近年、気候変動や環境問題が社会的な関心を呼んでいる。気候とは一般に大気の平均的な状態と考えてよいが、それは大気圏のみならず海洋や陸上の大気と関係する様々な系が影響を及ぼしあって形成されている。大気または気候の自然変動として、ISV(Intra Seasonal Variation)、モンスーンの年々変動、ENSO(El Nino and Southern Oscillation)や最近その存在が指摘されている数十年スケールといった様々な時間スケールのグローバルな変動が知られている。このような気候とその変動の研究では、様々な物理量のグローバルでかつ定量的なデータが必要である。大気に関する物理量のうち、温度、湿度、風データについては1日に数回、観測データと数値予報モデルの結果が組み合わせられて、全球における格子点化されたデータが作られ利用されている。 降水は大気物理過程の最終成果物であって、その分布が大気または気候状態を表すという意味で大気・気候変動の指標となる。同時に熱帯での積雲、対流活動に伴う降水現象にともなう潜熱の放出は地球大気の主要な熱源であり、その分布が変動そのものを決めているともいえる。このように降水量は基本的でかつ気候変動研究にとって重要な気象要素であるにも関わらず、その時間空間的な変動が大きく、また広域、特に海洋上での観測が困難であることから平均的な値である気候値に関しても、正確な値はわかっていない。今までに既存のデータから推定されたいくつもの気候値があるが、その東西平均ですら量的に大きなばらつきがあるのが現状である。降水の集中する熱帯地域の大部分が海洋上であることから、グローバルな観測データを取得するためには従来の地点観測では限界があるので、衛星による観測が必須であろう。 これまでももちろん人工衛星による降水量の推定は行なわれてきた。それは静止気象衛星の可視赤外放射計で得られた雲画像に基づく雨量推定である。これは背の高い雲頂温度の低い雲で強い降水が起こるとして降水量を推定する方法である。しかし最近の熱帯西太平洋で行なわれた大気海洋の集中的な観測の結果から指摘されているように、氷晶過程を経ないいわゆる暖かい雨(warm rain)の雨量がこれまで知られている以上の割合を占める可能性もあり、非直接的な推定法である欠点は解消されていない。次に求められるのは定量的な観測であり、そのためのセンサーとしてはマイクロ波放射計かレーダーが考えられる。 このような背景から、人工衛星で熱帯の降雨を観測することを目的とした国際的な観測計画である熱帯降雨観測計画(TRMM)が提案され、現在実現に向けて進められている。目的を熱帯降雨の観測にしぼり、降水観測のために従来の可視赤外放射計とともにマイクロ波放射計や降雨レーダーが搭載されることになっており、また熱帯で大きいといわれている降雨の日変化を観測するための軌道が選ばれ、今までにない高精度の観測が期待されている。定量的な観測データは、ミッション期間の短さに関わらず、長期的な気候モニタリングの端緒を開く観測となるはずである。 しかし衛星による観測にはいくつかの問題点もある。マイクロ波放射計や降雨レーダーは直接的な観測により比較的高精度の観測が期待できるが、現在のところ技術的に静止軌道衛星に載せることはできない。静止軌道でない衛星では、観測が時間的に連続でないことによって気候値推定の際に生じるサンプリングエラーが重大な問題となる。 そこで本研究の第1部では降水観測におけるサンプリングエラーの問題を扱った。サンプリングエラーは1.軌道、2.センサー走査幅、3.降雨の統計的性質、によって決まると考えられている。このうち1と2は降水現象をいかに多く観測するかという問題である。そこで1および2を現在計画中のTRMM衛星の軌道と走査幅にした場合のサンプリングエラーの推定と検討を行なった。 実際の衛星による降水観測をシミュレートするための雨量データは、数100kmというセンサーの観測範囲の面的な広がりを持つという意味でレーダーデータしかあり得ない。これまでのいくつかのサンプリングエラーに関する研究はすべて熱帯大西洋で得られた1つのレーダー観測(GATE)データを用いて行なわれてきており、月平均降水量を緯経度5度の領域で推定する際のサンプリングエラーはTRMMの場合10%とされている。このデータが用いられる理由は、広範囲に渡って熱帯海洋上で得られる殆んど唯一のレーダーデータだからである。しかしデータの範囲がTRMMで対象とする緯経度5度領域より狭く、データの期間も40日程度である。時間空間的な外挿の必要から統計的なモデルによる推定が行なわれてきたが、結果は外挿のパラメータに依存する。したがってTRMMによって観測される他の地域においてもより長い期間、広い領域をカバーするレーダーデータによる検討がさらに必要といえる。日本付近では気象庁によって日本領域全体をカバーするような広範囲のレーダー観測が行なわれている。そして各レーダーサイトでの観測結果はお互いに合成され、これをアメダス観測地点における雨量計データでキャリプレーションしたレーダーアメダス合成図が、毎時作成されている。これはレーダー観測に基づく雨量データであり、1988年から1991年まで蓄積がある。このデータは現在までも更新され続けており、長期間、広範囲という意味で、世界の他に類を見ない貴重な雨量データということができる。 レーダーアメダス合成図を実際の降水場と考え、この場に対してTRMM衛星の軌道で観測を行なうことを想定した実証的な降水量推定シミュレーションを行なった。すなわち、軌道とセンサー走査幅を設定して、センサーの走査範囲に入るピクセルデータを観測したとして領域平均月降水量を推定する。一方で全データから得られる領域期間平均雨量を真の降水量として、両者の差の最小自乗誤差をサンプリングエラーとした。 以前の研究と観測条件を同じく走査幅をマイクロ波放射計の700kmとして得られたサンプリングエラーは16%となり、これまでに示されている値である10%よりも大きくなった。走査幅として降雨レーダーの220kmを用いるとエラーは20%となることから、センサー間のキャリプレーションが重要であることが示された。またサンプリングエラーには、夏季に小さく冬季に大きいという明瞭な季節依存性があることがわかった。降雨の統計的性質を検討したところ、サンプリングエラーは平均降水量によって支配的に決まっている可能性が示唆された。このことはGATEやレーダーアメダス合成図のような観測データが必ずしもなくともサンプリングエラーの大きさに関する見当を与える可能性があるという意味で大変重要な意味がある。その他にも平均面積依存性、日変化観測の可能性、複数衛星による観測の場合など、数値実験での条件を変え、それぞれについてのエラーの推定値を得た。その結果緯経度5度よりも空間分解能の細かいデータを得る可能性や、本領域で月平均降水量を推定する際に降水の日変化の影響はないこと、複数衛星による観測の重要性、を示した。 また論文の後半では衛星観測上の問題をもう一つ取り上げる。それは衛星搭載という制限からセンサーのダイナミックレンジが必ずしも十分でなく、降水を弱い雨から強い雨までを精度良く観測することは難しい、という問題である。これを面積平均によって回避する統計的雨量観測推定手法としてしきい値法が提案されている。ある程度以上の面積を持つ領域内で、ある降雨強度(しきい値)以上の部分の面積の、領域全体の面積に対する割合(F)と、領域平均雨量(R)との間には非常に良い相関関係があることが熱帯海洋上のGATE雨量データより知られている。この事実は観測によって雨量がしきい値より上か下かという観測だけからFを知ってRを推定できることを示している。実際の衛星観測でしきい値法により面積雨量の推定を行なうためには、あらかじめ相関係数を最大にする最適なしきい値を知っておく必要がある。 そこでまずしきい値法が熱帯域と同様に日本域の降水についても機能することをレーダーアメダス合成図を用いて確かめた。結果は季節や年によらずF-R関係の相関は非常に高く、最適しきい値として4.0mm/hrを固定して用いてよいことを示した。また今までのしきい値選択の基準に加えて、回帰直線の傾きの係数にはしきい値による変動が見られるので、この変動の小さいしきい値を選択すべきであるとの提案を行なった。 ところで実際の衛星観測において考えられるような、平均対象領域が部分的にしか観測されない場合のしきい値法の適用は今までに検討されていない。そこで第1部と同じレーダーアメダス合成図とTRMM軌道を用いて、しきい値法による月降水量算定シミュレーションを行なった。こうした現実に近い状況に対するしきい値法適用のアルゴリズムをいくつか考案して比較し、最も良いもので推定誤差は約20%となった。これは第1部で求めたサンプリングエラーに、しきい値法が持つ誤差が加わったものである。しきい値法によるエラーがこの程度でありサンプリングエラーに比べて小さいことは、しきい値法が有効な雨量推定手法であることを示している。 第1部と第2部を通して衛星による降水観測についての問題を扱った。第1部ではサンプリングエラーが熱帯か中緯度かを問わず月平均降水量に密接な関係があることが示された。また第2部ではしきい値法という熱帯の降雨に関して得られている経験的事実が中緯度の降水についても成り立つことが示された。これらはもともと別々の問題を扱ったにも関わらず、共通した降雨の統計的特性を示す事実である。つまり大局的に見た降雨の分布は、ある程度均質であり降水システムの違いに大きくよらないという、より一般的な性質を持つことが示唆されているといえよう。これは中緯度帯に位置し、季節により様々な降水システムを含む日本付近での長期間のデータを用いることによって初めて得られた結果である。今後はこの推論の普遍性を、降雨の統計的性質を他の地域における降雨データを用いて調べることと、数学的なアプローチにより調べることで検証していく必要がある。 |