審査要旨 | | 本論文は,二波長励起による波数選択励起の手法を用いて,CuClにおける励起子ポラリトン,励起子分子のダイナミックスの詳細な研究を行ったものである.CuClは,励起子が光と強く結合した励起子ポラリトンとして観測されること,励起子分子が安定して存在する事,励起子帯構造が単純である事,励起子分子系におけるボーズ凝縮実現の可能性がある事などによって,励起子研究において特別重要な位置を占めており,これまでに励起子系に関する精密な研究結果が蓄積されている.励起子ポラリトン及び,励起子分子の緩和過程の解明についても,1970年代よりパルス光励起を用いた試みがなされてきた.しかし,これまで励起子分子の緩和の様子が波数(あるいは運動量)にどのように依存しているかに関する実験的考察は十分でなかった.本論文提出者は,この点を解明することを目的として研究を開始した. 本論文は7章からなる.第1章の序論,第2章の理論的導入部分につづき,第3章で実験方法について述べている.まず緩和素過程の研究に不可欠な低密度励起(弱励起)の条件を維持しつつ波数選択励起を行うため,ピコ秒領域で同期した2色の光パルスを高繰り返しで発生する光源を開発した.2つの波長のパルス光を同時照射すると,励起子分子は,励起子ポラリトンを中間状態とした共鳴2光子過程で波数空間の一点に作られる.入射光の波長や方向を変えることにより,この波数を制御する事が可能となる.このようなアイディアに基づき,波数選択励起の実験を行った結果,いくつかの興味有る成果が得られた.主要な結果は第4,5,6章に述べられており,第7章が結論となっている. まず,第4章では平行二波長励起によって高波数の励起子分子を生成し,この寿命を,励起子分子から縦波励起子ポラリトンを残すMT発光および横波励起子ポラリトンを残すML発光の減衰より調べた結果を述べている.MT発光は立ち上がりが急峻で,寿命は波数とともに短くなる,一方ML発光は立ち上がりに遅れがみられ,顕著な波数依存性は示さなかった.論文提出者はMT,ML発光の時間的振舞いの違いをMT,ML発光の発光方向選択則の違いと励起子分子の空間的位相緩和により説明した.更に輻射緩和,音響フォノン緩和,欠陥(または不純物中心)による弾性散乱に起因する位相緩和を考慮したモデルを導入することにより,MT発光寿命の波数依存性を定量的に説明することに成功した.以上の解析により,MT発光の寿命が励起子分子の位相緩和時間に,ML発光の寿命が分布数の緩和時間に対応する事を結論している. 第5章では,対向入射二波長励起により低波数励起子分子を生成し,LP,UP(下枝,上枝ポラリトン)発光のスペクトルと時間分解の測定を行った結果を述べている.それぞれのスペクトル線幅は,励起子分子のバンド内エネルギー分布を反映していると解釈された.更に発光寿命がそのスペクトル幅の中で高エネルギー側と低エネルギー側でわずかに異なることが見いだされた.論文提出者は,この現象を,低波数励起子分子が,この実験条件で同時に生成されている高波数の励起子分子との衝突によって,バンド内緩和するというモデルで解析した.これによれば,高波数励起子分子の発光であるMT,ML発光の時間的振舞いも定性的に理解できる.さらに,最も長い寿命を示すLPの高エネルギー側の減衰が励起子分子の分布数の緩和に対応すると解釈され,それは波数にほとんど依存しないことが示された.ただし,励起子分子間衝突に関して通常より1000倍大きな散乱断面積を仮定しなければならないという問題点が残っている. 第6章では,時間差をつけた二波長励起によって,伝播している励起子ポラリトンの分布数を観測した.この場合もMT,ML発光の時間的振舞いに違いが見い出されたが,これもML,MT発光の方向選択則によって理解できる事を示した. 以上,何れも二波長波数選択励起によってはじめて可能になった興味有る成果である.特に高波数領域で励起子分子の寿命に波数依存性があることを示した点は励起子分子のダイナミックスの議論における本質的な進歩であり,高く評価できる.第5章,第6章の成果は,二波長励起分光の有効性を示したと言う点で十分に評価できると考えられる.このように,論文提出者は,低密度二波長励起という新しい手法を導入することによって,励起子分子,励起子ポラリトンのダイナミックスの研究分野に大きく貢献した. 以上の理由により,本論文は,博士(理学)論文として十分に評価できると審査委員全員が認め,合格と判断した. なお,本論文第4章の研究は松岡正浩氏,徳永英司氏,馬場基芳氏との共同研究であるが,論文提出者が立案,計画から実験,解析に至るまで主体的に行っており,主要部分は実質的に独力で行ったものと認められる. |