相同性が高い。

 3)FMN結合タンパク質の遺伝子の構造を調節領域を含めて明かにするとともにアミノ酸配列をタンパク質レベルで決定した。また、このタンパク質が、補欠分子族として未修飾のFMN(フラビンモノヌクレオチド)を持ち、酸化還元反応に寄与し得ること、硫酸還元菌内に存在することを見いだした。

 本研究の結果、硫酸還元菌の酸化還元タンパク質について、新たな知見が得られた。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54426