学位論文要旨



No 110863
著者(漢字) 針生,悦子
著者(英字)
著者(カナ) ハリュウ,エツコ
標題(和) 幼児期における事物名解釈方略の変化 : 相互排他性制約をめぐって
標題(洋)
報告番号 110863
報告番号 甲10863
学位授与日 1995.02.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第42号
研究科 教育学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大村,彰道
 東京大学 教授 渡部,洋
 東京大学 助教授 市川,伸一
 東京大学 助教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 汐見,稔幸
内容要旨

 子どもは、1才半ば以降、爆発的な勢いで語彙を増やしていくが、その多くを"事物を指して語が与えられる"指示定義"から学習する。しかし、指示定義は、語が対象のどのような側面を指すかということまで明らかにしないから、たとえば、白うさぎを指して「ギャバガイ」と言われただけなら、"ギャバガイ"の指示対象(語意)については、"うさぎ"カテゴリー、"白い"という属性など、いくらでも仮説を考え出せてしまう。ここから語意を明らかにするために、子どもは考えうる仮説を1つ1つ検証していくような複雑な推論を行っているのだろうか。

 しかし、それにしては、この時期の子どもが語彙を増やしていくスピードは驚異的なものだ。また、仮説の生成にあたって多くの可能性を考慮したり、否定的な証拠に出遭って仮説を修正したりすることは、この時期の子どもにとって困難なこともわかっている。このようなところから、子どもが語意を明らかにするために、考えうる仮説を1つ1つ吟味していくような複雑な推論を行っているとは考えにくい。むしろ子どもは、特定の原理に頼ることで、初めから当たる確率の高い仮説に達することができるに違いない。このような原理(制約)として、これまで、「語は事物の(部分や属性でなく)全体を指す」とする事物全体制約、「語は(主題的に結びついた事物でなく)事物のカテゴリーを指す」とする事物カテゴリー制約、「事物はただ1つの名称を持つ」とする相互排他性制約の3つが指摘されてきている(Markman,1989)。

 このうち、相互排他性制約の存在を示すためMarkmanら(1988)が行った実験とは、既知物(既に子どもが名称を知っている事物)と未知物(子どもがまだ名称を知らない事物)のうちから、新奇なラベルに対応するものを3歳児に選ばせるというものであった。ここで既知物を選べば、ラベルが既知物のもう1つの名称だと認めたことになり、相互排他性原理には反する。この原理に従うなら、ここでは未知物を選択しなければならないし、実際このとき、3歳児もそのようにしたのだ。

 この結果は確かに、子どもがデフォルトとして相互排他性原理に頼ることを示している。しかし、この原理が、子どもが他の解釈可能性に惑わされることなく特定の仮説に達することを可能にしている制約になっていると主張するなら、この原理から導かれる語の解釈が他の解釈可能性より優先されることを示す必要があろう。また、Markmanら(1988)が問題にしているのは事物選択であるが、これらの制約はそもそも子どもの語意学習を説明するため提出されてきたものなのだから、その存否は、ラベルの解釈という課題においてこそ検討されなければならないだろう。

 そこで本論文は、語彙爆発期(3歳)の子どもにとって相互排他性原理は(上で述べたような意味での)制約となりえているのか、明らかにすることを第1の目的とした。そのために、ラベルの指示対象が、文脈からは既知物だと示唆されるが、相互排他性原理に従うなら未知物としなければならないといった葛藤状況において、3歳児はどのような事物選択をし、ラベルはどのように解釈するか、を見た。その結果、3歳児は、事物選択では相互排他性原理より文脈を重視して既知物を選択するが、ラベルの解釈では相互排他性原理を優先して"ラベルは未知物を指す"と解釈することがわかった。こうして、3歳児はラベルの解釈という課題に限っては強く相互排他性原理に依存していること、したがって、相互排他性原理は語意学習に固有の制約になっていると言えることが確かめられた。

 このように幼い子どもが相互排他性制約を持つということは、彼らにとって犬は"犬"であると同時に"動物"でもあるといったことを理解するのは困難なこととも符合する。しかし、現実の言語は、1つの事物が複数の名称で呼ばれることを許容するものだ。この"現実の言語"を獲得する過程で、子どもはいずれ、"十分な理由があるときには1つの事物に複数の名称を認める"というように、事物名解釈方略を変化させていかなければならない。この変化は、いつごろ、どのようにして達せられるのだろうか。それを明らかにするのが、本論文の第2の目的であった。

 まず、このような変化が起こるのはいつなのかを知るため、(上で取り上げたような)文脈と相互排他性原理との葛藤状況において、3〜5歳の子どもがラベルをどう解釈するのかを検討した。その結果、3歳児は相互排他性原理に固執しあくまで"ラベルは未知物を指す"とするのに対し、5歳児は文脈の方を重視して"ラベルは既知物を指す"とすることが見いだされた。こうして、3歳のころは文脈がどうであれ1つの事物には1つの名称しか認めようとしなかった子どもも、5歳になるまでには、文脈次第で1つの事物に複数の名称を認めるようになることが明らかにされた。

 では、このような事物名解釈方略の変化は、どのようにして起こるのか。本論文は、これが、処理容量の拡大と(それを前提とした)言語観の変化という2段構えの変化によってもたらされると考えた。すなわち、発達の初期、おそらく子どもは、処理容量が限られているため、ラベルの解釈では機械的に相互排他性原理を適用するだけで精一杯なのであり、語の使われた状況を考慮している余裕などないのだ。それが、発達にともない処理容量が増してくると、何らかの基準に照らして解釈方略を選択(コントロール)するということもできるようになる。ただし、この処理容量の拡大は、"解釈方略を選択することができる"自由を保証するものであっても、"どのような基準(言語観)に照らして解釈方略を選択すべきか"まで指し示すものではない。それで子どもは、それまで自分がとってきた解釈方略を参照し、"事物はただ1つの名称を持つ"を最初の基準(言語観)として採用することになる。しかし、そもそも現実の言語は、1つの事物が複数の名称で呼ばれることを許容するものだ。したがって、そのような現実の言語にかかわる中で、言語観も"1つの事物を指す名称は文脈に応じて複数のものが使い分けられる"といったものへと変化していく。そして5歳児は、このような言語観に照らして解釈方略を決定するからこそ、文脈と相互排他性原理との葛藤状況でも、文脈にそった解釈をすることになるのだろう。

 このように子どもが言語観、ひいては事物名解釈方略を変化させていくとき、子どもは、現実の言語とかかわる経験から学ぶのだと考えられる。ただし、一口に"現実の言語とかかわる経験から学ぶ"と言っても、"事物の名称は1つと限らない"という原理を明示的に教えられるのと、おとなの命名行動の中に暗黙のうちに含まれるものを帰納しなければならないのとでは、解釈方略への影響の仕方は違ってくるかもしれない。そこで、ここでは、この原理が明示的に教えられる場合として(近年の幼児を対象とした外国語教育に対する関心の高まりも考慮し)"外国語を知ること"を、この原理を子どもが自ら帰納しなければならない場合として"文脈と相互排他的な解釈との葛藤を経験するこど"を取り上げ、これらの知識や経験は、子どもが事物名解釈方略を変化させるきっかけたりえているのか、について検討した。同時に、それらの知識や経験が、解釈方略に影響を及ぼしうる年齢と及ぼしえない年齢との対比をとらえ、そもそも子どもが解釈方略を選択できる(だけの処理容量を備える)ようになり、"言語観、ひいては事物名解釈方略の変化に対して開かれた状態"に達するのはいつなのか、についても明らかにしようと試みた。

 まず、「外国語に触れ、1つの事物が違う言語では違う名称であることを知れば、それは、より一般的に、同一言語内でも1つの事物が常に1つの名称で呼ばれるとは限らないことを認識するきっかけになり、同一言語内でも十分な理由があるときには1つの事物に複数の名称を認めるよう事物名解釈方略を変化させていく」とする仮説は、4歳児には当てはまるが、3歳児には当てはまらないことが示唆された。すなわち、外国語ラベルの指示対象を考えるとき、機械的に相互排他性原理を適用し母国語で既に名称を知っている事物を候補からはずすのは、適切なやり方とは言えない。ラベルが外国語だというのであれば、敢えて相互排他性原理には頼らないで解釈をしなければならないのだ。4歳で英語の知識がある者は、英語のラベルはこのように相互排他性原理に頼らないで解釈しようとするだけでなく、同一言語内のラベル解釈でも根拠になる文脈があれば積極的に1つの事物に複数の名称を認めようとすることが示された。しかし、3歳児は英語の知識があっても、英語ラベルの解釈でなお相互排他性原理に頼って指示対象を割り出そうとしたのである。これはまた、3歳児にはまだ、母国語と区別された独立の言語体系として外国語を学ぶといったことは困難であることを示唆するものだろう。

 一方、"文脈と相互排他的な解釈との葛藤を経験すること"の影響については、次のようなやり方で検討された。文脈から"ラベルは既知物を指す"ことが示唆されても、未知物も文脈にふさわしいと考えることで、文脈と("ラベルは未知物を指す"とする)相互排他的な解釈との見かけ上の矛盾は解消される。もし子どもが、文脈と相互排他性原理とが葛藤する場面で、文脈には反するように見える解釈をしても、それがこのように矛盾解消策を講じた上でのことなら、また、この矛盾解消策の挫折が解釈方略の変化へとつながるものなら、未知物は文脈にふさわしくないという情報を与えられ矛盾解消策を挫折させられたとき、子どもは文脈にそった解釈をするようになるだろう。4歳児の行動はその通りだったが、3歳児は、情報を与えられても、相変わらず相互排他的な解釈をし続け、ここから、このような葛藤経験が解釈方略を変化させるきっかけになりうるのは、4歳以降であることが示唆された。

 以上、本論文では、外国語について知ることや、文脈と相互排他的な解釈との葛藤を経験することは、どちらも子どもが事物名解釈方略を変化させる、きっかけになりうること、また、子どもが解釈方略をコントロールできるようになり、知識や経験を解釈方略に生かせるようになるのは、4歳以降であることが明らかにされた。

審査要旨

 本論文の第1の目的は、語彙爆発期の子どもにとって、「事物はただ一つの名称を持つ」という相互排他性の原理は語彙学習にとっての制約となりえているのか、を明らかにすることである。現実の言語は、一つの事物が複数の名称で呼ばれることを許容する。そこで、語彙獲得の過程で、子どもはいずれ、「十分な理由がある時には、一つの事物に複数の名称を認める」というように、事物名解釈方略を変化させていかなければならない。この変化が、いつ頃、どのようにして達せられるのかを明らかにすることが、本論文の第2の目的である。

 本論文は6章から成り、10の実験研究から構成されている。第1章では、幼児期における語彙獲得過程に関する諸理論を概観し、特に、語彙獲得過程に対する制約の中で、相互排他性制約に関する組織的研究がないことを踏まえた上で、本論文の目的を述べている。第2章では、相互排他性制約の存在を確認するための4つの実験が報告されている。第3章では、子どもは相互排他性原理一辺倒の状態を脱していく時期を明らかにするために、3歳(年少)から5歳(年長)の子どもが語意解釈に相互排他性原理をどのように用いるか(事物名解釈方略)を検討し、その発達的変化を調べた。子どもが、事物名解釈方略を変化させていく時のきっかけとして、第4章では、外国語について知ることと、第5章では、文脈と相互排他的解釈とが矛盾する経験、とを取り上げ、それらが、どのようにして子どもの解釈方略に影響するかについて、発達にともなう情報処理容量の拡大という問題ともからめて検討している。第6章は、本論文のまとめである。

 この研究により以下のことが明らかになった。 (1)3歳児は、ラベルの解釈という課題に限っては、強く相互排他性原理に依存していること、したがって、相互排他性原理は、語彙学習に固有の制約になっている。 (2)大部分の子どもが文脈次第では、一つの事物に複数の名称を積極的に認めるようになるのは、5歳(年長)児以降である。(3)事物名解釈方略の変化は、処理容量の拡大と(それを前提とした)言語観の変化という、二段構えの変化によってもたらされる。(4)外国語について知ることや、文脈と相互排他的な解釈との矛盾を経験することは、どちらも事物名解釈方略を変化させるきっかけとなりうるが、それは、4歳以降である。

 これまで研究されることの少なかった相互排他性制約について初めて組織的に研究し、以上のような明確な結果を得たことは、今後の言語発達研究の発展に大きく寄与しうるものと考えられ、本論文は博士(教育学)の学位論文として十分優れたものであると判断された。

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