学位論文要旨



No 110853
著者(漢字) 安西,信一
著者(英字)
著者(カナ) アンザイ,シンイチ
標題(和) 〈開かれた庭〉のパラドックス : 原理的・歴史的研究
標題(洋)
報告番号 110853
報告番号 甲10853
学位授与日 1995.01.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人文第102号
研究科 人文科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,健一
 東京大学 教授 藤田,一美
 東京大学 教授 坂部,惠
 東京大学 教授 海老根,宏
 東京大学 教授 小佐野,重利
内容要旨

 庭園は、自らの外部世界に開かれていると同時に閉ざされており、その意味で、外部でありかつ内部である。この〈開かれた庭〉のパラドックスを考察する上で重要なのは、現在の特殊な歴史的状況の中で、この一般的な事柄がいかに豊饒な可能性を持ち得るかを具体的に示すことである。ここから本稿は、第一にこのパラドックスを原理的なレヴェルで浮き彫りにし、現在・将来におけるその有効な運用方法を示唆する(第一部)。第二に、現在に至るこのパラドックスの歴史的系譜を具体的な事例に即して分析する(第二部)、すなわち現代の庭園状況において支配的なランドスケープ・アーキテクチャーの淵源、十八世紀イギリスの風景式庭園をめぐる当時の理論的言説を歴史的に考察する。

 第一部の原埋的なレヴェルにおいては、先ず庭園を原理的・理論的に考察することの意義自体が問われる。理論は庭園実践・理解をを高め豊饒にし得るし、しなければならない。統いて庭園が外部かつ内部であることの諸相を具体的に吟味する。すなわち、庭園が外部であるとは如何なることか(就中ゲニウス・ロキの影響と創造)、次いでこの外部が内部に包摂される時いかなる変容を被るのか(有用性・無関心性・美的距離・有機的統一といった問題)、最後にそのような内部として外部の世界を見ることによりいかにして世界内存在を刷新し得るかを問う(その関連で、世界全体を文字通り庭園化するランドスケープ・アーキテクチャーの動向に触れる)。以上から体験者(制作・鑑賞者)は、庭園を外部としても内部としても、あるいは外部でないものとしても内部でないものとしても体験し得るのであり、それらの可能性を組み合わせたスペクトラムの中を動くことによって庭園体験を豊饒化し得ると結論される。そしてそのような観点からすると、現代のランドスケープ・アーキテクチャーには、内部と外部を最終的に一体化・均一化することで両者の様々の有効な対話を無化するという危険がある。これを解消する一つの手段は、再び濃密な内部、〈閉ざされた庭〉へと方法的に逼塞することであろう。

 現代の庭園状況の歴史的系譜を十八世紀イギリスに辿る第二部では、そこで発生した風景式庭園の基本的制作原理が、庭園をその外部へ開くこと(〈開かれた庭〉の詩学)であると概括される。しかし完全に開かれた庭は不可能である以上、このような企図は最初から挫折を余儀なくされていた。風景式庭園は、従来の庭園の美的・人工的内部とその外部世界という二重性を破壊することで誕生したが、しかしそうした試みは二重性を完全に払拭することはできず、その後の十八世紀イギリス庭園論の歴史は、そうした二重性を庭園から排除・隠蔽する過程として捉えられる(具体的には、エンブレム、農業、自然が排除されて行く過程が辿られる)。

 以上のような二重化の排除を、認識論的なレヴェルで支えたのが、現実と衰象(絵画・仮象)との分離である。就中これは、絵画と現実との比較を意識的・反省的に行ったピクチャレスクの美学者達において顕在化したが、一般美学においてもアリスンによる物質それ自体と主観的な夢想との峻別に見られる。

 かくて十八世紀を通じ、風景式庭園の内部にあった二重性、〈開かれた庭〉のパラドキシカルな性格は力を失って行く。そして最終的にはレプトンによって、庭園は現実生活の空間、〈住まい〉という全体性へと包摂され、真正性・純粋性を重んじる近代美学の中で周縁化する。現代の庭園状況が依然同じ方向を継承し、二重化を喪失している限り、それは貧困化の批判を容れる余地を含むであろう。

 庭園を外部世界へ文字通り開くというランドスケープ・アーキテクチャーに代表される現在の傾向がますます進み、最終的に地球全体が庭園と考えられるならば、〈開かれた庭〉はエコロジーの問題にも接続し得る。しかしここでも、二重化が喪失されるならば、〈開かれた庭〉のパラドックスがもたらす豊饒性を欠くものとして批判されねばならない。

審査要旨

 本論文は、18世紀イギリスにおける庭園の理論と制作実践を主題として、近代美学における庭園の位置を論じたものである。イギリス庭園論の研究は多くを数えるが、庭園の美学的研究は極めて少なく、この研究も世界的に見て類例のない画期的な業績である。

 論文の主要部分である第2部において、17世紀の塀で囲まれた庭園が、18世紀を通して「開かれ」てゆき、19世紀に至ってこの「開かれた庭園」が終焉を迎える過程が辿られる。塀を捨て「エンブレム」や農業を排除し、自然と人工の二元性の標を消去して、いわゆるイギリス風景式庭園が完成されてゆく。この変化を支えたのがピクチャレスクの美学であり、その要諦は、純粋視覚的に見ることによって、一切を現実と表象の関係に還元することにあった。この庭園史は近代美学の成立過程と並行しており、その成立とともに、庭園は美学の周縁部へと追いやられ、最近になって、近代美学批判とともに再び関心を呼んでいる。序論、第1部、結論においては、第2部の諭旨が美学のなかでの庭園の位置に関係づけられ、エコロジーの美学への展望が論じられている。

 学説上の対決が少なく、随所に図式的な速断が見られ、論理が不明瞭なところがないわけではない。しかし議諭を原典から直接読み起こした上で、大量の研究文献を渉猟して、視野の広いオリジナルな研究を形成した。その成果は博士(文学)を授与するに値する。

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