内容要旨 | | 本論文は,過去に筆者が行った5つの主要な研究結果に基づき,ストレス理論の見地から,心因性の月経異常(月経周期の不安定性や月経随伴症状)をストレス反応として取り上げ,心理的ストレッサーとしては家族関係に注目し,ストレッサーの受け手の自覚的健康状態およびパーソナリティ要因などの影響も取り入れて,変数選択や共分散構造分析の技術を用いて,月経周期の変動や随伴症状に関する因果モデルの構成を行ったものである。 第I部「理論」は4章からなる。第1章では心理学的ストレス理論について,その歴史的概観を述べ,次に,ライフサイクルの観点からみた心理学的ストレス,日常生活におけるストレス,ストレスの評価と個別性,パーソナリティ要因などについて様々な理論を説明した。第2章では,心身症に関する理論を紹介し,ストレス反応,心身症の定義,器官選択の問題について述べた。第3章では,家族関係理論について,まず家族ライフサイクル論の代表的なものについて述べ,心身症と家族関係に関する理論,さらには家族関係の測定についてのアプローチをいくつか紹介した。第4章では,月経に関する様々なことがらについて述べた。まず,初経についてはそのメカニズムや初経年齢の推移などについて述べ,次に正常月経と月経異常に関する医学的な定義,月経周期の分類や統計,さらには月経周期と心身の随伴症状などについて医学的観点から述べたのち,月経に関わる心理学的研究をストレス理論と絡めた形で要約した。 第II部「調査の目的」において,従来の研究においては現象としての側面から初経を調査することが多く,初経後の心理的影響までを考慮する研究はほとんどないことから,日本における現在の初経教育などに対し再考を促すべき知見を提出することを目的として,初経に関する調査を行なったことを述べた。又,月経周期については,月経異常が女性特有のストレス反応の現れ方であり,これまでの江上の研究などからの示唆に基づき,本研究では娘の家族関係の認識や母娘の家族関係に対する認識のずれなどと月経周期・随伴症状との関連についての一般的な知見を提出することをも目的としていることを述べた。 第III部「調査」においては,都内看護短大生442人(以下,娘)とその母親321人を被調査者として質問紙調査((1)月経に関する調査,(2)家族関係,(3)食行動,(4)健康調査)を行い,データ入手後の分析の手順について述べた。 第IV部「結果と考察」は5章からなる。第1章では,被調査者の一般的な特徴としての(自覚的)健康状態,家族関係,および食行動について述べた。被調査者集団の平均は,健康状態に関しては全く標準的であり,家族関係もこの年代の平均的なものであった。食行動に関しては,母親と比較して娘の場合は食行動全般への関心が高い傾向が見られ,食行動に関しては文化差,世代差の両方が関わっているものと考えられた。 第2章では初経に関する調査結果を示し考察を行った。初経年齢の低年齢化については,母親世代と比較して娘世代の場合に1才〜2才程度初経年齢が早まっていることが判明した。初経を迎えた月は母親世代ではピークとなる月が明確であったが,従来言われてきたこととは異なり,娘世代ではあまり明確ではないことが示された。又,初経年齢と初経時の「情緒的動揺」との相関係数の値は母親が-.26,娘が-.29であり,初経年齢が低いほど初経時の「情緒的動揺」が大きく,初経年齢が低いほど初経に対する精神的な準備が困難であることを示していた。又,月経に関する予備知識の程度と「情緒的動揺」の相関係数は母親の場合-.36,娘が-.30であり,予備知識の程度が低いほど「情緒的動揺」が大きいということが示された。すなわち,月経に関する予備知識が低いほど,精神的な準備が困難になることが明らかにされた。又,母娘において相関係数の値に大きな差がないことは,こうしたことが世代を越えて一貫した傾向であることを示すものである。さらに興味深いことには,実際の初経年齢とよりも,予備知識の程度が「情緒的動揺」とより関係が深いことが示され,予備知識を高める教育の必要性が指摘された。 第3章ではストレスと月経周期に関する調査結果を示し考察を行った。月経周期は様々な事象で変動することが知られており,本論文の調査結果では周期が変動する原因として最も多く挙げられたものは「旅行」であった。中でも,友人(達)との旅行や中学・高校の修学旅行などを挙げた者が多く,親元を離れての移動や入試や中間・期末テストなどを挙げた者もおり,こうした事象が不安や緊張などを伴う急性の心理的ストレッサーとなることが示された。次に,被調査者を月経周期の安定性と変動の大きさなどから6群に分類し,家族関係14尺度との関連を分析した結果,「両親間の力関係(母親優位)」において,6つの群に差異のあることが見出された。さらに健康状態,月経随伴症状,家族関係,食行動などの要因を取り入れ,共分散構造分析を行った結果,月経周期の変動に直接的に関わるのは本人の性格傾向(抑うつ性),身体症状(消化器),母親の月経随伴症状(月経前の痛み,月経中の集中力低下)および食行動(口唇コントロール)であるが,それらを規定するのは家族関係の要因であることが示された。 第4章ではストレスと月経随伴症状に関する調査結果を示し考察を行った。随伴症状に関する質問紙(Moos,1968)を再検討し, 「痛み」,「水分貯留」,「集中力低下」,「自律神経失調」,「否定的感情」の5尺度を抽出した。この質問紙を用いて,月経前と月経中の月経随伴症状を比較した結果,月経前に症状が重くなるものは「水分貯留」,月経中に症状が重くなるものは「痛み」,「集中力低下」,「自律神経失調」,「否定的感情」であった。又,各尺度について母娘を比較したところ,「痛み」,「水分貯留」,「集中力低下」,「自律神経失調」の4尺度において,母親と比較して娘の方が有意に月経中の得点が高く,これらは娘世代の訴えが多いことが判明した。又,各症状の母娘の相関係数の値は,月経前の「痛み」が.19,「水分貯留」が.20,「集中力低下」は.21,「自律神経失調」が.36,さらに月経中の「痛み」が.22であり,これらの点に関し母娘間の相互関係の高さが示された。又,月経周期によって分類された6群の分散分析の結果,「月経中の否定的感情」において有意な主効果が見出された。さらに健康状態,家族関係,食行動などの要因を取り入れ,共分散構造分析を行った結果,娘の家族関係認識,家族関係に対する母娘の認識の差,健康状態,母親の月経随伴症状,食行動のうちのいくつかの要因が,娘の月経随伴症状に直接的,あるいは間接的に影響を及ぼしていることが見出された。 第5章では,今後の研究に対する有益な示唆を得ること,および予防的な観点からも重要な知見を投ずることを目的として,典型例を用いての症例研究を行なった。「月経周期が安定せず全く不安定な症例(症例1)」,「無月経の症例(症例2)」,「月経随伴症状の重い症例(症例3)」の3例について,健康状態,月経随伴症状,家族関係,家族関係に対する母娘の認識の差,食行動などに関する詳細な検討を加えた結果,症例1は家族関係に対するイメージは否定的ではなく,その認識についての母娘の差異も平均的なものであったが,その実態水準そのものは平均より隔たりが大きい症例であった。症例2は娘が自分の家族に関して非常に否定的なイメージを抱いているだけでなく,母娘の認識の差も非常に大きく,それらのことが葛藤を高め,大きな心理的ストレッサーとなっている症例と考えられた。この症例は食行動に関する問題も持ち,神経性食思不振症が疑われた。又,症例3は父親に対してやや過保護,母親に対しては過干渉であると認識しており,母娘の認識の差も平均と比較して大きい症例であり,月経随伴症状における共分散構造分析の結果から得られた因果関係を支持する典型例でもあった。 第V部「総合考察」においては,1)初経について,初経前後からの初経や性に関するきめのこまかい教育プログラムを用意することが急務であり,その効果を確認するための追跡研究が必要であること,2)心因性の月経異常における器官選択性の問題,3)娘の不順の比率がやや高く,初経後2年〜3年を過ぎても周期が完全に安定しない「生理的不順」の者が含まれている可能性があるが,「生理的不順」が長引く者が増加しているならば,その原因について調査を進めるべきであること,4)月経周期が不安定になる者と月経随伴症状が重症である者とは,その背景にある心理的な問題が異なる可能性が大きく,その点に関する分析が必要であることなどについて述べた。 |