本論文は7章からなっており、第1章では潜り込む海洋プレート(スラブ)の上部マントルでの形状を把握すること意義についての問題設定、第2章では地震波の定時を使った解析、第3章では地震波の波形を使った解析、第4章では反射波の振幅を使った解析、第5章では伊豆小笠原弧の沈み込みの形状について、第6章では結果の地球物理的な考察、第7章では全体的な結論が述べられている。 本論文の主要研究テーマは、孤立した場所で起こっている深発地震という例外的事象の地震学的データの解析を通して、海溝から潜り込む海洋プレート(スラブ)の上部マントル下部での形状を把握し、その沈み込みプロセスに示唆を与えることである。 スラブが下部マントルへ沈み込んでいるか、それとも上部マントル中に溜っているかは、マントル対流が1層であるか2層であるか、上部・下部マントルは化学成層しているのか等と絡んでくる地球物理学上の重要な課題の一つである。ここ数年、地震学から上部マントル中に溜ったスラブの存在がいくつか主張されている。しかし、この停留しているスラブが局在しているものなのか、それとも広い範囲にわたって見られる普遍的な現象なのかはよくわかっていない。停留しているとされるスラブの中でその存在がもっとも確からしい場所は伊豆小笠原北部である。一方、この南の伊豆小笠原弧の南部には深発地震の起こっていない地域が300kmほどの長さにわたり存在する。この地域にはスラブは存在するのだろうか?存在するとしたら、そのスラブは北部と同様に停留しているのだろうか?従来の研究ではこの伊豆小笠原弧の南部のスラブの存在および形状は不明確であった。本論文では、このスラブの存在およびその形状を明らかにした点で注目できる。 伊豆小笠原弧の北部では活発な地震活動が観測されている。この深発地震活動は26.5度を境に以南ではマリアナまで途絶えるが、この領域の中で一ヶ所、深発地震が起きている所がある。24N,142Eの地点である。この深発地震からの日本への波は地震の起こっていない地域をサンプリングするため、この地域を調べる目的に最適である。本論文では、この地震に着目し、その走時、波形、振幅データをもとにこの地域の地震波速度構造の解析を行った。対象地域は地震が少なく、トモグラフィのような大規模データ処理では充分な描像が描けないため、この研究では簡単なモデル化を行い、解析を行っている。 第2章では、走時解析より小笠原地域のこの孤立深発地震が、他に地震が起きていないスラブの中で起きていることを見い出し、このスラブが切れ端ではなく北部の地震が起きている領域をも含んだ伊豆-小笠原の一枚の大きく変形したスラブの一部と考えられることを示した。 次に、走時解析よりこの非地震性スラブが下部マントルへと沈み込んでいることを示唆した。これはこの北側の伊豆小笠原弧北部ではスラブが上部-下部マントル境界上に横たわっているとP波走時解析より考えられていることと対照的な結果である。申請者のこの研究は、上部マントル中に横たわるスラブと下部マントルへと沈み込むスラブとが伊豆小笠原弧内に隣接して存在する事を従来よりも詳細に明らかにし、横たわるスラブが局所的な構造である事を示唆したものとして注目される。 第3章では、スラブによる回折P波、マルチパスのP波と考えられる地震波をこの地震の気象台の波形記録上に見いだした。そして走時解析より得られたスラブモデルでこの地震のP波の振幅、波形を定性的に説明できることを示した。このことは、この研究が従来の走時のみを使った研究より、より信頼性が高いことを意味する。走時、振幅、波形までを定性的にせよ全て同一のモデルで説明できることを示したのはこの研究が初めてであり、スラブのような深部大規模構造による回折波とマルチパスによる波がともに近地記録で見つけられたこともこの研究が初めてである。 本論文の地震学へのもう一つの大きな貢献は、スラブ下面付近の地震波速度構造を波形、振幅より推定できることを示した点にある。本論文では、この波形の出現位置を計算し、その位置およびそこでのP波の振幅が地震とスラブの上面間の速度構造より地震とスラブ下面間の速度構造(その距離、スラブとマントルとの最大速度差、下面での速度ジャンプ)に敏感であることを見いだした。波形および振幅からスラブ下面付近の速度構造を推定できることを示したのはこの研究が初めてである。この研究では研究対象領域内で地震が少なく、アナログの地震波形記録を用いざるおえなかった。そのため細かな構造については議論していないが、今後日本に展開された広帯域地震計による記録が集まるにつれ今回見つけられたような回折P波、マルチパスのP波の観測例が増えると考えられ、今後、この方法によるスラブ下面付近の地震波速度構造推定が進むことが期待できる。 なお、本論文は、金嶋聡氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |