学位論文要旨



No 110839
著者(漢字) 鄭,国振
著者(英字)
著者(カナ) テイ,コクシン
標題(和) セルロース系両性電解質の分子鎖挙動
標題(洋) Chain Behavior of Amphoterie Cellulose Derivatives
報告番号 110839
報告番号 甲10839
学位授与日 1994.11.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1522号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 林産学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 水町,浩
 東京大学 助教授 佐分,義正
 東京大学 助教授 磯貝,明
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨

 両性高分子電解質は、pH変化によって伸縮するゲル、水不溶で食塩水に可溶な高分子、凝集剤、高分子触媒としての多様な機能に注目し、活発に研究開発が行われているが、セルロース系両性電解質に関する研究はほとんど公表されていない。

 そこで、この研究では二種類のセルロース系両性電解質および比較対象としてアニオン性高分子電解質であるカルボキシメチルセルロース(CMC)を使用し、セルロース系両性電解質の特質を明らかにすることを試みた。セルロース系両性電解質は、いずれもCMCを出発物質として実験室的に調製したもので、一つは2-ヒドロキシ-3-(トリメチルアンモニオ)プロピル基(HTMAP基)を導入し、分子内に四級アミノ基を有するもの(CM-HTMAPC)であり、他の一つはジエチルアミノエチル基(DEAE基)を導入し、三級アミノ基を有するもの(CM-DEAEC)である。後者は水溶液のpHを変えることによって、疎水性と親水性の間で可逆的に変化する特徴を有している。

 本論文では第一編において両性高分子電解質の特徴、セルロース誘導体溶液の性質、C-13NMRスピン-格子緩和と分子鎖運動との関係に関する既往の研究を総括した。第二〜第四編においてセルロース系電解質の特徴を、それぞれ以下三つの手法を中心にして検討した結果をとりまとめた。第二編はゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)と粘度の測定の結果に基づいて、分子間および分子内のイオン基間の会合に関して検討したものであり、第三編はカルボン酸の解離に伴うギブス自由エネルギーの変化(G0)に基づくアニオン性基とカチオン性基間の相互作用に関するものであり、第四編ではC-13NMRスピン-格子緩和時間に基づいて、セルロース誘導体分子主鎖を構成するグルコースユニットと置換基の運動性に関して検討した結果を述べた。

第二編:GPCと粘度の測定による分子間および分子内イオン基の相互作用に関する検討

 分子内のイオン基間の会合により分子鎖は収縮し、また分子間のそれはより大きな分子集団として挙動する結果となる。CM-HTMAPCは低塩濃度(0.003M NaCl)の水溶液中では、対応するCMCより大きな見掛け分子として挙動する。これは分子間のイオン基間の会合の存在を示している。ところが、高塩濃度(0.1M NaCl)ではCM-HTMAPCはCMCより小さい見掛け分子として挙動する。これは分子間のイオン基間の会合が無機塩の添加によって阻害されたのに対し、分子内のイオン基間の会合が依然として存在していることを示している。0.1M NaOH水溶液中ではCM-DEAECはCMCに比較して大きな見掛け分子サイズを示した。これは疎水性基(DEAE基)同士の分子間の会合を示している。無機塩の添加によってカルボキシメチル基(CM基)のカルボン酸イオン間の反発が弱まり、分子鎖が収縮した結果、疎水性基同士の分子間の会合も抑制されていると考えられる。

 等電点においてはCM-HTMAPCとCM-DEAECが極小粘度を示した。単一高分子電解質の粘度変化とは逆に、その極小粘度値は塩の添加によって高くなる。これは低分子電解質が分子内のイオン基間の会合を阻害し、両性電解質が広がった分子構造をとることを示している。等電点付近では塩の添加によって分子鎖が広がることはGPC測定により観測された。

第三編:CM基のカルボン酸の解離に伴うギブス自由エネルギーの変化からみたイオン基の相互作用

 カルボン酸の解離に伴うギブス自由エネルギーの変化G0は次の式で表される。

 

 カルボン酸イオンの標準生成ギブス自由エネルギーGf0coo-は周囲の荷電との相互作用に大きく影響さる。CMCについてはセルロース分子鎖の負電荷密度の増加に伴って、また無機塩濃度の低下に伴ってGf0coo-が高くなる現象が確認された。これは隣接するアニオン性基とのイオン反発によってカルボン酸イオンがより高いエネルギー状態になることを示している。2,3-位に選択的に置換されたCMCについての測定結果は、同一グルコース環の2,3-位にあるカルボン酸イオン間の反発が2,6-位および3,6-位タイプの反発より強いことを示した。

 カチオン性HTMAP基が存在するとGf0coo-は低くなることが観測された。これは異種イオン基間の会合によってCM基のカルボン酸イオンがエネルギー的に安定な状態に移ったことを示している。CM-HTMAPCについては等電点を境として明瞭に異なった現象が確認された。すなわち、アニオン性基が過剰に存在する領域においてはNaCl濃度の上昇とともに、アニオン性基間の反発が抑えられた結果、Gf0coo-が低下したのに対して、カチオン性基が過剰に存在する領域においては、NaCl濃度の上昇によってGf0coo-が逆に上昇する現象が見られた。後者は異種イオン基間の吸引作用によるカルボン酸イオンに対するエネルギー的な安定化効果が、NaCl分子による遮蔽作用によって抑制されていることを示している。また、CM-HTMAPCにおいては分子内の異種イオン基間の会合の結果、分子がより収縮した構造をとっているために、過剰に存在するアニオン性基間の反発が一層顕著に表れることが明らかとなった。

第四編:セルロース主鎖、置換基の運動性と環境

 セルロース主鎖を構成するグルコースユニットの六員間は、大きな置換基が存在する場合においては、一層安定な椅子型構造を保つ。また、C(1)-OとC(4)-Oボンドはかなり自由に回転できるために、セルロース主鎖のセグメント運動はグルコースユニットを単位とする回転的な運動に基づいて行なうと考えられる。

図1セルロース主鎖の構造(R:H or substituents)。

 グルコース環のC-13NMRのスピン-格子緩和時間(T1)から、置換基の存在はそれが導入された炭素のみではなく、同一グルコース環の全ての炭素の緩和にも影響を与えることが明らかとなった。たとえば、CMCのC-3の緩和時間は6-位あるいは3-位にCM基が導入されると短くなる。これはグルコースユニットを単位とする回転的な運動が阻害されたことが原因であると考えられる。これらの影響はHTMAP及びDEAE基が導入された際に、一層明らかに確認された。また、一分子鎖内では置換基の状態によってグルコース環がそれぞれ異なる回転自由度を持つことも明らかとなった。

 グルコース環の一回転中においてはいくつかのエネルギー的に比較的安定な状態があり、グルコース環は連続的に回転するではなく、エネルギー的に安定の状態の間をジャンプすると考えられる。グルコース環が一つの安定の状態から他の安定の状態に回転すると、周囲の分子鎖が歪み、その歪みの解消のため他のグルコース環の回転が引き起こされる。エネルギー的に安定な状態間のポテンシャル障壁は、置換基の導入によって高くなり、その結果グルコース環の回転的な運動が阻害される。

 CM基の緩和時間は、2-位あるいは3-位に比較して6-位に導入されたものが著しく大きな値を示した。これは前二者がセルロース主鎖に近いために運動がより阻害されやすいことを示唆している。また、CM基のアニオン型から酸型への変化に伴って前二者の緩和時間は長くなるのに対し、後者では逆に短くなった。このことは前二者においては酸型ではアニオン型CM基間に認められた反発がなくなった結果、運動の自由度が増大したことを示している。一方、酸型では6-位に導入されたCM基はセルロース主鎖から離れているために、ゲル化の原因である水素結合形成に参入しやすく、そのため運動の自由度が逆に低下する。

 グルコース環と置換基の運動に対する溶媒の影響も観測された。DMSOに溶解状態ではCM基の内部回転運動がかなり阻害される。これはDMSO溶液の高い粘度及びCM基とDMSO分子間の強い相互作用によるものと考えられる。また、DMSO中におけるグルコース環の回転的な運動が水中のそれより遅いことも観測された。

 置換基のセグメントの運動は、セグメントがセルロース主鎖に近ければ近いほど阻害されやすい。また、異種イオン基間の会合によって置換基の運動が阻害されることも確認された。

審査要旨

 両性高分子電解質は,pH変化によって伸縮するゲル,水不溶で食塩水に可溶な高分子,凝集剤,高分子触媒としての多様な機能に注目し,活発に研究開発が行われているが,セルロース系両性電解質に関する研究はほとんど公表されていない。

 この研究では二種類のセルロース糸両性電解質および比較対象としてアニオン性高分子電解質であるカルボキシメチルセルロース(CMC)を使用し,セルロース系両性電解質の特質を明らかにすることを試みた。セルロース系両性電解質は,いずれもCMCを出発物質として実験室的に調製したもので,一つは2-ヒドロキシ-3-(トリメチルアンモニオ)プロピル基(HTMAP基)を導入し,分子内に四級アミノ基を有するもの(CM-HTMAPC)であり,他の一つはジエチルアミノエチル基(DEAE基)を導入し,三級アミノ基を有するもの(CM-DEAEC)である。後者は水溶液のpHを変えることによって,疎水性と親水性の間で可逆的に変化する特徴を有している。

 本論文では第一編において両性高分子電解質の特徴,セルロース誘導体溶液の性質,C-13NMRスピン-格子緩和と分子鎖運動との関係に関する既往の研究を総括した。第二〜第四編においてセルロース系電解質の特徽を,それぞれ以下三つの手法を中心にして検討した結果をとりまとめた。第二編はゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)と粘度の測定の結果に基づいて,分子間および分子内のイオン基間の会合に関して検討したものである。

 分子内のイオン基間の会合により分子鎖は収縮し,また分子間のそれはより大きな分子集団として挙動する結果となる。CM-HTMAPCは低塩濃度(0.003M NaCl)の水溶液中では,対応するCMCより大きな見掛け分子として挙動する。これは分子間のイオン基間の会合の存在を示している。一方,高塩濃度(0.1M NaCl)ではCMCより小さい見掛け分子として挙動する。これは分子間のイオン基間の会合が無機塩の添加によって阻害されたのに対し,分子内のイオン基間の会合が依然として存在していることを示している。

 等電点においてはCM-HTMAPCとCM-DEAECが極小粘度を示した。単一高分子電解質の粘度変化とは逆に,その極小粘度値は塩の添加によって高くなる。これは低分子電解質が分子内のイオン基間の会合を阻害し,両性電解質が広がった分子構造をとることを示している。

 第三編では,CM基のカルボン酸の解離に伴うギブス自由エネルギーの変化からみたイオン基の相互作用について検討した。カルボン酸イオンの標準生成ギブス自由エネルギーGf°coo-は周囲の荷電との相互作用に大きく影響される。CMCについてはセルロース分子鎖の負電荷密度の増加に伴って,また無機塩濃度の低下に伴ってGf°coo-が高くなる現象が確認された。これは隣接するアニオン性基とのイオン反発によってカルボン酸イオンがより高いエネルギー状態になることを示している。

 カチオン性HTMAP基が存在するとGf°coo-は低くなることが観測された。これは異種イオン基間の会合によってCM基のカルボン酸イオンがエネルギー的に安定な状態に移ったことを示している。CM-HTMAPCについては等電点を境として明瞭に異なった現象が確認された。則ち,アニオン性基が過剰に存在する領域においてはNaCl濃度の上昇とともにアニオン性基間の反発が抑えられた結果,Gf°coo-が低下したのに対して,カチオン性基が過剰に存在する領域においては,NaCl濃度の上昇によってGf°coo-が逆に上昇する現象が見られた。後者は異種イオン基間の吸引作用によるカルボン酸イオンに対するエネルギー的な安定化効果が,NaCl分子による遮蔽作用によって抑制されていることを示している。

 第四編では,セルロース主鎖,置換基の運動性と環境との関連について検討した。セルロース主鎖を構成するグルコースユニット六員間は,大きな置換基が存在する場合においては一層安定な椅子型構造を保つ。またセルロース主鎖のセグメント運動はグルコースユニットを単位とする回転的な運動に基づいて行うと考えられる。

 グルコース環のC-13NMRのスピン-格子緩和時間(T1)から,置換基の存在はそれが導入された炭素のみではなく,同一グルコース環の全ての炭素の緩和にも影響を与えることが明らかとなった。たとえば,CMCのC-3の緩和時間は6-位あるいは3-位にCMが導入されると短くなる。これはグルコースユニットを単位とする回転的な運動が阻害されたことが原因であると考えられる。これらの影響はHTMAP及びDEAE基が導入された際に,一層明らかに確認された。また,一分子鎖内では置換基の状態によってグルコース環がそれぞれ異なる回転自由度を持つことも明らかとなった。

 また,CM基の緩和時間と置換位置との関係についても詳細に検討し,酸型では6-位に導入されたCM基はセルロース主鎖から離れているために,ゲル化の原因である水素結合形成に参入しやすいことを明らかにしている。

 以上,本論文はセルロース系両性電解質の水溶液中における特異な性状について分子鎖の挙動の観点から詳細に検討したものであり,学術上,応用上貢献するところが極めて大きい。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として十分な価値を有するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク