視細胞によって受容された視覚情報は網膜内で処理をされた後、神経節細胞によって脳の視覚中枢に送られる。網膜における情報処理は、神経節細胞の受容野の性質から窺い知ることができる。この受容野は同心円状であり、その中心部と周辺部で拮抗作用を示すことから、明暗や色の対比現象の基礎過程であると考えられる。網膜の情報処理機構を明らかにする上で、視細胞と神経節細胞を最短距離で連絡している双極細胞の性質を解明することが必須である。本論文では、双極細胞の膜電流の性質および伝達物質の放出機序を実験的に調べ、神経節細胞への入力の性質を検討した。 キンギョの網膜には大きな軸索終末部を持った双極細胞(光照射で脱分極応答を示すON型細胞)がある。この細胞を網膜から酵素的に単離して以下の実験を行った。(1)双極細胞をパッチ電極で膜電位固定(whole-cell clamp)し、膜電流の性質を解析した。(2)細胞内に導入したCa2+指示薬(Fura-2)の蛍光強度変化を高感度ビデオカメラで捉え、細胞内遊離Ca2+濃度の時間的空間的変化を調べた。(3)双極細胞から放出される伝達物質の候補としてグルタミン酸が挙げられているので、微量のグルタミン酸を検出するバイオアッセイ法を新たに工夫した。(4)双極細胞のCa2+電流の活性化に伴ってグルタミン酸が放出されるか否かを検討した。 実験の結果、次のことが明らかになった。(1)双極細胞を脱分極するとCa2+電流が活性化された。このCa2+電流のサブタイプはL型(持続性・高閾値型・ジヒドロピリジン感受性型)であると同定した。他のサブタイプ(T型やN型)のCa2+電流は検知されなかった。したがって、キンギョ網膜では光によってON型双極細胞が脱分極しているあいだ、Ca2+が持続的に細胞内に流入することが推測された。(2)双極細胞を脱分極させてCa2+電流を活性化させると、細胞内遊離Ca2+濃度は軸索終末部において急激に上昇した。細胞体の遊離Ca2+濃度は遅れて僅かに増えたが、これは軸索終末部から細胞内を拡散したCa2+によるものであった。従って、双極細胞のCa2+チャネルは軸索終末部に局在していると結論した。この結果は、Ca2+電流が伝達物質の放出に関与していることを示唆している。(3)双極細胞には、これまでに報告されている4種類の電流(膜電位依存性K+電流・Ca2+電流・Ca2+依存性K+電流・h電流)以外に、脱分極パルス終了直後に現れ、その後ゆっくりと減衰する内向き電流(スロー・テイル電流)の存在を新たに見いだした。このテイル電流を解析したところ、主要な成分はCa2+依存性Cl-電流であることが判明した。また、このCl-チャネルは軸索終末部に存在していたので、伝達物質の放出を調節する役割を担っている可能性が示唆された。(4)アメリカナマズ網膜の錐体型水平細胞はグルタミン酸に高感度かつ選択的に応答した。グルタミン酸応答はNMDA型受容体と非NMDA型受容体の活性化によって生じており、グリシンの共存下では1M以下のグルタミン酸を検出することができた。したがって、双極細胞からグルタミン酸が放出されるか否かを調べるのに、アメリカナマズ網膜の錐体型水平細胞を使った電気生理学的バイオアッセイ法が適していると結論した。(5)アメリカナマズの水平細胞にキンギョの双極細胞の軸索終末部を密着させた状態で双極細胞のCa2+電流を活性化させると、水平細胞から伝達物質による応答を記録することができた。この伝達物質応答の諸性質はグルタミン酸応答に一致したので、双極細胞から放出される伝達物質はおそらくグルタミン酸であろうと結論した。(6)双極細胞からのグルタミン酸の放出は、軸索終末部に局在しているL型Ca2+チャネルを介して流入したCa2+が引きがねとなって生じた。Ca2+の流入量が増加するとグルタミン酸の放出量も増加したが、Ca2+流入量が大きくなるとグルタミン酸の放出量はしだいに頭打ちとなった。 以上の結果から、キンギョ網膜のON型双極細胞では、脱分極によって軸索終末部に局在するL型Ca2+チャネルが活性化されると、このチャネルを介してCa2+が細胞内に流入し、グルタミン酸を放出させることが証明された。今後、双極細胞の伝達物質を受容する神経節細胞やアマクリン細胞に存在するグルタミン酸受容体の性質と分布、および、アマクリン細胞から双極細胞へのフィードバック作用などを解析することによって、網膜におけるシナブス伝達機構を解明することができるであろう。これらの成果はニューラルネット・モデルに対しても基礎的な知見を与えることができると期待される。 |