学位論文要旨



No 110854
著者(漢字) 小林,正子
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,マサコ
標題(和) 非定常時系列解析プログラムDECOMPによる2女児の発育の研究 : 1日2回5年間追跡観測データの解析
標題(洋)
報告番号 110854
報告番号 甲10854
学位授与日 1995.01.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第40号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東郷,正美
 東京大学 教授 吉田,章宏
 東京大学 教授 渡部,洋
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 助教授 佐々木,正人
内容要旨

 個人の発育を短い間隔で観測すると、発育速度が加速・減速をくり返すため波動が現れる。しかしその波動は、従来の発育学において、季節変動以外は殆ど注目されなかった。ところが、その波動にこそ多くの重要な発育の情報が隠されていることが、近年次第に明らかになってきた。年1回の測定を主体に、集団の発育を研究の対象として発展してきた世界の発育学は、今大きな節目を迎えている。即ち、個人を短い間隔で丹念に測定して発育本来の姿を明らかにし、健康情報や教育情報として役に立つ発育学を目指すことが、発育学の課題となってきたのである。

 本研究は、東郷によって開かれた短い間隔で長期間に亘って観測されたデータの時系列解析による発育学を継承し、さらに短い間隔で追跡観測した個人の身体発育項目の時系列解析によって発育に現れる波動の意味を明らかにすることを目的に、2女児を1日2回測定した。そして、非定常時系列解析プログラムDECOMPを用いて、波動する原時系列(測定値)を、トレンド成分、自己回帰過程(以後ARと略す)成分、週変動成分、そして観測雑音(不規則変動、測定誤差を含む)に分解し、各成分について検討を行った。

 【対象と方法】1988年7月1日より、健康な姉妹A,B(対照としてその母親Mも加える)を対象として、身長および体重を起床時と就寝時に測定した。また、その時刻も記録した。姉Aは3年間、妹Bと母親Mは約5年間(以下5年間と記述)継続した。1990年3月からは座高も測定項目に加えた。測定期間中の年齢は表1の通りである。測定期間中、Aは89年1月(13.13歳)、Bは93年4月(14.15歳)に初潮が到来した。

表1 測定期間中の被験者の年齢

 解析は、文部省統計数理研究所の北川源四郎教授が開発した非定常時系列解析プログラムDECOMPを用いて行った。

 DECOMPによると、原時系列y(n)は、y(n)=t(n)+p(n)+s(n)+w(n)の仮定のもとに分解される。ただし、t:トレンド、p:AR成分、s:週変動成分、w:観測雑音である。本研究では、子どもの発育が1週間という社会の生活単位に左右されている可能性を考え、7日の週変動成分を仮定した。

 この解析で最適モデルを決定するには、0から順にARの次数を変え、その次数において1週間の変動成分を仮定した場合としない場合に分けて解析を行う。すると各々の解析結果にAIC(赤池の情報量規準)というモデルの当てはまり度を比較できる数値が出力されるので、その値が最低になるモデルを選べば良い。解析は、A,B,Mの3年分とB,Mの5年分について行った。

 【結果と考察】各被験者の朝の身長(MST)、朝の体重(MWT)、夜の身長(EST)、夜の体重(EWT)は別個に解析され、その結果、右表に示すようなモデルが選択された。これは、仮定した1週間の変動成分が分離されたことを示している。

表2 最適モデル(トレンドの次数=2)

 図1に、Bの身長・体重の原時系列とトレンドを示す。Bには思春期の著しい発育が認められ、5年間で身長は29.0cm,体重は20.8kg増加した。しかし、身長には顕著な思春期スパートが認められず、年間約6cmの等速度で増加した。身長・体重のトレンドは初潮の手前で勾配が変化している。また体重は90年10頃(図中↓)一旦減少したが、以後増加に転じ、減少時点から約30カ月後に初潮が訪れた。これはTogoら(1988)の月次観測での所見と一致しており、初潮の予測に使える可能性もある。

 朝と夜の測定値は2本の曲線に分かれ、顕著な日内変動が観察される。身長は起床後縮み、夜間の睡眠中に伸びる日内変動がある。体重は睡眠中に減少するが、日中は子どもの場合は概ね増加する。その変化量は発育段階によって異なるが、本研究ではBが自分の身長・体重に対する変化率では最も大きく、変化量も次第に姉Aに追いついていった。さらに、身長・体重の変化率が最大を示す時期が最大発育期と考えられ、身長は11歳前後、体重は13歳前後が最大発育期と推測された。Aは発育の最終段階に入っていると思われ、次第に大人の身体の状態に近づいていく様子が観察された。

 ところで、夜間の身長の増加量と体重の減少量は、大人のMにおいて睡眠時間と高い相関が見られ、Aもある程度の相関が見られが、Bでは体重には相関が見られたものの、身長では睡眠時間との相関が殆ど見られなかった。このことから、Bは夜間の睡眠中に発育しているのではないかと考えられた。さらに、測定期間中の身長増加は下肢長の増加が大きく寄与していたことが、座高の測定結果から判明した。従って、Bの夜間の発育は下肢の発育によるものではないかと推測された。しかもその発育は、入眠後比較的早い時間に起こる現象ではないかと考えられた。

 原時系列に現れた波動の一部はAR成分として分離された。その次数は、身長・体重とも1、2または3である。また、BにおいてはAR成分が大きく次数も高い(図2)が、AはBより次数が低い。さらにMでは5年分の解析結果の次数が3年分より低くなっている。ARの次数が何を意味するのかは未だ明らかではないが、仮説として、ARの次数は成長段階と関連を持ち、発育が旺盛なときほどARの次数は高く、老化によって次第に次数が低くなり、やがて0になるのではないか、ということが考えられる。さらに、子どもA,BのAR成分には、大人とは異なり周期的波動も観察されており、発育を制御している機構の存在をうかがわせるが、これらについては今後の検討課題として残された。

 原時系列から1週間の変動成分が分離された(図3)が、各被験者に共通して週末に増加する成分が認められ、子どもの身体も大人の身体も社会の1週間周期の影響を受けていることが示唆された。そして平日と週末の違いは、食事が自由にとれることに加えてリラックスできるという精神的な影響も大きいのではないかと推測された。また、子どもには週末以外に週の半ばにも増加する成分が存在した。これは測定値の曜日別増加量の計算からも量的に確かめられた。発育の旺盛なBは、1週間のうち土曜日から日曜日にかけての週末と、週半ばの水曜日(身長)あるいは木曜日(体重)に、発育が促進されるリズムが存在した。しかし、Bにおいて顕著に見られた週半ばの増加は、Aでは僅かになり、大人では全く見られなかった。ところが、Bよりも年齢の低い子どもには顕著な週半ばの増加が認められ、さらに乳児においては体重の増加に4日前後の周期が見られたという報告がある。そこで、発育には3〜4日くらいの周期が存在する可能性も考えられる。それを仮定すると、乳児で備わっていた発育のリズムは、やがて学童期になると1週間という社会の生活単位に影響され、1週間の枠に組み込まれて、週末と週半ばに発育促進が見られるようになる。しかし発育が終了に向かえば週半ばの増加は消えて、大人では、平日と週末の生活の違いによる体重変動のリズムが見られる、という解釈がなされるのである。

図表図1 Bの身長(上)体重(下)の原時系列とトレンド / 図2 BのEWTのAR成分(次数3) / 図3 BのEST(上),EWT(下)の週変動成分

 子どもの発育を短い間隔で追跡観測して時系列解析することで、発育の進行過程が浮き彫りにされ、詳細な発育の情報が得られることが確かめられた。このような研究は、時間と手間と根気が必要であるため一度に大勢を対象に研究することはできないが、子どもの健康情報、教育情報として役立たせるためには、さらに地道な研究を積み重ねる必要があると思われる。

審査要旨

 発育は時間と共に変化し、時系列解析で解析される。不幸にも発育学研究では、時系列解析学に関心が払われず、この手法による科学的な研究は最近はじまったばかりである。

 日内変動、短期間の変動をも含めて、発育を評価するのが、本論文の目的である。一日二回、朝晩の観測を長期間継続して行ない、そのデータを自己回帰(ARと略す)過程をも分離できる非定常時系列解析プログラムDECOMPを用いて解析を行なった。

 まず予備実験を行い、身長は起床直後から減少を始める事を確認した。

 本実験では、姉妹である二女児AとBを対象とし、それにその母親のMを対照にしている。この三名を起床直後と就寝前の一日二回、身長と体重、後に座高も加えて、Aは3年間、BとMは5年間に亘って観察した。得られたデータは、一人づつ、身長、体重の朝と晩の測定値ごとに時系列解析を行った。主な結果を以下に示す。

 時系列解析によって細かい波動は、AR過程、観測雑音、存在が予測された週変動に分離され、トレンドからは波動が消えた。Bでは体重が一旦減少した後増加に転じ、この時点から約30ヶ月で初潮が訪れた。これは月次観測によるTogoら(1988)の結果と一致する。

 日内変動では身長は起床時に最も高く、次第に減少し、就寝中に伸びる。伸びる量と睡眠時間との相関は、成人のMでは高く、発育の最盛期を過ぎたAがこれに次ぎ、伸び盛りのBが最も低い。成人では昼間の減少を回復させるのみであるが、Bでは回復に発育による実質的な伸びが加わるとすれば、相関係数の低下が説明できる。成長ホルモンの効果の発現は夜間、就寝後あまり遅くない時間であるとの仮説が成立する。さらに座高は身長とは並行しては伸びず、身長の伸びに寄与する期間が長いのは下肢である。従って夜間に大部分が長管骨で形成される下肢が実質的に伸び、関節数の多い座高では、昼間の減少の回復が行われていると上記の仮説を拡張することができる。

 AR過程の次数は発育段階を示し、分離されたAR過程の波形から発育にフィードバック機構が存在する可能性が仮説として提示された。週変動も認められた。

 本論文は、周到な準備、時間と手間と根気、測られる側の協力がそろって初めて為し得たものである。その結果多くの独創的な所見が見い出され、さらに将来の研究の手がかりを与える仮説も提出された。従って本論文は発育学の基礎を固め、教育健康学の今後の発展に貢献するものと認められ、博士(教育学)の学位論文に十分値するものと判断された。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53835