ポエシロストマ目に属する橈脚類は大部分が寄生性、共生性であるが、サフィリナ科橈脚類は熱帯・温帯海域の表層に広く分布し、プランクトンネットで容易に採集される。体型は著しく扁平で透明だが、雄は光を反射して種により異なる光彩を発する。一方、Sapphirina属の雌雄とCopilia属の雌は大きなレンズと走査機能をそなえた眼をもつ。またサフィリナ科の2種はサルパ類に付着、その組織を食べることが知られている。このようにサフィリナ科橈脚類は海洋プランクトンにおける光生物学、性的二型、個体の認識、食性などの諸現象のメカニズムとその生態学的意義を解明するうえできわめて興味深い動物群である。しかし従来の研究はほとんどが分類学的記載と光学顕微鏡レベルの形態学であり、生態については分布・行動に関する断片的な報告があるにすぎない。 本研究では、サフィリナ科を代表する2属、SapphirinaとCopiliaについて形態学と生態学双方の視点からその生活を究明することを目的としている。論文は7章から成り、第1章の序論の後、以下のような結果を得ている。 第2章では、皮殻の微細構造と生化学的組成について調査し、その結果から光彩発生のメカニズムを明らかにしている。雄の背側全面にわたってクチクラ層直下の上皮細胞に多層の薄膜構造が認められた。背面から見ると、この膜は正六角形が整然と並んだ蜂の巣状構造を示す。さらにその膜構造によって囲まれていると考えられるグアニンの正六角柱の反射小板が確認された。サフィリナ科橈脚類の光彩はその多層反射小板に入射する光の屈折、反射、干渉によって発生すると結論した。 第3章では、サフィリナ科各種の光彩の特性と差異を明らかにするため、Sapphirina属6種の光彩の分光比反射率を顕微分光光度計を用いて測定した。活きた試料の分光比反射率は種により異なったパターンを示した。各種の分光比反射率曲線の大きい方の極大は反射小板の厚さから推定した波長の理論値および目視で観察した光彩の色とほぼ一致する。 第4章では、サフィリナ科橈脚類の鉛直分布と日周鉛直移動を西部太平洋、南シナ海、およびインド洋の熱帯、亜熱帯海域で調査した。出現したSapphirinaおよびCopilia属の全種が昼夜ともにほぼ200m以浅に分布する典型的な表層プランクトンであった。分布深度は種により異なり、Sapphirina属の中で、黄色の光彩を発する種では約50m以浅の上部表層に、青色の種では混合層より深い下部表層に分布の中心があった。Copilia属の2種は下部表層に中心をもつが、上記2群に較べ広い鉛直分布を示した。また上部表層種のうち4種および下部表層種の1種が、昼間の分布深度が夜間より浅くなる、顕著な逆転鉛直移動(reverse vertical migrationを示した。 第5章では実験室内の光におけるS.gastricaとS.opalinaの遊泳行動を観察した。24時間、暗所での移動活性を測定した結果、顕著な日周性は認められなかった。調査した2種は共により高い照度でより強い正の走光性を示したが、S.gastricaは黄色の波長帯、S.opalinaは青色の波長帯でより強い反応を示した。これらの反応は雌雄ともに観察されたが、反応時の遊泳行動は雌雄で異なり、雄では非常に違い螺旋状遊泳が観察された。 第6章では、口器形態と摂餌生態について研究を行なった。サフィリナ科橈脚類の口器形態は微少な懸濁粒子の捕収よりもむしろ大型の物体への付着・懸垂とその表面からの物質の剥離に適した構造と考えられる。南シナ海における20時間の経時採集の結果S.gastricaとS.metallinaの消化管には昼夜ともに内容物が認められたが、S.gastricaでは、雄雌共に消化管の前腸部の充満度は昼間より夜間に高い傾向を示した。Sapphirina属、Copilia属ともに消化管内のクロロフィルおよびフェオ色素はきわめて微量で、胃内容物は大部分、同定不能の不定形物体と繊維状物体であった。以上の結果から、サフィリナ科橈脚類が他の動物の組織を摂食する可能性の大きいことを示した。 第7章では、以上の結果をもとに光彩の生態的意味とサフィリナ科橈脚類の生活様式について考察した。雄個体の光彩はその分布深度で卓越する波長帯の光を効率よく反射・干渉し、周囲の光条件に対して強いコントラストを示すものと考えられる。雄の個体のみが光彩を発すること、眼がよく発達していること、雌雄の分布深度が昼間よく一致すること、さらに雌雄ともに雄の光彩に対応する波長帯の光に対し強い正の走光性を示すことなどから、光彩は雌雄のコミュニケーション、とくに雌による雄個体の認識システムに重要な役割を果たすものと結論している。 以上本論文はサフィリナ科橈脚類の形態、行動および分布・摂餌生態を調査し、それらの視点からその生活様式、特に光彩の生態学的意味について考察したもので、学術上、応用上大きな貢献であることを認める。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |