第1章では研究の背景と目的について述べる。近年、エレクトロニクスや生物学などの様々な分野で超微粒子に対する関心が高まっている。例えば、新機能性材料合成の出発物質として超微粒子が研究されるようになった。一方では、半導体製造工程で使用される超純水中の微粒子は厄介な不純物として、対策が急がれている。これに対して単一の超微粒子を分析する有効な方法はない。例えば、レーザー散乱法では、媒質の散乱がバックグラウンドとなるため超微粒子の計測が困難となり、またこの方法では微粒子の成分分析が出来ない等の難点がある。そこで当研究室では、レーザーブレイクダウン法による超微粒子分析を検討してきた。本研究では新たに、純水中のポリスチレン微粒子のレーザーブレイクダウンプラズマから、非等方非線形発光現象を新たに発見した。この現象は強い指向性を示すこと、スペクトル線幅の狭小化を示すこと、微粒子のブレイクダウンにより発生することを見いだした。そこで、本研究ではこの発振が何に由来して、どのような性質を持つかということを実験的に検討し、次に発振機構について考察した。さらに、この発振を液体中の微粒子分析へ適用することを検討した。 第2章では、新たに発見した非線形発光現象について述べる。パルス幅8ns、出力数十mJのパルYAGレーザーを集光照射して微粒子をブレイクダウンさせる。励起光に対して前方から励起光を除去するフィルターを通してポリスチレン微粒子のプラズマを発光を分光する。このとき、プラズマ中の水分子の誘導ラマン発光(648.6nm)が観測され、さらに656.7nmの波長に半値幅0.04nmの発振が見いだされた。この発振の由来を調べるため水素を含む微粒子(ポリスチレン)と含まない微粒子(銀粒子)、水素を含む溶媒(純水)と含まない溶媒(四塩化炭素)を選び、溶媒と微粒子の組み合わせをかえて発振線の発生頻度を測定した。この結果、溶媒に関わり無くポリスチレンの場合には発振線の発生頻度が高くなり、この発振はポリスチレン微粒子のブレイクダウンに由来することを確認した。また、この発振は励起光に対して前方と後方でのみ観測され、強い指向性を示した。 第3章ではこのような非線形発光の由来や非線形的な性質について検討した。上記の発振線は2〜3nmの波長シフトという原子線発光としては大きい波長シフトを示すため、水素原子に帰属することがが困難である。そこで、この発振が水素原子に由来することを確認するため、水素と重水素の同位体効果の有無を測定した。フェニル基の水素を重水素置換したスチレンを用いて水素と重水素を等原子数含むポリスチレン微粒子を合成し、純水中に分散させ、試料とした。出力50mJのYAGレーザーを集光照射して微粒子をブレイクダウンさせる。このとき重水素置換したポリスチレン微粒子の場合には、波長656nm付近に半値幅0.20nmのピークが観測された。ポリスチレン微粒子の場合には半値幅0.04nmのピークが観測され、半値幅0.20nmのピークは重水素置換したポリスチレンの場合にのみ観測された。またこのピークも2〜3nmの波長シフトを示す。これより、重水素置換したポリスチレンの場合に観測されるピークは水素と重水素のバルマー線が0.18nm同位体シフトして同時に発生し、重なりあって広ると推定される。従って、この発振はH線に帰属されると考えられた。 次に、H線発振の非線形的な性質について詳細に検討する。励起光に対して後方に発生したH線を、プラズマ中を再度通過させて増幅作用を示すと考えられる。そこで、共振器に相当する光学系をプラズマの外部に構成し、H線の発光強度を測定した。共振器に相当する光学系を構成した場合、H線の発光強度は前方から観測した強度と後方から観測した強度をたしあわせた強度より1.7倍増大し、非線形な発光強度の増大を示した。また、この増幅率からH線発振の利得長積は1.8と見積られる。利得媒質であるポリスチレン微粒子のブレイクダウンプラズマの大きさは約200mであるので、利得係数は40cm-1と評価できる。この結果から、H線の遷移において反転分布が形成されている事が推定された。 第4章ではこのような反転分布形成のダイナミクスについて考察するためH線の時間的な挙動をストリークカメラによる時間分解スペクトルを用いて検討した。この結果、半値幅0.04nmのH線発振線が励起光照射後30〜200nsランダムにばらついて観測された。また、この発振は一回のブレイクダウンごとに発光強度も変化する。このばらつきは一回ごとに発生するプラズマの性質が異なるためと考えられた。 第5章では、上記の時間分解スペクトルをもとにして発振機構を推定した。上記の結果から次のことが推定される。発生した水素プラズマは再結合して基底状態に遷移する。このときH線の準位間で、イオンや電子との衝突による励起と失活、自然放射による失活という競合が起こる。この競合過程のなかで主量子数2の原子の冷却・失活が主量子数3の原子より早く起これば、主量子数3の準位の占有密度が2の準位より高くなり反転分布が形成されると考えられる。この様なH線での反転分布形成のダイナミクスは過去にプラズマ再結合レーザー発振として理論的に求められている。この理論から考えると、発振の発生時間はプラズマの冷却速度に依存し、発光強度はプラズマの初期状態に依存する。そこで本研究のH線の発生時間、発光強度のばらつきの原因がプラズマのどのような性質に依存するかを考察する。ここでプラズマ白色光の強度は電子密度に依存し、過渡応答波形から温度の変化(プラズマ冷却速度)が分かる。そこで、H線のばらつきとプラズマ白色光強度、冷却速度との相関を検討した。この結果、発光強度はプラズマ初期の白色光強度に依存し、発生時間はプラズマ冷却速度に依存した。なお波長シフトはプラズマの初期状態とH線が発生するときの状態とに依存した。 この結果、本研究でのH線は、発生時間や発光強度のばらつきが冷却速度や電子密度に依存すること等、理論計算と類似する点が見いだされた。一方、実験での利得係数値は理論値より1ケタ程大きいこと、波長シフトをすること等矛盾する点もある。理論では真空中で発生する純粋な水素プラズマを対象とする。一方本研究では、H線と共に溶媒分子の誘導ラマン散乱も観測され、プラズマの中に溶媒分子が取り込まれていることが確認されており、分子とH線との相互作用も考えられる。そこで、種々の溶媒中のポリスチレン微粒子のブレイクダウンから発生するH線について発光強度、発振波長のシフト、発生頻度を検討した。発生頻度は溶媒に依存しないが、発振波長と発振強度については溶媒に依存した。これらの結果からH線に対する溶媒の効果が確認された。 これらの結果から、本研究においては従来のプラズマ再結合レーザー発振の理論に、溶媒分子との相互作用等の要因をつけ加えた新たな発振機構の考察が必要となると思われる。 第6章では液体中の超微粒子分析への応用について検討した。上記の発振を液体中の微粒子分析へ適用するためには、溶媒を変えたときの発振の変化や、どの元素のどの遷移で発振が起こるか、等を検討する必要がある。前者についてはすでに第5章で検討したが、このような溶媒による発振線の変化(波長シフトや発光強度の変化)を考慮し、補正すれば、様々な溶媒中の微粒子分析も可能になると考えられる。次に、微粒子の純水中で発生するブレイクダウンプラズマから、どの元素の発振が観測されるかを検討した。この結果、Na、Ca等H以外の元素からの発振も観測された。この結果から、液体中の様々な微粒子の成分分析も可能になると推定された。 最後の第7章では、今までの結果を総括して、レーザーブレイクダウンによる超微粒子分析法の開発という観点から本研究の意義と今後の展望について述べた。 |