本学位請求論文では「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(以下では「倫理」論文と略す)におけるその論証構成上重要と見做され得る幾つかの箇所に関し、そこでヴェーバーが用いた、ないし用いた筈の原資料との照合に基づき、かつ、「職業としての学問」に見られるような学問における知的誠実性の主張の観点から彼の立論の妥当性を検証することを試みた。得られた結論は以下の通りである。 (i)ヴェーバーは英国におけるピューリタン的な"calling"概念の起源を論ずるに当たって度々英訳聖書に言及したが、実際には彼は英訳聖書を手に取って見てはおらず、その殆ど全てをOEDの"calling"の項の記載に依拠していたこと、そのことは彼がOEDの単純な誤りを-それは聖書のタイトル頁を見さえすれば避け得たような単純な誤りである-そのままに引き継いでしまっていることから論証し得ること、OEDに記載されていた「コリントI」7:20の用例のみに依拠せざる得なかった彼の立論は、「ベン・シラの知恵」11:20,21における"Beruf"という訳語こそが、ルターが創始した"Beruf"という語の、新たな用法なのであり、そしてその語こそがプロテスタント諸国のそれぞれの国語に影響を与えたのである、との元来の彼の主張を論理的に破綻させるものとなってしまったこと。 (ii)ヴェーバーがBeruf-概念に関する自らの主張の典拠の一つとした「コリントI」7:20における"Beruf"という独訳はルター自身に由来するものではない。ルター個人における聖書の訳語の変遷史を辿るに当たってヴェーバーが用いたルター聖書とは、ルター自身の校訂によるルター聖書ではなく、ルターの死後幾度となく改訂された末の、1904年当時の"現代の普及版ルター聖書"であり、7:20における"Beruf"とはその改訂版での訳語に過ぎぬ。しかも「現代の普通の版におけるルター聖書では」というヴェーバー自身による付言は、自らが用いていたルター聖書がルター自身によるルター聖書ではなかったことを彼が自覚していたことを証す。 (iii)フランクリンが「自伝」において引用した「箴言」22:29を、ルターが"Beruf"ではなく"Geschaft"と訳してしまっていたというアポリアを回避するに当たってヴェーバーが用いた、ルターによる翻訳の時間的前後関係に依拠する論点が維持され得るのは、初版年代に目を奪われている限りにおいてのみであって、ルター自身による初版後の改訂作業をも視野に収めるならば、維持されがたい。 (iv)ヴェーバーは、「資本主義の精神」を"既に宗教的基盤が死滅したもの"として構成したにもかかわらず、その理念型構成のための素材としてフランクリンの二つの文章を引用するに際し、フランクリンによる宗教的なものへの言及部分を、それも予定説の神への言及部分を前もって削除した上で引用し、しかも、1919-20年の改訂時には上記部分を削除していたにもかかわらず、フランクリンの二つの文章は「宗教的なものへの直接的な関係を全く失っており、それ故-我々の主題にとって-「無前提的」であるという長所を示してくれているのである」(強調はヴェーバー自身)と加筆した。 (v)フランクリン資料を「自伝」のレベルにまで広げる段階で否応なく現れてきてしまうフランクリンの「功利的傾向」を否定するためにヴェーバーは、フランクリンは"徳に「改信」した"のであり、しかも"彼は自分の「改信」を神の啓示に帰しているのである"と主張したが、上記主張は「啓示」という言葉に関する「自伝」のコンテキストを読み誤った主張に過ぎぬ。この「啓示」という言葉が、"自分は15歳になるかならぬかでもう神の啓示すらも疑うようになってしまっていた"というフランクリン自身による僅か数頁前の記述を受けていることは、「自伝」を読めばすぐに判ることである。 (vi)更にヴェーバーは、フランクリンにとっては貨幣の獲得は個人の幸福・利益といったものを一切超越した非合理的なものとして立ち現れている、と主張したが、「自伝」においてフランクリンが「箴言」22,29を引用した直後の言葉を-この言葉をヴェーバーは確実に読んでいた筈である-故意に無視せぬ限り、この主張は成り立たない。 〔結び〕 知的誠実性の観点から上記の点を検証する時最も致命的なのは論点(iv)であろう。それは過失ではなく、故意を意味している。本稿によって得られる結論は従って次のようなものとなる。ヴェーバーは「倫理」論文において、「職業としての学問」において彼が主張したほどには知的に誠実ではなかった、と。 (尚、本稿の第I章は昨年二月ドイツにおいて発表されており[Zeitschrift fur Sozio-logie,Jg.22,Heft1,S.65-75:F.Enke Verlag]、また第II章は本年五月Archives europeennes de sociologie,Vol.XXXV,n°1:Cambridge University Pressに掲載が決定している。) |