学位論文要旨



No 110861
著者(漢字) 阿部,潔
著者(英字)
著者(カナ) アベ,キヨシ
標題(和) 批判的メディア/コミュニケーション研究にとっての公共圏概念の可能性 : フランクフルト学派とカルチュラルスタディーズの架橋
標題(洋)
報告番号 110861
報告番号 甲10861
学位授与日 1995.02.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博社会第31号
研究科 社会学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 花田,達朗
 東京大学 教授 廣井,脩
 東京大学 教授 濱田,純一
 東京大学 助教授 吉見,俊哉
 専修大学 教授 児島,和人
内容要旨

 本論文「批判的メディア/コミュニケーション研究にとっての公共圏概念の可能性 -フランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズの架橋-」は、近年のメディア/コミュニケーション研究における「新たな動向」である公共圏議論の高まりが、批判的メディア/コミュニケーション研究に対して持つ理論的可能性を、二つの批判的研究伝統であるフランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズとの関連において論じたものである。

 批判的メディア/コミュニケーション研究はこれまで、フランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズの二つの研究伝統において試みられてきた。両学派はともに、メディアやコミュニケーションの問題を社会・文化との関連において位置づけ、マルクス主義的問題意識のもとに支配/従属関係から批判的に論じようとする「批判的研究」を志向する点において共通性を持つ。しかし、両学派の知的動向は、それぞれに独自の道を辿ってきたものでる。その点では、これまでの批判的研究の歴史は、「断絶」によって特徴付けられる。だが、近年のメディア/コミュニケーション研究の「新たな動向」には、このような「断絶」を越えて「出会い」をもたらす契機を指摘することが出来る、と本論文では考える。

 両学派の「出会いの契機」と見做されるものが、近年の研究における公共圏議論の高まりである。公共圏概念は、フランクフルト学派第二世代のハーバーマスが「公共性の構造転換」において歴史的・体系的に論じたものであるが、今日の公共圏議論は、主に英米圏での研究者によって展開かれている。ここには、概念の輸入過程を指摘することが出来る。つまり、フランクフルト学派の知的伝統を出自とする公共圏概念が、カルチュラル・スタディイズの影響を受けた英米圏での研究の中に積極的に取り入れられているのである。しかし、このような公共圏概念の輸入は、ハーバーマスの議論の紹介に終わっているのではない。概念輸入に伴い、公共圏概念を巡る様々な批判や問題提起が、メディア/コミュニケーション研究において生じてきている。その点では、公共圏概念を巡る今日の議論状況は、内在的な批判や論争を通じ公共圏議論がより豊かなものとして展開していく過程として理解することが可能である。

 本論文では、公共圏概念を巡る近年の議論状況をこのように位置づけたうえで、公共圏概念が批判的メディア/コミュニケーション研究にとって持つ可能性について、「歴史的」アプローチと「現状分析的」アプローチとの双方を用いて、考察を行なった。

 まず序章において、メディア/コミュニケーション研究の動向の現状を明らかにすることを目指した。近年の研究動向の変化を取り上げた先行研究を検討することによって、メディア/コミュニケーション研究における規範性の問題が、学問論において重要な主題として取り上げられることが少なくなってきている点を明らかにし、そのことを「批判的研究の危機」として位置づけた。そのうえで、「新たな動向」である公共圏議論の高まりが、そのような「危機」を解決する可能性を含むものであることを指摘した。つまり、現在のメディア/コミュニケーション環境の変化を背景的問題意識として、多岐にわたる研究分野において公共圏概念の導入と応用が試みられている今日の研究状況には、規範性を主たるテーマとする批判的研究の活性化の契機を指摘しうることを論じたのである。

 このように研究分野の現状を把握したうえで、続く第1章と第2章において、これまでに試みられた批判的研究の具体的事例としてフランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズの研究を取り上げ、それぞれの知的起源と展開過程を歴史的に跡付けた。

 第1章では、1930年代に「フランクフルト社会研究所」を知的中心として形成されたフランクフルト学派の成立起源と展開過程を、知的・歴史的・政治的側面から跡付けることによって、「思想」としてのフランクフルト学派の意識と、そこにおいて試みられた先駆的な批判的メディア/コミュニケーション研究の意義について論じた。メディア/コミュニケーションの問題を社会・文化との関連において位置づけ、近代的マス・メディアの働きを支配/従属関係から捉えようとするフランクフルト学派の試みは、批判的研究伝統の基礎を築いたものとして評価することができる。しかし1940年代以降、フランクフルト学派の「思想」が当初の試みであった唯物論的学際研究から歴史哲学へと転徹していく過程で、メディア/コミュニケーション研究も、具体的事例を対象とした経験的研究から思弁的な文化批評へと変化していく。このような「思想」的変化に伴うメディア/コミュニケーションの変貌に潜む問題点を指摘したうえで、フランクフルト学派第二世代と言われるユルゲン・ハーバーマスが、第一世代の「思想」的業績をどのように批判的に継承し、その過程でメディア/コミュニケーション研究がどのように位置づけられたのかについて考察を加えた。そのことを通じで、ハーバーマスによる批判理論の再定式化の試みは、第一世代の問題点を乗り越えていく理論的可能性を持つものであるが、メディア/コミュニケーション研究に関して言えば、そのような潜在性は未だ十分に現実化されていないことを明らかにした。

 第2章では、英国のカルチュラル・スタディイズの知的成立過程と展開過程を歴史的に跡付けた。カルチュラル・スタディイズは、ウィリアムズ、ホガート、トムソンらの文化研究の知見を基盤にしながらも、1970年代にホールの指導のもとバーミンガム大学「現代文化研究センター」を知的中心として展開していった。構造主義的観点からマス・メディアのイデオロギー機能を明らかにしようとした「センター」のメディア/コミュニケーション研究は、従来の研究には見られなかった分析枠組みと分析手法を援用した、新たな批判的研究として評価できるものである。しかし、メディア/コミュニヶーション分折に際して基本的立場として採用された構造主義は、その後の「センター」における研究方向を大きく規定していくとともに、そこには分析対象と基本的問題設定の点において、いくつかの問題点を指摘しうることを明らかにした。

 第3章では、モダン/ポスト・モダン図式を分析道具として応用することによって、二つの批判的メディア/コミュニケーション研究の現状を比較対照的に記述することを試みた。モダン/ポスト・モダン論争で取り上げられている「問題意識」を分析の切り口とすることによって、コミュニケーション的行為/合理性の観点から現代社会分析を目指すフランクフルト学派の思想を「モダンの試み」として、またヘゲモニーの問題意識から現代社会における意味闘争に焦点を置くカルチュラル・スタディイズの思想を「ポスト・モダンの試み」として、対照的に位置づけた。そのうえで、それぞれの研究動向における理論的アポリアが何であるかを明らかにした。

 このようにフランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズに対する歴史的考察と現状分析を行なったうえで、続く4章と5章において、近年のメディア/コミュニケーション研究の「新たな動向」である公共圏議論がどのような問題を巡って展開しているのか、そしてそのことは批判的研究にとってどのような意義を持っているのかについて考察を加えた。

 第4章では、まず公共圏概念の導入が試みられている社会・政治的背景として、東西冷戦構造の崩壊に伴う「市民社会」理念の再検討の高まりと、規制緩和と私的所有化のもとで推進される情報化に伴うメディアの「民主主義」理念に対する関心の高まりを指摘した。英米圏での研究における公共圏議論の高まりをこのような社会・政治的文脈に位置づけて理解したうえで、具体的な公共圏議論において提示されている諸批判を、歴史認識、現状認識、規範認識の三つの点から整理したうえで概観した。

 第5章では、第4章で明らかにした公共圏概念への批判を踏まえて、公共圏概念を再定式化することを試みた。まず、モダン/ポスト・モダン図式から捉えてみた場合に、公共圏概念を再定式化することが、モダン/ポスト・モダンそれぞれの「問題意識」を媒介する可能性を含んだものであることを明らかにした。次にそのような再定式化の試みが、批判的メディア/コミュニケーション研究にとって持つ意義について検討した。そこでの議論において、公共圏概念は、フランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズそれぞれの研究が陥っているアポリアから脱却し、批判的研究の「新たな地平」を切り開いていく理論的可能性を持つものであることを明らかにした。

 以上概略を述べた各章における考察を通じて、批判的メディア/コミュニケーション研究の歴史的理解と現状分析を試みるとともに、そのような批判的研究動向に対して近年の公共圏議論が持つ思想的・理論的意義を、フランクフルト学派とカルチュラル・スタディイズの双方の理論的アポリアを媒介的に解決する可能性の点から論じた。

審査要旨

 本論文は、社会的コミュニケーションの「批判的研究」において最も重要な系譜とみられるフランクフルト学派とカルチュラル・スタディーズを取り上げ、過去には断絶関係にあった両者が、近年ハーバーマスに由来する「公共圏」概念を媒介項として交渉関係に入ったことに着目しつつ、その分析を基に「批判的研究」内部の理論的架橋を試み、かつ両者が抱えるアポリアからの脱却の可能性を展望したものである。

 審査過程では、両学派の理論的架橋、とりわけ公共圏概念を媒介としたその試み、という問題設定に独自性と新鮮さが認められる点で一致した。さらに、同概念の理論的、時代状況的な意義の論理的解明、英米圏を中心とした最新の研究成果の幅広い渉猟と丹念な分析、記述および論旨の平明性などが長所として挙げられ、総じてアクチュアルな問題意識に支えられた好論文であり、当該学問領域に貢献するものと評価された。

 しかし同時に、両学派における「批判性」の意味の異同関係、前半と後半を結ぶモダン/ポスト・モダン図式の有効性、公共圏概念の具体的内容の明示などにわたって不十分さが指摘された。最終試験ではこれらの点について著者の見解を求め、著者には今後の課題として十分認識されたものと判じられた。

 結論として審査委員会は、本論文の示す達成度は、それが抱える短所を考慮してもなお十分に評価されるものであり、本論文を博士(社会学)の学位に値するものと判定した。

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