学位論文要旨



No 110885
著者(漢字) 田中,洋一
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヨウイチ
標題(和) 日本の科学技術政策における政策形成過程に関する研究
標題(洋) Study on Policy-Making Processes in Japan’s Science and Technology Policy
報告番号 110885
報告番号 甲10885
学位授与日 1995.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第51号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平澤,冷
 東京大学 教授 永野,三郎
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 丹羽,清
 東京大学 助教授 大勝,孝司
内容要旨

 科学技術は、国際競争力や国民の生活水準、資源・環境問題など広範な現代社会の問題に対して国家規模、国際規模の影響力を持つに到っている。その結果、科学技術を取り扱う政策の適切な運用が望まれるようになり、従来、行政府に一任して余り顧みられることのなかった日本の科学技術政策の形成過程を見直す機運がもたらされた。

 政策形成過程を対象とする研究は、その実証や論理化の困難さから、政治学や行政学、あるいは組織科学といった分野で、政策決定論や官僚制度論、組織論研究の一部として概説的に取り扱われるか、または個別の事例紹介として語られることが多かった。こうした中、科学技術政策という特定の政策領域を研究対象の中心に据えた研究は限られたものであり、しかもその政策形成過程に注目した研究はほとんど行われていない。その理由は科学技術政策の形成過程を含め、政策形成過程の実態を解明する上で有効な視点が見いだされていないことに原因がある。

 本研究はこうした認識から、日本の科学技術政策の形成過程を実証的に分析する視点として「情報」それ自体に着目している。これは政策形成過程を専門的な「情報」の伝達や連関の構造ととらえ、それらの情報がどのように処理されるかというメカニズムの解明を主眼においたものである。というのは科学技術政策を固有の政策領域として特徴づける最も大きな要因は、政策の扱う対象が高度に専門化された知的な情報の体系であると考えられるからである。これは民間企業の研究開発組織を対象として、近年行なわれるている専門的技術課題に関する意思決定研究の一部に見られる視点を、政策形成過程の領域に導入したものともいえる。

 本研究は政策形成過程における政策形成者の情報行動に着目し、先ず科学技術政策に携わる官僚制組織を対象とした分析を行ったあとに、その政策形成過程に重要な役割を果たしている政府の審議会組織についてこれらが策定する長期基本計画をケースとして取り上げ、より詳細な分析を行っている。

 本研究は7つの章から構成されている。第1章では科学技術政策の形成過程を取り上げた本研究の問題意識と、研究対象である科学技術政策の特徴、及び研究の視点について説明を行っている。この中では科学技術政策の形成に携わる組織の中で、専門的な情報量及び判断能力と、政策決定の階統的権限との間に乖離が見られ、一種の「知識と権限の逆相関」とも呼ぶべき状況が生まれていること、そしてその構造的矛盾を解決するという点から、専門的情報を処理し組織的合意に結び付けるメカニズムの解明が重要であることが強調されている。

 第2章においては本研究に結びつく先行研究の説明を行っている。前述のようにこうした分野の研究は多様な学問領域で個別に行われてきた問題である。そのためこの章では政治学や政策科学、組織科学、そしてシステム論といった関連する広い分野において、科学技術政策の形成過程がどのように取り扱われているかをまとめ、そうした既存の研究と本研究との関係を整理している。

 第3章から第5章までは、実際に行った分析について述べている。

 第3章では、科学技術政策の形成に携わる官庁の政策担当者を対象としたアンケート調査を行い、どのような情報収集及び情報処理の手法がとられたか、あるいは合意形成のためいかなる対象を相手とし、どの程度の頻度で交渉活動が行われたかなど、こうした関係者の情報行動を分析している。その際、分析の手法として政策形成過程を3つのステージに区分し、さらに「施策モジュール」という新たな概念を導入して、政策を形成する各種の概念的要素を個別に分離し、その要素ごとに分析を行っている。これは本研究の視点において、「情報の質や種類」に応じてどのような情報行動あるいは合意形成活動が行われたかが重要な問題となるからである。こうした分析の結果は、政策形成過程における官僚の閉鎖的な情報行動、及び非公式な交渉活動の重要性が示される一方、そうした既存の行動様式が、高度な基礎研究領域での情報伝達や理解に際して必ずしも有効でないことを明らかにした。その結果、そうした専門性に対処する組織としての政府審議会の重要性を改めて認識させることとなった。

 第4章では、科学技術会議の基本答申形成過程を対象として詳細な分析を試みている。ここではその専門的情報処理に対応する組織的メカニズムとして、構成員の「組織階層間の併任」や、所管省庁における「対応組織の形成」に注目し、その実態を細かく分析した。こうしたメカニズムは、情報を担った「人それ自体の共有化」による情報伝違ともいうべきものであり、各答申の内容や性格に応じた様々な組織的対応が行われている実態が解明された。

 第5章においては、宇宙開発委員会や原子力委員会、産業技術審議会など、科学技術政策に関わる審議会において、同様の組織メカニズムが存在し作用しているか、そしてそれが科学技術政策という政策領域に固有なものかどうかを、経済政策の立案に関わる経済審議会との比較検討を交えながら分析を行なっている。その結果、上記のメカニズムが審議会の性質、特に取り扱う政策課題の専門性に大きく左右されること、言い換えるなら情報の専門性に応じた構造的対応のメカニズムが存在していること、そしてそれは科学技術政策という政策領域にきわめて顕著なものであること、が明らかにされた。しかし一方で分析は、こうした組織内部の柔軟性に基づく構造的対応のメカニズムが、高度に専門的な課題を対象とする場合には既に限界を示しつつあることも示している。

 第6章では、こうした分析結果が、既存の組織論・システム論研究や、公共政策として見た場合に特に問題とされる「政策決定の民主性」という観点からどのように解釈されるかについて考察を行っている。

 従来の組織論やシステム論の研究では、外的な環境因子に対応したシステムの構造的対応について多くの事例が検討され、そのメカニズムが活発に解明されている。しかしながら本研究のように、政策課題の専門性という一種の内的因子に着目し、それに対応していかなる組織内部の動的メカニズムが存在するか、そしてその因子の性質変化によってどのような構造的対応がなされるか、について実際の政府組織を対象として詳細な分析を試みたものはない。また本研究が行った「情報」という視点からの分析は、きわめてその分析に有効性を示し、日本の政策形成の在り方が、政策形成者(政策形成の主体)を政策形成及び決定の過程に内在的に組み込んでいくという「主体内在的」なプロセス、あるいは「参加型」のプロセスであることを明らかにしている。

 またこうした政策形成の在り方とその民主性という問題では、従来から公共政策論などの場で、政策形成の効率性・有効性を損なうことなしに、いかなる民主的コントロールが可能かという点で、しばしば活発な議論が行われている。しかしこうした議論の多くは、審議会を取り上げる場合にも、日本のように審議会が行政過程に位置づけられる場合と、アメリカ合衆国のようにその機能が立法過程に置かれている場合とを区別する、といった基本的な認識すら余り明確にされておらず、必ずしも論理的な分析とはなっていない。その一方で審議会が関わる政策の影響力を重要視して広範な市民参加を唱えているため、結果的に有効な提案を行っているとは言えない状況にある。これに対し本研究は、審議会の政策形成過程を実証的に分析することで、その組織的な特徴と問題点をきわめて明確にし、政策形成と民主性とを巡る問題を論理的に解明する上で重要な成果を得たと考える。

 以上の議論を踏まえて、最終章では本研究の成果を改めて概括し、高度な専門性を有する情報を取り扱う組織が、その情報を円滑に処理し有効な政策決定に結び付ける主体内在的なメカニズムが、日本の科学技術政策の形成過程において中心的な役割を果たしていること、そして一方、そのメカニズムの中に、新たな社会的論理、すなわち民主性や市民社会の論理、あるいは高度の専門的情報が産み出すアウトプットや影響を「受け取る側」の論理、を導入すること-具体的には政治的・民主的な委員の選定や監察制度を導入していくこと-によって、専門的な政策形成が抱える問題点を克服していく可能性を示している。

審査要旨

 本論文は、日本の科学技術政策の形成過程を、「専門的な情報」の伝達連関ととらえ、その構造的特徴を実証的に解明したものである。科学技術政策は、政策の扱う対象が高度に専門化された知的な情報体系である点に特色があり、日本の場合、政策形成は一般に、官僚制組織における行政過程で行われている。このような認識のもとに、本論文の分析対象は官僚制組織における政策形成者の情報行動と意思決定行動にその焦点があてられている。

 本論文は7つの章から構成されている。

 第1章は序論で、本研究における問題意識と研究の視点について述べている。科学技術政策の形成組織において、一般に、専門的な情報量および判断能力と、政策決定の階統的権限との間に、いわば「知識と権限の逆相関」の関係が存在し、その構造的矛盾の克服が組織的合意形成のための課題であるとする仮説的命題が述べられている。

 第2章は先行研究をまとめたものであり、政治学、政策科学、組織論等の多様な学問領域における既存の成果のうち、政策決定過程論に関わる研究を、システム論の枠組みによって整理している。

 第3章から第5章までは、調査結果の分析を取りまとめたものである。

 第3章は、政策形成者の情報行動を分析したものであり、科学技術政策の形成に携わる中央省庁の政策担当者を対象としたアンケート調査に基づいている。調査フレームとしては、政策形成過程を3つのステージに区分し、さらに「施策モジュール」という新たな概念を導入して、政策を成立させている概念的構成要素を特定し、その要素ごとに情報行動と合意形成行動を分析するという独自の構造論的アプローチを展開している。調査結果は興味深い新鮮なファクツに満ちたものであり、政策形成ステージの移行にともなう情報行動範囲の明確な遷移、施策モジュールのカテゴリー毎に異なる有効な接触階層の対比、情報行動および合意形成行動における対人的接触行動様式の際立った有意性等の諸点を明らかにすると共に、開発された行動組織分析法の有効性を示している。

 第4章と第5章は、科学技術に関する包括的な基本政策の形成過程を第3章と同様の視点から分析したものであり、政策形成に重要な役割を果たしている審議会組織を分析対象としている。第4章では、科学技術会議における4種の基本答申を、また第5章では、原子力委員会、宇宙開発委員会、産業技術審議会等における長期計画、政策大綱、長期ビジョン等の形成過程を分析している。また科学技術政策以外の政策との比較のため、経済審議会の経済政策大綱をとりあげている。調査と分析は、聴取調査のほか、会議記録や担当者メモ等の一次資料の内容分析によっている。

 ここで分析対象とした政策は、いずれも包括的な基本政策であり、ビジョンや政策理念等の抽象的な概念レベルから具体的な振興項目や課題例に到るまでの階層的な内容を、一体的に包含するものである。そして、それを検討する審議会の組織もまた課題の構造によって規定され、重層的組織構造をとっていることを示している。このように複雑な組織における政策の策定過程を詳細に分析し、審議会組織内部における「組織階層間の併任」ないし、情報を担った「人それ自体の共有化」ともいうべき情報伝達メカニズムが存在し、それが有効に機能していることを明らかにしている。またこのメカニズムは、審議会の性質、特に取り扱う政策課題の専門性の程度に大きく依存していることが実態的に解明されている。

 第6章では、2つの視点から分析結果の検討が行われている。第1は政策形成の組織過程に対するシステム論的考察であり、日本の政策形成の在り方が、日本における他の多くの組織過程と同様、異なる主体を、政策形成ないし政策決定過程に内在的に同時に組み込んで行くことを特徴とする「主体内在型」であることを指摘している。第2点は、政策形成における専門性と民主性のパラドクスの問題である。審議会を含む行政過程が政策形成過程そのものである場合、高度な専門性に対応できるとしても、民主性が著しく損なわれるおそれがあり、科学技術の「受け手側」の論理の導入を保証する新たな参加型政策形成メカニズムの必要性と、その具体的な方策について論じている。

 第7章は結論を述べたものであり、本研究の成果を改めて概括した後、政策形成における主体内在型メカニズムの有効性と課題についてまとめている。

 このように、本論文は日本の科学技術政策の決定過程を、システム論の枠組みを援用して詳細かつ実態的に分析し、「知識と権限の逆相関」という科学技術政策形成組織における構造的矛盾を解消するための階層的メカニズムの存在を明らかにすると共に、その内部における主体内在型メカニズムが柔軟な政策形成のために有効であることを明確にした。このような新しい知見は、専門的な課題にかかわる多くの組織に対し、その構造的矛盾を解決するための普遍的な指針を与えるものであり、この概念化と論理化にかかわる成果は学術の発展に寄与するところ大である。よって、審査委員会は本論文が博士(学術)に値するものと判定した。

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