本論文は日本の防衛政策の決定過程をシビリアン・コントロールという視角に基づいて実証的に分析・評価しようとするものである。すなわち、シビリアン・コントロールの核心は、軍の拘束:抑制よりも「シビリアン」がいかに防衛政策をコントロールしているのかにあるという立場に立って、防衛政策の類型を代表できる三つのケース(防衛予算、中期防、掃海艇派遣)において、シビリアン・コントロールの現状を分析した実証研究である。 本論文の構成は、「第1章:シビリアン・コントロールとは」、「第2章:防衛政策づくりにおける主要アクター」、「第3章:防衛予算の決定過程」、「第4章:中期防の策定過程」、「第5章:掃海艇派遣決定の過程」、「第6章:結び」から成っている。 第1章では、まず、シビリアン・コントロールという用語がもともと多義的で、その概念が非常に曖昧であることを指摘したうえ、シビリアン・コントロール論を統制主体別に、4つに分けて考えてみた。その4つとは、(a)行政府の軍権を議会が統制するのがシビリアン・コントロールの本義と考える「議会主体論」、(b)選挙で選ばれ、国民の信託を受けている政治家を統制主体の主役とみる「政治家主体論」、(c)防衛庁長官、防衛庁内局官僚、制服組などを同じ「軍事機構」の構成員とみなし、これらの軍事部門をほかの非軍事部門が統制すべだと考える非軍事部門主体論、(d)「シビリアン」の意味を「軍人でない者」と解釈し、軍人でない者(つまり「文民」)が防衛政策を統制できればシビリアン・コントロールは成立すると考える「文民主体論」、などである。 だが、これはあくまでも理想型であり、重複を避けるなど研究上の便宜を図るため、上記の基本的な概念をよりスペックダウンした形で適用し、国会対行政府、(閣僚レベルの)政治家対官僚、(大藏省、外務省などの)他省庁対防衛庁、背広組対制服組との関係において、前者が後者をコントロールしているのかを中心として研究を行った。 また、「コントロール」の意味を「政策づくりに参加してそれを主導する」という意味で捉えることにする。そして「政策づくり」を問題提起(agenda setting)、政策の中身づくり、政策の権威的決定など三つの段階に分けて考えることにし、その各段階の観察に基づいてシビリアン・コントロールの作動状況を総合的に評価することにした。 そして防衛政策の分類方法を紹介し、本論文で取り上げた三つのケースが防衛政策の類型をそれぞれ代表できるケースであることを説明した。 第2章では、防衛政策に参加する主要アクターである、首相、安全保障会議、防衛庁長官、防衛庁内局、制服組、外務省、国防族議員、アメリカなどの基本的性格と彼らが持っている防衛政策上の権限を説明した。ここでは閣僚レベルの政治家に形式的な権限が与えられているものの、それを十分に活用できていないこと、内局の文官官僚が長官補佐権・人事権・他機関との交渉接触権を掌握し、制服官僚をコントロールする体制ができていること、制服組が軍事知識をほぼ独占していること、国防族の活動が防衛予算などの問題につて、主に防衛庁の立場を政治舞台で代弁するという役割にとどまっていること、などを指摘した。 第3章から第5章までは防衛政策の代表的な事例として取り上げた三つのケース、すなわち防衛予算、中期防衛力整備計画、掃海艇派遣の決定過程を詳しく取り上げた。各章ではまず、イシューの基本的な性質や背景を述べた。そして、それぞれの政策が決定に至るまでの過程を詳しく記述し、章末でシビリアン・コントロールの働きぶりを4つのレンズを照らして検証するという手順を踏んだ。 防衛予算の編成過程におけるシビリアン・コントロールの働きぶりを評価してみたのが次の表1である。そこでは、防衛予算過程の権威的決定の側面においてはほぼすべての視点からもよい評価が得られた。防衛予算の決定権はシビリアン・コントロールの観点からみて、うまく配分されているといえよう。だが、下の文民主体論のほうではある程度シビリアン・コントロールが高い水準を保っているが、よりアクターのレベルが高くなればなるほど、シビリアン・コントロールが段々弱くなっていることもはっきり表れている。とくに政治家主体論や議会主体論に基づくシビリアン・コントロールはかなりの問題点を抱えていると指摘することができよう。 [表1]防衛予算の編成過程におけるシビリアン・コントロール 中期防の策定過程におけるシビリアン・コントロールに対する評価を合わせてみると表2のようになる。ここでも、防衛予算の場合と同様、下のレベル(例えば、文民主体論)ではシビリアン・コントロールが相当作用しているが、アクターのレベルが高くなるにつれ、シビリアン・コントロールが弱まっている、という評価ができよう。 また、行政府に対する議会によるコントロールがほとんど効いていないのも、中期防づくりにおけるシビリアン・コントロールの重要な問題点と指摘しなければならない。 [表2]中期防の策定過程におけるシビリアン・コントロール 一方、掃海艇派遣のケースでは、イシューそのものが「派遣するのかしないのか」をめぐる両者択一の問題であり、政策を判断するのに専門知識はあまり必要なく、政治家の政治的判断が最大の変数であった。また、アクターの範囲がかなり広がり、多方面から多くのアクターが参加したこと、アクター間の関係も定性がみられなかった、などの特徴をもっていた。掃海艇派遣のケースにおけるシビリアン・コントロールを概観したのが表3である。このケースでは議会によるコントロールがかなり欠落しているが、ほかの観点からは概ね強いシビリアン・コントロールが作用していたと評価される。 [表3]掃海艇派遣の決定過程におけるシビリアン・コントローリ 第6章の結びでは、イシュー別にみたシビリアン・コントロールの評価を整理するとともに、シビリアン・コントロールの統制主体別にみた評価をまとめた。非軍人を統制主体として考える「文民統制」のほうは防衛政策の性格にさほど影響されず、全般的によく機能しているが、シビリアン・コントロールの他の視角からみると、予算や中期防のようなケースに対する統制にはかなりの問題があるとまとめることができよう。とくに「議会統制」に立って考えるといずれの分野でもかなり否定的な評価が下されよう。日本のシビリアン・コントロールは非軍人の軍人に対する統制という側面に片寄りすぎており、他の視角によるシビリアン・コントロールの強化が行われる必要があろう。 |