十九世紀のフランス文学は、主として近東やエジプトを舞台にした文学的巡礼を「東方紀行」という定型化された言説の体系として確立する。本論は特にその「空間」の表象の問題を中心に、十九世紀の旅行記における「オリエント」の概念について、以下の章立てに従って検討を試みたものである。 第一章「《他者》とその表象」では文学形式としての「東方紀行」の起源を十七世紀に求め、十七世紀以来の旅行記の中で、「オリエント」が西欧近代に対する反命題としての「他者」の空間を構成していった過程が示される。「東方紀行」とはある意味で、「近代」という価値の体系に対置すべき神話を必要としていた時代の産物であり、その中で「他者」の空間としてのオリエントを定義していたのは、自他の時間的距離の認識にほかならなかった。いわば旅行者はオリエントにおいて「過去の国」という隠喩的な記号の空間を旅していたのであり、その意味では、「東方紀行」の表象を規定していたのは現実の空間の経験的認識ではなく、概念的形象としての「他者」を支えていた集団的な意味の文脈であったことになる。 「オリエント」の表象を支配していたこのような集団的な意味作用の干渉について、その具体的な様態を分析したのが第二章「知覚の図式」である。「東方紀行」は十九世紀において、「オリエント」の語の周囲に次第にコード化された知覚の様式を確立するが、この中では、個別の経験的現実よりも「オリエント」の語に共示される隠喩的意味作用が常に優先された。旅行者は自己の経験を普遍的な意味の「型」の再現として提示したのであり、「東方紀行」の表象は引用や美的図式の再認の問題と不可分の関係に置かれていたのである。 第三章「空間と隠喩」では、集団的表象のレベルにおける空間の「記号化」の問題が取り上げられる。外的な空間の再現を前提にした「旅行記」というその体裁にもかかわらず、「東方紀行」がオリエントの表象において示す本質的な傾向は記号による具体的な場所の現存の消去ということであって、個別の空間はここでは隠喩的な記号作用を支える背景として認識されているにすぎない。地理的現実から抽象された「オリエント」は、一個の「夢の素材」(ヴァレリー)として場所の移し換えが可能であり、たとえば十九世紀においては、アルジェリアに対して、1830年に始まるその征服と植民地化の過程で、隠喩的な図式としての「オリエント」の投影が集中的に行われたのだった。 一方このアルジェリアに代表されるように、十九世紀後半、「植民地」と化したオリエントにおいては、その空間から次第に「他者」としての記号性が剥奪される。「東方紀行」という形式にとって、オリエントの植民地化は実際「差異」の否定-「他者」の空間の「自己」への同化-を意味するが、第四章「同化と異化」はこのような外的空間における「他者」の消去と、これと表裏を成す現象としての「内的」な他者の発見-無意識や記憶の領域の設定-を平行的に論じたものである。「東方紀行」の末期において、「他者」の領域は次第に人間の内面へ移行し始めていたのであり、言いかえれば「旅」は、旅行者自身を一個の「内なる他者」としてその記述の中心に据えることによって、広義の自伝形式の中に吸収されていったのである。 |