学位論文要旨



No 110842
著者(漢字) 柄川,索
著者(英字)
著者(カナ) エガワ,サク
標題(和) 積層フィルム形静電人工筋の開発
標題(洋)
報告番号 110842
報告番号 甲10842
学位授与日 1994.12.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3282号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 高野,政晴
 東京大学 教授 鯉渕,興二
 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 助教授 黒澤,実
内容要旨 1.はじめに

 従来,機械を駆動するアクチュエータには,電磁力を利用したモータが最も広く使われてきた.しかし,従来のモータは,自然のアクチュエータである生物の筋肉に比べ,パワー・重量比が小さい.近年,空気圧人工筋,形状記憶合金,高分子ゲルなど,様々な新方式のアクチュエータが研究されているが,出力・制御性の両面で十分な性能を持つものは,未だ開発されていない.

 本研究では,将来のロボットの「筋肉」となりうる軽量・大出力アクチュエータとして,フィルム状静電アクチュエータを積層した「静電人工筋」を提案する.

 電荷間のクーロン力により動作する静電アクチュエータは,古くから研究されてきたが,駆動に高電圧が必要の上,出力が小さかったため,実用化されなかった.近年,IC技術を応用した静電マイクロモータが試作され,静電力が再び注目されるようになったが,通常の大きさの機械を駆動できる大出力の静電アクチュエータを実現しようとする試みは少ない.

 従来の静電アクチュエータの性能が低かった原因は,静電力の利点が充分に生かされていなかったためである.静電アクチュエータには,寸法を縮小すると力密度が向上する特性がある.これを利用し,多数の微小な静電アクチュエータの力を合計すれば,少ない体積で強い力を得ることができる.

 集積アクチュエータの構成として最も現実的なのは,図1に示す積層フィルム構造であると考える.微細な電極を有する多数のフィルムを積層した2組の束を交互に重ね合わせ,フィルム間に滑り力を発生させる.2つの束の間が滑る点が生体筋に類似していることから,静電人工筋と名付ける.

図1 静電人工筋概念図

 静電人工筋の実現のためには,構成要素となるフィルムアクチュエータと,その接続方法の開発が必要である.積層数が多いため,個々の要素の製作・組立の容易さが重要である.そこで,単純な構造と,高い製作精度を要求しない点を特徴とする,パルス駆動誘導電荷形フィルムアクチュエータを考案した.

 本論文では,フィルムアクチュエータとその設計法について述べ,フィルムアクチュエータを積層化した静電人工筋を製作する.また,フィルムアクチュエータの他の分野への応用も検討する.

2.フィルムアクチュエータ

 フィルムアクチュエータの構造と動作原理を図2に示す.3相電極を持つ固定子の上に,極めて高い抵抗率の抵抗体層を持つ移動子を置く,固定子電極に以下の手順で電圧を順次印加することにより,移動子を駆動する.

 (1)初期充電 最初は,移動子は電荷を持たない.図2(1a)に示すように,固定子電極に(+-0)の電圧を印加し,移動子を電極と逆極性に帯電させる(1b).

 (2)駆動 図2(2a)のように,電圧を印加する電極を右に1相ずらすと,電極の電荷は瞬時に入れ替わるが,抵抗体の抵抗率が高いため,移動子の電荷はしばらく保持される.この時,電荷間の静電力により,移動子に対し上向きの浮上力と右向きの駆動力が働き,移動子は(2b)のように右に動く.

 (3)再充電 駆動中に移動子の電荷の一部が失われる.そこで,各ステップの駆動後に,静止状態で図2(3)のように再び充電を行い,初期充電後の状態に戻す.失われる電荷量は少ないので,再充電に要する時間は短い.

 この後,電極を1相ずつずらして,(2)駆動と(3)再充電を繰り返す.

図2 動作原理

 材料・寸法の異なる数種類のアクチュエータを試作した.図3に240mピッチアクチュエータの断面を示す.固定子には,電子回路配線用として用いられているフレキシブルプリント回路板を利用した.25mのベースフィルム上の銅箔に,エッチングにより240mピッチの電極を形成し,表面にポリイミドフィルムを接着して絶縁した.移動子のベースフィルムには,厚さ12mのPETを用い,抵抗体層としてカーボンブラックを塗布した.表面抵抗率は約1014に調製した.移動子は固定子の両面に置くことができる.摩擦を低減するため,固定子・移動子間には直径10mのガラス粒子を挿入した.また,空気の絶縁破壊を防ぐため,空隙を絶縁液(パーフルオロカーボン)で満たした.

 直流高圧電源により発生させた正負の電圧を,半導体リレーにより切り換えることにより,アクチュエータ駆動パルスを発生させた.240mピッチアクチュエータは,最大800Vまで印加できた.図4に電圧と力の関係を示す.絶縁液・ガラス粒子の有無による差を調べた.4通りの組み合わせのうち,絶縁液有り,ガラス粒子無しの場合は動かなかった.絶縁液を用いない場合,約600V以上で空気の絶縁破壊による放電が起こり,フィルムが帯電して力が低下する.ガラス粒子は,電圧が高い場合に効果が大きい.

図表図3 フィルムアクチュエータの断面 / 図4 フィルムアクチュエータの電圧と力の関係

 表1に,試作したフィルムアクチュエータの性能をまとめる.240mピッチアクチュエータは,1.27mmピッチアクチュエータに比べ力・面積比が50倍に増加している.これは,材料の絶縁耐力の向上により電界強度が増したことと,構造寸法比等の設計が改善されたことによる.

表1 フィルムアクチュエータの性能
3.フィルムアクチュエータの設計法

 アクチュエータの各部の寸法,誘電率,抵抗率といったパラメータが性能に及ぼす影響を,理論および数値計算により調べた.

 電極ピッチpは,構造の細かさを表す代表寸法である.理論的には,ピッチが細かい方が有利となる.ピッチを狭めると,アクチュエータを薄型化でき,単位高さあたりの積層枚数が増えるからである.駆動電圧が低下する利点もある.ただし,実際には製作技術による制約がある.

 移動子の表面抵抗率sと充放電時定数の間には,の関係がある.時定数が短すぎると移動子が動く前に電荷が失われ,長すぎると初期充電に時間がかかる.240mピッチアクチュエータの場合s=1013〜1015が適当である.

 寸法比の影響は数値電界計算により求めた.最も興味深いのは,電極-抵抗体間距離と電極ピッチの比(h/p)の影響である.図5に示すように,抵抗体は電極に近いほど良いのではなく,距離には最適値がある.距離が狭まると,移動子が固定子に吸引され,摩擦が増加するからである.

 図6に誘電率の影響を示す.絶縁液の誘電率は大きいほど力が増加する.フィルム誘電率も,一般的には大きい方が良いが,絶縁液に比べ効果は小さい.

図表図5 電極-抵抗体間距離の影響 / 図6 誘電率の影響
4.積層アクチュエータ

 420m,100m,240mピッチのフィルムアクチュエータを用いて,それぞれ積層アクチュエータを試作した.図7は,240mピッチ40層静電人工筋の概形図である.図8に示すように,固定子・移動子フィルムを重ね,ピンで固定した.固定子のピンは給電線を兼ねている.これをケースに納め,絶縁液に浸して密閉した.力は移動子端部に取り付けたワイヤから,シールを通じてケース外に取り出す.完成写真を図9に示す.総重量は110gである.

図表図7 240mピッチ40層静電人工筋の概形 / 図8 積層アクチュエータの構造 / 図9 ケースに納められた静電人工筋

 図10に電圧と力の関係を示す.駆動力は,1層の40倍になることが期待されるが,実際には約30倍となった.力が不足した原因は,隣合う移動子が接近して干渉したためと考えられる.図11に駆動周波数の影響を示す.低速時には8Nの力が得られた.速度を速めるにつれて力が低下するが,パワーは増加する.最大パワーは脱調する直前の1kHzで得られた.効率は16%であった.

図表図10 240mピッチ40層静電人工筋の電圧と力の関係 / 図11 駆動周波数による力・パワーの変化

 表2に製作した積層アクチュエータの性能をまとめる.240mピッチ40層アクチュエータは,初期の420mピッチ4層アクチュエータに比べて,パワー・重量比で250倍に増加した.これは,フィルムアクチュエータの性能が向上したことによる.

 静電人工筋の実用性を示すため,静電人工筋を2組用いた2自由度ロボットアームを試作した(図12).人工筋の出力ワイヤにより各関節に取り付けたプーリを回転させる.手先に近い第2軸のアクチュエータは負荷が小さいため,積層数を半分の20層とした.先端に50gの負荷を吊り下げ,運搬できた.

図表表2 積層アクチュエータの性能 / 図12 静電人工筋により駆動される2自由度ロボットアーム
5.フィルムアクチュエータの他分野への応用

 フィルムアクチュエータを1層で用いると,極めて薄いアクチュエータが実現でき,人工筋以外への応用も考えられる.図13は,透明導電体ITOを用いて製作した透明アクチュエータである.広告ディスプレイやブラインドへの応用が期待される.また,回転アクチュエータ,XY2自由度駆動,紙を直接に駆動する静電紙送り,絶縁フィルム材料の搬送の実験を行った.アクチュエータ全体を小型化し,マイクロアクチュエータとして利用することも考えられる.

図13 透明フィルムアクチュエータ
6.おわりに

 静電力により動作する,静電人工筋を開発した.自重110gに対し,最大で力8N,パワー0.5Wを得た.本研究により,静電力を利用して充分に実用的な出力を発生できることが確認された.現状のパワー・重量比は,5W/kgとまだ小さいが,今後,設計の最適化や材料の改善により,1kW/kgの軽量・大出力アクチュエータを実現することも可能と考えられる.また,フィルムアクチュエータは広い分野での応用が期待される.

審査要旨

 本論文は「積層フィルム形静電人工筋の開発」と題し,ロボット等の機械の駆動が可能な人工筋肉を目指し,フィルムを構成材料とする画期的な静電アクチュエータを開発した,一連の研究で得た知見と成果を纏めたものである.本文は以下に示す8章で構成されている.

 第1章「序論」では,研究の動機と目的を述べている.機械の駆動部の小型軽量化や,機械の運動制御の高性能化には,筋肉に匹敵する軽量大出力のアクチュエータの開発が不可欠であること論じ,これを実現するために,フィルムを利用し,これを積層する構造を採ることで,軽量大出力アクチュエータとしての静電力利用が可能であるとの着想を得たことを述べている.そして,生体筋の性能を超えるパワー密度を有する静電アクチュエータの実現を研究目的とすることを述べている.

 第2章「従来のアクチュエータ」では,従来の各種のアクチュエータの性能と,生体筋の特性について調査し,重量と出力の比などの比較で,総合的に生体筋を凌駕するアクチュエータが,まだ開発されていないことを明らかにしている.また,アクチュエータとして見たときの,生体筋の巧妙な仕組みについて論じ,その特徴が微細要素を集積化している点であることに着目している.

 第3章「静電アクチュエータの基礎論」では,先ず,静電力を発生の原理と静電アクチュエータの研究開発の歴史を纏めている.そして,理論的な考察により,静電アクチュエータは微細アクチュエータに適していることと,微小要素を集積化することによって大出力を得ることが可能であることを明らかにしている.また,これを工業的に実現する方法として,表面積を大きくとれることから,フィルムを構造材料とすることを提案している.

 第4章「誘導電荷形フィルムアクチュエータ」では,フィルム状静電アクチュエータを実現するために,パルス誘導電荷法と名付けた,フィルム利用に適した全く新しい方式の静電アクチュエータの駆動方式を考案し,その有効性を実験によって実証している.この方式の最小構成要素は2枚のフィルムである.固定子としての絶縁体フィルムには3相に配線された多数の帯状の電極を有し,移動子は絶縁体フィルム上に僅かの導電性を持たしたものである.3相電極に印加する電圧を順次,正,負あるいは零と切り替えることにより,移動子フィルムに誘導される電荷と固定子電極の間に発生する力によって移動子が駆動される.この方式は,移動時に発生する反発力により,固定子・移動子間の摩擦が大幅に低減できる点に特徴があり,積層化に適していることを主張している.

 第5章「誘導電荷形アクチュエータの設計法」では,より詳細に新方式の推力に及ぼす諸因子の影響を理論と実験によって明らかにし,多くのアクチュエータの設計に役立つ重要な知見を得ている.高性能の静電アクチュエータを得るためには,電極ピッチを小さくするほど良く,また,絶縁液の誘電率が大きいほうが良いが,電極と移動子フィルムの間隔は電極ピッチの0.2倍が最適となり,フィルムの誘電率は大きいほうが望ましいとは限らない等を明らかにしている.

 第6章「静電人工筋」では,フィルムアクチュエータを数10層積層して,静電人工筋を製作し,積層化にともなう技術的な諸問題の解決法を述べている.例えば,層間の同相電極の接続法として金属ピンと導電性ゴムを利用する方法を考案している.さらに,開発した静電人工筋によって駆動される2自由度のロボットアームを試作し,直接教示された動きを再生する運動制御の実験に成功している.

 第7章「フィルムアクチュエータの応用」では,誘導電荷形静電フィルムアクチュエータの研究から派生した5種類の形式/形態のアクチュエータの試作と実用化が可能な応用分野について論じている.具体的には,ITO電極による透明アクチュエータ,ディスク形アクチュエータ,XY移動が可能な平面アクチュエータ,紙の直接搬送装置,イオン散布による絶縁体薄葉物の搬送である.これらは何れも,種々の分野での応用が期待できる革新的な技術であると言える.

 第8章「結論」では,論文を総括するとともに,解決すべき具体的な技術課題と静電アクチュエータの将来展望を述べている.

 このように,構造体として表面積を大きくできるフィルムを用い,固定子フィルムに形成した微細電極と僅かな導電性をもたせた移動子フィルムの間に推力と反発力を発生できる駆動法を考案することにより,ロボットなどの機械の駆動に利用が可能な静電アクチュエータを実現している.これは,従来,力が弱くて,アクチュエータとしての実用化が不可能であると固く信じられていた静電アクチュエータの常識を完全に打破し,静電アクチュエータが他の電磁アクチュエータに匹敵あるいは凌駕する力とパワーを発生できることを,世界で初めて示したものとして極めて意義の大きいものである.本論文の研究で明らかにされた知見と種々の新技術は,精密機械工学,メカトロニクス,静電気工学等の学問の発展に大きく貢献するとともに,機械の薄形化,軽量化,低発熱化を実現できるアクチュエータとして工業的利用の期待が非常に大きい.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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