No | 110884 | |
著者(漢字) | 吉田,真史 | |
著者(英字) | Yoshida,Masafumi | |
著者(カナ) | ヨシダ,マサフミ | |
標題(和) | 電解質溶液の動的挙動に関するモンテカルロ・シミュレーション | |
標題(洋) | Monte Carlo simulation of electrolyte solution dynamics | |
報告番号 | 110884 | |
報告番号 | 甲10884 | |
学位授与日 | 1995.03.10 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第50号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文は、高分子電解質溶液の動的挙動を分子シミュレーションによって解析することを主題としたものであり、高分子電解質溶液の研究におけるこの方法の有効性を論じたものである。高分子電解質溶液の動的挙動に関する分子シミュレーションには先例がなく、本論文では、メトロポリス・モンテカルロ法にもとづいた計算プログラムを作成し、シミュレーションを実行した。 この章では、高分子電解質の研究における分子シミュレーションの役割と、本論文でもちいたモンテカルロ法の利点について論じた。 高分子電解質は、高分子イオンと対イオンからなる電解質であり、タンパク質、DNA、生体膜などが代表的なものである。これらは、生体関連物質であることから、水溶液における物性がおもな研究対象となっており、実験的手段としては、例えば、電気複屈折や電気二色性などの電気光学的方法が利用されている。 これらの実験は、高分子電解質溶液に外部電場を印加したときの、溶液の光学的異方性を観測するものであり、高分子イオンの回転拡散係数や双極子能率を反映している。従来の研究においては、特定の形状、大きさ、双極子能率をもったモデル分子について、溶液の光学的異方性を理論的に求め、実験値と比較することによって、高分子イオンの挙動を議論してきた。 しかし、理論値が計算できるモデルには限界があり、また、複雑な高次構造をもつ高分子イオンについて、単純な関数で記述される双極子能率を仮定することにも無理がある。したがって、任意の構造をもつ高分子イオンについて実験値の分析をおこなうためには、あらかじめ双極子能率を仮定することなく、高分子イオンと対イオンの運動を解析し、電気光学的実験の観測量を再現することが必要となる。 その方法としては、モンテカルロ法、分子動力学、ランジュバン方程式の数値計算などの分子シミュレーションのほか、拡散方程式の数値計算などが考えられる。本論文では、計算手順の簡潔さ、計算速度の速さの点で、モンテカルロ法による分子シミュレーションを選択した。すなわち、分子動力学は、少なくともモンテカルロ法の千倍以上の計算時間を必要とする。ランジュバン方程式の数値計算は、第2章で論じたように、その内容はモンテカルロ法とほとんど等価であるが、イオンの衝突現象や、不連続ポテンシャルの取り扱いがやや煩雑になる.また、拡散方程式の数値計算は、多変数の偏微分方程式を解くことになり、計算手順が複雑になる。以上のことから、高分子電解質溶液におけるイオンの運動を計算するためには、モンテカルロ法が適当であると判断された。 この章では、本論文でもちいたメトロポリス・モンテカルロ法の前提条件、計算手順、計算精度について論じた。 2.1節では、水溶液中におけるイオンの運動を記述する方法について論じた。本論文では、溶質であるイオンの挙動だけに注目するので、イオンの運動は、溶媒を連続体とみなしたランジュバン方程式に従うものとした。さらに、溶媒の流体力学的抵抗を大きいものとして、慣性項を無視するスモルコフスキー近似が成立することを前提とした。 2.2節では、メトロポリス・モンテカルロ法の計算手順について述べ、パラメーターの決定法について論じた。これまで、メトロポリス・モンテカルロ法は非平衡状態には適用できないとされてきたが、近似的にはランジュバン方程式や拡散方程式の数値計算と等価であり、非平衡状態にも適用できることを示した。 2.3節では、メトロポリス・モンテカルロ法の誤差について論じた。この方法では、時間刻みの大きさがシミュレーションの精度に影響するため、いくつかの典型的なポテンシャルについて誤差と時間刻みの関係を論じた。そして、本論文においては、数%以内の誤差でシミュレーションが実行できることを確認した。 この章では、シミュレーションを実行した五つの事例について論じた。本論文では、対イオンの並進運動(3.1節、3.2節)、高分子イオンの回転運動(3.3節)、高分子イオンが存在するときの対イオンの並進運動(3.4節)、対イオンの並進運動にともなった高分子イオンの回転運動(3.5節)のように、段階的に計算プログラムを拡張して、シミュレーションを実行した。 3.1節では、調和ポテンシャルにおけるブラウン運動について論じた。これは、計算手順の妥当性を確認するためであり、シミュレーションによる分布関数の時間変化が、すでに知られている解析解と一致することを示した。 3.2節では、塩化ナトリウム水溶液における、ナトリウムイオンと塩化物イオンの挙動について論じた。これらのイオンは、高分子電解質溶液においても添加塩として用いられるので、これらの挙動を正しく再現することは、高分子電解質溶液の研究にとって基礎となるものである。本節では、これらのイオンの拡散係数の濃度依存性を求め、すでに知られている実験結果と一致することを示した。 3.3節では、棒状モデル分子の回転運動について論じた。第1章で述べたように、電気光学的実験の観測量は、高分子イオンの回転運動を反映したものであるので、回転運動についての計算精度を確認しておく必要があった。また、回転運動と並進運動では計算手順に若干の相違があるが、回転運動についても計算手順の妥当性が確認された。本節では、永久双極子や誘起双極子をもった棒状モデル分子が、外部電場によって配向する過程についてシミュレーションをおこない、すでに知られている解析解と一致することを示した。 3.4節では、高分子電解質溶液における、対イオンの挙動について論じた。本節の高分子電解質はDNA断片をモデル化したものであり、高分子イオンは静止したものとみなして、対イオンの挙動についてシミュレーションを実行した。 はじめに、外部電場がないときの対イオン分布やポテンシャル・マップを求めた。そして、高分子イオン近傍の対イオン分布について、従来の理論との比較をおこなった。 次に、外部電場の存在下における対イオン分布について考察した。このとき、対イオンの分布は電場方向に分極するので、これを実験的な誘起双極子と比較して議論した。電解質溶液の分極は、低電場においては電場強度とともに増加するが、高電場においては飽和、減少することが知られている。本論文のシミュレーションでもこの現象が再現され、その原因が対イオンの流れによるものであることがわかった。また、分極の大きさと、高分子イオンの電荷密度、溶液濃度との関係についても考察した。 さらに、高分子電解質溶液にパルス状の外部電場を印加したときの、対イオン分極の緩和時間をもとめた。そして、高分子イオンの長さ、溶液濃度、電場強度との関係について論じた。緩和時間の測定は、最近になって可能になった。実験とシミュレーションでは条件が異なるため、直接比較することはできないが、定性的な傾向はほぼ再現された。 3.5節では、高分子電解質溶液に外部電場を印加したときに、高分子イオンが電場方向に回転する現象を論じた。高分子電解質は、3.4節と同じく、DNA断片をモデル化したものであるが、高分子イオンの回転運動も考慮した。そして、外部電場の印加によって、それ自体は双極子能率をもたない高分子イオンが、対イオン分極の影響で回転する現象を再現することができた。この現象は、実際の電気光学的測定に対応するものであり、高分子イオンの構造は単純化されているが、本節のシミュレーションによって、電気光学的実験の分子シミュレーションによる再現が可能であることが示された。 この章では、本論文の成果をまとめ、今後の展望について論じた。本論文において、高分子イオンはモデル化された単純なものであるが、これは従来の研究と比較するためであり、詳細な分子構造を取り入れる用意はできている。また、さらに長時間領域や低濃度系の現象についても、計算の高速化によって実現することができる。第3章で論じたように、電気光学的実験を再現するシミュレーションが可能になったことから、実験とシミュレーションを併用した研究形態が、高分子電解質の研究においても発展することが期待される。以上のように、モンテカルロ・シミュレーションは、高分子電解質の動的挙動を分析するために有効な方法であることが示された。本論文では、電気光学的実験を再現することを目標にしてシミュレーションをおこなったが、この方法は、電解質溶液の動的挙動だけでなく、コロイド溶液や高分子溶液の動的挙動など、すべての拡散過程に適用できるものである。 | |
審査要旨 | 本論文は、高分子電解質溶液の動的挙動を分子シミュレーションによって解析することを主題としたものであり、シミュレーション結果を示すと共に、高分子電解質溶液の研究におけるこの方法の有効性を論じている。高分子電解質溶液の動的挙動に関する分子シミュレーションの研究は先例がなく、本論文では、メトロポリス・モンテカルロ法にもとづく計算プログラムを作成し、5種類の事例についてシミュレーションを実行した。 本論文は4章からなる。 第1章は序論で、高分子電解質の研究における分子シミュレーションの役割と、本論文で用いたモンテカルロ法の特徴について論じている。 高分子電解質は、高分子イオンとその対イオンからなる電解質であり、その例が生体関連物質に多く見られることから、水溶液における物性研究、特に、電気複屈折や電気二色性などの電気光学的方法を用いた従来の研究を中心にしてその結果をまとめている。これらの研究においては、特定の形状、大きさ、双極子能率をもったモデル分子について、溶液の光学的異方性を理論的に求め、実験値と比較することによって、高分子イオンの挙動を議論してきた。 しかし、理論値が計算できるモデルは単純なものに限られ、任意の構造をもつ高分子イオンについては、あらかじめ双極子能率を仮定することなく、高分子イオンと対イオンの運動を解析することが必要となる。 その方法として、モンテカルロ法、分子動力学、ランジュバン方程式の数値計算などの分子シミュレーションのほか、拡散方程式の数値計算などが考えられるが、本論文では、計算手順の簡潔さ、計算速度の速さを考慮し、モンテカルロ法による分子シミュレーションを選択している。 第2章は方法論に関するものであり、本論文で用いたメトロポリス・モンテカルロ法の前提条件、計算手順、計算精度について論じている。 2.1節では、水溶液中におけるイオンの運動を記述する方法について述べ、イオンの運動は、溶媒を連続体とみなしたランジュバン方程式に従うものとし、慣性項を無視するスモルコフスキー近似が成立することを前提としている。 2.2節では、メトロポリス・モンテカルロ法の計算手順について述べ、この方法が非平衡状態にも適用できることを示すと共に、パラメーターの決定法について論じている。 2.3節では、メトロポリス・モンテカルロ法の誤差について論じ、数%以内の誤差でシミュレーションが実行できることを確認している。 第3章はシミュレーションの適用例について述べたものであり、シミュレーションを実行した5つの事例について論じている。本論文では、イオンの部分的な挙動から複合的な挙動へとシミュレーションの対象を拡げ、対イオンの並進運動、高分子イオンの回転運動、高分子イオンが存在するときの対イオンの並進運動、対イオンの並進運動にともなう高分子イオンの回転運動の4段階にわたって計算プログラムを拡張して、それぞれシミュレーションを実行している。 3.1節では、調和ポテンシャルにおけるブラウン運動について論じた。これは、計算手順の妥当性を確認するためのものであり、シミュレーションによる分布関数の時間変化が、すでに知られている解析解と一致することを示した。 3.2節では、塩化ナトリウム水溶液における、ナトリウムイオンと塩化物イオンの挙動について論じ、これらのイオンの拡散係数の濃度依存性が、すでに知られている実験結果と一致することを示した。 3.3節では、棒状モデル分子の回転運動について論じ、永久双極子や誘起双極子をもった棒状モデル分子が、外部電場によって配向する過程についてシミュレーションを行い、すでに知られている解析解と一致することを示した。 3.4節では、高分子電解質溶液における、対イオンの挙動について論じた。本節の高分子電解質はDNA断片をモデル化したものであり、高分子イオンは静止したものとみなし、対イオンの挙動について3種類の条件下でシミュレーションを実行している。まず、外部電場がないときの対イオン分布とポテンシャル・マップを求め、高分子イオン近傍の対イオン分布が従来の理論と整合的であることを示した。次に、外部電場の存在下における対イオン分布について考察し、実験的に確認されている誘起双極子の電場強度依存性の異常が、対イオンの流れによるものとして理解できることを示した。さらに、パルス状の外部電場を印加したときの、対イオン分極の緩和時間をもとめ、実験値との対応関係を詳細に比較している。 3.5節では、外部電場による高分子イオンの回転現象を論じた。それ自体双極子能率をもたない高分子イオンが、外部電場の印加によって、対イオン分極による誘導回転メカニズムに従って回転する現象を示した。この条件は、実際の電気光学的測定に対応するものであり、これにより一般の高分子電解質を対象とした電気光学的実験の分子シミュレーションが可能であることが示された。 第4章は結論を述べたものであり、本論文の成果をまとめ、今後の展望について論じている。本論文においては、従来の研究と比較するため単純化された高分子イオンをモデルとしているが、ここで開発された方法は、詳細な分子構造を持つ高分子イオンのモデルに対しても適用可能であることを確認し、さらに計算の高速化により、実験結果の豊富な低濃度の系や長時間にわたる現象のシミュレーションに対する適用可能性についての展望を述べている。 このように、本研究は通常の高分子電解質の電気光学的実験のシミュレーションに道を拓くものであるが、この系は、いわば最も複雑な溶液系であり、それに対するシミュレーションが実現されたことは、同時に高分子電解質のみならず、一般の電解質溶液や、非電解質の高分子溶液やコロイド溶液など広範な物質の溶液系の動的挙動に対しても、これが適用できるものであることを意味している。 このような実績に対し、審査委員会は本論文を博士(学術)の学位論文に値するものと判定した。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54430 |