学位論文要旨



No 110868
著者(漢字) 鹿園,直哉
著者(英字)
著者(カナ) シカゾノ,ナオヤ
標題(和) オオムギにおける放射線誘発されたDNA損傷の修復に関する研究
標題(洋)
報告番号 110868
報告番号 甲10868
学位授与日 1995.02.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1525号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 日比,忠明
 東京大学 教授 高木,正道
内容要旨

 生物に電離放射線を照射すると致死や生育阻害等の障害が生じる。現在までの研究から、障害を引き起こす標的物質の一つはDNAであると考えられている。多くの生物種において細胞はDNA損傷を修復する機能を有することが明らかになっており、DNA修復欠損突然変異体は放射線に対して感受性になることから、DNAの修復は放射線に対する感受性を左右する主要な要因の1つと考えられている。電離放射線による損傷のうちDNA鎖切断が放射線感受性の主要な原因の1つであることは、主に微生物および哺乳類細胞での実験結果から示唆されており、DNA鎖切断の修復に対する知見を得ることは、電離放射線が障害を引き起こす機構を理解する上で非常に重要であると思われる。

 根の放射線による生育阻害は、植物に対する放射線感受性に関する研究の中で最もデータの蓄積された分野である。X線照射後の根の生育阻害は根端を遮蔽したときには観察されず、根端以外を遮蔽したときには観察されることから、根端の分裂組織に損傷が生じて生育阻害を引き起こすことが示唆されている。しかしながら、植物の根において電離放射線照射後のDNA鎖切断の再結合についてはほとんど調べられていない。高等植物におけるDNA鎖切断の修復を解析することは、放射線障害の機構を理解するのに役立つだけではなく、突然変異育種の見地からも効率的な突然変異の誘発を考える上で基礎的な知見を与えると考えられる。

 オオムギは発芽、生育が非常によく揃い、染色体の観察も比較的容易であることから、電離放射線照射による生育阻害や染色体異常を研究するのに適した材料の1つである。本研究ではオオムギ芽生えを用い、植物体において放射線感受性が最も詳しく研究されている組織の1つである根に誘発されるDNA鎖切断の検出法を開発し、DNA鎖切断の再結合反応の解析を行い、さらに誘導的なDNA修復機構が存在することを見いだした。次に、誘導的であると示唆されたDNA鎖切断の再結合が誘導的な放射線耐性を示す現象の1つである適応応答に関与する可能性を知る目的で、根における生育阻害と染色体異常に対する適応応答の有無を調べた。また、線照射後誘導的な細胞応答が存在するかどうかを知る目的で、芽生えにおいて合成が誘導される蛋白質についての検討を行なった。

1.DNA鎖切断の再結合

 現在まで植物においてDNA鎖切断の検出及び再結合反応に関する報告は少ない。このことは植物では細胞壁があり高分子量のDNAの抽出が難しいことに起因すると考えられる。本研究ではオオムギの根においてアルカリ巻きもどし法を適用しDNA鎖切断の検出方法を開発するとともに、DNA鎖切断の再結合反応の解析、さらに再結合反応に対する蛋白質合成の必要性を調べた。

 オオムギの根において、アルカリ巻きもどし法におけるDNAの巻きもどしの至適条件を決定したところ、アルカリ溶液の組成としては0.03MNaOH,0.5MNaClであり、巻きもどし時間としては20℃で15分であった。また、この至適条件下では線量依存的にDNAは巻きもどされた。このことから、アルカリ巻きもどし法により、植物体においてDNA鎖切断を感度良く、定量的に検出することが可能であることが明らかになった。

 根の生育阻害は根端分裂組織への損傷が原因であるので、線照射後のDNA鎖切断の再結合は根端分裂組織とそれ以外の分化した領域に分けて調べた。線照射直後の根端分裂組織と非分裂組織では巻きもどしの程度が異なっていたが、これはアルカリ溶液中のNaCl濃度を2Mにすることで解消された。アルカリ溶液中のイオン強度が低いとき、DNA鎖の巻きもどしやすさが根端分裂組織とすでに分化した領域では異なっていることは、哺乳類細胞の結果からこの2つの領域ではDNAの構造が異なっているか、細胞骨格に違いがあるためであると考えられる。アルカリ溶液中のNaCl濃度が2Mの条件で分裂組織及び非分裂組織でのDNA鎖切断の再結合反応を解析した結果、再結合は早い再結合と遅い再結合からなり、2相性であることが明らかになった。早い再結合は一本鎖切断の再結合、遅い再結合は二本鎖切断の再結合を示していると考えられる。照射後6時間目までに分裂組織では切断は未照射のレベルまで再結合が起こるのに対し、非分裂組織では未照射のレベルまで再結合が起こらなかった。この効率の差は遅い再結合の差に起因した。さらにDNA鎖切断の再結合反応に対する蛋白質合成の必要性を調べたところ、分裂組織での遅い再結合では蛋白質合成を抑制することにより阻害が生じたが、非分裂組織では再結合の阻害は生じなかった。これらの結果から、分裂組織での遅い再結合は誘導修復が働いていると考えられる。また、分裂組織において線照射後蛋白質合成を阻害すると、分裂組織と非分裂組織で同様なDNA鎖切断の再結合の経時的変化を示したことから、遅い再結合での修復酵素量の違いが分裂組織と非分裂組織でのDNA鎖切断の再結合効率の違いの原因ではないかと推察される。

2.適応応答

 電離放射線適応応答とは低線量の電離放射線を前もって照射しておくと、その後の照射による染色体異常や生育阻害に対して抵抗性になるという現象であり、植物においてもソラマメ、タマネギの根端細胞において染色体異常に対する電離放射線適応応答が観察されている。

 本実験でオオムギの根における生育阻害及び染色体異常を指標にして適応応答の有無を調べたところ、適応応答は観察されなかった。このことから、オオムギにおける生育阻害の原因及び染色体異常となるDNA損傷を正確に修復する機構は、前照射により誘導されるものではないことが推察される。また、ソラマメやタマネギの根端分裂細胞において、染色体異常に対する電離放射線適応応答が観察されているのに対し、オオムギでは適応応答が観察されなかったことから、電離放射線適応応答は植物において普遍的に存在する現象ではなく、ソラマメやタマネギではオオムギと異なる電離放射線に対する耐性機構が存在する可能性が考えられる。

3.線照射後の蛋白質合成

 本研究において、線照射後の蛋白質合成を必要とするDNA鎖切断の再結合反応の存在が示唆され、オオムギは電離放射線に対して特異的な蛋白質を合成し応答する可能性が推察された。本章では線照射によるオオムギ芽生えの蛋白質の合成を2次元電気泳動法により分析した。

 線照射(2.65Gy,10Gy,50Gy)後1.5時間、3時間、6時間に抽出した蛋白質を泳動し銀染色法で検出したところ、非照射に対し蛋白質の変化は検出されなかった。しかしながら、35Sメチオニンで標識した処理区では線(10Gy)照射直後から1.5時間に標識した処理区では2種、1.5時間から3時間に標識した処理区では2種、4.5時間から6時間に標識した処理区では3種の蛋白質の合成が線によって誘導されることが観察された。照射直後から1.5時間目及び1.5時間目から3時間目に合成が誘導される蛋白質が1種観察され、残りの合成が誘導される蛋白質は各々1つの標識時間帯に特異的に観察された。これらの結果から、オオムギは線照射に対して特定の蛋白質を合成して応答すると考えられた。また、標識時間帯により合成が誘導される蛋白質種に違いが観察されたので、合成が誘導される蛋白質には異なる制御を受けているものがあると推察される。銀染色法では非照射の及び照射した芽生えの蛋白質の泳動パターンに変化が認められないことから、線照射により誘導される蛋白質量の変化は微量であると推定される。

 以上、オオムギの根端分裂組織において線によって誘発されるDNA鎖切断の再結合には照射後の蛋白質合成が関与し、誘導的な修復が存在することが示唆された。また、線照射により少なくとも6種の蛋白質が誘導され、これらが誘導修復及び誘導的な放射線耐性に関与する可能性が示唆された。植物では電離放射線に対して誘導的に応答し生き延びようとする機構が発達しているのかもしれない。

 根端分裂組織においては100Gyという生育が完全に阻害される高線量を照射してもDNA鎖切断の再結合が起こるこということが明らかとなった。このことから、DNA鎖切断の再結合反応が起こらないことが生育阻害の原因ではないことが示唆された。再結合反応は効率よく起こるので、分裂能の喪失、染色体異常、細胞分裂の遅れ等による生育の阻害は、misrepairに由来すると推察される。

 誘導的なDNA鎖切断の再結合の染色体異常や生育阻害に対する適応応答への関与は観察されなかった。この原因としてDNA鎖切断の修復が誤りがちであること、もしくはDNA鎖切断の再結合は低線量域では誘導されないという可能性が考えられる。

審査要旨

 生物に電離放射線を照射すると致死や生育阻害等の障害が生じ,その標的の一つはDNAと考えられている。そこでDNA修復に対する知見は,電離放射線が障害を引き起こす機構を理解する上で非常に重要と思われる。

 高等植物におけるDNA鎖切断の修復を解析することは,放射線障害の機構を理解するだけではなく,突然変異育種の見地からも重要であるが,植物においては照射後のDNA鎖切断の修復機構について不明な点が多い。

 オオムギは発芽,生育がよく揃い,電離放射線照射による生育阻害の研究に適した材料である。本研究ではオオムギ芽生えを用い,植物体において放射線感受性が詳しく研究されている根に誘発されるDNA鎖切断の検出法を開発し,DNA鎖切断の再結合反応の解析を行い,さらに誘導的なDNA修復機構が存在するかを調べた。次に,誘導的と見られたDNA鎖切断の再結合が誘導的な放射線耐性現象である適応応答に関与する可能性を知るため,根における生育阻害と染色体異常に対する適応応答の有無を調べた。また,線照射後誘導的な細胞応答を調べるため,芽生えにおいて合成が誘導される蛋白質についての検討を行った。

1.DNA鎖切断の再結合

 植物では高分子DNAの抽出が離しく,DNA鎖切断の検出及び再結合反応に関する報告は少ない。本研究ではオオムギの根においてアルカリ巻きもどし法を適用しDNA鎖切断の検出法を開発し,DNA鎖の再結合反応の解析,さらにそれに対する蛋白質合成の必要性を調べた。

 オオムギの根で,アルカリ巻きもどし法の至適条件を決定したところ,アルカリ溶液の組成は0.03M NaOH,0.5M NaClであり,巻きもどし時間は20℃で15分であった。また,この至適条件下では線量依存的にDNAは巻きもどされた。これにより,アルカリ巻きもどし法で,植物のDNA鎖切断を感度良く,定量的に検出できることが明らかになった。

 根の生育阻害は根端分裂組織への損傷が原因であるので,線照射後のDNA鎖切断の再結合を根端分裂組織とそれ以外の組織に分けて調べた。線照射直後の根端分裂組織と非分裂組織では巻きもどしの程度が異なっていたが,これは溶液中のNaOl濃度を2Mにして解消された。この条件で分裂組織及び非分裂組織のDNA鎖切断の再結合反応を解析した結果,再結合は早い再結合と遅い再結合からなり,2相性であった。照射後6時間目までに分裂組織では未照射のレベルまで再結合が起こるのに対し,非分裂組織では未照射のレベルまで再結合が起こらなかった。この効率の差は遅い再結合の差に起因した。さらに再結合反応に対する蛋白質合成の必要性を調べたところ,分裂組織での遅い再結合は蛋白質合成を必要としたが,非分裂組織では必要としなかった。これらの結果から,分裂組織での遅い再結合は誘導修復が働いていると考えられる。

2.適応応答

 電離放射線適応応答は低線量の照射により,その後の照射による染色体異常や生育阻害に抵抗性になる現象で,植物でもソラマメ,タマネギの根端細胞で観察されている。本実験では,オオムギの根の生育阻害及び染色体異常を指標に適応応答の有無を調べたが,観察されなかった。これから,オオムギにおけるDNA損傷を正確に修復する機構は,前照射により誘導されるものではないと推察される。

3.線照射後の蛋白質合成

 蛋白質合成を必要とするDNA鎖再結合反応が示唆され,オオムギは放射線に対し特異蛋白質を合成し応答する可能性が推察された。そこで線照射によるオオムギ芽生えの蛋白質の合成を2次元電気泳動法により分析した。

 線照射後の蛋白質を泳動し銀染色法で検出したが,非照射に対し蛋白質の変化は検出されなかった。しかし35Sメチオニンで標識した処理区では線(10Gy)照射直後から6時間の間に6種以上の蛋白質の合成が誘導された。これらの結果から,オオムギは線照射に対して特定の蛋白質を合成して応答すると考えられた。また,標識時間帯により合成が誘導される蛋白質種に違いが観察されたので,異なる制御で合成が誘導されると推察される。

 以上要約するに,オオムギの根においてアルカリ巻き戻し法の改良によりDNA鎖切断検出法を開発し,根端分裂組織において線によって誘発されるDNA鎖切断の再結合には照射後の蛋白質合成が関与し,誘導的な修復が存在することを示唆した。また,線照射により少なくとも6種の蛋白質合成が誘導され,これらが誘導修復及び誘導的な放射線耐性に関与する可能性を示した。

 よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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