心筋の主要な収縮蛋白であるミオシンの研究にも分子生物学的手法が応用されV1,V2,V3の3種類のアイソフォームが存在すること、そしてその相対的発現量が様々な生理的、病的刺激によって変化することが示されている。申請者らのグループはこうしたミオシン分子の構造変化が機能面に与える意義をインビトロ運動再構成系とよばれる実験系を用いて検討しミオシンのアイソフォームの組成、ATPase活性がインビトロにおける無負荷滑り速度と相関することなどを示してきた。ただし負荷に抗して収縮し血液を駆出するという心筋の機能を考えるとこうした無負荷条件下での機能情報は不十分であると思われる。そこで本研究においては新しいインビトロ張力測定系を使い心筋ミオシン分子の負荷条件下での運動を観察しV1、V3の二つのアイソフォーム間で比較した。 幼若ラット(4週齢)心筋よりV1アイソフォームを、抗甲状腺剤投与により甲状腺機能低下症をひきおこしたラット心筋よりV3ミオシンアイソフォームを得、ピロ燐酸ゲル電気泳動によりそれぞれが1種類のアイソフォームのみを含むことを確認した。カルシウム活性化ATPase活性は1.11(V1)と0.33(V3) -molePi/mg/minであった。これらのミオシン標本を2種類のインビトロ張力測定系で評価した。一つはNitellopsis obtusaと呼ばれる水草の巨大節間細胞内のアクチンケーブルの上でミオシンをコートした小ビーズATP存在下に滑走させる系に回転ステージとストロボライトを装着した遠心顕微鏡と呼ばれる装置を組み合わせた測定系である。抽出したそれぞれのミオシンをMg-ATPを含む生理的緩衝液に浮遊させアクチンケーブルを露出した節間細胞内に潅流によって導入する。ビーズ表面のミオシンはアクチンとATP依存性の相互作用を始めこの結果ビーズはアクチン上を一定速度で運動する。この標本を遠心顕微鏡のステージの上に乗せステージを定速度で回転すると一定の遠心力(=負荷)の下でのビーズの運動が観察された。無負荷条件では滑り速度は1.70±0.62(V1)と0.61±0.15(V3) m/sで明らかにV1で高かった。負荷を増していくと速度はしだいに低下しある値でビーズの運動は停止した。この時の負荷を最大張力(P0)としたがP0は7.0±3.7(V1)と6.2±2.0(V3)pNで両者に差はなかった。一方負荷を様々に変化させて得た張力-速度関係曲線の形状は図1に示すように筋肉標本でえられるものと異なり負荷を増大していくとプラトーから急激に速度が低下する特有の形を示した。またこの傾向はV1(左)で著明であった。双曲線に近似できる低負荷領域のデータをHillの式(P+a)(V+b)=(P0+a)b[P:張力V:速度P0:最大発生張力a,b:定数]で近似しミオシンのエネルギー効率の指標として使われるa/P0の値を求めたところ-0.48(V1)対0.21(V3)と明らかに異なっていた。 図1 もう一つの方法はガラスに固定したミオシン面の上を蛍光アクチンフィラメントをATP存在下に滑走させ、それを蛍光顕微鏡で観察する系にレーザー光による光トラップを組合わせたものである。アクチンはウサギ骨格筋より得、ファロイジンロダミンにて蛍光ラベルした。また現状では分子を直接レーザーで捕捉することは不可能なので、アクチンフィラメントの尾端に小ビーズをゲルゾリンを介して接着した。レーザー光は波長1047nmの赤外のもので顕微鏡の対物レンズ(100×,n.a=1.3)を通してミオシン面の近傍に焦点を結ぶようにした。レーザー光トラップは焦点近傍では線形バネのように働くのでトラップ中心からの変位によりビーズに働く力(=アクトミオシン間で発生している張力)を求めることができる。実際の実験に際してはミオシン面より上でアクチンフィラメントの付着したビーズを捕捉し面に向かって下降させていった。最初ブラウン運動していたビーズはアクチンがミオシンと相互作用を開始すると一方向に向いて運動をするようになった。この記録より最大変位(=力)と蛍光像から計測したアクチンフィラメントの長さとの関係を調べるとV1とV3との間には有意差はなくフィラメント1 mあたり約3pNの力が発生していることが分かった(図2)。 図2 力の時間によるゆらぎを周波数領域で解析したところゆらぎのパワースペクトルはLorentz型でありその折点周波数(fc)は5.10±2.43(V1)対2.36±1.49(V3)HzとV3においた低かった。ミオシン頭部がランダムにattach,dctachの2状態をとるとする簡単なモデルに基づけばfcはクロスブリッジのattachment,detachmentの間の遷移確率を反映する。したがってこの結果はおそらくV1アイソフォームがV3に比べ速くattachment,detachmentを繰り返していることを意味すると考えられる。 インビトロ運動再構成系の特徴は運動に関わるミオシン分子の数が極めて少ないことである。ミオシンコートビーズで観察される張力-速度関係の特徴的な形状がこの数の違いに基づくと仮定したモデルにを用いて張力-速度関係を解析したところ形状の相違をある程度説明できた。さらにV1、V3の間の張力-速度関係曲線の形状の違いはミオシン頭部がある時間にattachの状態にある確率の差で説明された。 これらの結果より心筋ミオシンの2つのアイソフォームV1、V3は 1)無負荷の滑り速度はV1が速いが平均最大発生張力については差がない。 2)attachment,detachmentのkineticsは異なっておりそれが張力-速度関係曲線の特徴的な形状の差を作っている可能性がある。 などの点が示された。 |