学位論文要旨



No 110845
著者(漢字) 鈴木,達夫
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タツオ
標題(和) 強磁場下における半導体量子細線の電子状態
標題(洋)
報告番号 110845
報告番号 甲10845
学位授与日 1994.12.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2836号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 清水,明
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 助教授 高田,康民
 東京大学 助教授 大塚,洋一
 東京大学 教授 小宮山,進
内容要旨

 結晶成長技術と微細加工技術の進歩により,半導体ヘテロ界面の2次元電子系をさらに横方向から閉じ込めることにより,半導体量子細線と呼ばれる微小な構造を形成することが可能となった.例えば,GaAs/AlGaAsヘテロ構造における量子細線では,分離ゲート(split-gate)などの表面の構造によりショットキー障壁を空間変化させ,その静電ポテンシャルにより,2次元電子を閉じ込める.この分離ゲート方式では,印加電圧を変化させることで,量子細線の線電荷密度や線幅などを変化させることが可能となっている.こうして形成される量子細線の線幅は,電子のフェルミ波長(300〜500Å)と同程度にまで細くすることが可能となり,明確な1次元量子サブバンド構造が形成される.

 これまで,このような量子細線に関する物理量を計算する場合,閉じ込めポテンシャルとして,急峻な無限障壁ポテンシャルや,ゆるい放物線型ポテンシャルが仮定されてきた.無限障壁ポテンシャルでは,細線幅が一意的に定義でき,端状態とバルク状態が明確に区別される.それに対し,放物線型ポテンシャルでは,磁場中でのサブバンド構造が解析的に与えられる反面,細線幅が不明確であり,端状態とバルク状態の区別が全く存在しない.無限障壁ポテンシャルと放物線型ポテンシャルとを組み合わせた模型なども用いられてきたが,これまでは物理量ごとに勝手にどちらか都合の良い模型を用いてきたとも言える.しかし,量子細線の電子状態をきちんと理解するためには,どうしても閉じ込めポテンシャルとエネルギー準位に対する正確な情報が必要である.閉じ込めポテンシャルの形状には電子間のクーロン相互作用が大きな影響を与えるので,その効果を取り入れたセルフコンシステントな計算が必要となる.無磁場の場合には,これまでいくつかの解析的な手法も提案され,シュレーディンガー方程式を数値的に解く試みも行われてはいる.しかし,強磁場の場合には,実際の実験で用いられるデバイス構造における明確な情報は得られていなかった.

 現在,整数量子ホール効果の説明として,不規則ポテンシャルによるバルクのホール電流による説明と,端電流による説明の両方が提唱され,そのどちらが正しいのか,あるいはそれらが全く同じものであるのかが,大きな問題として残されている.このように,強磁場中の量子細線の電子状態は,次世代半導体産業への基礎研究としてだけではなく,量子ホール効果の問題としても,非常に重要な意味合いを持っている.この論文では,実際の実験で用いられるデバイスに極めて近い構造を考え,量子細線の電子状態に対する磁場効果を,ハートリー近似によるセルフコンシステントな計算を行うことで明らかにすることを試みた.

 計算方法は,これまでに半導体表面反転層,ヘテロ構造,量子井戸,超格子などで多用され,十分確立したセルフコンシステントな計算を,現実的な分離ゲート量子細線に応用したものである.具体的には,有効質量近似のシュレーディンガー方程式とポアッソン方程式を同時に満足する解を求めている.ただし,ヘテロ界面平行方向の閉じ込めが,界面垂直方向の閉じ込めに比べて小さいことを利用し,それらの運動を分離する近似を行った.この一種の断熱近似は,計算結果からその妥当性が確かめられた.さらに,界面垂直方向のシュレーディンガー方程式はFang-Howard変分関数を利用して解き,平行方向は磁場のない場合には平面波で展開し,磁場のある場合には調和振動子の波動関数で展開して解いた.

 分離ゲート間隙の幅,ゲート電圧,磁場,温度など,さまざまなパラメータについて数値計算を行い,それから種々の物理量を計算した.例えば,線電荷密度,細線幅,サブバンドのエネルギー,閉じ込めポテンシャル,電子の密度分布などである.

 磁場のない場合,閉じ込めポテンシャルは,細線中央部では平坦で,細線の端付近ではほぼ放物線状に増加することが結論される.中央の平坦な部分の幅は,ゲート間隙幅が減少すると狭まり,最終的には放物線型の部分しか残らなくなる.これは,Lauxら[1]による類似の系の計算結果を非常に良く再現する.ただし,半導体表面での表面電荷に対する考え方の違いから,この論文の結果とLauxらの結果とは,細線の有効幅が異なる.

 磁場のある場合には,閉じ込めポテンシャル,電子密度分布,サブバンド構造が磁場により激しく変化する.それを詳しく見るために,上記以外に,電子の群速度や,細線中央のランダウ準位の占有率,閉じ込めポテンシャルの平均的な傾きなど,さらに多くの物理量を計算した.その結果の詳しい解析の結果,次のことが明らかになった.

 1.量子細線の電子状態を決める最大要因は静電エネルギーである.すなわち,第一義的には,静電エネルギーが最小になるとの条件で,電子密度分布や閉じ込めポテンシャルがきまる.これはChklovksiiら[2]の主張を裏付ける結論である.ただし,それ以外の要因も静電エネルギーに比べて無視できるほど小さいわけではなく,この論文のようなまじめな計算が必要不可欠である.

 2.線電荷密度や細線幅の磁場依存性はほとんどない.この特徴は,無限障壁ポテンシャルで線電荷密度一定という模型を採用すると,かなり良く再現できる.障壁間隔として無磁場での細線幅を採用し,線電荷密度として無磁場での線電荷密度を採用する.しかし,群速度に関しては,無限障壁ポテンシャル模型で近似することは妥当でない.

 3.強磁場では,フェルミ・エネルギーが位置するサブバンドのエネルギーはフェルミ・エネルギーにピン止めされ,分散がなくなる.それにともない,中央部のポテンシャルの底は平坦になる.ただし,フェルミ・エネルギーより下のランダウ準位の端状態には,Chklovskiiら[2]の主張するような構造は現れず,群速度に特別な異常は現れない.

 4.この状態から磁場を弱くしていくと,フェルミ・エネルギーと一致したランダウ準位の占有率が中央部で2に等しくなり,中央部の閉じ込めポテンシャルが下がり始める.次のサブバンドがフェルミ・エネルギーの位置まで下がると,そのサブバンドに電子が入り始めるが,すぐにそのサブバンドはフェルミ・エネルギーにピン止めされ平坦になる.磁場変化はこの繰り返しである.

 5.この磁場による閉じ込めポテンシャルの変化はほとんど細線中央部のみで生じ,端の付近はほとんど磁場により変化しない.

 フェルミ・エネルギーがサブバンドから他のサブバンドへ移行する磁場で,サブバンド構造は激しく変化するが,遠赤外光吸収の実験で観測されるのは,このようなセルフコンシステントな計算で得られたサブバンド間のエネルギーではなく,電子系を閉じ込める放物線型の外部ポテンシャルのエネルギーである.閉じ込めポテンシャルの磁気振動を直接示す実験はまだ報告されていないが,この論文では,共鳴光散乱や発光スペクトルなどを具体的な実験手段として提案している.

[1]S.E.Laux,D.J.Frank,and F.Stern,Surf.Sci.196,101(1988).[2]D.B.Chklovskii,K.A.Matveev,and B.I.Shklovskii,Phys.Rev.B47,12605(1993).
審査要旨

 本論文は7章からなり、第1章で序論を述べ、第2章は,本論文と関連が深く比較検討の対象となる最近の研究結果について概観している。第3章では,具体的な計算の対象となるGaAs/AlGaAsヘテロ構造における分離ゲート構造について詳しく議論し、第4章で,ハートリー近似による計算方法について述べ,その限界について議論している.第5章では、ゼロ磁場におけるセルフコンシステントな計算結果を、第6章は,磁場効果を議論している。第7章はこの論文全体のまとめである.

 結晶成長技術と微細加工技術の進歩により,半導体ヘテロ界面の2次元電子系をさらに横方向から閉じ込めることにより,半導体量子細線と呼ばれる微小な構造を形成することが可能となった.例えば,GaAs/AlGaAsヘテロ構造における量子細線では,分離ゲート(split-gate)などの表面の構造によりショットキー障壁を空間変化させ,その静電ポテンシャルにより,2次元電子を閉じ込める.この分離ゲート方式では,印加電圧を変化させることで,量子細線の線電荷密度や線幅などを変化させることが可能となっている.こうして形成される量子細線の線幅は,電子のフェルミ波長(300〜500Å)と同程度にまで細くすることが可能となり,明確な1次元量子サブバンド構造が形成される.

 これまで,このような量子細線に関する物理量を計算する場合,閉じ込めポテンシャルとして,急峻な無限障壁ポテンシャルや,ゆるい放物線型ポテンシャルが仮定されてきた.無限障壁ポテンシャルでは,細線幅が一意的に定義でき,端状態とバルク状態が明確に区別される.それに対し,放物線型ポテンシャルでは,磁場中でのサブバンド構造が解析的に与えられる反面,細線幅が不明確であり,端状態とバルク状態の区別が全く存在しない.無限障壁ポテンシャルと放物線型ポテンシャルとを組み合わせた模型なども用いられてきたが,これまでは物理量ごとに勝手にどちらか都合の良い模型を用いてきたとも言える.しかし,量子細線の電子状態をきちんと理解するためには,どうしても閉じ込めポテンシャルとエネルギー準位に対する正確な情報が必要である.閉じ込めポテンシャルの形状には電子間のクーロン相互作用が大きな影響を与えるので,その効果を取り入れたセルフコンシステントな計算が必要となる.無磁場の場合には,これまでいくつかの解析的な手法も提案され,シュレーディンガー方程式を数値的に解く試みも行われてはいる.しかし,強磁場の場合には,実際の実験で用いられるデバイス構造における明確な情報は得られていなかった.

 現在,整数量子ホール効果の説明として,不規則ポテンシャルによるバルクのホール電流による説明と,端電流による説明の両方が提唱され,そのどちらが正しいのか,あるいはそれらが全く同じものであるのかが,大きな問題として残されている.このように,強磁場中の量子細線の電子状態は,次世代半導体産業への基礎研究としてだけではなく,量子ホール効果の問題としても,非常に重要な意味合いを持っている.本論文は,実際の実験で用いられるデバイスに極めて近い構造を考え,量子細線の電子状態に対する磁場効果を,ハートリー近似によるセルフコンシステントな計算を行うことで明らかにすることを試みている。

 計算方法は,これまでに半導体表面反転層,ヘテロ構造,量子井戸,超格子などで多用され,十分確立したセルフコンシステントな計算を,現実的な分離ゲート量子細線に応用したものである.具体的には,有効質量近似のシュレーディンガー方程式とポアッソン方程式を同時に満足する解を求めている.ただし,ヘテロ界面平行方向の閉じ込めが,界面垂直方向の閉じ込めに比べて小さいことを利用し,それらの運動を分離する近似を行った.この一種の断熱近似は,計算結果からその妥当性が確かめられた.さらに,界面垂直方向のシュレーディンガー方程式はFang-Howard変分関数を利用して解き,平行方向は磁場のない場合には平面波で展開し,磁場のある場合には調和振動子の波動関数で展開して解いている。

 分離ゲート間隙の幅,ゲート電圧,磁場,温度など,さまざまなパラメータについて数値計算を行い,それから種々の物理量を計算した.例えば,線電荷密度,細線幅,サブバンドのエネルギー,閉じ込めポテンシャル,電子の密度分布などである.

 磁場のない場合,閉じ込めポテンシャルは,細線中央部では平坦で,細線の端付近ではほぼ放物線状に増加することが結論される.中央の平坦な部分の幅は,ゲート間隙幅が減少すると狭まり,最終的には放物線型の部分しか残らなくなる.

 磁場のある場合には,閉じ込めポテンシャル,電子密度分布,サブバンド構造が磁場により激しく変化する.それを詳しく見るために,上記以外に,電子の群速度や,細線中央のランダウ準位の占有率,閉じ込めポテンシャルの平均的な傾きなど,さらに多くの物理量を計算した.その結果の詳しい解析の結果,次のことが明らかになった.

 まず、量子細線の電子状態を決める最大要因は静電エネルギーである.すなわち,第一義的には,静電エネルギーが最小になるとの条件で,電子密度分布や閉じ込めポテンシャルがきまる.そして、線電荷密度や細線幅の磁場依存性はほとんどない.この特徴は,無限障壁ポテンシャルで線電荷密度一定という模型を採用すると,かなり良く再現できる.しかし,群速度に関しては,無限障壁ポテンシャル模型で近似することは妥当でない また、強磁場では,フェルミ・エネルギーが位置するサブバンドのエネルギーはフェルミ・エネルギーにピン止めされ,分散がなくなる.それにともない,中央部のポテンシャルの底は平坦になる.ただし,フェルミ・エネルギーより下のランダウ準位の端状態には,群速度に特別な異常は現れない.この状態から磁場を弱くしていくと,フェルミ・エネルギーと一致したランダウ準位の占有率が中央部で2に等しくなり,中央部の閉じ込めポテンシャルが下がり始める.次のサブバンドがフェルミ・エネルギーの位置まで下がると,そのサブバンドに電子が入り始めるが,すぐにそのサブバンドはフェルミ・エネルギーにピン止めされ平坦になる.磁場変化はこの繰り返しである.この磁場による閉じ込めポテンシャルの変化はほとんど細線中央部のみで生じ,端の付近はほとんど磁場により変化しない.

 フェルミ・エネルギーがサブバンドから他のサブバンドへ移行する磁場で,サブバンド構造は激しく変化するが,遠赤外光吸収の実験で観測されるのは,このようなセルフコンシステントな計算で得られたサブバンド間のエネルギーではなく,電子系を閉じ込める放物線型の外部ポテンシャルのエネルギーである.閉じ込めポテンシャルの磁気振動を直接示す実験はまだ報告されていないが,この論文では,共鳴光散乱や発光スペクトルなどを具体的な実験手段として提案している.

 以上のように、本論文は、物理学、特に固体物理学の博士論文として、十分な内容を持っている。なお、本論文は、安藤恒也氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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