学位論文要旨



No 110849
著者(漢字) 細江,知子
著者(英字)
著者(カナ) ホソエ,トモコ
標題(和) 志賀直哉論
標題(洋)
報告番号 110849
報告番号 甲10849
学位授与日 1995.01.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人文第98号
研究科 人文科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野山,嘉正
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 助教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 多田,一臣
 東京大学 助教授 尾上,圭介
内容要旨

 志賀文学を考える際、志賀直哉と父との不和の問題を避けて通る事は出来ない。この父との不和は、従来、直哉が父に対して"自我"を"貫徹"しようとした所に生じた抗争であると言われて来た。しかし、これは、封建的な父の世代と戦う事が、若者の使命であると考えられていた戦後の一時期に作られた神話に過ぎない。

 実際には、直哉と父との不和は、思想や価値観の対立を本質とする直哉側からの攻撃によるものではなく、直哉の求愛を父が拒んできた事に起因する愛憎の縺れだったのである。こうした直哉と父との軋轢に,拍車を掛けたのが、直哉と母なるもの(祖母・実母・義母)との性的要素を含む濃密な関係であった。

 前期の志賀を考える上で忘れてはならないのが、幻の長篇・原『暗夜行路』である。この長篇は、従来、自我を貫徹しようとしての父との戦いを描いた作品であると考えられてきた。が、実は、原『暗夜行路』は、太陽の冷却によって滅亡するという運命に抵抗する為に、人類は今現在も出来る限り進歩しようとして焦っているという、当時の志賀が抱いていた《空想》を根底に据えた作品だったのである。何万年も先の太陽冷却に対する志賀の反応が極めて真剣なものになったのは、志賀の中に、自分は父に拒否されており、このままでは滅ぼされてしまうという危機感があって、それが人類の未来に投影された為であろう。志賀はこの作品で、父や国家権力などといった《前をさえぎつてゐるもの》に行く手を阻まれながら、《追って来る者》に駆り立てられて仕事をし、人類を救う《天才》たらんとする主人公を描こうとする。当初、この作品の結末は、希望に満ちた明るいものと、主人公が神経衰弱になって自滅するという暗いものの二種類が考えられていたが、大正2、3年の神経衰弱体験の中で、暗い結末の方が選び取られ、同時に志賀の中で《空想》も力を失って行く。そして、限りなく大きくなろうとする事を是とする志賀の人生観が、死すべき自己を受入れるものへと変って行く事によって、原『暗夜行路』は、ついに完成しないで終わるのである。

 父との和解後、志賀が原『暗夜行路』の為の草稿を利用して書いたのが、『暗夜行路』であった。『暗夜行路』は、主人公を不義の子として設定し、父との不和を直接描かない事によって成立した作品だが、実はこの作品においても、父との不和は、象徴的な形で表現されている。即ち、『暗夜行路』においては、悪意を持って謙作の前に立ちはだかる"運命"が、父の象徴となっているのである。興味深い事に、『暗夜行路』における運命は、何よりも性的な罰として存在しており、謙作が女性との間に多かれ少なかれインセスト的な関係を作ろうとする時に、いつもそれを妨げている。これは、志賀と父との不和に、エディプス的要素が強い事の反映なのである。

 『暗夜行路』ではまた、"太陽"が父のもう一つの象徴となっていて、父なる太陽がやがて失われ、人類が滅亡する事と、謙作と父との不和が重ね合わされている。また、『暗夜行路』においては、滅亡の運命と闘う人類の意志が、"飛行機"によって象徴されているのだが、実は、空を飛ぶ事とエディプス・コンプレックスとの間には、深い関わりがあるのである。空を飛ぶ事は、父なる重力に逆らって母なる空間を犯す事になるからである。

 謙作が、初めは賛美した飛行機を、後には次第に醜いと感じるようになる事は、謙作が、運命に刃向かおうとしていたそれまでの自己を否定し、父なる運命を受入れるようになって行く事の現われとして解釈できる。そして、作品最後の大山での体験は、謙作が、青年の思い上がりを脱し、死を受け入れ、祖霊になる為のイニシエーションだったと考える事が出来るのである。

 明治・大正期の志賀文学に、三角関係や監視の眼差し、飛翔・浮遊・登攀のイメージ等が頻出する事は、こうした父とのエディプス的葛藤の結果であると考えられる。

 志賀にとって父との不和は、創作の主要なエネルギー源であったが為に、その解消は創作意欲の減退を齋した。昭和4年2月、父の死と共に、志賀の創作活動は中断される。作家としての危機に瀕した志賀は、主として昭和5、6年頃、信康・築山殿・家康のエディプス的三角関係を描いた『信康と其母』という歴史小説の執筆を試みるが、父との葛藤は、志賀にとってもはや切実な文学的モチーフとはなり得ず、この作品は完成しない。文学史における志賀の仕事は、この時、事実上、終わりを告げた。以後、志賀は良き家庭の父として、また文壇の父として余生を送る事になるのである。

審査要旨

 本論文は、志賀直哉の長編小説『暗夜行路』を新しい観点から分析することによって再認識しようと試みたものである。そのための主要な方法として選ばれているのは、改めて志賀家の家族関係を精細に洗い出す作業の中に、精神分析学を大胆に採り入れる手法である。幼年期から『暗夜行路』完成に至る間のインセスト願望を草稿を含む膨大な資料から採集し、それら多数の証跡をしだいに『暗夜行路』完成の道程に結び付けていった解析の手続きには充分に説得力がある。従来、漠然と自然に向かっての大悟という結論で曖昧にされてきた作家志賀直哉の詩と真実を、意識と無意識双方の、また両者のからむ領域において照明を当てることに成功している。

 こういう分析の結果として、逆に『暗夜行路』までに生み出された数々の作品が、装いも新しく蘇っていることも見逃せない。そこでは、本論文が意図したもう一つの要所である作家と作品を総合的に把握するという問題が、相当程度に解決されているわけであるが、やや強く精神分析の手法を打ち出したために、個々の作品が図式的に捉えられてしまう欠点も内包している。これはそもそも原『暗夜行路』の構想が存在したとする本論文の前提にも関連するのであるが、この点は研究者としての成熟によって自然に修正されていくと考えられ、将来の飛躍が期待される。

 以上の理由により、本論文に博士号を授与することが適当である。

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